8.自分のことがわからない


「翔。何考えているの。さっきからずっと黙っているけど。」

 麻美の声でわれにかえった。

 そうだ、今日は麻美と二人だったのだ。

「うん。体育祭のこと。楽しかったな。」

「そうね。楽しかった。二週間たつ今でも、あの時のみんなの歓声が聞こえるわ。」

「僕もそうさ。あの時は感激して、泣いてしまったものな。」

「そう。翔ったら、オイオイ泣いているんだもの。あの日からずいぶん泣き虫になったのね。翔って。」

「あの日って?」

「九月二日よ。カッパ大王に初めて会った日からよ。学活の時間に泣いたでしょ。翔ったらあの日から何かっていうと泣くんだから。どうしちゃったの

かしらね。」

「そういえばそうだな。でもカッパ大王にあったのはあの日が初めてじゃない・・。」

「初めてじゃないって・・。どこかで前に会ったことがあるの?。」

「えっ、いや。そんな気がしただけ・・・。ところで体育祭優勝できなくて残念だったな。」

「そうね。残念だった。でもいいのよ。おもいっきり楽しんだから・・・・・・・・。マスコットづくりも面白かったわね。図書室からカッパの本を借りて書いた

んだけどうまくいかなくて、結局、翔をモデルにして書いちゃった。」

「そうさ。ひでぇ話しだ。」

「でもね、毎日夕方遅くまで残って、みんなでマスコットつくったり、旗に絵を書いたりして、おまけに応援歌まで作ってしまって、あの応援歌おかしか

ったわね。」

「そうさ。みんなで面白おかしく、カッパダンスまでつけてしまってよ。」

「ええ。毎日授業がなくて体育祭の練習ばかりだから、その練習の合間に考えたのよ。カッパ。カッパ。行け行けカッパ。足に力を入れて跳びあが

れ。どんどん走って翔んでいけ!ってね。羽のないカッパが翔べるわけないんだけど、なんかみんなの気分にピッタリだったのよね・・・・・・・・・・・・・。

ところで、今日は体育祭の話しをするのに、わざわざ私を呼び出したの?。」

 そうだ。今日は、僕の方からわざわざ麻美を電話で呼び出したんだっけ。どうしても話したい事があるのでって言って。駅前の電話ボックスの前で

待ち合わせたんだけど、なんだか落ち着かなくて、あっちこち歩いているうちに、武蔵川に来てしまったんだ。

 何をどう話していいのかわからず、川辺の石に腰掛けて川を見てたんだっけ。

「そういうわけじゃないけど・・・・。」

「なによ。はっきりしなさいよ。どうしても二人で話したいことがあるっていうから、てっきりプロポーズかとおもったのに。」

「・・・・・・・・・・・。」

「何、赤くなってるの。しっかりしなさいよ。翔ったら、もう。」

 プロポーズなんて言われて、心臓が張り裂けるほどドキドキしてしまい、何から切り出してよいのか、ますますわからなくなってしまった。もしかした

ら僕は、麻美のことが好きなのかもしれないな。

「いや、本当は麻美に、ちゃんとお礼が言いたかったんだ。あの時は泣きながらだったからさ。」

「お礼って、何の。」

「ほらあの時。学活で僕が泣いた時、麻美、言ってくれたよね。翔が人からお金をまきあげたりするはずがないって。」

「ええ、言ったわ。本当にそう思ったんだもの。翔ってみんなの前では突っ張ってて、ワルぶっているけど、本当はとても優しくて気の小さな男の子だ

って。でも、あの恐喝事件があってからは、みんなにいじめられて先生にまでいじめられて、いつも学校では小さくなっていたわね。」

「うん。地獄みたいな毎日だったな。父さんや母さんまでもが毎日僕を責め立てて、父さんったら、この百万円はおまえが大人になったら返してもらう

からなって言うんだ。もともと僕はドジで失敗ばかりやってたから、両親にほめられたことなんかないんだけど、毎日毎日恐喝のこといわれたら、こっ

ちだって気が滅入ってきたさ。」

「でも、どうして、ゴジラに脅されてやったって言わなかったの?」

