19.水神さまに出会った
文化祭が終わってすぐ、カッパ大王はカバとの約束どおり、僕たちを武蔵川の上流へつれていってくれた。こんどは五組だけではなくて、二年生全
員だ。カッパ大王が提案したらタヌキが大賛成して、まかせとけ僕が全部計画して手配しておくぞ、って言ったそうなんだ。まったくどうなっているんだ
ろう。この学校の先生たちは。カッパ大王がきたとたんに、みんな人が変わったみたい。もしかしたらみんな、前からこうしたかったのだけど、きっか
けがなかったのかもしれないな。
南武蔵野線の電車で武蔵大宮の駅まで行って、そこで奥武蔵線に乗り換える。そして、その線の終点の二つ手前の駅で降りた。駒井という駅だ。
「駒って、馬のことだよな。こんな山奥にも、馬がいたのかなぁ?。」
「ガイドブックで見たけど、このあたりに駒井神社ってのがあってね、そこには、カッパが馬を川に引きずり込むいたずらばかりしていたので、ある日
村人がカッパを捕まえて、侘び証文を書かせて、二度といたずらをしないかわりにカッパを祀った神社を建て、そこに胡瓜を供える約束をしたという
伝説があるんだって。それで駒井っていうんだ。」
信次郎が、ガイドブックを片手に、みんなに解説をしてくれた。
最近わかったことなんだけど、信次郎は鉄道マニアだったんだ。受験に差し障るとか言われて、ずっとやってなかったんだけど、最近ガマンできな
くなって、もう一度やりはじめたんだって。
「カッパって、悪いやつなんだな。いたずらばかりして。翔なんかそっくりだな。」
ゴジラが、にやにや笑いながら話しかけてきた。どうもゴジラは、僕に関心があるらしい。
「それは違うよ。」
僕は思わず、言い返してしまった。
「どこが、違うんだ。」
「カッパが、いたずらばかりしているってとこさ。」
「へえっ。それが、うそだっていうのか?。」
「そうさ。うそなんだよ。」
「じゃ、本当はどうなんだよ。」
ゴジラに責められて、僕は、文化祭前に調べたことを、みんなにかいつまんで話した。
「カッパは、もともと水の神様なんだ。日本人が、稲作や畑作を知るもっと前の時代からの神様なんだ。昔は、川は田畑に水を引くために利用するの
ではなく、河原に集まる動物や鳥や魚をとる狩場であり、たまには身体を洗うところでもあったんだ。そばに泉がないところや、泉の水が少なくなった
時には、飲み水を汲む所でもあったんだ。狩りや漁や採集で生きていた時の人間にとって、山や川は、大切な生活の糧をえる場所だったんだ。でも
川は、同時に恐ろしい所でもあった。大雨がふれば、増水して河原の木々をなぎたおし、ひどい時には、氾濫をおこして流れも変えて、そこら一面の
木々や植物や生き物を、おしながしてしまう。人間だって、ひとたまりもないさ。だから人間は、川の恵みがずっとおだやかにつづくようにと、川の神
様を祀って、お供えをしてきたんだよ。それがカッパさ。
でも、そのうちに、人間が農耕の技術を知り、さらに韓国伝来の土木技術や鉄の作り方を学ぶにつれ、川は、人間にとってそれほど恐ろしい所で
もなくなってきたんだ。そんな時に、中国の文化を学ぶ中で、中国の信仰も入ってきたんだね。というより、韓国の技術をもった人たちが、日本中に
ひろがって、堤防や堰や用水路をつくって、川を治めるようになったんだけど、その人たちは、中国・韓国伝来の信仰も、もっていたんだ。それが現
在の水神信仰。そこでは、水神は、蛇のからだをしているんだよ。
そうして、蛇神の水神信仰が広がるにつれて、カッパは水神のおつかいに格下げされ、そのうちには、そこからも格下げされて、ただの妖怪になり
さがってしまったんだ。
