5. 六月七日


六月七日土曜日。

 そう。私もきっと透明な存在なんだ。すでに私はいてもいなくてもよい子なんだ。
 私が優等生をやっていた時、親や先生は、いつも私を褒めてくれた。母などは「志穂はいい子ね。おねえちゃんとは違って。ちゃんと勉強していい点とって。それに学級委員までやっている。」と、何かあるたびに口癖のように言ったものだ。
 母のこの態度は、私が何日も学校をさぼったことがわかると一変した。
 私をなぐったりけったりしながら、泣きわめいていた母。えんえん四時間も説教をしていた母。しかも娘がずぶぬれで震えていることにも気がつかないで。話しの内容は、学校に行かないとあなたが困るということ。成績が下がる。高校に行けないなど・・・。
 でもそれは私を心配してではなく、自分の期待に応えてくれない娘への怒りといらだちをそのまま私にぶつけていただけ。
 私が学校をさぼっていた事がわかってからもう一週間以上たったわけだ。母は毎日のように泣いたりわめいたり、くどくどと繰り言を言ったり。あげくのはてには「あんたってこんなに駄目な子だとは思わなかった。」というのが、母の繰り言の最後にくる。
 母にとって、私が自慢の娘であったのは、私が優等生だったからだ。勉強もスポーツもピアノも、なんでも一番の娘だったからだ。自分の期待どおりに進んでいる娘だから誇らしかったのだ。
 今の私は、母にとって、もうすでに単なる重荷にしかすぎない。自分の期待を裏切った悪い子。なぜだか知らないが、急に学校にいかずに、何を聞いても黙っている、わけのわからない子。
 そう。母にとって、急に優等生をやめてしまった私は、わけのわからない妖怪みたいな恐ろしげな存在ですらあるのかもしれない。
 母は私がなぜ学校に行かなくなったのか、その理由を考えようとはしない。あいかわらずなぜ行かないの、としか聞いてこない。母にとっては学校とは行くのが当たり前の所なのだ。
 なぜ行かないのかと聞かれて、私が答えられることはわずかなことだ。
 私はあの事件以来、なぜ学校に行かなければならないのかわからなくなってしまった。学校に行く意味を見出せなくなってしまったのだった。
 あの酒鬼薔薇聖斗という少年は、はっきりと学校に対して怨みを持っている。何があったのかはわからない。しかし彼が、「透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐」という言葉を使った時には、自分自身の価値を認めてはくれず、様々な強制を課して、それに素直にのっている子を良い子、乗れない子やおちこぼれてしまった子を悪い子として排除してくる学校への、根源的な不信が吹き出してきている。
 この思いは、私にもわかるような気がする。学校の先生や親にとって、学校の様々な活動に積極的に乗ってこない子は、価値のない存在なんだ。それは勉強だけをさしているのではない。学校のきまりや様々な行事も含まれているんだ。

