安全と安心を忘れさせた「台風など」という慢心
−災害列島日本A「人災」で拡大した被害−
今年2004年は日本列島を例年にない多数の台風が襲い、甚大な被害を与えた。
今年上陸した台風は6月11日の4号台風にはじまり、10月20日の23号台風まで全部で10個。台風による死者・行方不明者の数も、ここ10年で最大の被害を与えた23号台風の88名を筆頭に、合計で206名に達した。
▼「自然災害」なのか?
日本列島を数多くの台風が襲った理由の一つは、太平洋のフィリピン東海域の海水温が例年より2〜3度高く、そのためにこの付近に激しい上昇気流が発生し台風を多数生み出したことと、もう一つは日本列島南岸の海水温も例年より2〜3度高く、台風が日本列島に近づいても勢力が衰えなかったこと。さらには夏が終わり秋から初冬になっても太平洋高気圧の勢力が強く、秋から冬にかけて日本列島を覆う北の冷たい高気圧があまり南下せず、日本列島がいつまでも高気圧の南の縁(へり)になったために、台風が通りやすい状況が生まれたことなどがあげられ、これらは地球温暖化に由来すると指摘されている。
しかし今年の台風が甚大な被害を与えたことを、単なる「自然災害」と見過ごすわけにはいかない。今年の台風被害の状況を見てみると、それは「人災」ではないかと思える諸相が見て取れるのである(温暖化自体も人の活動によるものではあるが)。
▼無視された老人の「安全」
今年の台風での死者の内訳をみると、70歳以上の高齢者が多いことが目につく。
例えば23号台風では死者・行方不明88名の半数以上が70歳を越える高齢者だった(毎日新聞:10月22日)。
今年の台風は「雨台風」が多く、例年の数倍の雨をもたらしたために、各地で土砂崩れや洪水を引き起こした。その被害にあって命を落した人の過半が高齢者であり、中には堤防の決壊で床上まで浸水した家で、1階の居間に寝たきりとなっていた老人が逃げられずにそのまま水死するという痛ましい出来事もあった。
この背景は何か。23号台風の香川県での死者の過半が高齢者であったとの被害の実態を伝えた「支局長の手紙」という記事は、以下のように指摘している。
『災害はお年寄りを選択的にねらっているのでしょうか?。そんなはずはありません。台風にしろ、集中豪雨にしろ、地震にしろ、それ自身は自然現象に過ぎません。そうした自然現象が、お年寄りに選択的に被害をもたらしているとしたら、それは〃人災〃にほかなりません。会社や学校などの組織から切り離された高齢者に対し、情報が適切に伝えられたのか。災害弱者に有効な避難誘導がなされたのか。それらをきちんと検証することが、亡くなった方々に対する私たちの責任でしょう。県内の消防でも、一人暮らしのお年寄りなどの「避難困難者」を登録し、身内の連絡先や、居住地の地図がすぐに呼び出せるシステムを導入するところが増えているといいます。そうしたIT(情報技術)は積極的に採用すべきですが、一方で、住民自らが防災意識を持ち、「ご近所同士で声をかけ合う」という姿勢も不可欠です。その意味で県内の自主防災組織の組織率が52%(全国平均61%)、高松市で24%というのは心許(もと)ない限り』(毎日:10月25日)だと。
この記事は、8月30日の16号台風のおりも避難勧告が伝わらず、高齢者に水死者を出した事実も踏まえてのものである。
地域社会が崩壊し、一人住まいの高齢者が増えている中で、予想される災害に際して一人一人の高齢者の〃安全〃をどう確保するかは、問題にもなっていなかったのである。
▼活かされない災害情報
またこれと関連して、予想される災害の情報が迅速かつ明確に一人一人の住民に伝わっていないという問題もある。
例えば23号台風で大きな被害を出した京都府の由良川の氾濫に関しても、『国土交通省が3年前、戦後最大規模の被害が出た1953年の台風が襲来した場合の被害を予測した流域の「浸水想定区域図」を作成、昨年12月には浸水の様子を動画でシミュレーションしたDVDを製作し、流域市町に通知・配布し注意を呼びかけていたことが26日、判かった。この想定では、今回の氾濫で機能がマヒした京都府大江町役場の被害を正確に予測していたのだが、同町の水害に備えた対策は手つかずのままだった』(毎日:10月26日大阪版)と伝えられている。
今回の洪水ではこの「想定区域図」の想定どおりに洪水が起こり、大江町役場も想定どおりに1階部分が水没して1階にあった変電設備や防災無線設備が使えなくなり、防災拠点機能が麻痺してしまった。つまりこの「想定区域図」にそって対策を施し、住民にも情報を伝達して被害を減らす措置をとっていれば、大きな被害を蒙ることはなかったのである。同町の助役は『浸水想定図や動画は認識していたが、ここ数十年で河川改修も進み、今回のような急激な増水を予想せず、自然の脅威を甘く見ていた。』と語ったと同記事は報じている。
