18.悪夢の再来


 十一月の初めの文化祭当日は、ものすごく忙しい一日になりそうだった。

 今年の文化祭はカッパ大王の提案で、生徒は一日どこにいても良いようになった。体育館など三ヵ所では、一日中さまざまな演技が繰り広げら

れ、教室や校庭では、いろいろな展示や体験コーナーがあって、生徒は一日好きな所をまわっていればいいんだ。

 最初こうなるという案を聞いたとき、

「一日やることがないぜ。ヒマでしょうがないかもな。」

 なんて、アキラのやつは言っていた。

 ところがふたを開けてみたら、大間違いだった。

 アキラたちは、武蔵川からたくさん魚を釣ってきて、教室の水槽に入れて展示するだけのつもりだったんだが、あんまりたくさん釣ってしまったので

水槽には入りきれなくなった。その時ゴジラはこう言った。

「おい。屋上のプールを借りようぜ。来年の夏まで水泳の授業はないんだから、プールは空いている。プールに魚をたくさん放して、空中釣堀なんか

始めようぜ。」

 アキラはそんなの無理だよといったのだけど、ゴジラのやつ、直接カバの所へ行って許可をとり、体育主任のカッパ大王の許可ももらって、釣堀を

実現してしまった。

 なんでも名目は、武蔵川の自然体験コーナーということらしい。釣った魚はすぐ水に返してやるのだが、当日魚釣競争をやって、一番たくさん釣っ

た人を表彰することになったんだ。そしたら今日は、朝から大入り満員。子供づれのお父さんたちや中学生で、おおにぎわい。入口に列をなしている

ので、アキラたちは交通整理におお忙し。おかげで体育館でやる3年生の劇を、見にいけなくなるしまつ。

 二年五組の他のメンバーも大変だ。教室二つを借りて、水槽を一杯ならべて魚や水生生物を展示したり、たくさんのプランターに河原の植物を植

えて、武蔵川を再現する。そしてその中で、水質実験コーナーや植物や昆虫の名あてクイズ、かと思うとカーテンでしきって昆虫とり体験コーナーな

んかも出現。いろいろ調べたことをまとめた展示コーナーにも、説明係って腕章をつけたみんなが、見にきた人をつかまえては説明している。ユウヤ

なんか朝から、武蔵川の水をいっぱい用意して、汗だくになって水質実験の指導をしている。これだけではない。五人一組の宣伝部隊をつくって、魚

やカマキリなどに扮したやつらが、学校中をビラを配って宣伝して歩く。

 僕は、おまえそのままでいいから、カッパの甲羅を背負って歩けよ、とか言われて、カッパと人間についての説明をしたいのに、宣伝部隊にかりだ

されてしまった。

 その宣伝の最中だった。一階の昇降口のところで、カッパの格好をしてビラを配っていたら、麻美が走ってくる姿が見えた。そのまま廊下を駆け抜

けて、昇降口のそばのトイレに飛び込んでいったんだ。

「あれ?。麻美だ。どうしたんだろ。あわてて、トイレにとびこんだぞ?。」

「おおかた、朝から忙しくて、がまんしてたんだろうよ。」

 おチャメが、にやにやしながら振り向いた。

「いや。そうじゃない。顔色が真っ青だったし、トイレなら、ぼくらの展示教室のすぐ横にあるじゃないか。なんで、三階からわざわざ一階まで降りてく

る必要がある?。」

「うん。そういえば、そうだな。」

 こんなことを話していたら、後ろから声をかけられた。

「あら。小村翔じゃないの。あいかわらず、カッパによう似ていること。」

 一瞬、身体がブルッと震えた。ヒメの声だった。ヒメというのは、僕たちが小学校の五・六年の時の担任で、自分のことをかぐや姫と呼ぶ、いやらし

い女教師だ。香具山優子というのが本名だが、自分のことを自分で、かぐや姫とよんでいるんだ。

「中学生になっても、かわらないのね。あんたたち。ずいぶんはでにやってるわね。こんなにお祭り騒ぎしちゃって、ちゃんと先生の許可とってんでし

ょうね。まったく、中学校の先生は、生徒に甘いんだから。」

「はい、だいじょうぶです。ちゃんと、許可もらってますよ。もっとも先生じゃなくて、生徒会本部の許可ですけど。」

 おチャメのやつは、身体を固くして、気まじめに答えている。

「そう。あんたたちももう、大人ってことだわね。自分たちできまりを決めて、自分たちの責任でやるってわけだ。甘いわね。生徒なんか信用しちゃっ

て。武蔵川の自然体験コーナーとか銘打っていても、中味はただの釣堀じゃないの。こんな文化祭、自由かもしれないけど、お祭り騒ぎで、教育的

価値なんかなにもないわ。」

 二年五組の企画にけちをつけられて、かっと頭に血がのぼってしまった。