だって川は、人間がどんな高い技術をつかったって、抑えられるもんじゃない。十五年程前に武蔵川の堤防が崩れて、家がたくさん流されたって話
を、聞いたことがあるだろ。
それに川は、所によって流れの早さも深さも違うから、うっかりすると、流れに流されたり深みにはまって、溺れることもある。だから、蛇の水神さま
をいくら祀っても、川の災害はなくならなかったんだ。そこで人々は、その難を、すべてカッパのせいにしちゃったんだよ。」
いっきに、しゃべってしまった。
「じゃ。駒井って地名は、どう説明するんだよ。カッパに馬がつれこまれたから、こういうんだろ?。」
「そ、それは。えーとっ?。」
「それはね・・・」
うしろから、ハツカネズミが、助け船を出してくれた。
「・・地名は、漢字にまどわされちゃだめなの。この場合の駒っていうのはね、高麗と書いて、コマと呼ぶ地名が先にあったのよね。これは、朝鮮半島
の高句麗という国から日本に移ってきた人々がつくった村々に、よくつけられた名前なのよ。故国と同じ名を、つけたってわけね。ところがさ、そのう
ち日本という国ができて、朝鮮と対立するようになり、自分たちが朝鮮出身だということを、忌み嫌うようになったのね。それでね、高麗の文字を読み
方のコマにあわせて、駒の字を置いたの・・・・・・。
カッパが馬を引き入れたという話は、ここの地名に、駒の字をつかうようになったあとに、できた話なのよ。」
「ふーん。そうか。俺、はじめてだよ。こんな話し。」
「でも先生、物知りね。なんでも、知ってるんだから?。」
ハツカネズミは若いくせに、けっこう物知りなんだ。
こんなことを駅前でガヤガヤやっていたら、向こうのほうからタヌキがすっとんできた。
「おいおい。駅前でたまっちゃったら、迷惑だぞ。駅を利用する人が困るじゃないか。」
「先生。そんなこと言っても、ほとんど利用客いないよ。よく見てみなよ。」
アキラのやつが、口をとんがらかせて、抗議した。
「うん?。そういえば、そうだな。すごい田舎だな、ここは。いつものくせが出たな。ごめん、ごめん。まっいいか。よし、出発だ。班ごとに時間差をつけ
て、河原をいくぞ。」
いつもなら、すぐ小言が出てくるタヌキなのに、あっさりあやまって、走っていってしまった。
駅を出て、すぐ手前の橋の所で橋を渡らず、橋の少し手前で、河原に降りる道がある。橋をわたった向こう岸にも、同じような道があるので、班に
よって希望制で、どちらかの道を行くことになっている。そして上流に向かっても、同じように両側に遊歩道があるので、学年を二つにわけて、上流と
下流組とし、さらにその二つを、左岸組右岸組にわけて、四班同時にスタートするんだ。次のスタートとの間は、五分。全部で三十班にわかれて、行
動だ。
それぞれ、上流下流の次の橋の所までいったら川を渡り、反対岸を歩いて、もとの橋のところまで帰ってくる、というわけ。帰ってきたら、近くのキャ
ンプ場で、御飯をつくって食べるんだ。
次の橋といっても、それぞれ五kmはあるから、十kmは歩く計算になる。その間に二個所、ちがった所で、水質検査と水底の生物を調べ、歩いてい
る間に、十種類の植物の写真と、十種類の昆虫の写真を、とってくるんだ。なぜ写真かというと、ここは国立公園だから、とっちゃいけないんだ。
僕の班は、男は、ゴジラと僕とユウヤ。女は、麻美と直美と佳江。佳江とゴジラは、いつもにぎやかでうるさい。しょっちゅうおしゃべりしていて、しか
もせっかちなので、どんど道を先にいってしまうんだ。直美とユウヤは、おとなしくて几帳面。ふたりは、せっせと植物図鑑で植物の種類を確かめて、
