『いろは文庫』の英訳@−翻訳の実際から見た英訳の意図

川瀬健一


  留学生・齋藤修一郎(1855−1910)とイギリス人の作家・エドワード・グリー Edward Greey(1836−1888)とが、為永春水(1790−1843)が書いた『正史実伝 いろは文庫』を英訳した本、『The Loyal Ronins:An Historical Romance』(1880・明治13年ニューヨークのG. P. Putnam’s Sons社刊)がある。この英訳版『いろは文庫』について最初に詳しく研究し紹介したのは、評論家で作家の木村毅(『日米文学交流史の研究』1960年講談社刊)だが、木村は、齋藤が『いろは文庫』を英訳して欧米人に「忠臣蔵」の話を示した意図については何も論じていない。ここを論じたのが、歴史家の宮澤誠一で(『近代日本と「忠臣蔵」幻想』2001年青木書店刊)、「赤穂浪人の討ち入りに『賛嘆の念』を禁じえない齋藤は、たんに『忠臣蔵』の物語を紹介するにとどまらず、赤穂事件に『愛国心の芽生え』を認め、『武士道』を強調してナショナリズムの発揚につながるように、『いろは文庫』を改変して英訳しているのである」と結論した。しかし、この宮澤の結論は誤りである。英訳者は、『いろは文庫』の中から武士とその家族の哀感が漂う話を主に収録し、最終章「第40章 国外追放者の帰還」だけが忠義の行動を称賛する性格を持っているにも関らず、英訳版『いろは文庫』は、忠義に生きた武士とその家族の哀感を描いたことで、浪人の行動をより人間的に現実的なものとして浮かび上がらせた近代的な小説になっている。
 齋藤は東京で英学を勉強している間には、日本の国民統合には天皇を中心とした忠義の観念が必要だと考えていた。しかしボストンで五年間学んだあとでは、国民統合には主権者としての国民の意識の形成が必要で、それには新聞や雑誌による世論形成が極めて重要だと理解するようになっていた。忠君愛国では近代国家はできないという考えだ。にもかかわらず留学を終える齋藤が欧米人に「忠臣蔵」の話を英訳して示したのはなぜであったか。これは齋藤が『いろは文庫』を英訳しようと決心した1879年という年に注目してみる必要がある。彼の個人史を検討しないとわからない。(2012年11月10日 日本英学史学会本部例会報告概要)
 


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