「うるせえな。帰れよ。ここは、おまえなんかの来るところじゃねえ。かぐや姫なんてかっこつけてるけど、ただのいじわるババアじゃねえか。おれたち

はもう、お前のおもちゃじゃないやい。さっさとうせろ!。」

「まあっ。なんでしょうこの子は。教師にむかって、どういうつもりなの。ちょっと大きくなると、昔の恩なんかすっかり忘れて。ねえ茶山くん。あんたは、

そんな恩知らずじゃないわよね。」

 ヒメのやつは、茶山に向かって甘ったるい声を出して、同意を求めた。

「は、はい。先生には、いろいろ教わりまして、とても感謝して・・・・」

「おチャメ。何いってんだ。こいつには怨みこそあれ、恩なんて、これっぽっちも受けてないんだ。」

「そうかしら。いつも、かわいがってあげたのに。ね、萩原さん。」

 ヒメは、ちょうど走ってきた久美子を捕まえて、気持ち悪い声で話しかけた。

「あっ。そ、そ、そうですね。先生には、いつもかわいがってもらったし。」

「それ見なさい。みんな、こういってんのよ。翔。あんただけよ、恩知らずなのは。」

 ヒメは勝ち誇って胸をはり、僕のほうを指さしてあざ笑った。おチャメや久美子やほかのやつらも、下を向いたまま何もいわない。腹がにえくりかえ

ってきたので、どなろうと思ったその時だ。

「香具山先生。先生はわたしたちを、オモチャにしていただけです。わたしたちは、あなたのことを先生だなんて思っていません。二度と、顔なんか見

たくありません。帰ってください。ここは、あなたのいる所ではありません。中学校の先生たちはみんな、わたしたち一人一人を大事にしてくれます。」

「な、な、何をいうの。あんたは・・。」

 直美だった。あの、もの言わぬ静かな直美が、小さな身体を精一杯のばして、きっとした目でヒメをみすえている。

「あなたは、生徒を人間だとは思っていない。自分の気分しだいで、からかったりどなりつけたり、かと思うと、一部の言うことを聞く人だけをかわいが

ったり。わたしなんか勉強もできないし運動もだめだし、声も大きくないし身体も小さくて目立たないし、二年間一度も、声すらかけられたこともありま

せん。

 でも、それでも、ましです。麻美ちゃんみたいに、あなたに毎日いじめられるよりかは。」

「わ、わたしが、何をしたというの。」

 ヒメの顔が白くなって、青ざめてきた。騒ぎを聞きつけて、生徒や父母たちが、たくさんまわりを取り巻いている。先生たちの姿もちらっと見えたが、

輪の後ろのほうでじっと様子を見ている。遠くに、カッパ大王の頭が、みんなの肩の上に見えた。

「麻美ちゃんは、小さい時からはっきり物を言う子で、身体も大きくてよく目立つし、優しくて、いじめられてる子なんかをよくかばってくれました。そん

な麻美ちゃんが、舞をかばってあなたに抗議しましたよね。舞は、踊りの天才です。踊らせるとすごくうまい。それでついつい、あなたの指示なんか無

視して、勝手に自分でダンスを創作して踊ってしまう。あなたは、それが気に入らなかったんです。あの日、体育の授業でもそうだった。あなたはいき

なり、舞の髪の毛を後ろからつかむと、舞をひきずり倒したの。足ばらいまでかけて。わたし、見たんです。あなたは、何度も舞を足でけってどなった

わ。ダンスをつくるのはわたしで、あんたじゃないって。わたし、足がすくんで何もできなかったけど、麻美がすっとんでいってあなたをつかまえて、舞

いから引き離したの。おぼえていらっしゃいますわね。」

 まわりで見ていた生徒や父母の中から口々に、ひどい、なんていう教師なの、っていう声がひそひそ聞こえてきた。

 ヒメの顔がかっと赤くなったと思ったら、パシッという音がして、直美の顔に赤く手のひらのあとがついていた。

「あ、あなたときたら。うそ、うそばっかりいって。なんて子なの。」

 直美はひるまなかった。

「あの時にも、同じことをしましたよね。麻美に対して。麻美は、あなたを舞から引き離すと、あなたに対してこう言ったんです。先生は、舞が自分より

優れているから嫉妬しているんです。自分が考えもつかないような踊りを、まだ十一才の舞がスラスラと考えついてしまう。しかも、それをとっても美

しく優雅に踊りこなしてしまう舞が、先生は憎いんです。自分が今どんな顔をしているか、鏡をよく見てごらんなさいって。そしたらあなたは、麻美の顔

をげんこつでなぐったんです。一度じゃない。何度も何度も。おかげで、麻美の顔はあっちこち腫れあがり、口びるは切れて血まで流れていた。しか