写真に写してはノートをとり、昆虫をつかまえてはまた、写真をとっているんだ。だから進み方は、とってもゆっくりで、僕と麻美はとりのこされてしま
う。
「ねえ、翔。どうしたの、最近へんよ。」
「えっ。なんか言ったか?。」
「ほら、また、ぼんやり考えごとしてる。」
「いや、そういうわけじゃないけど。」
「そうかな。このごろ、黙ってこわい顔して、何か考えていることが多いと思うわ。どうしたの?。何かあったの?。いやなことが。」
「べつにーっ。ないけど。」
「うそよ。あるのよ。絶対に。何か隠してないで、さっさと言いなさいよ。」
麻美が、すごいけんまくでつっかかってきた。このごろ麻美は、とっても明るい。威勢のいいのは昔からだが、僕の前でめそめそすることが、なくな
った。へんに肩肘はって、つっぱることがなくなったかわりに、なんか、自信まんまんなんだ。おまけに、おせっかいときて。
「うるさいな。人の事に、首つっこむなよ。よけいなお世話だ。」
「何いってるの。人が、心配しているっていうのに・・・・・。そうね。翔が変なのは、あの日からだわね。」
「あの日って、いつだよ。」
「そう。あれは、文化祭の翌日。代休の日だったわ。あの次の日から、翔はおかしい。」
「そうかい。別に、変わっちゃいない、思うけどな。」
「うそ。自分でも、わかっているくせに。あの日ふたりで、遊園地に遊びに行った時、そこでおばさんをみかけてから、翔はおかしくなったのよ。」
「おい。よけいなことは、言うなよ。」
「あら。何がよけいなのよ。心配しているのに。翔のうちが、わたしのうちと同じにならなきゃいいのになって、心配しているのに。」
麻美の家と同じにって言われて、ドキッとした。そこまで最悪の事態になることは、想定していなかったからだ。
「そんなことには、ならないさ。父さんだって、母さんだって。」
「そうかしら。わからないわよ。人間、頭に血がのぼってくると、わからないもの。まして男と女よ。恋愛ってのは、何をするのか自分にもわからないも
のなんだから。」
「へえっ。恋もしたこと、ないくせに。恋愛があきれて、ものがいえないよ。」
「なに言ってるの。翔だって・・・・」
いい争っていると、前の方から、佳江の呼ぶ声がした。
「ねえ、みんな。早くきてよ。いい所があるわよ。ここなら、水をとるのも底を調べるのも、かんたんよ。ねえ。早くきてよ。」
いきなり佳江が、草むらから顔を出した。
「あらっ。ごめん。おじゃまだったわね。二人で、とってもいいふんいきだったのに。」
「べつに。ケンカしてただけだよ。」
「あら。そう。ケンカするだけ、仲が良いっていうものね。いいわねぇ。」
佳江にからかわれて、頭に血がのぼってきた、ちょうどその時、
「あっ。ごめんごめん。遅れちゃった。」
「ごめんなさい。遅くなって。待たしたわね。とってもたくさんの、植物や昆虫がいるんだもの。十種類なんかじゃ、きかないわ。」
直美とユウヤが、息をきらして走ってきた。
「すごいもんだよ。こんなにたくさんの生き物がいるって、思わなかったな。」
「そうそう。もう、写真とりきれないわ。あれっ。何しているの?。三人とも。こわい顔をして。」
直美とユウヤに見つめられて、顔が赤くなった。麻美とうちの事でケンカしてたなんて、言えないし、まして、恋だのなんだのって言い争っていたとい
うのも、恥ずかしい。そこを佳江に見られてからかわれた、ってのも恥ずかしいんだ。
「やっ。なんでもないさ。いこうぜ。ゴジラが、あくびして待ってるぜ。ゴジラのことだから、待ちくたびれて、川で泳いでいるんじゃないのかな。」
「うん。そうね。いこういこう!。」
