書評：「危ない飛行機が今日も飛んでいる」
―危ない飛行機をとめる民主主義と労働現場の連携―
英仏両国の威信をかけた国家的プロジェクトであったコンコルドが炎上墜落した事故はまだ記憶に新しい。そしてその後コンコルドは
耐空証明を取り消された事により、そして自己原因の究明により、原因が気体の構造上の欠陥にあった可能性もあることが判明した事に
より、コンコルドはほぼ永久に空を飛ぶ事はなくなった。
コンコルドは1979年に製造が中止されており、すでに約25年飛んでいる同機の老朽化による翼の亀裂の多発やと交換部品の不足が以
前から問題となっていた。したがってこの事故は、危険があるにもかかわらず現役を引退させる事なく運行を継続する航空会社の姿勢が
改めて問題となった事件でもあった。
ここで紹介するメアリー・スキアヴォ著「危ない飛行機が今日も飛んでいる（原題：Flying Blind,Flying Safe）」（草思社刊）は、
アメリカで1997年に出版され、そのときすでに危険な飛行機としてコンコルドをあげていた。
しかしこの書は単に現状暴露の本ではない。アメリカ運輸省の監察総監として敏腕をふるい、政財界の腐敗と癒着の構造と戦い続けな
がら、危険な飛行機を追放すべく努力した、元検事の女性の闘争の記録でもある。そしてその戦いの中で政府や航空会社の妨害をはねの
けてこの危険な状態を克服するためには、労働組合の航空会社の公共性を維持するための社会的取り組みがいかに大きな可能性を持って
いるかということを示唆した点にもこの書の価値はある。
★航空業界を巡る政官財の癒着の壁★
本書の著者、メアリー・スキアヴォは、連邦検事補、司法長官特別補佐官、労働省次官補をへて、1990年に運輸省の監察総監に就任
し、1996年まで在任した後退職し、現在はオハイオ州立大学で公共政策を教えている。
彼女が監察総監を務めた７年間は、連邦航空局とそれと癒着する政財界との戦いの連続であった。
事態の発端はこうである。頻発する航空機事故を調べているうちに、新興の航空会社には自社の整備工場を持たず修理や整備は全て外
注で、しかもパイロットには予定どうりにフライトをこなしたかどうかで賃金を決める制度をとっている会社もあり、このためパイロッ
トは、自分が搭乗する機体が多少調子がおかしくともフライトを強行してしまうことになり、これが事故を多発させる原因である事をつ
きとめた。
しかしここで問題が生じた。運輸省監察総監室は運輸行政が適切に行われているかどうかを監察するのであって、その権限は政府機関
に限られており、航空会社を直接査察することは出来ないのであった。そこで、航空会社を直接監督する立場の役所である連邦航空局を
動かしていこうとしたわけだが、ここで大きな障害にぶつかったのである。航空会社が安全な運行をしているかどうかを監察指導するは
ずの連邦航空局が事故を多発させている航空会社を弁護し、何度も安全宣言を出すという事態にぶつかったのである。
この動きに不審を感じたメアリー・スキアヴォら監察総監室の調査官たちは、連邦航空局の査察体制を直接調査し、そこで驚くべき事
態を目撃した。連邦航空局の航空会社に対する査察は、すべて期日を通告したものであり、しかもその航空会社の所有する全ての航空機
を査察するのではなく、査察官が任意に選んだ機体を査察するだけ。しかもその査察の検査項目は連邦航空局として定められてはおら
ず、査察官個人の判断にゆだねられている事が判明。さらにおそろしいことに、その査察官の多くは航空機の整備の資格も経験もない者
であり、その任用試験にいたっては、試験の基準もなく作問者もまた航空機の整備の資格も経験も持たないものであることが判明した。
連邦航空局の安全宣言には何の根拠もなく、連邦航空局は航空会社の査察を全く行っていないに等しい状態であったことが明らかにな
ったのである。
この事態を連邦航空局職員の内部告発をうけて掌握した監察総監室のスタッフは、この事実を公表しようと動いたのだが、それを妨害
したものがいた。なんと運輸省のトップである、長官その人である。運輸省の長官や連邦航空局の長官がなんと監督される立場である航
空会社の経営者の中から選ばれており、彼らは航空会社を監督するのではなく、航空会社を監督する官庁を監督し、その官庁が航空会社
の利益を損なわないように動く人物たちであったことが判明したのである。
メアリー・スキアヴォら運輸省監察総監室のスタッフは、この妨害にもかかわらず議会の公聴会を開いて事態を公表し、事態の是正を
はかろうとした。監察総監は大統領が直接任命するものであり、その職責は大統領と議会とに負う、独立した権限をもった機関だからで
ある。
しかしここでもメアリー・スキアヴォら運輸省監察総監室のスタッフは、巨大な壁に直面した。なんとホワイトハウスが妨害行動に出
たのである。監察総監を任命する権限をもつホワイトハウスからはしばしば事態の公表を取りやめるようにとの圧力がかかった。運輸省
長官は大統領ブッシュの有力な支持者であり、大統領当選に多大な寄与をしたということで運輸省長官の地位を得ていた人物であったか
らである。つまり大統領はこのような業界の利益を代表する人物に支えられており、業界の利益を弁護する立場にあったのである。