も、地面に倒れた麻美を、あなたは足で蹴り続けたんです。頭をねらってです。麻美は、頭を腕で抱えて逃げまわったのですが、あなたは麻美を捕

まえて離さず、何度も何度も蹴り続けたんですよ。麻美は何も抵抗せず、泣きもせずに我慢しているっていうのに。あなたは。」

 まあっ、ひどい、これでも教師なの、って声がまわりにいた父母からあがった。

「しかも、それだけじゃありません。麻美のケガを抗議にきた麻美のお母さんには、階段から落ちたってうそをつき、事情を聞きにきた校長先生まで

うそでまるめこんで、あやまりもしなかった。そして、けががなおった麻美が登校するようになると、今度は、毎日クラスみんなでいじめさせたんです。

あなたは、クラスの生徒に命令しました。麻美と遊んじゃだめ。麻美と話してもだめ。麻美のことはいっさい無視。先生に逆らうと、どうなるかわかっ

てるわよね、って言って。そして、こうも言いましたよね。このことをおうちの人に話したり、ほかのクラスの人やほかの先生にも話してはいけないと。

もし話したのがわたしの耳に入ったら、前歯の三本も折ってやるからって。そうです。麻美はあなたに顔をけられて、前歯を三本も折ったのです。」

 おチャメや久美子、そして僕もびっくりした。そうだ。直美のいうとおりなんだ。でも、まさか直美が。いつも、教室の隅っこで静かにしていた直美が、

ヒメを徹底的にやつけるとは。しかも、大勢の人がいる前で。

「そして今日もまた、麻美の心をズタズタにしたんです。」

『えっ、麻美が。麻美がどうしたって。』

「さっき、わたしたちの展示教室にきたあなたは、展示の全体を見ながら説明係を動かしたり、人が足りない所には自分でいって説明したり、展示の

不備な所を直していた麻美に、こういったんです。あいかわらず、えばってるわねえ。自分が美人で頭がいいと思って、いい気になるんじゃないわ

よ。人殺しの子供のくせに。あんたの母親は、父親を殺したのよ。よくも大きな顔して、生きてるわねと。

 よく事情を知りもしないくせに。こんなひどいことを、言えたものね。

 麻美のお母さんはね、浮気をして家に帰ってこないお父さんに、なんとか帰ってきてほしいと思って、相手の女の人の所に頼みにいったのよ。そし

たらその女の人、返さないっていったばかりか、何度もすがりついてたのんだ麻美のお母さんに、包丁で切りつけたの。あちこち切られたお母さん

は、麻美を残して死ねないって、その女の人にとびかかって包丁をとりあげようとしたの。そこに、お父さんがちょうどやってきて、止めに入ったの

よ。でも、お母さんもその女の人も、もう夢中でわからなかったの。そしてその乱闘の中で、誰が刺したのかわからないけど、麻美のお父さんが、胸

を刺されてうずくまっていたのよ。

 その女の人は人殺しって叫んで、麻美のお母さんのお腹を、持っていた包丁で突き刺したの。お母さんは、それでも必死に包丁をとりあげようとし

て、とびかかっていったの。そして、もみあっているうちにストーブが倒れて火の海になり、気がついたら、女の人が頭をうって気絶していて、お父さん

は胸から血を流して倒れていて、自分もお腹の傷が深くて、立ち上がることすらできなかったそうよ。

 三人とも消防署の人が助けだした時は、まだ息があったそうよ。でも、麻美のお父さんを刺したのは、その女の人だって。その人、ヤケドの傷で死

ぬ前に、そう言ったのよ。お母さんともみあっているうちに、刺してしまったって。

 だから、麻美は人殺しの子なんかじゃない。あなたは、人の心がわからないんだ。麻美のお母さんが、どんな思いで病院で死んでいったのか。そし

てその事を知って、麻美がどんなに苦しんでいたか。あなたは、わかっていない。

 あなたは麻美をいじめる時、よく、人殺しの子って言っていたわよね。クラスのみんなは、よく事情も知らないで、あなたの言った事を、何度も繰り

返して麻美にぶつけていた。

 でも、わたしは言えなかった。だって、事実と違うし、それにたとえそうだとしても、麻美には関係ないじゃありませんか。親がやったことです。親は

親。子は子です。

 あなたは、麻美が憎いだけなんです。舞をかばった時に麻美が言ったことは、そのものズバリ、あなたの心の中を正確にいいあてていたんです

よ。だからあなたは、麻美が憎かったんです。だから、麻美をクラスのみんなでいじめさせたんですよ。

 今日だって、その麻美が、いきいきと動いているのが妬ましかった。みんなの中でキラキラと輝いていて、みんなから大事にされている麻美が、妬