また10月20日午後2時半ごろ、高波が防潮堤を破壊し3名の死者が出た高知県室戸市においては、そもそも高波で避難勧告を出す仕組みそのものがなく、避難勧告を出したのは午後3時ごろに室戸署から「勧告」された後であり、その連絡は職員が拡声器を持って歩いて伝えると言うものであったともいう(毎日:10月22日)。
この2つは極端な例であるが、他にも気象台から大雨洪水警報発令をファックスで受けとっていながら、深夜のために災害対策の職員が帰宅していて不在だったため避難勧告を出すのが遅れた自治体の例や、先ほどの京都府由良川の例では、大雨洪水警報に伴い道路を通行止めにすべき河川工事事務所が、伝達された警報のファックスを書類の中に埋もれさせ、洪水で国道が冠水し多くの車が立ち往生するまで事態の深刻さに気がつかないという酷い例もあった。
まさに自然の脅威を甘く見ていたというしかないであろう。
▼あいまいな気象「予報」
しかしこれらの行政の対応の不備と共に問題なのが、気象庁が出す情報そのもののあいまいさである。
例えば23号台風は、四国をかすめて大阪湾に侵入し大阪南部に上陸したのだが、そのあとの進路予想が極めて曖昧であった。この時の台風進路予想の予報円(=何時間か後の特定の時間に、台風の中心部が到達するであろう場所を予測した円印)は、東は東海地方から関東の房総半島南部、北は福井県を経て日本海を含む極めて広い範囲を示していた。
しかも気象庁の外郭団体である日本気象協会の予報士の天気解説は、文字通り予報円の中ならどこにでも行く可能性があるという解説になってしまい、肝心な情報が正確に伝えられなかった。
実際には、コースの中央には日本アルプスという2千mを越える山地があるために、余程の超大型台風でもない限りこれを越えることはできず、弱り始めた台風の進路としては大阪から京都・志賀・福井と北へ進路を取り日本海へ向かうか、大阪から志賀の平野・盆地部のいずれからか東に進路をとり、太平洋岸の平野部か中央高知の盆地帯を通って関東へという二つのコース以外に考えられなかったのだが、そうした明確なメッセージは伝わらなかったのである。
これでは台風がどこに来るかは直前にならないとわからない。そして洪水警報などはまさに台風の進路が明確になってから出されるのであるから、それに備える態勢がとれないわけである。
気象予報はまだ未確立の分野である。上空の大気の動きは地球の自転速度だけではなく、地上の地形や上空の様々な風、そして海から立ち上る水蒸気の量などさまざまな要素によって左右され、いまだに大気の移動速度の方程式すら作れない状態である。
したがって気象予報は文字通りの「予想」であり、長い経験に基づいた勘の部分が大きな位置を占める。それゆえ出された予報だけでは的確に情報を読み取ることはできない。気象予報には、そのように予想した背景となる根拠を詳しく説明することが不可欠なのである。しかも避難勧告などを出す行政の側にも専門知識をもった災害担当者はほとんどいないのが現状なのであるから、「明確な根拠を示した予報」は情報を正確に伝えるための不可欠な要素なのである。
しかし今の気象予報は、その予報の根拠を明確に示さず結果を報じるだけである。根拠を報じるのは、予報が大幅に外れて大きな被害が出た後である。
さらに台風の予報円は、不必要に広く取る例が多い。どう考えても関東南岸を掠めるような場合にも予報円は日本列島全体を覆い、さらには日本海に抜ける可能性が高い場合にも、予報円は関東南岸までも含む。ここには「もし予報が外れたら何を言われるかわからない」という「行政的判断」が強く作用している疑いが濃い。
▼大量の「流木」と山林の荒廃
しかし、以上のような対応の不備と言うような例では済まない問題が台風被害の背後にあることを、今年の台風被害の状況は示している。それは、「災害に対する備えをほとんど度外視してきた」とでも言った方が正確であろうか。
まず、今回の台風被害の報道の中で目立ったことであるが、「流木の被害」の多さである。各地で起きた洪水の原因を探っていくと、大量の流木が川を堰きとめ、そのことによって堤防が削られて決壊したという例が多々見られる。
例えば、『台風23号の影響で約100世帯が床下・床上浸水した高山市下切町。普段はせせらぎのような宮川の突然の暴れ川への変身に、被災住民たちは大きなショックを受けた。「上流から流れて来た流木やごみが八千代橋に当たって次々とたまり、水をせき止めてしまった」とみる住民が多く、行き場を失った濁流が堤防を浸食して左岸の住宅地へどっと押し寄せたとみられる。』(毎日:10月24日)というような例が多い。
ではなぜ大量の流木が流れたのか。これは山林が荒れていることと関係がある。
