11.老いた社守 


「翔。翔。目をあけて。翔。」

 麻美の声で、われにかえった。麻美の顔が僕の目の前に、くっつきそうなくらいな近くにあった。こんなに間近で、麻美の顔を見たことは初めてだ。

まつげの長い、大きなくりっとした目が、じっと僕の目をのぞきこんでいる。

「麻美ってきれいだな。」

「何とぼけたこと言ってるのよ。そんなこと、あたりまえでしょ。」

 ピシャっと、いきなりほっぺたをたたかれて、自分が今どこにいるのかがわかった。僕は、白い鳥居の前に横たわっていたんだ。

「あれっ。どうやって、洞窟から出たんだろう。カッパ大王の目を見ていたら、急に意識が遠のいてきて・・・・・。」

「私は、目の前がいきなり真っ白になってね。気がついたら、鳥居の前にいて、翔が倒れていたというわけよ。だいじょうぶ。自分で起きれる?。」

 どこにも、ケガはしてないようだった。

「よっこいしょ。」

 麻美が、僕を助けおこしてくれた。

「あっ。いたっ!。」

 いきなり麻美が叫んで、地面にうずくまってしまった。

「どうした。麻美。」

「あーあ。ケガしたのは、私のほう。どうやら、右の足首をひねってしまったらしいわ。やっぱり、洞窟に入ったのは本当ね。」

「洞窟に入る時に、後ろから突き飛ばされて、前のめりに倒れた時ってことか?。」

「そう。そう・・・・。でも困ったわ。歩けるかしら。」

「よし、僕の肩につかまれよ。」

 麻美の右のわきのしたから、僕の左手を麻美の背中にまわし、麻美の左手の付け根にあてて、ぐいっと背負うようにして立たせた。

「あっ。痛いっ・・・。ありがとう。なんとか立てるわ。」

 麻美を支えながら、僕は、薄闇の中を淵にそった道をたどり、階段の下まで、やっとのことで歩いた。大柄な麻美をかついでいると、けっこう体力を

消耗するものだ。

「この階段を登るのか。できるかな?。麻美は重いし。」

「デブで悪かったわね。足さえちゃんとしてれば、翔にかついでもらうなんて、みっともないまねしなくてすむのに。」

「ま、無理すんなよ。五十一段だったよな。これくらい、おぶっていってやるよ。そら、僕の首にしっかりつかまって、背中に乗れ。」

 麻美は、ぶつぶつ文句を言っていたが、わりと素直に、背中におぶさってきた。胸の丸いふくらみが僕の背中に押しつけられて、なんとも言えない

気分になった。

「お前の胸。でっけえな。」

「何言ってんのよ。いやあね。男って。すぐこれだから。つべこべ言わないで、はやく登って降ろしてよ。」

「まっ、これも役得ってもんだ。よし。ゆっくり登るぞ。」

「いやらしいわね。」

「そうじゃないさ。この階段急なうえに、麻美をおぶっているだろ。急いで登ろうにも、登れないってこと。」

 なんてことをごちゃごちゃ言い合っているうちに、階段を登りきってしまった。やってみると、案外かんたんだった。そのまま麻美をおぶって白い道を

歩き、小さな鳥居をくぐって、菅原天神社の拝殿の前まできた。

「いつまで楽しんでいるの。いやらしいわね。いいかげんに降ろしてよ。」

「おろしたって歩けねえだろ。このまま駅までおぶっていくさ。」

「やめて、みっともない。花も恥じらう、十四の乙女が、こんなみっともない格好で、人前に出られますかって。いいから、おろしなさいよ。」

「あっ、痛い。乱暴ね。翔ったら。」

 麻美はそのまま、白い葺き石に座りこんでしまった。

「そらみろ。立てないだろ。やせがまんするなよ。僕がおぶってやるから。」

「そんなこと言ったって・・・・・。」

「そこで何をしておるのじゃ。」

 いきなり後ろから声をかけられて、あわててふりむいてみたら、そこに一人の老人が立っていた。薄暗いのでよくわからないが、小柄で背は僕より

