4. 六月六日


六月六日金曜日

 テレビや新聞は昨夜から大騒ぎだ。少年を殺した犯人から、神戸新聞社に「挑戦状」が送られてきたからだ。
 何日か前に送られてきたらしいが、そこには犯人の名前が署名されていた。

 「酒鬼薔薇 聖斗」。イニシャルはS・S。

 ビックリした。私と同じなんだもの。
 テレビはもう昨夜から今日も一日、このニュースばかり。いろんな人がテレビに出てきて、あれこれと犯人像について解説している。でも、どの解説も話しがずれている。やっぱり大人は子供の心がわかってはいない。
 どの解説者も犯人が中学生だとは思ってもいないみたい。「義務教育への怨みを述べたり、首を中学校の正門の前に置いたりしたのは、警察を欺き、捜査を混乱させるため」なんて言っているのには笑っちゃった。
 じゃ、首を中学校の前に置いたのはなんのため?。自分が人殺しをやったことを見せびらかしたかったから?。それならどこだっていいわけよ。人目につく所なら。
 子供がこんなことをしでかすはずがないって思っているから、捜査を混乱させるためなんて考えるのよ。子供が学校を怨んでいるとは思っていないから、挑戦状に書いてあることはつくりごとなんて言えるのよ。
 もっとちゃんと読んでごらんよ。酒鬼薔薇聖斗の挑戦状を。

 「犯人は僕だ。僕はここにいるよ!。僕をもっとよく見てごらん!」

っていうこの子の叫び声が聞こえないの?。
 だいたい大人は、子供が悪さをした時に「なんでこんなことをしたの?」ってすぐに尋ねる。わかっちゃいないね。子供の心が。
 子供が悪いことをするのは、自分を注目してほしいからよ。注目じゃ不正確かな?。もっと関心を持ってほしいとか、声をかけてほしいとか、かまってほしいとか。そういうことじゃないの?。中学生で髪の毛を金髪にしてくる子なんか、その典型。こんな頭で学校に来ればおこられることなんか百も承知のはずでしょ。その前に、親だって当然ビックリするし、先生に怒られることぐらいわかるから、学校に行く前に髪を染めさせるとかなんとか普通はするじゃない。
 そうやって親や先生に怒られたいのよ。怒られたいっていうより、「私はここにいるの。もっと目を向けて。」っていうことね。
 それでも親や先生が真剣に関わってくれず、やってしまった悪いことだけ怒って、なんでそんなことをしたのかまで考えてもくれず、事件のほとぼりがさめると、みんなまた忘れてしまう。そうすると、もっと周りが注目することをやって気をひこうとするのね。
 この挑戦状には、この子の生の言葉がそのまま綴られていると思うの。例えば、酒鬼薔薇聖斗という名前についての所。

「表の紙に書いた文字は、暗号でも謎かけでも当て字でもない。嘘偽りないボクの本名である。ボクが存在したその瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし、悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう。」

 「今までに自分の名で人から呼ばれたこともない」なんて、自分が自分として認められたことがないってことだよね。
 私はよく人から褒められる。でもそれは、私がその人たちから見て良いと思われることをしたから褒められたのであって、私が褒められたのではない。やったことが褒められただけなんだ。
 テストで100点をとると親はおおよろこびをする。ものすごく褒めてくれる。でもいつも100点をとる私が、85点などとってきたら、親の態度は一変する。いつもより難しくて平均点が40点台で、85点というのは実は学年でも四・五番に入るんだなどと一生懸命説明しても、まだ不満気だ。おまえの勉強のしかたが不充分だからだなんていわれるのがおちである。
 ましてそれが一回や二回ではなくなんども続いたりすると「おまえは馬鹿ね」となる。そして兄弟姉妹にもっと出来る子でもいたりすると、親の関心はそっちに移ってしまい、勉強のできない子は忘れさられる。
 姉の場合がそうだった。
 ちょっとでも自分の気に入らないことを子供がすると、大人にとってその子は悪い子になってしまうんだ。
 挑戦状でこの子がいいたいことは、自分は自分なんだ。自分のやりたいことをやらせてほしい。自分をこのままの自分を認めてほしいってことなんだ。
 そしてもう一ヶ所。

「透明な存在であるボク」という言葉。

 透明ってことは、そこにいるのかいないのか他人には分からないってことだよね。それは他人にとってはいてもいなくてもよい存在だってことと同じだ。これはいわゆる「無視」ってこととは違う。「存在を認められていない」ってこと。さっきの、自分を自分として認められていないってことだと思う。

 「ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中だけでも実在の人間として認めて頂きたいのである」

なんて、読んだだけでもう、ほんとに涙が出てきちゃう。
 こんなひどいことをしなければ、この子のまわりの大人たちは、この子の心の中を考えてもくれないばかりか、目さえ向けてくれないということだよね。いや、こんなことをしてもなお、注目すらしてくれない。自分の子供が、自分の生徒がやったんじゃないかってすら考えてくれてないから、こんな文章を書いて送ったんじゃないの?。
 さっき子供が悪さをするのは、注目されたいからって書いたけど、それって違う。子供が褒められるようなことをするのも、注目されたいからなんだ。悪いことして注目をひくってことは、褒めてくれないから、褒められるようなことができないからなんだよね。
 私みたいに毎日遅刻せずに学校に行き、授業も真面目に受けて部活もやって、人の何倍も勉強していい点をとってっていう子は、親も先生も全く心配しない。心配しないというより、それで当たり前と思っている。
 私の場合は褒められたいからというより、怒られたくないからやっている。姉みたいに親に反発してばかりでは疲れてしまう。そりゃぁ怒られるより褒められるほうがいい。でも自分のやりたいことをやって褒められるのではなく、あまり気が進まないことをやって褒められても嬉しさは半分。褒められるどころか、そんなの当たり前って顔されるよりはいいのだけれど。
 でも疲れるのよね。自分がしたくないことを毎日やっているのは。それに、さも一生懸命楽しんでやっているふうに演技するのも疲れる。だって、親や先生の気にいることをし続けていなければ、私なんかいてもいなくてもいいってことになってしまうのだから。いや、すでに私はいてもいなくてもよい子なんだ。私が優等生をやっているから価値があるのであって、そうでなければ・・・。
 私も透明な存在であるわけだ。

 私の名は榊原志穂。イニシャルはS・S。

 これは仮りの名前なのかもしれない。


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