佳江が、歓声あげてついてきた。つられて、あとの三人も。
予想どおりに、ゴジラは泳いでいた。
「おーい。ゴジラ。服のままで泳ぐと、あぶないぞ!。」
「だいじょうぶだよ。ちゃんと、カイパンはいてきたんだ。気持ちいいぞ。冷たくて。それに、水が透明だから、魚がバッチリ見えるんだよ。翔もきてみ
ろよ。泳いでみれば、自分が、カッパだってことが、よくわかるぞ!。」
ゴジラのやつ、もう有頂天になっている。
「あらっ。用意いいわね。わたしもよ。水着、体操服の下に着てきたんだ!。」
佳江は、いきなり服を脱ぎだして水着になり、泳ぎ出してしまった。
「あっ。わたしもいくっ!」
麻美までが、水着を着てきたんだ。三人して、川の真中まで泳いでいって、潜ったり魚をおっかけたり、水をかけあったりして、キャーキャーやって
いる。
河岸にとり残された三人は、ポカーンとしていた。
そのうちユウヤと直美は、ザックから、水をくむビンと水質検査のパックを取り出して、川の中にはいり、メモ用紙片手に、何やら調べ出した。
「ねえ。翔。そこのトレイを使って、川底の生物を、調べていてくれない?。」
ユウヤが、水のパックから顔をあげずに、僕に話かけてきた。
「う、うん。じゃあ。やるよ。」
トレイとピンセットと網を取り出して、僕も川の中に入った。底の石を動かして、その裏についている生き物をピンセットでとり、トレイの上に置いて
観察するんだ。
ここの川の水は、ほんとうに冷たくて、気持ち良かった。でも、あんまり気が進まなかったんだ。だから、捕まえてもすぐ取り逃がしてしまうんだ。
あきてきたので、ちらっと、目を泳いでいる三人のほうに向けた。三人とも、あいかわらず、川の中ではしゃいでいる。
『よく騒ぐな。ほんとに子供だよ。いいなあ。悩みのないやつは。』
三人から目を離して、川の上流の方に目をやった時だった。百mほど先の岩場の陰に、チラッと、洞窟が見えたような気がした。
『川の中を歩いていけば、いけるかな。』
「もうちょっと、上流のほうも調べてくるから。いいかい?。」
「うん。いいよ。でもちゃんと、ノートに記録しといてね。」
ユウヤと直美は、自分のことで一生懸命だった。顔もあげずにいた。
そのまま道具を持って、川をさかのぼってみた。けっこう流れが急だったけど、底はヌルヌルしていないので、歩きやすかった。でも、だんだん深く
なってきた水が膝をこし、そのうちに、短パンのすそがぬれるようになってきた。
『パンツが、ぬれるかもな。いいや、どうせ、あとで乾かせばいい。』
なぜか、洞窟に行きたい、っていう気持ちのほうが強かった。
もう水は、腰の高さを越していた。胸まである水の中を、道具を水にぬらさないように、頭の上にのっけて歩いた。
十分くらいかかっただろうか。ようやく、洞窟についた。
そこは、流れがうねって岸壁をけずり、ちょうどそこだけ、淵のようになっている所の横にあった。洞窟の入口が、淵の水面ぎりぎりの所に空いてい
る。ちょっとかがめば、入れる大きさだ。奥のほうは暗闇だが、入口から二十mくらいまでは、外の日の光りが、届いているようだった。
そのまま、水の中を進んでいく。奥に行くに従って、水の深さは浅くなっていくようだ。ようやく、水がくるぶしにも届かなくなった時、奥の方にボオッと
明るい光りがあるのが、目に入った。
『なんだろう。どうして、洞窟の奥に光りがあるのかな?。』
光りに近づくにつれ、その光りの中に、人影が見えてきた。ゆらゆらと揺れてよくわからなかったが、どうやら、何か長いものの上に、人が乗ってい
るようだった。それも、女の人だ。足下まである、長い着物を着ている。
『誰なんだろう。こんな所に?。』
