<時評>原発再稼働問題

嘘で塗り固められた原発再稼働の理由

ー国民の命を軽視する政府が大事にすること―


 10月26日午前、愛媛県の中村時広知事は四国電力の佐伯勇人社長と県庁で会い、四国電力伊方原子力発電所3号機の再稼働に同意する旨を伝えた。この伊方原発の再稼働に対しては、すでに伊方原発が立地する伊方町も同意済みなため、同原発3号機は今後、原子力規制委員会による施設の詳細設計の審査などを経て、来年年明け以降にも営業運転を再開する見通しとなる。これで東京電力福島第一原発の事故後の施行された新規制基準に基づく審査に合格した原発で、立地自治体の知事が同意したのは九州電力川内原発1・2号機(鹿児島県)に続く2例目となる(10/26日経新聞)。
 来年春ごろには、営業運転を再開した原発は、すでに再開している鹿児島県川内原発1・2号機に加えて伊方原発3号機が加わり、合計3機になるわけである。

★嘘で塗り固められた原発再稼働の理由

 中村愛媛県知事は四国電力の社長に面会して再稼働同意を伝えたあとの記者会見で、再稼働に同意した理由を以下のように述べた。
 「日本のエネルギー事情を鑑みると、原発に代わりうるコスト、出力、安定供給の3条件が満たされた代替エネルギーが見つかるまで、最新の知見に基づく安全対策を施す中で向き合わざるを得ない」と。
 そして愛媛県知事が伊方原発3号機の再稼働に同意したことにたいして、菅官房長官は、同日午後の記者会見において、「知事の理解を得られたことは極めて重要だ。四国電力が安全運転を最優先に対応することは極めて大事だ」と指摘するとともに、全国の原発の再稼働について、「原子力規制委員会の厳しい基準に合格したものは、地元の理解を得て稼働させる方針に変わりはない」とも述べた(以上10/26毎日新聞)。
 しかし再稼働についての、愛媛県知事の言も官房長官の言も、嘘に満ちた汚れたものである。
 まず知事の発言を検討しておこう。
 原発に代わる代替エネルギーで、コスト、出力、安定供給の3条件を満たすものはすでに存在している。それは石油もしくは天然ガや石炭による火力発電であり、福島原発の事故以後、全国の電力会社は基本的に、この火力発電によってつくられた電気を供給しており、この夏の猛暑の時期においても、全国どこにおいても、電力不足は生じではおらず、ほとんど海外からの輸入に頼っている石油や天然ガスを燃料としていても、どの電力会社も赤字には陥っていないのである。愛媛県知事の再稼働同意の発言は、こうした事実を無視したものである。
 この知事の発言はおそらく、代替エネルギーとして近年地球温暖化を促進する二酸化炭素を出さない発電システムとして脚光を浴びている太陽光や風力による発電が、安定供給の面で劣るとともに、電力会社が電気を買い取る際に、現行の制度では買電価格の倍程度の高価格になっているために電力会社が購入を嫌がっているという事実と、コストも出力も安定供給も、3条件のすべてにおいて原発を上回る性能をもった火力発電(石油・天然ガス・石炭)が、地球温暖化を促進する二酸化炭素を大量に出すために、避けられているという現実にも依拠しているものと思われる。
 しかし風力や太陽光発電の天候による発電供給量の不安定に対応するためには、大量に発電している際にその余った電力を蓄える大容量の蓄電システムを付属させれば何の問題もないわけだし、火力発電が批判される地球温暖化が人間活動が生み出す二酸化炭素が大量に空気中に放出されたからだとする問題は、かつて筆者も何度か指摘したように(地球温暖化は止まらない−地球温暖化「二酸化炭素犯人説」のウソ−)、石油や天然ガスに代わるエネルギー革命を創出することで、新たな経済成長の手づるを生み出すとともに、旧エネルギーの大量産出国であるアラブ地域やアメリカ・ロシアなどの国々から、経済的主導権を奪い取ろうとする、EU地域の政財界と結託した一部の科学者の創作であった。今進行している地球温暖化は自然現象で、地球と太陽との距離が、地球の公転軌道が真円ではなく楕円軌道であることと、地球の自転軸が常にぶれていることに起因して、1500年程度を周期として変動することによって起こるものであり、それは1500年程度の温暖期と寒冷期が交互に起こり、それぞれの期は、前後に200年程度の移行期と間の1000年程度の安定期とからなっていることは、地球科学の分野から指摘されている。
