《時評》
「STAP細胞疑惑」と旧石器発掘ねつ造事件との相似形
―「ノーベル賞級」の「発見」に群がった学会権威たちの狂想曲―
理化学研究所の小保方晴子氏らががことし1月に科学雑誌「ネイチャー」に発表した、あらたな万能細胞・STAP細胞の生成に関する疑惑が世間を騒がしている。
この事件の構図を見ていて、著者は、2000年11月に日本で発覚した旧石器発掘ねつ造事件と、事件の構図が酷似していることに気がついた。
旧石器発掘ねつ造事件は、日本にも数十万年前の旧石器時代の遺跡が存在するという、長い間実証されてこなかった、当時の考古学界の権威の説を「実証」するものとして、一考古学徒によって、次と次と各地の遺跡から旧石器が発見されたが、この石器は「発見者」が意図的に地層中に挿入した、旧石器とは似てもつかない縄文時代の石器であったことがあきらかとなった事件である。この事件は発見者がプロの考古学者ではなく、熱心な一愛好家であり、当初から、この愛好家でなければ遺跡から旧石器を取り出せないので、彼のことを「神の手」と読んで、マスメディアも含めて大いに持ち上げた。こんな馬鹿なことがまかり通った背景には、この遺跡ねつ造者の行為が、長らく実証できなかった学会の権威の説を「実証」するように見えたので、その権威者およびその直系の著名な考古学者らが、この「発見」にお墨付きを与えたことがあった。そして一部の考古学者から発掘された石器が旧石器ではなく、もっと後代の技術が進捗した時代である縄文の石器に酷似しているという批判があったが、この批判は、「どうして彼以外のものが石器を発掘できないのか」というまっとうな批判とともに、学会において無視され続けたのであった。
筆者はこの旧石器ねつ造事件を論評するにあたって、アメリカで相次いだ科学におけるねつ造事件を検証した書物を参考にした。それは、「背信の科学者たち:原題は真理の背信者たち―科学の殿堂における欺瞞と詐欺―」、化学同人刊。1988年)である。
この本の内容は以下の通り。1980年代にアメリカにおいて科学者が偽りのデータを発表し、そのデータに基づいて新しい学説を立てるという欺瞞的な事件がいくつも暴かれた。この時科学ジャーナリストである二人の著者たち(W・ブロードとN・ウェード)はこれらの事件を報道する過程で、この欺瞞がその科学者個人の問題ではなく、科学そのものに内在する一般的な特質ではないかと疑いはじめ、多くの欺瞞がなぜ科学界になんの疑念もなく受け入れられたのかを検証した。その結論は、『科学とは通常考えられている姿とはほとんど似ても似つかないもの』であり、『新しい知識を獲得するとき、科学者は論理と客観性だけによって導かれるのではなく、レトリック・宣伝・個人的偏見といった非合理的な要因にも左右されている』というものであった。しかもそれだけではなく科学者個人は一般の社会人と同じく、立身出世したいという欲望や地位と名誉と富みとを得たいという欲望を持っており、時としてこの誘惑にかられるものであることも、多くの科学における欺瞞的事件の分析を通じて明らかにしている。
この本に、今回の「STAP細胞」疑惑とよく似た事件が報道されている。
それは学会における権威者の学説がまだ証明されていないときに、彗星のようにしてあらわれた新進の学者が、超人的な実験手腕によって権威者の学説を「証明する」事例を次々に示し、その権威者の学説を学会の定説にまで押し上げたという事例である。
1981年。ガン研究に新しいスーパースターが誕生した。24才の大学院生マーク・スペクターと彼の指導教授エフレイン・ラッカーが新理論を発表したのである。それは細胞壁のある部分を形成する酵素(ナトリウム・カリウムATPアスターゼという)がなぜある種のガン細胞の中では活動が正常細胞におけるより非効率になるのかという問題の解明であり、この解明により、その酵素の動きを調べればそのガン細胞の存在を見つけることが可能になり、ガン治療に大きな前進をなしえる「発見」であった。ここでは詳説しないが、この大学院生はこの酵素がガン細胞の中ではリン酸化されることで活動を非効率化されているという指導教授の学説を証明する実験結果を獲得し、しかもこのATPアスターゼをリン酸化する酵素であるプロテイン・キナーゼという酵素の存在を証明し、この酵素を多数培養したというものである。
しかもこの事件が特徴的なのはこの2つの酵素を精製培養しようとするときスペクター氏以外の人物がやってもそれはいつも失敗するという事実が「発見」の当初から明らかになっていたことである。ラッカー教授や彼の弟子たちは何度も挑戦して失敗した挙句に、以下の様に結論付けた。スペクター氏は『黄金の腕』を持つ天才なのだと。
この研究はガン細胞の働きを発ガン作用を解明する可能性のある理論であり、「当然ノーベル賞を受賞する」ものと学会では考えられたという。しかし熱心な学生が何度もこの実験の再現に挑戦する過程で明らかになったのは、スペクター氏の実験と酵素の精製培養はすべて捏造であり、指導教授の学説を証明するように実験の過程で様々に手を加えていたことであった。
背信の科学者たちの著者は、この事件においてなぜデータの追試が当初から不可能であるにもかかわらず、この偽造が見破られずに大発見として学会を一人歩きしたのかについて、以下の様にまとめている。