少し低いくらい。ちょっと腰が曲がっているが、薄い色の袴と着物を着て、長い白髪を後ろで束ねている。

「ま、麻美。あっ、このこなんだけど、足をくじいてしまったもので。おぶってここまで来たんだけど、麻美がいやだと言うので、駅までどうやってつれて

いこうかと思って・・・・・・・・。」

「どれどれ。ちょっと見せてみなされ。痛いのはどちらの足かな?。」

「すみません。右の足首なんです。ちょっとつまずいてしまって・・・・・。あっ、痛いっ!。」

「うむ。かなり腫れているの。すぐ手当てをせんならんな。坊主。手を貸してくれ。」

 いきなり坊主なんて言われてむっとしたけど、老人が、麻美の右手を肩にかけて抱き起こそうとしていたので、僕もあわてて、麻美の左手を肩にか

けて、抱き起こした。

「あっ、痛い!。」

「がまんしなされ。ちぃっとの辛抱じゃ。わしの家は目の前じゃからの。」

 老人は小柄なわりには力があった。麻美の身体はけっこう重たいんだけど、スタスタと歩いていく。老人は、目の前の社務所の脇の木戸をおしあ

けて、そのまま奥へ入っていく。

「さあ、ここじゃ。そうっと降ろしなされや。」

 老人は、あがりがまちに麻美を座らせると、何も言わずに家の奥へ行き、なにやら白い紙で包まれたものを持って戻ってきた。

「どら。足をこっちへ向けなされ。坊主。そこの電灯をつけてくれんかね。」

 また坊主と言われてむっときたけど、老人が指さした方へ壁を手探りでつたわり、動いてみた。指を少しのばすと、電灯のスイッチが手に触れた。

「おお、ありがとよ。坊主。」

 老人はそう言うと、紙包みをほどいて、中から焦げ茶色でネバネバしたものを取り出し、袋の中にあった白い布に塗って、麻美の右の足首に貼り

つけた。つーんと鼻をつくきついにおいがした。

「これでよいじゃろ。しばらくすると、楽になる。」

 老人は話しながら、麻美の足に、薄茶色の布を何度も巻きつけていった。

「これ。なんですか?。」

 麻美が、足首からただよってくるきついにおいに顔をしかめながら、老人にたずねた。

「うむ。臭いか。そうじゃろな。裏山に生えておる様々な薬草を砕いてつぶして、それにそば粉をくわえて練ったものじゃからな。じゃが、臭いのも一

時じゃ。じきににおいも薄くなり、それとともに痛みも軽くなるはずじゃで。ちぃっと休んでいきなされ。」

 老人は、手早く薬をもとの紙に包んで片づけると、足早に家の奥へとひっこんだ。

「麻美、だいじょうぶか?。」

「ええ。まだ痛みはあるけど、さっきよりはましよ。ところで翔。今の人、だれ?。」

「さあな。でもここは、神社の社務所の裏にある建物だから、神社の人かなんかだろ。」

「そう。でも、だいぶ外も暗くなっちゃったし、あんまり長くはいられないわね。」

「うん。もう6時は過ぎているはずだ。家に行き先も言わずにきたから、あんまり遅くなると心配するな。麻美だって、どこに行くって言ってないだろ。」

「ええ。でも、今日はみんな親戚の結婚式に行ってるから、今晩は誰もいないの。」

「あれっ。麻美は、行かなくていいのか?。」

「ええ、関係ないもの。」

「でもよ。親戚の結婚式だろ。兄さんや姉さんたちも行ってるんだろ?。」

「いいの。私の親戚じゃないもの。」

「親戚じゃないって?。変だな?。」

 こんな話しをしていると、老人が奥から戻ってきた。お盆を持っている。

「さあ、何もないが、お茶ぐらいめしあがれ。」

 大きな厚手のごつごつした湯飲みに、熱いお茶が入っていた。飲むと、胃の中がきりっと痛んで、じわっとお腹の中から熱くなってきた。考えてみた

ら、今日は昼を食べてから、何も口に入れていなかったんだ。