「前にも言ったけど、自分でも楽しんでやったわけだから、人のせいにするのは気がひけたんだ。」

「そこが信じられないのよ。翔が楽しんでやったってとこが。」

「僕だって信じられないさ。僕の中に、あんなに残酷な一面があるなんてさ。でも本当にユウヤをいじめている時は、心の底から快感って感じだった

んだぜ。でも、やった後では悩むんだよな。やっちゃいけないって思うのに、気がついたら楽しんでいる自分に出会う。自分自身が分からなくなるん

だ。僕なんか、どうなってもいいと思ったさ。でも、そんな時でも、麻美は僕のことを信じていてくれたんだ。ありがとう。とっても嬉しいよ。君だけさ。僕

のことを信じてくれたのは。」

「そこまで言われると、てれちゃうわね。あたしとしては、三つか四つの時から翔のこと知ってるわけだし、翔との思い出っていうと、いつもあたしが泣

いてて、翔になぐさめられたことばかりだしさ。信じるっていうより、そうとしか思えなかったのよ。まさか立場が反対になるとはねぇ。」

「うん。ありがとう。そこまで信じてもらえると嬉しいよ。今日は、これを言いたかったんだ。」

「そうなの。あたしも、うれしい。そんなに喜んでもらえるなんて。でもさ、どうして、いつもは優しい翔が、ユウヤをいじめて快感を感じるのかしら。へ

んね。翔はどう思うの。」

「うん。僕もあれから考えてみたんだ。でもよく説明がつかないんだ。自分だって、やっちゃいけないって思っているし、やったあと後悔してるんだ。」

「いじめようとしてやってるわけじゃなくて、気がついたらいじめてるというわけ?。」

「そう。そのとおりさ。なんか、やり出した時はわけがわからなくなっててさ。気がついたら、ユウヤをいじめて快感してる自分に出会うというわけ。」

「ふーん。わけがわからない・・ね。」

「うん。自分でも、わけがわからないうちにやっているんだ。」

「でも、なんでユウヤなんだろうね。」

「うーん。それは・・・・・。ユウヤってさ、ドジでまぬけでノロマでさ、そのうえ、うまくできないと言い訳するんだけど、それが言い訳にもなってないんだ

よな。そんなユウヤを見ているうちにカッと来て、あとは、何がなんだか分からなくなる。」

「ユウヤを見ていて、カッと頭に来るんだ」

「そう。頭に来て、わけがわかんなくなって、いじめてるってわけ。」

「ふーん。そんな話し、どっかで聞いたことがあるな。」

「どっかでって。どこでさ。」

「うん、わかったわ。コアラに教えてもらった本を読んでいた時のことよ。」

「コアラって誰のこと?」

「あれっ。翔は知らないの。図書室の先生のこと。」

「おれ、本読まないからな。それにあの先生、三年生の担当だから、一度も教わったことないじゃないか。」

「そっかぁ。コアラってのはあだなでさ、本名は大林っていうんだ。私も、つい最近までは知らなかったのよ。」

「毎日図書室に行くくせに、知らないのか。」

「知らないってのは、どんな人だかよく知らないってこと。顔ぐらい知っていたし、コアラってあだなだって知っていたわ。あたし教師なんてみんな大嫌

いだったから、声もかけたことなかったのよ。カッパ大王に会うまでは。」

「ふーん。それどういうこと?。」

「カッパ大王に会ってね、人間見かけとは違うなって思ったのよ。」

「見かけとは違うって?」

「翔はにぶいわね。カッパ大王ってさ、教師らしくないでしょ。顔もかっこうもやることも、言うことも。」

「そりゃそうだ。変なやつさ。」

「でも、よく考えたら、カッパ大王ほど、教師らしい教師もいないんじゃない?。」

「何言ってるのさ。麻美。教師なんか口うるさいだけでさ、生徒を物かなにかと思っててさ、なんでも自分の自由になると思ってるのさ。生徒なんか自

分の命令どうりに動くもので、なんでもするもんだと思っているんだ。カッパ大王のどこが教師なんだよ。ぜんぜん逆じゃないか。」

「そうよ。ぜんぜん逆。私たちがイメージしていた教師とはね。でもそのイメージってさ、担任のクマジイとか去年の担任のカマキリとかさ、それから小

