教育改革は本当に進んでいるのか?(2)


 今の教育改革でいわれている「生きる力の育成」とか「自分で学習する力の育成」を達成するには、子どもの表現能力と感受性を育てる事が不可

欠です。しかし文部省の進める教育改革ではこの点はきわめて不充分です。

 なぜならここで言われている力を具体的に分析せず各教科はこの力をつけるためにどのような位置にあり、どのように教科を組み替えなければな

らないかが全く議論されていないからです。その結果としてでてきた妥協案が「総合学習」です。

 どの教科も本来総合的認識を育てるものであり、それを基盤としないとこどもの力は成長しません。

 表現能力に限って言うと大事なのは「国語」と「音楽」「美術」「体育」と「外国語」です。特に大事なのが「国語」。英語に関しては「何年も英語を勉強

していながら何故話せるように・考えられるようにならないのか」ということで、今の文法と文型の単語の暗記だけになっている英語学習が問題となっ

ています。でもこの問題は根本的には国語教育の問題です。

 よく職場で問題になる事は、数学の力や理科の力(どの教科でも同じですが)をつけるには日本語の力が不可欠と言われます。

 今の子どもたちの大部分はその母国語である日本語を充分に表現手段として駆使することができません。なにしろ言葉を知らない(語彙が少な

い)し、言葉を論理的につかえない(言葉が一つ一つ意味があり論理的に成り立っている事を知らない)し、わからない。

 その原因は、今の国語教育にあります。

 今の国語教育は「文章の解釈」に偏っています。言葉を操る面白さを伝え、言葉を使って自分の感情や考えを他人に伝えたり自分自身を確認する

過程をへて、表現能力としての言語能力を培うのではなく、ただただ「文章の解釈」をしているだけです。それも一人一人の子ども何の興味の沸かな

い文学作品の断片を。

 図書館教育では小さい頃からの本の読み聞かせが大事だといわれあちこちで実践されています。でもそれが国語の時間にではなく学級活動の時

間に行われ、国語の時間は旧態依然とした状況です。

 小学校低学年まではたくさんの本の読み聞かせが必要です。そして同時にこの頃から本を自分で読みその本の面白さを人に伝えたりする表現活

動が必要です。それには子どもが本を読み聞かせる活動(絵本や紙芝居を読むのもいいでしょう)も大切ですし、感想を発表し会うのも良いでしょ

う。一人一人違う本を読んでそれぞれが発表するところから入って時々は同じ一つの本を読んで話し合うのも良いでしょう。

 そしてもう一つ大事なのは作文を書いたり詩を書いたりする活動。

 子どもは仲間たちが書いたものにすごく関心を持ちます。「他の人が何を感じているのかがわかって面白い」と彼らは言います。こういった表現活

動をつうじて他人の言語表現を鑑賞する面白さを知れ、そのことで自分の言語能力も高められていくと思います。

 しかしそれには教科書は邪魔ですね。

 こういった教科の目標と中身が問い直されねばなりません。しかしこれは出来ていないのが現状です。

 また教育改革に伴って「音楽」や「美術」の時間は大幅に削除されて行きます。なぜならここは受験には関係ないし「基礎学力」の養成には関係な

いと考えられているので他の教科より削減しやすいのでしょう。

 でもこれはさかさまの思考です。

 音楽や美術で育てられた豊かな感受性なくして科学は出来ません。そして科学的認識を深めるためにもこの表現活動は不可欠です。

 私の職場で環境教育の学習を継続的に行ったとき認識の総合化に大きな役割を果たしたのが美術科でした。

 川を観察し生物の状態や水質の状態を調べその悪化の原因を科学的に調べ歴史的にも考えて行ったとき、最後に問題になるのはどう行動する

のかということ。でも科学的な学習だけでは人間の心が育ちません。環境の問題を人間や他の生き物の生物共同体の生きる条件の問題として捉え

て行くには自然に触れそれに共感する体験だけではなく、そこで得たものや科学的な学習でいたものを、感情のレベルで深化し自分自身の物にす

る必要があります。つまり生き物に対する深い共感と、その生存の条件を壊してしまったことへの深い悲しみの感情。怒りだけでは持続的な行動に

は繋がりません。

 その共感と悲しみの感情を作るとき美術的な表現活動や音楽的な表現活動、そして言語による表現活動は不可欠です。

 美術で「未来の地球」を立体造形として作ってみる実践や音楽で「未来の地球」を詩と絵と音楽と言う形で表現したものなどはとても興味深いもの

でした。

  さまざまなところでこの表現力と感受性を高める実践が個別的になされていると思います。これらの実践を体系としてつなげ全国化する事が必要

だと思います。

 そして総合学習は「総合学習の時間」として設けるのではなくあるテーマを学習するためのたくさんの教科の連携としてもうけ、各教科のカリキュラ

ムをクロスさせることで実施した方がよいと思います。(2000年2月26日)


もとに戻る 次を見る