「ところで、お前さんがた、水神様の階段を登ってきたようじゃが、あそこで何をしとったんじゃ。」

「武蔵川水神社って書いてあったもので、なんだろと思って、降りてみたんです。そしたら、白い小さな鳥居と大きなカッパの石像があったので、そば

に寄って見ていたら、水にぬれた岩に足をとられて、ひっくりかえってしまったんです。」

 麻美のやつ、痛みがだいぶやわらいだのか、ペラペラと、いつもの調子でしゃべりだしている。麻美は、大人と調子をあわせるのが上手で、たいが

い誰とでもすぐ親しくなる。

「ほう。そうかい。」

「ところで、おじいさん。水神様って、なんなんですか。蛇だって話しを、聞いたことがあるんですけど。」

「おや、知らんのかや。ここの水神様は白い蛇神様での、そこの武蔵川に、いつも水がぎょうさん流れているのも、この蛇神様のおかげなんじゃ

よ。」

「あら、そうなの。白い蛇神様。」

「そうじゃ。昔の。この菅原天神社が建つ前のことじゃそうだが、村人たちが、村外れの武蔵川の淵のそばに立つ、小さな鳥居と社が古くなって荒れ

て壊れてしまったものじゃから、そのまま取り壊してしまったそうじゃ。そしたらの。その夏はほとんど雨が降らず、そのうち、武蔵川の水がほとんど

枯れてしまったそうじゃ。ただ一ヵ所、社のあった所の前の淵だけが、青い水をたたえておったそうじゃ。」

「へえっ。不思議な話しね。武蔵川の水が枯れてしまったのに、この淵だけが、青い水をたたえていたなんて。」

「うむ。そうじゃ。不思議な話しじゃで。そこでじゃ、村人たちは、この淵に水をくみにきたり、馬をつれてきて水を飲ませたりしたそうじゃが、この淵に

は大きなカッパが住んでおっての、馬は淵の中にひきずりこまれるわ、水をくみにきた子供らはさらわれるわで、大騒ぎだったそうじゃよ。」

「それは大変ね。でも、ほかに水場はなかったのかしら。例えば井戸とかは。」

「ここらは、武蔵川の段丘の上にあるからの。水脈が深くて、井戸を掘っても、水はほとんど出んのじゃ。今でもな。」

「あら、そう。それじゃ大変ね。で、どうなったの?。」

 麻美のやつ調子に乗って、老人としゃべっている。もう痛みはなくなったみたいだ。

「そこで、村びとはいろいろ智恵をしぼって、カッパを退治しようとしたのじゃが、うまくいかんかったそうじゃ。そうしとるうちに、その村を一人の修験

者が通りかかっての。その男がいうには、これは水神様のたたりじゃ、というのだそうな。とりこわされた社はの、武蔵川の水神様の社だったのじ

ゃ。」

「へえ。村人は、この社が水神様のものだって知らなかったの。」

「そうじゃ。ここに、村ができるずっと昔から社はあって、川の水が枯れたなんてことも、なかったからの。」

「じゃ。だれがその社を立てたのかしら?。」

「うむ。昔の人は、あちこち動いておったからの。」

「あら、変ね。昔の人は稲作をはじめてからは、一ヵ所に定住するようになったって、社会科の時間にならったわよ。水神様っていうんだから、農業を

はじめてからでしょ。この神様が祀られたのは。」

 麻美はけっこう物知りで、ぜんぜん勉強しないくせに、なんでもすぐ覚えてしまう。

「それは違う。昔はの。この川の水をつかって、稲を育てることはせんかったのじゃ。第一、どうやって上の村まで川の水をはこぶんじゃ。上の村は

の、村のさらに上にある段丘との境に湧き出す自然の泉の水を、田にひいて稲をつくっとったのじゃ。ところがじゃ、泉の水はいつまでも出るというわ

けじゃない。」

「その上の方で、井戸水のくみあげすぎとか、長い間に雨の量が減ったりしたとかで、泉が枯れるって話し、どっかで読んだわ。」