ましかったんですよ。だから、事情を知らない人の前で、あんなことを言ったんです。恥を知りなさい。恥を。あなたには、人間の心なんかないんで

す。」

 もう、ヒソヒソ声すら聞こえなかった。しーんと静まりかえった中に聞こえるのは、自分の胸の鼓動だけ。

 その静寂を破ったのは、麻美の声だった。

「直美。どうして、それを知っているの。」

 トイレにこもっていたはずの麻美が、そこにいた。

「わたしのうちは、あなたのアパートの管理人。母は、あなたのお母さん、もちろん今のお母さんと病院へ飛んでいって、毎日看病したのよ。だから直

接聞いた話しなの。あなたのお母さんに。そしてね、担当の刑事さんにも確かめたそうよ。だのに新聞記者は、正確な話も確かめないで、記事を書

いてしまったのよ。今わたしが話したのが、ことの真相よ。麻美。自信をもちなさいね。あなたのお母さんは、人殺しなんかじゃない。」

 麻美は直美のところにとんでいっ、てわっと泣き出してしまった。僕も久美子もおチャメもはっとわれにかえって、飛び出していた。

「ごめん。麻美。わたし、あなたのこと、いつもいじめてた。わたしも事情も知らないで、人殺しの子供っていっていじめてた。ごめんね。麻美。ごめ

ん・・・・・。」

「麻美。何んにもできなくて、ごめんよ。僕、こわかったんだ。ヒメにさからうのは。今だって、何も言えなかった。ヒメが悪いぐらいのことは、クラスの

みんなは知っていたんだ。だって、みんなあの時、ヒメが舞をいじめた現場にいたんだもの・・・・・・。

 でも、どうしてかな。どうして、ヒメにさからえなかったのかな。ヒメの暴力が、怖かったわけじゃない。僕だってヒメより大きいし、ゴジラなんかもっと

大きい。腕力じゃ、こっちのほうが強いのに。」

「それが、マインド・コントロールなの。」

 いきなり後ろから声がして、びっくりした。それは、ムーミンだった。美術の先生。ずんぐり太ってのんびりしていて、だからムーミンってあだながつ

けられている。

「みんなは小さい時から、大人にはさからってはいけないって教えられてきたの。その上に、学校に入ってしまえば先生、特に小学校の担任は、あな

たたちの親みたいなもの。ほとんどの教科は担任が教えるし、一日中担任と一緒だもの。担任に嫌われたら、学校には行けないわね。通知表の評

価をメチャクチャ低くされるだけじゃなくって、一日じゅう無視されたら生きていけないもの。自分で自分の心を麻痺させるしかないのよ。もちろん教

師もそれを利用し、そうさせているんだけど。」

 ムーミンは静かに、たんたんと話している。それは僕にも、思いあたるふしがあった。その通りなんだろう。でも、ヒメはどうして、あんなに気にいら

ない生徒をいじめたのだろう。そうか。ヒメも、同じなのかもしれないな。僕の母さんと。そう思ったら不思議と、ヒメを怨む気持ちは消えていた。

「麻美。だいじょうぶか?。」

「ああ、翔。ありがとう。だいじょうぶよ。もう平気よ。」

「そうか。せっかくの文化祭が、さんざんだったな。ヒメのおかげで。」

「ええ、でも、直美のおかげよ。直美があそこで言い返してくれなかったら、みんなまた、ヒメの言いなりになっていたわ。」

「うん。ここで、言わなきゃって思ったの。今しかないってね。なんか不思議ね。自分で自分がわからなくなったわ。」

「そうなの。あっ、久美子。もうだいじょうぶよ。自分で歩けるから。」

 麻美は、自分を抱きかかえるようにしていた久美子にそう言って、立ち上がった。

「よし、体育館に行きましょうよ。三年生の二回目の劇が始まるから、私たちのコーナーもちょっとお休みにして、見にいきましょうよ。ロミオとジュリエ

ットって素敵ね。しかも英語劇なのよ。三階に行って、劇の終了まで説明はお休みしますって書いてこなくちゃ。先に行ってて。みんなを誘ってくる

わ。」

 麻美は、ドタドタと階段をかけあがっていった。

「もうだいじょうぶだな。麻美は。」

 カッパ大王の声がした。ずっと、陰で見ていたらしい。

「そうですね。いつもの元気な麻美だ。あれっ。ところでヒメは?。」

 あたりを見回したが、ヒメの姿はどこにもなかった。きっと、自分で自分が恥ずかしくなったのだろう。

 昇降口の向こう、体育館に通じる廊下には、コアラとハツカネズミの後ろ姿も見えた。


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