学校の時の、あのいやったらしいヒメとかさ。そういう、私たちが今までに出会った教師のイメージなんじゃないの。そういうのが教師だと思ってたん

だ。」

「ちがうか。そんなのばっかりだよ。ヒメなんて最悪だったよな。」

「ええ。最悪よ。二度と顔も見たくないし、名前だって聞きたくないわ。」

「だったら、カッパ大王のこと、教師らしいなんていうなよ。麻美。」

「翔。話しは最後まで聞きなさい。私考えたのよ。本当の教師ってのはさ、生徒にあれこれ命令したりどなったりおこったりして、生徒を自分の好み

の人間に加工するんじゃなくってさ、生徒の中に隠れているものを、本人が知らず知らずのうちに引き出してくれて、自分の力で問題を切り開いてい

ける人間に育てるものなんじゃないかってこと。」

「本人が知らないものを引き出すのか?。」

「そうよ。ユウヤがゴジラを追及したのも、どこかで翔をいじめるのをやめたいと思っていたからじゃないかしら。その気持ちを引き出したのよ。カッパ

大王は。」

「でもあれは、おチャメが始めたんだせ。」

「そう、追及はね。でも、ゴジラが自分で話し始めたのよ。かつあげの件は。カッパ大王と話しているうちに、なんだか知らないけど、口の方で勝手に

話しはじめていたって、ゴジラは言ってたわよ。」

「ゴジラがそう言ったのか?。」

「ええ。カッパ大王ってさ、ふだんは何んにも言わないで、私たちをじっと見ているっていうか、私たちの話していることにじっと耳を傾け、やっているこ

とをじっと観察しているっていうか、ごちゃごちゃ言わないでいるわよね。」

「うん。そういえばそうだ。」

「そうやって黙っていて、私たちの心の中にあるものをみとうしているんじゃないの?。で、私たちがなんか行動始めた時に、カッパ大王が一言二言

いうと、私たち、知らず知らずのうちに、いつもと違うことはじめちゃうのよね。体育祭のマスコット決める時もそうだったじゃない?。」

「うん。そうだ。そのとおりだ。」

「ねっ。そうでしょ。カッパ大王が来てからの私たちって、みんな前と違ってきたでしょ。魔法だなんていってたけど、違うわよ。私たちの中に眠ってい

た何かが、カッパ大王によって引き出されたのよ。私達の心の中にある何かを引き出すことができれば、私たちには自分でもわからない力が湧い

てくるのよ。カッパ大王はそれができるの。それが教師ってものなのよ。」

「なるほど。教師ね。よくわかんないけど、そうかもしれないな・・・・・。ところで、コアラの話しにもどるけど、コアラに教えてもらった本って言ったよな。

さっきは。」

「あら、ごめんなさい。あたし話しに夢中になると、本題とは関係ない所までいっちゃうのよね。」

「それが麻美らしいとこさ。とっても情熱的でさ。そんな時の麻美って、目がキラキラしててとってもきれいだよ。」

「あら。それって、私を好きってこと?。」

「また、話しを混ぜっかえす・・・・。コアラに教わった本に、何が書いてあったのか教えろよ。」

「あっ、その話しね。その前にコアラのこと話すわ。あたしね、カッパ大王に会ってから、ふだんは静かに話しもしないでいる教師の中に、本当の教師

っていうのか、本当に私たちの気持ちがわかってくれる人っていうのが、いるんじゃないかと思ったの。」

「うん。それで。」

「コアラって、そんな人なのよ。それでね、体育祭の何日かあとで図書室に行った時、コアラに聞いてみたの。」

「へえっ。何を聞いたの?。」

「私にピッタリの本ありませんかって。」

「そんなの、いきなりわかるわけがないじゃないか。ばかだな麻美は。」

「そう。コアラにも言われたわ。いきなりそう言われても、きみがどんな人なのかわからないうちは、答えられないよって。」

「それみろ。それでどうしたんだよ。」

「それでね。あたし質問変えたの。どんな人かわかるまでは、本を勧められないのですかって。」