「よお知っとるの。娘さんや。そのとおりじゃで。泉の水は時として枯れてしまう。じゃから、村びとたちは枯れた泉を捨てて、よその泉のある所へ村や

田を移していくのじゃ。そうやって、泉のある所へと移り住んで、生活しとったのじゃ。けっして、長くひとっところにいたわけじゃない。といっても、一ヵ

所には百年くらいはいたじゃろうがな。そして、泉の水が何百年も後になってまた湧いてきたあと、ここにもまた、村人が住むようになったんじゃろ。じ

ゃから、あとから来た人々には、この社がなんじゃかわからんかったのじゃよ。おそらくの。」

「じゃ、おじいさん。最初にこの社をつくった人たちは、何のために社を祀ったの?。川の水を田にはひかないのなら、用がないじゃないか。」

 知らず知らずのうちに、僕も話しにひきこまれていた。

「おう、坊主。それはじゃの。川の水は、田に水をひくためには使えんじゃったが、川にはぎょうさん生き物がおるで。魚もな、今とはちごうてたくさん

おってな、お前らは信じられないじゃろが、鮭までのぼってきておったのじゃ。」

「鮭まで?。鮭って、北海道にしかいないのかと思ってた。僕知らなかったな。」

「昔はの、関東地方のどこの川にも、鮭がおったのじゃ。秋になるとな卵を生むためにな、川面を真っ黒にしての、鮭が川を登ってきたのじゃ。江戸

時代までは、そうだったのじゃが。」

「へえ、ほんとに?。」

「それだけじゃないぞ。坊主。鮎だってもっとたくさんおった。それもな天然の鮎じゃ。養殖して放流するのとはわけがちがう。そしての。その魚たちを

食べに、熊や狐などのけものたちや、たくさんの鳥たちが川にはやってくる。これも人間たちのえさにできるわけじゃ。」

「今よりも、たくさんの生き物がいたのね。この川には。今だって、都会にはめずらしいほどの、たくさんの植物と昆虫や鳥や魚がいるっていうの

に。」

「娘さんや。こんなのは川ってはいわんのじゃ。両岸をコンクリートと鉄骨の壁に仕切られての、川は自由に流れをかえることもできん。川は死んど

るのじゃ。」

「でも、堤防がなかったら洪水がおきて、たくさんの人が死んでしまうじゃない。」

「いや、昔の人は、川のそばには住まんじゃった。特に、武蔵川のような大きな川のそばにはな。川はの。馬や家畜に草を食べさせたり水を飲ませ

たり、身体を洗ってやったりする所で、あとは鳥や魚や獣をとる狩場だったのじゃ。洪水で、田や村が流されることぐらい分かっとったし、第一、こん

な大きな川を鎮めてしまう力なんぞ人間にはないのじゃ。そしてもう一つ、昔の人は、川があふれることの意味を知っておったのじゃ。」

「洪水にも意味があるの。」

「そうじゃ。自然のものには全て、意味があるのじゃ。川は、上からたくさんの土砂をはこんでくる。それは、多くの木の葉や木や草、そして生き物の

死骸を含んでおっての、だから、河原にはたくさんの植物も生えるし、川の水は肥えとるから、たくさんの魚も住むのじゃで。」

「水に養分があるから、プランクトンがたくさん生まれて、それを食べる小魚がたくさん住んで、それをまた食べる大きな魚もやってきて、そしてその

魚を食べる鳥や獣や人間もやってくるってわけね。」

「うむ。娘さんの言うとうりじゃ。だがな、それだけではやがて、川は土砂でうずまってしまい、川の底には、たくさんの生き物の死骸が積みあがって、

そのうちには水が肥えすぎてな、流れも弱くなっ、て川の水が澱んで魚も死んでしまうのじゃよ。そのままだとな。」

「プランクトンの大量発生とか、酸欠とかで魚が浮くっていうあれね。」

「そうじゃ。そのままでは川は死んでしまう。そこでじゃ。川は、決まった年月毎にな、荒れるのじゃ。積もった土砂で、流れが堰き止められておったと