第二次大戦に至る過程で、日本では将来予想される木材の大量需要に備え、全国各地で山林を伐採し、主として杉の苗木を大量に植林した。しかし山の斜面全体を伐採し、一度に同じ種類の同じ年齢の苗木を植えるということは、下草刈りや枝打ち、さらに間伐などの山林の手入れに手間と費用がかかる。そして戦後安い外国産木材が大量に輸入され、それによって木材価格が大幅に下落すると、木材を売っても山林の手入れの費用すら回収できなくなり、結果として林業を離職する人が増えて山林は手入れがされなくなり、多くの山では木の育ちが悪く山の保水力が低下してしまったのである。
したがって大雨が降れば土砂が流され、立木も流されて大量の流木が発生するようになったのである。それのうえ今年の台風は、どれも「異常気象」のために大量の雨を降らせるものであった。だから「想定以上の雨が降った」上に「想定以上の流木が押し寄せ」て川を堰きとめ、各地で洪水被害をもたらしたのである。
このような山林の荒れを防ぐ方法は、木材の大量生産方式である「皆伐(かいばつ)」という方法をやめ、「長伐期多間伐経営」という方式=ひとつの林の中で最も成育がよく良質のものから伐採していく「上層間伐」とも称される方法を取り入れる経営法を行うことであると言う。これだと大きな木を選んで伐採して行くので、それによって影になっていた育ちの悪い木が大きく育つために「間伐」という間引き作業が不要になり、だからまた経費が減って長期間にわたってかなりの収入をもたらすことができると言う。この方法をとれば、大量生産はできないが良質の材木が常に取れ、山も手入れされて荒れることはないそうである。
大量の流木と言う現象は、大量生産のための山林経営の横行と安い耐久消費財の提供のための外国産材木の輸入と言う、戦後の資本主義の大量生産・大量消費という傾向がもたらしたものだったのである。
▼放置されてきた防災施設
さらにもう一つ問題なのが、洪水や高潮から人々を守る施設である堤防や防潮堤の補修と改修が、長い間放置されてきたことである。
高知県室戸市では、23号台風の高波によって防潮堤が破壊され、壊れたコンクリート破片ごと高波が付近の民家を襲ったために3人が亡くなった。この原因を報じた記事によると、港の構造によって局所的に波のエネルギーが集中して巨大な波が防潮堤を襲ったこともあるが、『壊れた防潮堤は建設当時(67年)の標準的な構造で、特に欠陥はない。しかし、現在の堤防と比べると、つなぎ目の目地部分がもろい。目地部分がまずはがれ、その後、上部の「波返し」部分が倒れたのではないか。現場をみると、防潮堤の断面が平らになっており、目地部分から崩壊したことを裏付けている。』(毎日:10月28日)という。つまりコンクリートの繋ぎ目の部分が、弱い構造のまま40年もの間補修も改修もされずに放置されていたということである。
同じような例は夏の台風による新潟での洪水でも指摘され、ここでは川の堤防が40年以上もの間補修されず、堤防のコンクリートの各所に亀裂が入り水が内部の土手に染み込む状態になっており、そこへ予想以上の雨によって増水した川が渦をまき、弱っていた堤防を破壊した例が報告されている。また、そのあと国土交通省によってなされた全国河川調査でも、全国各地で同様な例が確認されたという。
全国で大規模な防潮堤が建設され、台風による高潮の被害を防ぐ措置が取られたのは、1959年に紀伊半島に上陸した伊勢湾台風で、高潮被害によって5000人以上の死者が出て以降だという。今回壊れた室戸市の堤防もその一つである。そして同じ時期に河川の堤防も強化された。
つまりこの堤防の建設によって大規模な高潮被害や洪水被害は少なくなり、台風による死者の数も1000人を超えることはなくなり、1桁あるいは10人程度のものになった。これは1964年の東京オリンピックを前後する時期の、高度経済成長初期のことである。
これ以後、「台風の被害はたいしたことはない」という誤った観念が生まれたのであろうが、堤防の補修・改修が以後なされなかったのは、これ以後の土木行政が、道路・鉄道網の建設・整備に中心が置かれるようになったことと不可分の問題であろう。
つまり土木事業が工業や商業の発展のために集中的に行われたことの裏側で、自然災害に備え、人々の暮らしの〃安全・安心〃を守る要である堤防の補修・改修という社会資本投資は、隅に追いやられていたということではないだろうか。
*
今年の台風被害の背景には行政の対応の遅さやまずさ、そして森林の破壊や堤防の補修の遅れなどがあったわけだが、すべてに共通して言えることは、今までの日本の行政のありかたや産業構造が、工業や商業の発展をはかることを主な目的としていたのであり、それによって人々の暮らしの〃安全・安心〃を守る部分は、隅に追いやられてきたと言うことだ。そしてそれが、自然災害をより増幅していたということなのである。
過度の産業の発展が地球環境を破壊し、人類の生活基盤すら破壊していることが問題となっている今日、日本の社会全体のありかたも転換を要請されていることを、今年の台風被害の増大は示しているのである。