「そしたら?・・・」

「そうでもないよって。きみがどんな本を読みたいか言ってくれれば、少しはピッタリの本を教えてあげられるかもしれないっていうの。それであたしは

言ったの、人間が急に変わっちゃうってことあるんでしょうか。ある人と出会ったら、自分でもわからないうちに人間がかわってしまうってことはって。」

「そしたらコアラ。なんて答えたの?。」

「それはね、その人の心の中にあるもので、その人の知らない何かが、引き出されたってことさって言うのよ。」

「麻美がさっき言ってたことだ。」

「ええ、そうよ。それでね、どうしてそういうことが起きるんですか。それが知りたいって言ってみたの。」

「また難しい質問だな。で、コアラの答えは何んだったんだ?。」

「君は、はてしない物語って読んだかい。あの物語の主人公の、バスチアン・バルタザール・ブックスが、どうやってファンタージェン国に行って帰って

きたか、言ってごらんっていうのよ。」

「なんだよ、その、はてしない物語ってのはさ。」

「あれ、翔は読んでないんだ。ミヒャエル・エンデっていうドイツの作家でさ、教科書にも載ってた、モモっていう本の作者でね、その人の作品。」

「教科書に載ってるやつなんかたいしたもんじゃないと思ってるから、読んでみるわけないさ。でも、名前だけは知ってるけどな。エンデって。」

「映画にもなったのよ。ネバーエンディングストーリーって。見たでしょ。」

「あっ、あれか。ネバーエンディングストーリー。は・て・し・ない・ものがたり。」

「そのはてしない物語で、主人公がファンタージェンという不思議の国に行ったのは、その国の女王、望みを統べたもう幼心の君を助けにいこうと思

ったら本の中に引き込まれて、そこですっごくかっこいい王子様になって冒険するのよ。」

「ふーん。それが人間が変身するってことなのか?。」

「話しは最後まで聞きなさい。バスチアンはそこでファンタージェン国の王様にまでなろうとするんだけど、それに失敗して友にも裏切られて、とっても

悲しい思いをしたあと、自分が本当になりたかったのは、かっこいい王子さまでも強い王様でもなかったことに気がついたのよ。」

「じゃ、なんだったのさ。」

「それはね。弱虫で泣き虫の自分を、あるがままの自分を愛してほしいってこと。そして、そんな自分を愛してくれる人を自分も愛しているってこと。そ

れに気がついたのよ。そして、それが父さんだったの。そうしたら忘れていた父さんのことを思い出して、ファンタージェン国から出られたの。そして

一晩家出してたわけだけど、父さんの所に戻ったのよ。今までの弱虫のバスチアンじゃなくて、自分のやった悪いことの責任を自分でとれる強い子

に変身してね。」

「ふーん。どうやって変身したんだ。」

「あるがままの自分でいいんだってこと。それを愛してくれる人がいるっていうこと。それがわかったら、自分に自信ができてきたっていうことね。ファ

ンタージェン国での冒険や悲しい事の数々は、バスチアンに本当の自分を見つけさせる旅だったということよ。もちろん夢の中だけどね。」

「夢か。夢・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「なによ。急に黙りこんでしまって。何かあったの?」

 僕は、はじめてカッパ大王に会った洞窟でのことを思い出した。三つの時の自分に出会った、あの時のことだ。あれは夢のようだった。もしかした

ら、あれは夢の中で、僕の心の中に眠っていた自分に出会ったということなんだろうか。その夢を見させたのがカッパ大王ということで・・・・。

 麻美に夏休みの最後の一週間に見た夢のこと、そして、夢に見た神社に行って洞窟の中で見た三つの時の僕のこと、そしてカッパ大王がその時

言ったことを。

『泣け。もっと泣け。くやしいだろう。もっと泣け。翔。それでいいんだ。』

 カッパ大王の声が響いていた。

 

