「いろは文庫」の英訳B−テキスト選択の謎ー(概要)

2013年7月6日日本英学史学会本部例会にて報告


 齋藤修一郎と共訳者のグリーが1880(明治13)年に英訳版忠臣蔵として『The Loyal Ronins』を出版するに際して使用したテキストは、為永春水が書いた「正史実伝 いろは文庫」(以下は「いろは文庫」と記述する)であった。しかし忠臣蔵を英訳するのであれば最も相応しくない「いろは文庫」を彼らはなぜ使用したのか。「いろは文庫」は、忠臣蔵の主な場面である「殿中刃傷」や「浅野切腹」の場面、さらには「吉良邸討ち入り」すら既知の話として省略し、物語の中心を浅野家断絶に直面した個々の家臣の苦悩に焦点を当て、しかも事件の時系列とは無関係に、それを著者の興味に従って綴ったものである。今回はこの問題を明らかにする。
 その際、『The Loyal Ronins』を出版するに際して「いろは文庫」に載せられていない事件の重要な場面やエピソードを、齋藤とグリーが如何にして補ったかということを、英文に即して検討してみた。『The Loyal Ronins』全40章のうち、28章は「いろは文庫」の話を多少の脚色を加えて英訳したものだが、残る12章は「いろは文庫」にはない話である。冒頭の第一章殿中刃傷の場面がミッドフォードの『Tales of Old Japan』(1871年刊)の「The Forty-Seven Ronins」のそれと酷似していることをヒントにして全12章を検討してみた結果、ミッドフォードの英訳本とディッケンズの『Chushingura or the Loyal Leage』(1875年刊)を参照したのが六つの章、そして三つの章が「いろは文庫」の挿絵を元に創作したもの、そして三つの章が完全な創作であったことが推測できた。つまり、齋藤とグリーが忠臣蔵を英訳しようとした際に、手元にあった忠臣蔵本は「いろは文庫」しかなく、仕方がなく二人は、先行の二冊の英訳忠臣蔵を参考にしたりして話を補い、本を作ったのである。


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