【書評】『現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書:池内恵著)
グローバリズムの展開は終末論の拡大を生み出す!


 本書は、昨年9月のテロを受けて、なぜあのようなテロ活動をする人々がアラブ地域から出たのかを読み解くために出された書で、著者はまだ若いアジア経済研究所の研究員である。
 本書の特徴は、戦後アラブ地域の歴史を踏まえながら、アラブ世界の統一の展望の挫折と解体という過程を丁寧にたどり、現在のアラブ地域の社会思想の現状を系統的かつ客観的に描こうとしたことにある。
 著者の認識はこうである。アラブ世界を席巻しているイスラム原理主義は、世界革命としてのアラブ革命という展望の挫折の結果としてあり、それに変わる新たな展望がない中で生まれた、世界の終わりとしての終末を待望するという思潮を背景として広がっているというもの。
 本書は、アラブという一地域の思想状況の歴史的分析ではあるが、日本も含めた世界の思想状況の現状と未来を考えるうえでの、格好の参考書となっている。

 アラブ世界の転換点

 1967年6月の第三次中東戦争におけるエジプトの敗北が、戦後アラブ世界の大きな転換点だったと著者は言う。つまり1952年の革命以後近代化の道をひた走り、イスラエルを打倒して、全アラブの統一をなしとげると目されていたナセル指揮下のエジプトが、イスラエルに完膚なき敗北を喫したことは、アラブ統一の展望をめぐって深刻な思想的解体状況を生んだという。
 そこでは敗北の原因をどうとらえるかということと、今後のアラブ統一の展望をどう考えるのかが問われた。

  世界革命の一環としてのアラブ革命

 この状況の中で生まれたのは、当時全世界的に広がった急進主義的思潮の流れをくんだもので、世界革命は間近に迫っており、その主導勢力は、アラブなどの第三世界にあるという思想であった。
 この考えに組みした人々は、第三次中東戦争の敗北は、戦後近代化を遂げたアラブ諸国が、真に人民の力を結集したものではなく、ブルジャワジーに奉仕するプチブルジョワによって主導された政権が国を動かしていたことに原因があったとする。つまり人民がアラブ統一にむけて統一されていないからイスラエルに負けたという論法である。
 しかも彼らの論法の特徴は、戦争における敗北はアラブ統一の一切の展望を失わせたのではなく、むしろアラブの人民が直接権力をとることなくしてはアラブの統一はないということを明らかにした点で、歴史の進歩の1段階を画したと評価する。そして当時の世界の情勢は、全世界的に人民が直接権力を握ると言う、人類史の最終段階に来ており、しかもアラブなどの第三世界の人民こそが、世界革命の推進力となっている時代だとの認識をもっていた。
 この考えの根拠となる考え方は、米ソの平和共存体制は革命を抑止する体制であるが、この体制の弛緩と崩壊の予兆として1967年のフランスの5月の青年の動きや、ベトナム革命の進展や中国の文化大革命の進展があるとする世界認識である。
 この「人民闘争史観」に立つアラブ革命論は、アラブ地域を一時期席巻した。それは戦争の敗北の原因と今後のアラブ統一の展望とを、アラブ各国体制のありかたの変換と世界革命とを結合して提起したからであり、それを可能なものと思わせる世界の動きとセットであったからである。

 革命の展望の瓦解と思想的崩壊

 だがこのような展望は長くは続かなかった。決定的だったのは、1979年の中国とベトナムとの戦争であり、1989年のソ連邦の崩壊であった。
 第三世界を震源地とする革命が全世界を被うという展望は崩壊し、あまつさえ「革命勢力」の分裂と対立と崩壊という現象は、マルクス主義的な人民闘争史観を完全に崩壊させてしまった。
 そしてこれと入れ替わるようにして80年代から90年代にかけてアラブ地域を席巻したのは「イスラーム主義」である。
 この思想は、著者の規定によれば、「近代西欧の価値・理念では、アラブ社会の問題は何ら解決できなかった」という感覚に基づいており、近代西欧の価値観に変わって、『イスラームへ帰れ!!』と主張するものである。
 ただこの思想は、1つのまとまった政策の体系を持つわけではなく、コーランなどに表されたイスラームの教えに対する信仰心が喪失し、その信仰心の弱い世俗的指導者が政治を支配してきたことが国の発展を妨げ、それゆえにイスラエルに敗北したという考えを、その一般的な特徴とする。そして、「イスラームへ帰れ」という運動が広まり、『全体社会』をこの運動が包摂した時に、全アラブの統一と発展は可能になるとする。
 いいかえれば、西欧的価値観の全否定という思想であり、西欧近代=資本主義の否定、資本主義の崩壊は間近と考えるという点では、「人民闘争史観」とその根は同じだったのである。そして、『イスラームこそが正しい』と無条件に規定することで、「人民闘争史観」以上に、アラブ民族主義を強化した、より主観主義的思想なのであり、これはいいかえれば、アラブ統一の展望が再び崩壊したことによる、思想の崩壊といっても過言ではない。