「翔。ますます、私が読んだ本に載ってた話しに似てきたわ。あなたは、三つの時に母さんと兄さんにされた仕打ちでできた心の傷を、ずっと自分の

心の中に隠してきたのよ。泣くことすらできなくなったのよ。泣いたらもっと悪いことになるので。あなたは、それから絶対に泣かなくなったのよ。でも

その洞窟で、三つの時の出来事にもう一回であって体験しておもいっきり泣いた。その事で、あなたの心の中に残っていた傷が癒されたのよ。それ

でだわ。あなたが急に泣き虫になったのは。翔は、何があっても、自分の感情をあらわにすることはなかったもの。わたしの知っているかぎりでは。」

「どうして隠してきたんだよ。そんなにひどい傷を心に負うくらいなら。」

「それはね。コアラに勧められて私が読んだ本の著者によるとね。アリス・ミラーっていうの。その人の説明だとね、親っていうのはね、特に母親は、

小さな子にとってはなくては生きていけないものなの。その人の愛情なしでは。だから母の愛情を失うことを恐れて、自分がされた仕打ちを忘れるこ

とにしたのよ。無意識のうちにね。」

「僕の母さんは、そんなにひどい人じゃないよ。そりゃあ、口うるさいし、すぐに兄さんとぼくを較べたりするけどさ。それだって僕を愛してくれているか

らさ。」

「そうそう。親の仕打ちによって心に傷を負った人は、かならずそう言うって、ミラーは言っていたわ。そうやって弁護しなければ、自分の中にあるも

のすごい怒りを、自分で抑えられなくなっちゃうのよ。でもそうやって抑えてばかりはいられないのね。だから、だれかにそれをぶつけるの。あなたの

場合はユウヤね。あなたの心の奥底にある怒りを、ぶつけた相手は。」

「おい麻美。なんでユウヤなんだ。」

「それはね、さっきあなたが言っていたことでわかるわ。ユウヤを見ていると、イライラしてカッと頭にくるって言ったわね。」

「そういったな。」

「それはね、ユウヤを見ていると、まるで自分を見ているかのようだからよ。弱虫で泣虫な本当の自分を。自分の心の中の傷がうずくのね。それで

ね昔、あなたのお母さんがあなたにやったのと同じことを、ユウヤにやってしまうのよ。」

「傷がうずくんなら、ユウヤをいじめるのではなく、母さんにぶつけるんじゃないのかな。」

「それは違うわ。あなたは、心の底でお母さんの愛を失うことを恐れている。だからお母さんに、何を言われても反発すらできない。それでますます心

の傷は広がるのよ。それで、お母さんと同じように弱虫のユウヤをいじめることで、自分が、お母さんになったような気持ちになるのね。自分が強くな

ったように思うのね。でも、それは違うの。心の傷は大きくなるばかりなのよ。」

「大きくなるばかり?。傷が。じゃ、だんだん意識できるじゃないか。傷を。」

「そうじゃないの。逆よ。母の愛を失うおそれが、その傷をますます心の奥底に隠してしまうのね。その傷にもう一度向き合って、その傷の痛みを痛

みとして感じないかぎり、あなたは解放されないのね。」

「解放されないって?。」

「三つの時の心の傷からよ。永久に傷の痛みを和らげるために、人の心を傷つけて喜びを感じるしかなかったのよ。翔は。もし洞窟で、三つのとき

のあなたに出会わなかったら。」

 麻美の言葉は、ぐさっと僕の心につきささった。永久に人の心を傷つけて、喜びを感じるしかない、だって。

 はっとした。そうだ。ユウヤをいじめていた時の心の底からの喜びって。これなんだ。

「麻美。すごいな。なんだか、人の心の中を読んでいるみたいだよ。きっとそうだ。麻美の言うとうりだよ。」

「あたしは、翔の心の中を読んだわけじゃないのよ。あたしは、アリス・ミラーの『才能ある子のドラマ』っていう本と、『魂の殺人』っていう本で、ミラー

が分析してみせたことがあんまり翔の話しと似ていたから、ミラーが言ったことをそのまま言ってみただけよ。」

「なあんだ。でも、すごいな麻美は。」

「何がすごいの?。」

「一回読んだだけで、よくペラペラと自分の考えみたいに言えるな。」

「すごいのはミラーよ。私もね、この人の本に書いてあること読んでいて、これって自分のことかと思ったの。だから心から感心したのね。きっと。そ

れで覚えてしまったのよね。」

「麻美の心の中にも、隠された傷があったというのかい?。」

「そっ。でもその話しはまたあとで。それより私、その洞窟に行ってみたいわ。」

「なんでだよ。」

「そこだと、本当のカッパ大王に会えるんじゃないかな。私も会ってみたいし、聞いてみたいこともあるしね。」

「そうだな、僕も、もう一度会ってみたいな。聞きたいこともあるし。」


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