ラッカー教授は生化学における学会の権威であった。しかし彼の発ガンシステムに関する学説はまだ実験によって証明されてはおらず、その証明が期待されていた。したがって、若い研究者によってそれを証明する実験データが出された時、ラッカー教授の学説を信奉する科学者たちの多くはその実験を再現してみようとはせず、ただちにこれを賞賛し、世紀の大発見としたのである。多くの科学者がこの「発見」を『魅惑的』という表現で礼賛したことにこの間の心理がよく現されている。
そしてラッカー教授の学説を信奉しない科学者たちによって実験そのものに疑念が寄せられたときのもその声は黙殺された。理由は単純である。ラッカー・スペクターの実験は生データが公表されていなかったのである。生データを手に入れずには科学的な反証は不可能であった。生データなしには実験そのものを忠実に再現してみる事すらできないからである。
捏造があきらかになったのはこの生データを見ることのできる研究室の学生が生データに基づいて執拗に再現実験を繰り返したからである。もしこの学生が権威的教授の学説に疑念を抱かなかったなら、この捏造の発覚はおそらくもっと遅れたに違いないと。
この事件は今回の「STAP細胞」疑惑と酷似している。
「STAP細胞」疑惑は、細胞にある種の負荷をかければ細胞が初期化されて万能細胞になるという学説を唱えていた日米の学者の愛弟子である小保方氏がこれを実際に作り出し、師匠や彼らと同意見にたつ著名な学者たちの援助をえて、新たな万能細胞が作り出されたことを「実証」したとの論文を発表したことに始まる。しかし論文発表直後から、この実践を追試してみた学者らから、どうやってもこの細胞を作り出せないとの疑問が出され、国内でも他の研究機関がやってみたが再現できず、小保方氏を招いてやり方を指導してもらって初めてそれを「再現できた」とされる。つまりここでも小保方氏は「神の手」と呼ばれるに至っていた。また、この細胞がたしかにマウスのリンパ球からできたものであるという遺伝子解析のデータと、これが変化して筋肉や腸の組織になったとするデータの部分が、画像の切り張りや、他の全くことなる実験のデータを転用したものであることが追試の結果として明らかになるとともに、小保方氏の博士論文においても、他人の論文の盗用が大きな部分を占め、しかもこの博士論文を審査した主体が、小保方氏の師で、小保方氏が作り出したという万能細胞の存在を早くから提唱していた学者でもあったことがあきらかとなり、小保方氏への博士号授与そのものが疑惑の目で見られるようになっている。
どうであろうか。「背信の科学者」に示されたデータねつ造事件は、あまりに今回の事件に酷似している。
新聞報道によると、今回小保方氏の論文で示された新たな万能細胞には三つの可能性があるそうな。一つは、酸で弱体化されたマウスのリンパ球の中に、別の未知の万能細胞が混ざっていて、これが酸の負荷でも生き残った。もう一つは、比較実験などに使用した万能細胞の一つであるES細胞が混入した。この二つの可能性なら、リンパ球と「STAP細胞」との間に遺伝子上の一致が確認できない事実は説明できる。そして残された三つ目の可能性は、「STAP細胞」そのものが実在せず、故意にES細胞を混ぜた、つまりSTAP細胞を作ったと主張すること自体がねつ造であるというもの。
このどれかは断言できないが、今までわかったことを背景に考えてみると、次のような可能性が考えられる。
若い研究員である小保方氏が、師匠たちの指示に従って細胞に負荷を与えているうちに、新たな万能細胞ではないかと考えられるものを見つけた。この「発見」に、細胞に負荷をかければ万能細胞ができると提唱している学者たちが飛びつき、十分な実証データが得られないにも関わらず、これは「ノーベル賞級の発見」だと色めき立って、若い研究員を焚きつけて、論文発表に至った。
しかし論文発表の期限までに、どうやってもこの作り出されたという万能細胞がもとのリンパ球から変異したものだとの実証データが得られなかったので、師匠の説に忠実でありたいと考えた小保方氏は、なんとデータ画像を切り張りしてしまった。そしてこの万能細胞が筋肉や腸の組織に変化したことも実証できなかったので、ここでは他の論文の細胞のデータを盗用してしまった。
この可能性は大きいと思う。
そしてこう考えてみると、理化学研究所の論文調査が、「STAP細胞」という新たな万能細胞が作り出されたのかどうかという根本のところは再検証せず、ただ論文のずさんさだけを指摘して、それを全部執筆責任者である小保方氏の未熟さに帰着させて、責任を全部彼女に押しつけて、「ノーベル賞」級の発見による名誉と金と権力に狂った、指導者としての自分たちの責任は棚上げにして、自分たちの地位と組織を守ろうとしたのだと見えてくる。
かの旧石器発掘ねつ造事件でも、社会的に責任を取らされ、学会から放逐されたのは、実際に遺跡をねつ造した一考古学愛好者だけであった。彼の「発見」にお墨付きを与え、自分たちの学説が証明されたとおお威張りであった考古学者たちは誰一人として、責任を取らず、今でも学会の重鎮として君臨しているのである。
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