ころでな、大雨などがきっかけになって、荒れるのじゃで。そうしてな、川にたまった土砂や生き物の死骸を、一気に海に流してしまうのじゃよ。川の

流れは変わるがの。そのことで川はまたよみがえり、海もな。海にも、たくさんの生き物の死骸やそれを含んだ肥えた土がたくさん流れこむことによ

ってじゃ、海も豊になるんじゃわ。」

「川って生きているのね。ところで、昔の人たちは何のために水神様を祀ったの?。」

「うむ、それじゃが。川は豊な恵みを人にもたらすのじゃが、時として水が枯れることもある。そうすると川に棲む生き物も困ってしまうし、それを利用

する人々も困ってしまうじゃろが。それで、祀ったのじゃな。水神さまを。」

「でもどうして、あとから来た人たちは、水神さまを祀らなかったの。川ってとっても大事じゃない。」

「その社が長い間にうちすてられ、何の社だがわからなくなっておったのと、後から来た人たちにとって、川の意味が変わっておったのじゃろが。」

「川の意味がかわるの?」

「そうじゃろ。今だってそうじゃ。人間が、手業をつけて智恵をつけてくるとな、人間は川を自分の思うままにしようとする。後からきた者どもは、韓国

から伝わった鉄の道具をつかっての、大木を切り、大岩を切り出し、それらを川に運んで大きな堰を築き、その隙間には粘土をつめこんで、強い堰

をつくったのじゃ。ほれ、この川をもう少し下った所に、大堰という所があるじゃろ。」

「ええ。あるわ。駅の名前にもなっているし。でもそれがどうしたの。」

「そこがじゃ、韓国から伝わった技術で、韓国からきた技術者やそれを統べる長たちに率いられた人々が、最初に大きな堰をつくって、武蔵川を堰

き止めた所じゃ。」     

「だから、大堰というんだ。」

「坊主。大堰をつくってからの、人々にとっての川の意味は変わったのじゃ。わかるかの、お前には。」

「堰ひとつで、川が変わってしまうのか?。」

「そうじゃ。変わってしまうのじゃ。」

「大堰によって、川は人間の手の中に入ったのね。それまでは、洪水も日照りによる渇水もどうにもならなかったけど、大堰があれば、川の水を堰き

止めて溜めておくこともできるし、水を放流して、川の水の量を加減したり、大堰と同じ技術をつかって堤防をつくれば、洪水だって止めることができ

るわ。人間は川の恵みを与えられるものではなく、自分でつくりだしたものだって、思うようになったのだわ。きっとそうよ。」

「うむ。娘さんや。そのとおりじゃわ。そうして人間は、水の神を敬わなくなったのじゃな。」

「だから、社をこわしても平気だったんだね。僕わかったよ。」

「でも、話しを戻すけど、その時の渇水をどうやってくいとめたの。それにカッパの害もね。」

「おお、そうそう、話しがずいぶん横道にそれておったの。その修験者がいうにはの、川の水が枯れたのは、水神様をぞんざいにあつかった罰だし、

カッパが暴れるのも、水神様が怒っておられるせいだというんじゃ。」

「水神とカッパって、なんか関係があるのですか?。」

 カッパと聞いて、思わず叫んでしまった。

「そうじゃ。カッパはの水神様のお使いなのじゃ。だからの、水神様のお指図で、水神様を敬わない人間どもを、カッパはこらしめておったのじゃな。」

「ふうーん。カッパは水神様のお使いか。」

「お使いじゃで。そいでの、修験者がいうには、水神様の社があったところに、白い石で鳥居をたて、カッパの石像をたてて祀れというのじゃ。そして

の、そいでもカッパが言うことをきかんといけないから、水神様の社の上に、菅原道真公の御霊を祀りなさいとな。」

「水神様をていねいにお祀りしても、カッパだけまだ暴れるっていうの。お使いなのに、へんだよ。」