おそるおそる近づいてみた。
「あっ。こ、こ、これは・・・・。」
びっくりした。洞窟の空中に、大きな白い蛇が舞っていた。そしてその蛇の背中に、女の人が乗っていた。長い髪を背中にたらして、白い薄い足下
までとどく、長い着物を着ていた。肌の色は、透きとおるほど白く、ただ、黒い大きな瞳と真っ赤な唇だけが、目に入った。
「あ、あなたは、誰なのですか?。」
「このお方を、知らないのか。翔。」
いきなり、カッパ大王の声がした。
いつのまにか、その女の人の横に、カッパ大王が立っていた。
いつもの、つまり、学校でみるカッパ大王ではなく、前に洞窟の中でみたカッパ大王でもない。今日のカッパ大王は、女の人と同じような薄い長い
着物を着ている。ただちがうのは、色がうすい青なんだ。川の色と同じの。
「水神さまだ。天の御奈梳古の日賣命。この武蔵川の、水神さまだ。」
「そ、その、武蔵川の水神さまが、僕になんの用なの?。」
僕はじっとその女の人、いや、水神さまの目を見つめた。
そしたら、声が聞こえた。聞こえたというよりも、僕の頭の中に、直接入ってくる感じだ。
「翔。そなたは今、たいへん重い悩みに、とりつかれておるの。」
「な、なんで、それがわかるの?。」
「わからいでか。そなたの身近におって、そなたのことを案じておるものなら、誰にでもわかることぞ。ほれ、あの娘、麻美といったかな?。あの娘だ
って、気がついておるではないかな。ましてわたしは、そなたの身内。わからぬはずはない。」
「い、いま、身内と言われましたね?。」
思わず、言葉が改まってしまった。
「なぜ、水神さまと僕が、身内なんですか。僕が神さまと、親戚のわけがない。」
「それは、わたしと翔とが、身内だからだ。」
カッパ大王が、横から答えた。
「えっ、カッパ大王と僕とも、身内なの?」
ますます、頭が混乱してしまった。
「翔は、カッパの一族なんだ。川が人間に汚されてから、カッパ族の一部は人間に姿をかえて、陸に上がったのだ。そして人間の中に入っていって、
人間とも混血したのだ。神とはあがめられなくなったわれらだが、人にまさる智恵を持つわれら。人間の中に入って、人間のおろかな行いをやめさ
せようとしたのだ。
しかし、それは、苦難の連続であった。追い詰められた仲間の中には、思いあまって、人間に手出しするものも出るしまつで、そのことが一層、人
間のカッパを見る目を、険悪なものにしてしまい、カッパはますます妖怪にされていった。人間の中にはいったカッパ族は、自分がカッパだという正
体を明かすどころか、少しでも人間より優れた力を持っていることすら、隠さねばならなくなった。超能力をもった人間は魔物と恐れられ、迫害された
のだ。だからカッパ族は、いっそう身を潜めた。カッパ族同士で結婚することもあきらめ、人間と結婚し、家族にも、自分の素性を隠しとおした。そうし
て、数千年がたった。いまでは、純粋のカッパ族はいない。お前のように、身体の血の中に、何百分の一のカッパの血が流れておるだけだ。それで
も、そういうものは限られておる。だからお前は、私の身内なのだ。」
カッパ大王に、僕の身体の中にカッパの血が流れていると、言われてびっくりした。
「そして、カッパ族は、わたしと同じ、もとをただせば水神の一族。つまり、わたしとそなたとは、身内ということなのよ。」
水神さまが、僕の目をじっと見た。
「翔。くどくど言っている、ひまはないようじゃ。あの娘が、じきにここにくる。」
「あの娘って?。」
「ほれ、あの娘じゃ。そなたが好いておる、あの娘。麻美とかいったの。かわいい娘じゃな。気が強くて、賢くて優しい娘じゃ。」