そしてこれは議会の議員たちも同様であった。多くの議員にとって、議員が公聴会を開かせるのは自分がいかに業界の利益を守ってい
るのかを世間に知らせることができる限りでのことであり、メアリー・スキアヴォら運輸省監察総監室のスタッフが行おうとしている航
空業界とその監督官庁である連邦航空局と運輸省の癒着を暴こうとする公聴会は、彼らには何の利益もなかったからである。
さらにメアリー・スキアヴォら運輸省監察総監室のスタッフが、業界とは一線を画して行動する市民派の議員の援助をえて公聴会を開
催するや、ホワイトハウスを筆頭とする業界の利益を代表する人たちは今度は公聴会で証言するはずであった人たちを脅し、証言をさせ
ない動きに出たのである。証言者とは、連邦航空局の職員であり、その査察官たちであった。
公聴会では何も改善されない事が分かったメアリー・スキアヴォは、運輸省監察総監を辞任し、監察総監をしての活動を通して知り得
た事実を一民間人として公表することにした。本書はこうして世に出たのである。
しかし、その後も航空機の事故は頻発しており、事態は改善されていないようである。
★民主主義的制度と労働組合の結合による社会的活動の可能性★
では、このような航空業界をめぐる政官財の癒着を突き破り、航空機の安全性をたかめることはできないのか。
可能性はある。それは本書に示されたメアリー・スキアヴォら運輸省監察総監室のスタッフの戦いの経験の中に豊かな可能性として示
されている。
1992年のことである。航空業界の腐敗を調べているうちに、航空部品にはすくなからず偽造された部品が含まれており、それが航空
機事故の原因の一つであった可能性が高いことが明らかになった。
この事態をしりえた監察総監室はすぐさま連邦航空局を動かし、事態の調査に乗り出すように依頼したが、連邦航空局は「偽造部品な
ど見た事がない」と言い張り、動こうとはしなかった。
航空機の偽造部品とは、たとえば自動車の部品をいくつか溶接し、外面だけは飛行機の部品の形状に見せかけたもので、エンジンの部
品やヘリのローターの接続部品などに見られ、航空機が飛行中にその部品の溶接が外れたり壊れたりして、航空機が飛行不能になるよう
な部品である。
議会の公聴会を開いて事態を明らかにしようにも偽造部品がどの程度広まっているのかの実態を明らかにしなければどうしようもな
い。しかし航空会社を査察する権限をもった連邦航空局が動かねば運輸省監察総監室には何も出来ない。
メアリー・スキアヴォら運輸省監察総監室のスタッフはどのように事態を打開したか。
彼らは、この問題を訴えるセミナーを何度も開催し、連邦航空局や航空会社の整備士や品質管理担当者、そして航空機を使用している
政府諸機関や部品の輸入を検査できる関税局の職員などに直接訴えかけ、偽造部品を見つけたときにはただちに監察総監室に連絡をと
り、実物を送ってほしいと訴えたのである。
たちまちすごい反響があらわれ、監察総監室には偽造部品の山が築かれ、事態の重要性に気付いたＦＢＩの協力もあり、状況は具体的
に把握され始めた。
この事実を背景に、監察総監室は連邦航空局直営の整備工場を査察し、その倉庫から偽造部品を見つけ、なんとそこの部品のメーカー
から買った部品の43％が偽造部品で、しかも部品ブローカーから買った部品の95％が偽造部品である事を明らかにした。これを連邦航
空局幹部につきつけたのだが、それでも連邦航空局は「それは偽造部品ではない。メーカーのロゴマークを付け忘れただけだ」と言い張
って、動こうとはしなかった。
事態を決定的にしたのは公聴会であった。連邦航空局のエンジニアおよび電気技師の労働組合が公聴会での証言を確約し、「アメリカ
の航空機に無許可のまがいものが大量に使用されているにもかかわらず、連邦航空局はこのことを確認しようともやめさせようともしな
かった」ことを証言するといってきたのである。こうした証言によって事態は次々に明らかになって行った。
この経緯は、運輸省監察総監室と労働組合が結びついて、航空業界の公共性を守るために動いた例であろう。
政府機関の中に、そこからから独立して政府機関自身を査察する権限を持つ機関が存在する事自身が戦後アメリカ民主主義の象徴とも言える
が、その査察機関が政府自身の妨害に対抗し、現場の実情に最も精通している人々に直接情報提供を呼びかけ、これに労働組合が応えたという
事実も、戦後民主主義の進歩的な事例であろう。
そしてメアリー・スキアヴォが明らかにした事態はアメリカに限らず、今日どこの国においても状況は同じであろう。業界や官庁、そ
して政治家の腐敗堕落と癒着の構造。それがさまざまな企業や官庁の官庁の、社会的な公共性を失い、自己の利権のみを擁護する動きと
なっている例は、枚挙に暇もない。
こうした、利権のために公共性が犠牲にされる事態を打開するには、戦後民主主義が築き上げた民主主義的な諸制度を利用してその諸
制度を動かしている人々と協力しながら、現場を動かしている労働者自身が、そうした腐敗の実態を暴露して改善へと踏み込む事が必要
になっていよう。
本書は航空機事故の問題を通じて、労働者自身の社会的イニシアチブの可能性を明らかにしている。