「カッパはの。水神さまのお使いじゃども、カッパ自身が一つの神様じゃからの。自分だけの考えで動くこともあるんじゃ。」

「カッパも神様なの。だから不思議な力を持っているのね。」

 麻美が話しにわりこんできた。

「カッパの不思議な力だとな?。」

「ええ、そうよ。人の心の中にある、昔の事やいやな思いなどをね、その人に見せたりするのよ。」

 麻美が、カッパ大王のことを言い出しそうになったので、僕は、あわてて目くばせをして麻美に注意したが、すでに遅かった。

「あたしたちはね、さっきその社の後ろにある洞窟でね、カッパ大王に、翔の、あっ、翔ってこの子のことだけど、翔の知りたいものを見せてもらった

の。」

「何を知りたかったのじゃ。」

「翔はね。自分の母さんがどうしていつも自分をいじめるのか、知りたかったのね。そしたらカッパ大王ったらさ、翔の母さんが三つくらいの時の姿を

見せてさ、母さん自身が小さい時に、両親にいじめられていたってことを教えてくれたのよ。」

「うむ。洞穴の中って言ったの。」

「ええ。そう。白い鳥居の後ろの社の、その奥にある洞窟よ。」

「どうやって入ったのじゃな。そこへ。」

「はいったっていうか、いきりな青白い光りが光って、一瞬目が見えなくなったとおもったら、後ろから大きな力で突き飛ばされて入ったの。その時よ、

右の足首をくじいたのはね。あらっ。痛みがないわ。」

「よう効いてきたの。薬が。ところで娘さんや。その洞穴をどうやって出てきたのじゃな。」

「カッパ大王に、どうやったら翔のお母さんの心の傷を治せるかって聞こうとしたら、大王の姿が急に薄れてきて、いきなり青白い光りが光ったとおも

ったら、もう外に出ていたのよ。」

「おお。そうか。お前さんがたは、水神さまのすみかにいったのじゃな。」

「水神様のすみかって、鳥居のうしろの社じゃないの?。」

「あれは、仮のすみかじゃよ。本当のすみかは、白い鳥居のうしろの崖の中にある、洞穴じゃで。」

「洞窟って、見えないじゃないの。どうやって入るの?。」

「入口は、社の下の淵の中の、ずっと底のほうに小さな口が開いておるのじゃ。深い暗い水の中じゃから、人間には見えんし、行くこともできんのじ

ゃ。」

「じゃ、あたしたちどうやって入ったのかしら。」

「水神様が呼んだのじゃろ。その青白い光りってのが証じゃ。」

「じゃ、カッパ大王が入れてくれたのじゃないの。」

「カッパ大王には、自分で入ることはできんのじゃ。いくら神でも、白い蛇神様のお許しなしでは、入れんからの。」

「あれっ。さっきから聞いていると、おじいさんはカッパ大王を知っているみたいだし、その水神様のすみかを知っているみたいだねえ。そうなの。お

じいさん。」

 なんだか不思議になって聞いてしまった。

「ふむ。ちょっとな。昔のことじゃが。」

「ふーん。ちょっと、か。おい、麻美。もう帰らないとやばいぞ。もう外は真っ暗だ。歩ける?。」

「大変。すっかりおしゃべりに夢中になっているうちに。あらっ。痛みもほとんどないわ。不思議ね。おじいさんの薬のよく効くことったら。おじいさん。

ありが・・・・・」

 おじいさんにお礼をいおうとして振り向いて、ビックリした。

 そこには、おじいさんの姿は影も形もなかった。そして僕たちは、神社の社の階段の途中に腰掛けていたのだった。

「あの、おじいさんって。いったい誰だったの?。」

「たしか社務所の横の木戸から、後ろの建物にはいったと思ったのに。」

 二人が座っていたのは、あの木でできた武蔵川水神社の鳥居の前の白い道を、左に折れた所にある、菅原天神社の拝殿の前の階段だったの

だ。


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