  グローバリズムの展開と変質するアラブ社会の様相

 しかし、この「イスラーム主義」の展望も現実のものにはならなかった。1980年代以後、アラブ各国には「イスラーム主義」を掲げる政治勢力が台頭し、そのいくつかは政権を握ったが、かえってそれは「イスラーム」との乖離を生み出してしまった。
 つまり、石油などの資源を戦略的取引材料として成立したアラブ民族主義は、その反面において西欧近代文明=資本主義を受け入れ、アラブの社会は伝統的な「イスラーム的」ありかたとは大いに異なっていった。それとともにアラブ各国の政府は宗教とは一線を画すか、宗教的主張は名目的なものになり、経済の発展とともに、都市には西欧的価値観に染まった新しい階層を生み出し、これと表裏一体の問題として貧富の格差を激しくした。
 「イスラームへ帰れ」という主張は広く行われ、運動としてはかなり広まったにもかかわらず、現実のアラブ社会は、イスラームの教義からは大きくかけ離れたものになり、現実はますます西欧的なもの、資本主義的なものが広まっていったのである。
 こうしてイスラームによるアラブ統一の展望に疑問が持たれるなかで生まれたのが、『全体社会に痛撃を与えることで全体社会の力を縮小し、イスラーム的なものによって全体社会が飲み込まれる状況を作り出す』ことができるという思想傾向である。これがイスラム原理主義であると著者はいう。
 いいかえれば、現実の全体社会の自己変革への絶望、アラブ人民による全体社会のイスラーム的なものへの自己変革への絶望に基づき、少数の自覚的なものによる社会への痛撃=テロによって、全体社会を崩壊させ、イスラーム的なもので全体社会を包み込むというのが、イスラム原理主義だというのである。
 人民闘争史観的な世界革命展望の崩壊の中で生まれた急進主義的な「革命運動」と、イスラーム原理主義運動とは、二子の姉妹だったのである。どちらも西欧近代=資本主義の否定、資本主義の崩壊を前提としたものであり、この意味でどちらも、資本主義の発展と「社会主義」の崩壊という現実の前で、展望を失い、その結果、大衆から遊離して突出した行動を取ったという、同じ性格のものであるという著者の指摘が新鮮である。

 終末の始まりとしての湾岸戦争

 以上のような思想的な展開の中で、全体世界=アメリカ主導下の国際社会ととらえ、それに痛撃を与えることでその崩壊に導こうという思想が、アルカイダなどに代表されるアラブの国際テロ組織を支える思想として展開したというのが、著者の主張である。
 しかしここで忘れてはならないのは、この急進主義的行動を支えるものとして、90年代以後「神の罰としての終末の到来」を待望する思潮がアラブに広まっており、これが国際テロへと若者を駆り立てている背景にあるという著者の主張である。
 つまり「イスラーム的」なものとかけ離れた現実の世界の状況は、神の教えを守らなかった人間への罰として、神が与えた世界の終わりの前兆現象だとする考え方が、アラブの世界に大衆レベルでも広がっているというのである。
 経済発展の裏側ではびこる拝金主義と貧富の格差。その流れを加速するアラブ各国政府が、イスラーム的なものを広めようとする勢力に対する弾圧を強めていること。さらには、この各国政府が組みするアメリカによる世界秩序の展開が、イスラーム内部に分裂と対立とを持ちこんだのが湾岸戦争だとする考え。これら全ての現実が、世界の終末の予兆だというのである。
 いいかえれば、1973年のオイルショックを契機とした資本主義の危機の中で展開された「グローバリゼーション」という名のアメリカ資本主義の世界化現象が、アラブの地域の一層の資本主義化を生み出し、そこから生まれたひずみを、アラブの人々は「世界の終わり」と認識していると言うことである。
そしてこの大衆的雰囲気を基盤として、イスラーム原理主義の急進的なテロ活動が広がっているというのが、著者の主張である。

 パンドラの箱は開かれた!

 神の罰としての世界の終末という思想は、その論理の基盤として、「イスラームの教えを守るものだけが、世界の終わりにおいて、神に選ばれ、生き残ることができる」という考えを基にしており、これは形を変えたアラブ民族主義の思想である。しかもこれは、アラブ民族主義が西欧文明=アメリカを盟主とした資本主義に勝利するという意味でもあり、反資本主義の歪められた表現でもある。
 20世紀の戦争と革命の時代のなかで生まれた民族主義を、アメリカ資本主義の豊かさで抑えつけてきた20世紀はおわり、21世紀は民族主義の時代であることを、以上のことは示す。そして20世紀後半のグローバリゼーションの展開という世界の資本主義化の展開は、世界各地の伝統や文化や人々の生活をも破壊し、それと同時に、アメリカ資本主義に勝利し、豊かな各民族の文化を尊重した社会を築く展望を、アメリカ資本主義に虐げられた人々が持っていないがゆえに、ともすれば、絶望とあきらめの、急進主義的な動きを生み出してしまうことを、アラブの現代社会思想の分析は物語っている。
 この意味で湾岸戦争は、展望のない混沌とした時代を切り開いてしまったのであり、民族主義というパンドラの箱を開けてしまったのである。
 「資本主義による豊かな社会」の展望に代る、あらたな展望が待たれるゆえんである。


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