 すなわち、19世紀から続いている温暖化の過程は、温暖期の最初の移行期200年に相当し、これが終わる21世紀末までには、合計で1.5度程度地球の平均気温が上昇する。19世紀から20世紀末までの温度上昇は0.7度程度と見積もられているので、あと100年の間に0.7度程度上昇して、そのあとは1000年程度温暖期が続くというものだ。従ってこの程度の平均気温の上昇では北極圏の氷が解け、グリーンランドを覆っていた大陸氷河がとけてこの島がその名前通りの緑の草原に戻るとはいえ、今騒がれているような南極大陸の大陸氷河溶けさることはなく、海面上昇に伴って水没する地域もまた、騒がれているほどには大規模ではない。
 だいたい地球の平均気温の上昇と大気中の二酸化炭素濃度の上昇の相関関係は、そのデータを詳細に検討してみれば、地球温暖化人為説で言われているような、濃度上昇が平均気温上昇を生み出すのではなく、平均気温の上昇が濃度上昇を生み出しているのであり、これは気温上昇によって、海水や石灰石などに含まれていた二酸化炭素が大気中に溶け出していったことに起因する。人間が排出する二酸化炭素の量は、この自然に放出される二酸化炭素量に比べればかなり少ない。むしろ石炭や石油や天然ガスのような化石燃料を燃やすことによる自然破壊は、二酸化炭素増大によるものではなく、大量の窒素化合物の放出のほうが問題であり、これは日本が深刻な大気汚染から抜け出していったことにみられるように、脱硫装置の高性能化と設置義務化を行えばすむことなのだ。
 地球温暖化が自然現象であることに鑑みれば、地球温暖化人為説は、化石燃料に代わって、自然エネルギーと原子力とを推進してエネルギー革命を起こそうとする、為にする嘘であったことは明白である。
 この観点からすれば、ひとたび事故を起こせば甚大な被害をもたらし、その処理のために膨大な予算を費やしてしまう原子力ほどコストパフォーマンスの悪いエネルギーはなく、そもそも危険な原発を受け入れたくない立地自治体に対して毎年膨大な額の交付金をばら撒いて民の反対を慰撫してきたコストと、あまりに高い放射能を出し続けるために、電力の安定供給を維持するためには、定期的に発電を停止して、施設の点検修理をしなければならないので、この為に必要なコストを加えれば、原発ほどコストパフォーマンスの悪いエネルギーはない。
 当面原発に向き合っていくしかないという愛媛県知事の発言は、まったくの嘘なのだ。
 知事の本音を言えば、原発を再稼働させなければ、以後交付金を支給しないという政府の脅しの方が怖く、原発に代わる産業を持たない愛媛県としては、この交付金の方が、住民の命の危険より大事だということであろう。
 そして愛媛県知事が原発再稼働を認めたことへの菅官房長官の発言にも嘘が多い。
 だいいち愛媛県知事が同意したことは、彼の自発的行動などではない。裏側で原発再稼働を認めなければ、稼働していない原発への交付金給付を停止すると脅しておいて、知事が自発的に同意したかのように装う官房長官のなんと鉄面皮なことであろうか。
 そして「原子力規制委員会の厳しい基準に合格した」のだから再稼働は問題ないとの発言にも嘘がある。
 新聞記事はきちんと報道していないのだが、官房長官発言を報道したNHKニュースでは、官房長官はたしかに「世界一厳しいと言われている基準」と発言していたのだ。「言われている」と発言したところに、この男のずるいところがある。自分が決めたわけじゃないから、たとえ事故が起きても責任はとらないよと、言外に言っているのである。この原子力規制委員会の新基準が、世界一厳しいどころか、チェルノブイリ原発事故を受けて基準を改正したEU諸国やアメリカの基準にも遠く及ばないことは、新基準が発表された時の報道であきらかである。
 そしてこれも報道でそのたびに報じられていることだが、原発再稼働に当たって、万が一事故が起きた時に周辺住民を速やかに避難させるための措置も全く準備されていないし、それ以上に、原発を運転している人々が事故に際して避難しつつ原発の事故対応に当たるための施設すら、まだ計画段階でまったく整備されていないのだ。
 原発再稼働は、なんら福島原発事故の教訓に学んで万全の準備をした上のことではなく、先に再稼働ありきの暴挙なのだ。

