私の生活空間の放射能汚染状況調査体験記(1) 2011.10.16

自分の生活空間が汚染されていることを知った日


 我が家は神奈川県川崎市の北部、多摩区にある。
 2011年の東電福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染が、福島だけではなく、関東各県にも広がっていることは、早い時期に確認していた。
 事故が起きた当初から、東京付近は、春から夏にかけて吹く北東からの風(やませ)が吹くと、福島第一原発から多量の放射性物質が流れてくることは予測していた。だから情報には常に気をつけていた。
 しかし川崎の場合は、3月の末(21日)に、高濃度の放射性物質の塊(雲)が南部の海岸際を通過し、かなりの汚染があったことは、ネット検索をしてわかっていた。これは3月21日に、原発⇒福島県いわき市⇒北茨城⇒柏⇒東京葛飾・江戸川区⇒東京都の港区・大田区沿岸⇒川崎市海岸部の径路で放射性物質の塊が移動して起きたことであることも理解していた。
 したがって川崎南部では各所で高濃度の汚染個所が幾つも発見されたことも承知していた。
 では川崎中部や北部は? という疑問はあったが、まさかここもすでに放射性物質の塊が通過し、かなり汚染されているとは思っていなかった。
 気がついたのは、8月の末のことであった。
 ひさしぶりに、群馬大学の火山学者・早川由紀夫氏のブログを除いた時であった。
 氏は、2002年の三宅島噴火で、東大地震研究所の予測とことなる見解を次々と発表し、この噴火が大きなカルデラの形成にいたる大規模なものになる可能性を論じ、早期の住民の全島避難を提起していた。それはこの時の噴火が、通常20〜30年間隔で起こるものとは性質が異なり、800年から2000年前に起きた、大規模なカルデラを形成した噴火と同じ性質ではないかとの、三宅島の火山噴出物の調査で得た知見を基にした見解であった。
 不幸にして氏の予測はあたった。三宅島雄山の山頂火口は大規模に崩落し、山頂に大きなカルデラが形成され、その中に溶岩ドームが形成されて、何度も火砕流が山麓の村々を襲った。
 早川氏の警告を早い時期にネットを通じてつかまえ、島民の間に手作りの新聞でこの危険を知らせていた住民がいたことも効を奏し、噴火が深刻になる前に全島避難は実施された。
 この早川氏なら、東日本大震災を引き起こした地震に続き、各地で火山活動も活発になっていることから、学会の多数派とは異なる見解をだしているのではないかとの予測の元、本当に何年ぶりかで氏のサイトにつなぎ、その火山ブログをのぞいた。
 そのブログには、なんと、福島第一原発事故による関東・東北地方の放射能汚染状況の詳しい地図が掲載され、それに加えて、いつ福島から大量の放射性物質が流れ出し、どの径路を通って、関東や東北各県を汚染して行ったかの、ルートマップまで、7月13日付けで掲載されていた。その中に、川崎北部を3月15日に放射性物質が通過していたとの記載を見つけたのが、私が川崎北部の放射能汚染の可能性に気がついた最初であった。
 ここには、「新宿9:30 茅ヶ崎12:00」と記載され、放射性物質の固まりは、相模湾へと抜けていったと図示されていた。
 しかし氏のブログに7月26日に掲載されていた汚染マップでは、川崎南部すら汚染した地域に入っておらず、北部はまったく無関係であった。
 氏の汚染マップは、各自治体が公表したデータや、危機感を持って独自に測定した個人がネット上に公表した数値と、氏自身が独自に測定した数値(主として群馬県)を元に作ったものであったので、このマップに川崎の汚染状況が掲載されていないのは、まだ行政も個人も、川崎の汚染状況を公表していないからだと考え、以後、氏のブログを中心に、氏と交流のある静岡大学の火山学者・小山真人氏のサイトなどを通じて、測定値が公表されるのを待っていた。
 9月11日付けで早川氏のブログに、汚染マップの4訂版が掲載され、これには、川崎市南部が、毎時0.25マイクロシーベルトの汚染地域に入っていることが掲載され、さらに北部はまだ記載がないが、新宿を通過して南下した放射性物質の塊が、その後川崎⇒横浜⇒茅ヶ崎⇒相模湾と移動したのではなく、どこかで北上し、東京都の奥多摩や埼玉県の秩父の山を汚染しながら、さらに群馬県西部、そして新潟県南部の魚沼地方まで汚染したと考えられる情況が、書き加えられていた。
 そして9月30日に掲載された、汚染ルートマップの改訂版では、3月15日に、いわき市⇒水戸市⇒さいたま市・新宿区⇒茅ヶ崎市と移動した径路が掲載され、それが茅ヶ崎市の北部から北上し⇒奥多摩⇒秩父⇒群馬西部⇒新潟南部と移動した径路が記入された。
 この図の解説には、いわき市4;00・23.72μSV/h⇒水戸市8:30・1.49μSV/h⇒さいたま市9:30・0.50μSV/h⇒新宿区9:30・0.50μSV/h⇒茅ヶ崎市12:00・0.18μSV/hの各測定ポイントでの放射線量も掲載されていた。
 またこの図と先に掲載された汚染マップ4訂版が重ねあわされ、新宿区や奥多摩・秩父・群馬西部は、毎時0.125マイクロシーベルトの汚染地域に含まれており、川崎市北部も同様の汚染状況にあることが推察された。
 これは詳しいデータが出たなと判断し、すぐに「川崎市の放射能汚染」とキーワードを打ち込んで検索すると、市の環境局が公表した、市内の保育園・幼稚園・小学校・中学校・市立高等学校・公園道路の測定値で出会うことができた。
 この測定値は6月に測定されたものだが、近所の小学校や幼稚園の測定値は、校庭で毎時0.07〜0.08で、中には砂場が0.10と、これを年間放射線量に換算すると、1oシーベルトの被爆安全限界を突破する数値が掲載されていた。
 さらにネット検索すると、8月にはすでに多摩区中野島の公園のプール脇の泥から、毎時0.2を越える高濃度の放射線が観測され、プールの使用が中止になっているという記事も出てきた。
 やはり川崎市北部もかなり汚染されていた。
 そこで私はネットで、放射線測定器の手に入れ方や、どの機種を使うと良いかを調べてみて、10月3日、ついに堀場製作所のシンチレーション式の環境放射線測定器を注文し、これが家に届いた、10月8日から私の生活地域の放射線汚染状況を調べ始めた。
 調べてみると本当に深刻である事が日々実感され、政府と東電に対する怒りがふつふつを沸いてきたのであった。


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