 今日、由美子から電話があった。月曜からちゃんと学校へ来てほしいという電話だ。なぜかというと、合唱コンクールまで、あと二週間しかないからだ。
 私は今年もソプラノのパートリーダー。今年は五月の連休の前に自由曲を決めてパート分けも行い、五月の連休あけから毎日毎朝練習してきた。朝の学活や帰りの学活だけではなく、昼休みも。そして週に二回の音楽の授業も、合唱コンクールの練習にあてられていた。
 でも、今年も、私のクラスは合唱コンクールに乗っていなかった。特に男子はちっとも声を出さない。ちょっと目を話すと、床に座りこんでおしゃべり。女子のパートリーダーや学級委員がおこると、しぶしぶ練習を始めるが、またすぐにおしゃべり。あげくのはては、こんな歌唄いたくないと言い出す。そのうちに女子も・・・。
 私がはじめて学校をさぼったあの日。五月二十七日の前の日もそうだった。中間テストの二日と土日の休みをはさんで、久し振りに帰りの会で練習をしたんだ。でも、先生たちの会議で一斉下校だというので、掃除をさっとやって学活を含めて二十五分間練習しようと、パートリーダーと学級委員で決めて、みんなに話しておいたんだ。
 ところが掃除がなかなか終わらない。あちこちでおしゃべりをしている人がいて、ちっとも進まない。何人かでどなりちらしてやっとのおもいで掃除を終え、みんなを教室に集めてもおしゃべりが多くて練習がはじまらない。パートリーダーと学級委員、そして指揮者が声をからしてどなっても、いっこうに練習が始まる気配はなかったんだ。
 ついに堪忍袋の緒が切れた担任がどなりだしてしまった。「おめぇらは、やる気があんのか。自分らじゃできねぇのか。馬鹿どもめが。」と。
 この一声でやっとみんなは静まり、ともかくも課題曲と自由曲を一回歌って、この日の練習は終えた。
 しかしこのあとが大変だった。下校するんで荷物をもって昇降口にむかうクラスの人達は、口々に「やりたくてやってるわけじゃねぇ。なんで合唱なんかやらなけゃいけねぇんだ。」とさけんで、あげくには「だいたい学級委員やパートリーダーは先生に褒められようといいかっこうのしすぎだ。」という声があがり、みんなの冷たい視線が私に注がれるしまつだったのだ。
 その時私の脳裏には、昨年の合唱コンクールでの悪夢のような場面が浮かんでいた。
 昨年のこの時。私は学級委員でパートリーダーで指揮者だった。今年と同じような事があって、クラスの練習はストップした。何度も学級会を開いて話し合ったり、班長会やパートリーダー会も開いて話し合った。でもクラスの多数派は歌いたくないというのだ。楽しくない。学校で歌う歌は面白くないというのだ。そしてなんで朝も昼も帰りも歌わなければいけないんだと言う。音を正確にとり、美しいハーモニーを出せるようになるにはたくさんの練習が必要なんだと口を酸っぱくして言っても、わかってくれない。私はもうどうしたら良いかわからなくなった。クラスの人たちの冷たい視線は私に集中し、パートリーダーたちの困ったような視線も私に集まる。どうしようもなくなった私は担任に相談した。
 でもその時、思いがけない言葉が担任の口から飛び出したんだ。「クラスをまとめられないのか。駄目だな。君も。しっかりしろ。学級委員だろ。」と。
 目の前が真っ暗になった。「駄目だな」という言葉が、耳の中にガンガンと響いた。
 先生は次の日から、自分が先頭にたって合唱の練習を行った。今までは黙って見ていただけなのに。おしゃべりしていた男子は担任にどなりつけられ、中にはぶたれて、しぶしぶ練習に参加しているものもいる。やっと練習は再開された。でも、みんなの気持ちはイヤイヤだった。シブシブやっているだけだ。先生に強制されてやっているだけ。
 学級委員でパートリーダーで指揮者の私はもういてもいなくてもよい存在。私まで先生に命令されて指揮をしている。
 とにかく練習は続き、クラスの合唱は少しずつ形をなし、うまくはなっていった。でも私の心は晴れなかった。この前までの私の苦労はいったいなんなのだろう。先生の強制でみんなは動くのなら、どうして最初からそうしなかったのだろう。私はなんのために指揮台に立ってどなっていたんだ。なんのために学級会や班長会でみんなに話しをしていたんだ。私は先生のかわりか?。先生のあやつり人形か?。
 この思いは合唱コンクールが終わってからも消えはしなかった。
 結局クラスは優勝できなかった。入賞すらできなかった。先生に怒鳴られていた男子の中からは、「なんのために毎日怒鳴られて歌いたくもない歌を歌っていたんだ。」「馬鹿とかグズとか言われてよ。」という声も聞こえた。
 先生は軽い気持ちで言ったのかもしれない。合唱コンクールにみんなの気持ちを向けようとして言ったのだと思う。私にたいしての「駄目だな」という言葉と同じように。
 でもその言葉は確実に生徒の心を傷つけている。そして駄目な生徒と言われたくないからみんなはイヤイヤでも歌ったんだ。価値のない子と見放されたくないから歌ったんだ。先生に褒めてほしいから・・・。

 五月二十七日。初めて私が学校をさぼったのは、この悪夢がまた繰り返されるのではとの恐れがあったからかもしれない。
 由美子の電話には、気が向いたらとだけ答えておいた。あと二週間で合唱コンクール。また今年もみんな、駄目な生徒と言われたくないから、毎朝七時から学校に来て、合唱をしているのだろうか。駄目な子。価値のない子。透明な存在になりたくないから、歌っているのだろうか。


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