★無視され続ける放射能災害
 

 その上、原発再稼働が次々と行われることと並行して、政府は福島県の中で、原発事故で全住民の避難を余儀なくされた自治体に対する規制を次々と解除し、すでに除染が終わったから安全に暮らせると言って、住民帰還を促している。
 放射性物質の除染といってもそれは、住宅地や市街地の中だけであり、人が住まない河原や山林、そして農地の除染は進んでいない。このためひとたび大雨が降れば、河原や山林に降り積もったままの放射性物質が市街地にまで流れ込んでくるわけであり、大風が吹いただけでも、乾燥した台地に降り積もったままの放射性物質が大気中に飛散するのである。このため除染が済んだとされた地域でも、何度も元の放射線量に戻ってしまい、除染を繰り返さずを得ない状況である。
 その上政府の言う安全基準そのものがいい加減なものである。
 従来事故の起きていない平時の放射線被ばく安全基準は、年間1ミリシーベルトである。これを超えるのは、1時間あたり0.12マイクロシーベルトの放射線量の場所に1日24時間365日居続けた場合である。従って政府は、様々な条件をくっつけて、もっと高い放射線量のところでも安全に暮らせると嘘をつく。
 いわく、24時間外にいるわけではない。放射線の遮蔽効果のある室内にいる時間を考慮しなければならないと。だから室内にいる時間は、外の放射線量の何割かは遮蔽できるのだから被ばく量が低減されているのと同じだと。そしてコンクリート製の家でも木製の家でもほとんど放射線の遮蔽効果はないのに、これを組み入れて住むのに安全な放射線量というものを設定し、それは平時の安全基準の倍以上の数値にも引き上げられているのだ。
 そして政府の安全基準は、食べ物を通じて体内に入ってくる放射性物質の出す放射線による内部被ばくの問題は完全に無視している。
 いわく福島県の農産物はすべて1キログラムあたり100ベクレル以下という政府の安全基準を満たすように検査されてから流通していると。
 実はこの基準に何の根拠もないのである。
 福島第一原発の事故が起こる前の、日本の農産物に含まれる放射性物質の量はどの程度であったか。
 残念ながらこれを測定した数値は見当たらないが、あの事故の少しあとに、事故による放射能雲が到達しなかった愛媛県産のホウレンソウに、キロ当たり0.001ベクレルの放射性物質が含まれていて、これはその核種から福島由来のものではなく、1970年まで世界各地で行われてきた核実験由来のものであるという問題が報道されたことがヒントとなろう。核実験に由来する放射性物質であるのだから、日本中どこでもこの程度であったと考えて差し支えない。
 ということは政府が決めた安全基準、キロあたり100ベクレル以下の放射性物質含有であれば問題ないというものが、如何にいい加減かということだ。事故前の放射性物質含有量の、実に10万倍。
 そして体内にどの程度の放射性物質があると病気になるのかという問題だが、唯一検証されているのはチェルノブイリ原発事故のあと調査された結果の、尿にリットルあたり6ベクレル程度の放射性物質が含まれた状態が15年以上続いた男性の膀胱がん羅感率が上昇するというものがある。この数値は安全基準の10分の1以下である。食物を通じて体内に吸収された放射性物質がいつまでも体内に滞留するわけではなく、順次尿を通じて外に排出されていることを考慮に入れても、キロ当たり100ベクレル以下という基準が、決して安全ではないことの証明には充分であろう。
 さらに農産物の放射性物質含有量検査そのものにも問題がある。
 福島県の農産物のうち、全品全量検査がなされているのは、出荷された米だけである。つまり米でも自家消費米は検査されていないということだ。そしてその他の農産物はすべて、サンプル検査にすぎないのだ。さらにそのサンプル検査ですら、本当に実施したのかどうか、そしてその検査でどの程度の放射性物質が出たのかは、どこにも示されることはないのである。
 さらに留意すべきことは、政府も福島県も福島県の農協も、福島県のどの農地にどの程度の放射性物質が降下したのかを測定していないことである。政府がやったことは、事故から半年以上たった後に、高度数100メートルを飛行する飛行機で放射線量を測定し、そこから土地に降下した放射性物質の量を推定しただけなのだ。