「えっ。ぼ、ぼく。麻美になんか、恋していません。」
「うそを言うではない。顔に書いてある。そなたは、あの娘に恋をしておる。あの娘も同じじゃ。おたがいもっと、素直になることじゃ。自分の気持ちに
な。もっとも自分の気持ちに、二人ともまだ気がついては、おらんようじゃがな・・・・・・・・・・・・。
もう時間がない。ほれ、そなたにも、あの娘がここへ入ってくる水音が、聞こえるじゃろうが。」
遠くのほうで、ジャバジャバという音が聞こえてきた。
「手短かに言おう。そなたは今、家族のことで悩んでいる。家族が壊れてしまうのではと、なやんでおる。だが、ものごとは、なるようにしかならないの
じゃ。そなたは素直に、そのことを受け止めるしかない。素直に受け止めてはじめて、事態の真の姿が、見えてくるのじゃ。そして、真の姿が見えて
きた時、自分の心の命ずるままに動くしかないのじゃ。その時、そなたにまわりの者の心を動かす力があれば、それなりに良い方へ、動くじゃろう。
自分を信じるしかないのじゃ。まずは、素直に事態を受け止め、目をこらして見、耳をすませて聞き、からだ全体の五感をすべて解き放って、流れに
身をまかせるのじゃ。よいな。翔。」
答えようとして口を開けた時、そこには、水神様の姿もカッパ大王の姿もなかった。
「ねえ、翔なにしてんの?。」
目の前に、麻美の顔があった。いつの間にか僕は、岩棚の上に横たわっていた。僕の顔の上に、麻美の顔があった。
「あっ、麻美か。今ここに、カッパ大王と水神さまがいたでしょ。」
「カッパ大王?。いないわよ。誰も。翔。また、夢見ているんじゃないの?。」
「そうじゃない。」
僕はからだを起こして、岩棚の上に座った。さっき見た青白い光りというのは、岩棚の上の天井にできた亀裂から、さしこむ日の光りだったようだ。
「今ここに、水神さまがいたんだ。女の神さまで、白い長い着物を着てた。天の御奈梳古の日賣命って名だ。その隣に、カッパ大王もいたんだ。水神
さまは僕に言ったんだ。」
「何をいったの?。」
麻美が大きな目で、じっと僕を見た。あの水神さまによく似た、大きな黒い瞳だ。
「麻美は、僕に恋してるんだって!。そして僕も、麻美に恋しているんだって!。」
大声でそれだけ言って、僕は、岩棚から飛び降りた。そのまま後ろも振り向かずに、水の中を走り抜けた。
「何いってんのよ。急に。どうかしたの。そりゃあ、翔のこと好きだけど。恋とはちがうわよ!。それにね、カッパ大王は外の川にいるの。川で泳ぐなっ
ていって、怒っているのよ。深くて流れが早いから、ここは危ないってね。翔がこの洞窟に入るのが見えたから、心配してきたんじゃないの!。」
好きって言葉が、ここちよく耳に響いた。僕も好きだぞって、叫びたくなったがやめた。外に出ると、日の光りが水面に反射して、キラキラと輝いて
いた。少し先の河原では、ゴジラと佳江がタオルで身体をふいている。その横で、直美とユウヤはノートを整理している。その後ろには、背の高い人
影。
カッパ大王だった。
「おーい。今いくよ。待っててね!。」
大声を出して、手を振った。みんなが立ち上がって、手を振った。カッパ大王も、こっちを見た。目と目があった瞬間、カッパ大王の目が、青白く光
ってすぐ消えた。
後ろから、麻美が追いついてきた。
「ここ深いんだから、気をつけて。胸まであるのよ。あんたは水着じゃないから、乾かすのが大変よ。じゃ、いくわよ。」
いきなり麻美に手をとられて、川の中をぐいぐい進んだ。麻美はすごい力だ。麻美に引っ張られながら、麻美の横顔をそっと見た。麻美の顔がちょ
っと、紅潮しているようだった。目も、キラキラ輝いていた。