 実際には福島県内でも場所によって放射性物質の降下量は異なる。福島第一原発から放射性物質が漏れだしたのは、巷に言われるような原発の施設内での水素爆発によってではなく、原発の燃料の格納容器に水を入れて冷やすことができるように、燃料がメルトダウンして溶け落ちたことで圧力が高まっている格納容器の内圧を下げるために、格納容器の中の空気を弁を通じて外に放出する作業、いわゆるベントによってであった。そのベントのタイミングによって、海から来る風によって、放出された放射性物質の雲が風に乗って各地に飛来して放射性物質を降下させ、それが飛来したときにその地に雨が降った場合には、かなり大量の放射性物質を降下させることになったのだ。
 したがって福島県の農地といっても、その地形とそこに放射性物質の雲が飛来したかどうか、そして飛来したときに雨が降ったのかどうかで、農地に降下した放射性物質の量は異なるのである。検査してみれば、中にはほとんど汚染されていない農地も数多く存在するはずであるし、高濃度に汚染して農業には100年以上も適さない農地もあるわけである。
 本来は福島県で農業を続ける前提条件として、全農地の放射性物質量を測定し、汚染地図を作製する作業が必要なわけだが、政府も福島県も各自治体もそして農協もこうした作業をしなかった。唯一現在使用できる放射能汚染地図は、火山学を専門として火山灰の飛散の条件を熟知した火山学者である、群馬大学の早川由紀夫教授が、ネット上に個人や自治体が公表した数値や、自身やボランティアが測定した数値に基づいて作った地図が存在するだけである。
 高濃度の放射性物質による汚染に直面した福島県ですらこの程度の検査体制だ。
 したがって他の東北関東諸県の農産物の放射性物質含有量検査体制たるや、お寒い限りであることは理解できよう。スーパーなど食品を売っている現場に行ってみればわかるように、ほとんど放射性物質の検査結果など明示されないまま、すべて安全と称して流通しているのだ。
 このため関東や東北の消費者は、自衛するしか手立てがないのが現状である。
 福島県民でもかなりの程度に、県内産の農産物は口にしない人が存在する。そして関東諸県や東北諸県でも、福島県産農産物や、他の関東東北で高濃度に汚染された地域の農産物は口にしない人は多く、これ以外に農産物の種類によって選別している人はかなり多い。
 かく言う筆者も、そうした一人である。
 私の選別基準を記しておこう。
 福島県の農産物は、以上のような検査体制なので、一切口にしない。地域によっては安全なものもあるが背に腹は代えられない。
 その他の地域で筆者が口にしないのは、関東地方のタケノコ・レンコン・栗、そして野生のキノコである。野生の動物や魚を食さないのは言うまでもない。それ以外は、関東東北諸県産の農産物で、特に葉物野菜はOKである。すでに放射性物質が降下し続けているわけではないからで、根の浅い葉物は含有する放射性物質は少ないはずである。しかし関東東北諸県の根もの野菜や果物は少し考える。これらは地中深くに根を張り、地中の養分を大量に集めて育つからだ。だからこれらのものは、北海道や西日本産のものがない場合に限り食するが、通常はできるだけ北海道と西日本産にしている。もうひとつ気をつけているが、乳製品である。人工の飼料だけではなく牧草地の草を食べて育つ乳牛。関東・東北の原乳は避け、北海道と西日本産にしている。市民測定所の検査結果によると、当初これら関東東北の原乳を使ったメーカー品の牛乳でも、キロあたり20ベクレル程度は放射性物質が含まれていたが、最近ではその量は、数ベクレル以下に下がったいうというが、やはりほとんど含まれていない商品があるのだから、今は避けているのだ。肉類や卵も要注意。そして地上の放射性物質が川を通じて海に流れ込むのだから、地上が放射性物質で汚染された地域沿岸の魚も要注意である。
 実際にスーパーに買い物に行くと面白い現象を見る。筆者の地域のスーパーでは、牛乳の半分が北海道と西日本産である。つまり消費者の半分が放射性物質を避けているのだ。そして果物などの棚でも、たとえばこの時期のもので洋ナシなどは、汚染された山形産のものと、汚染されていない北海道産や長野県産が並んでいる。レンコンなどは、考えている店では、茨城産のものと九州や中部地方産を並べている。
 消費者と販売業者にこれほど気を遣わせるとは。
 政府の進めるエネルギー政策には、国民の命の尊さという観点は全くないわけだ。

★なぜ政府は原発再稼働を進めるのか

 こう見てくると、なぜ政府が原発再稼働を進めるのかという疑問がわいてくる。この問題については、何人かの論者がきちんと書物を書いているので詳しくはそれを読んでほしい。
 簡単にいえばこれにはいくつかの理由がある。
 一つは政府と財界は原発輸出を進めている。海外に、とくに経済成長著しく電力不足に直面している発展途上国に積極的に原発輸出を進めている。これは武器輸出三原則を骨抜きにして武器輸出を進めていることと同質のことだが、世界経済の拡大が止まり、以後安定的に工業製品を輸出拡大できる地域が存在しない中で、もっとも利益があがるのが原発と武器だという現実に依拠した政策である。海外に原発を輸出するのだから、国内で動かさないわけにはいかないという道理である。
 しかし実際に原発と武器を海外に売る巨大企業がもうかっても、現代ではその企業の下請け部品メーカーは、かつてのように日本国内の中小企業ではなく、世界中から一番安い部品を調達して組み立てている現状では、巨大企業がもうかっても、日本の中小企業が潤うわけではなく、さらに企業の働き手である労働者も、正社員よりは非正規雇用の低賃金の労働者で代替している現状を見るとき、この政策は一部の企業の幹部と大株主だけをもうけさせる政策であることは明白である。
 もうひとつ政府が原発再稼働を進める理由がある。それは原発の使用済み核燃料精製の過程で出てくるプルトニウムの問題である。
 既に日本にはフランスで精製されたプルトニウムが大量に保管され、青森県六ケ所村に使用済み核燃料精製施設をつくった際にはアメリカから、核武装の準備ではと、横車が入ったほどである。
 政府は何としても自前で核兵器を作れる体制を維持したいのだ。
 それは核兵器を持った国だけが世界の強国として君臨し、国連安全保障理事会の一員として、世界秩序の創設に関与できる現状に依拠した願望であり、さらに核兵器がないために、周辺諸国の北朝鮮や中国から脅される現状を改善して、さらにはアメリカの核の傘の下に守られていることでの肩身の狭い思いからも脱却したいという願望に依拠しているものと思われる。
 安全保障法の改悪によって集団的自衛権の行使を名目に戦争に加わろうとする政財界の野望。ここと原発再稼働はリンクしているのである。
 武装の強化では平和を守れないこと、そして集団的自衛権によって同盟国を増やすことで平和を守れないこと。これらのことは、集団的自衛権でつながれた幾重もの同盟国の存在が、或国の国内の紛争や、数カ国同士の紛争がそのまま世界大戦につながってしまった二度の歴史的事実が明らかにすることである。
 核武装の願望のもとでは、国民の命の安全など、この願望を持つ人たちにとっては、どうでもよいことなのかもしれないが。

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