8. 六月二十日


六月二十日金曜日

 今日は久し振りに家を出た。毎日毎日、母の繰り言を聞いているのも疲れたのも、その理由の一つだ。
 でも、学校のチャイムの聞こえる家にいたくなかったというのが、本当のところだろうか。どうしても家にいると、学校のことばかり考えてしまう。もうこの頃では、いやな事しか思い出せない。
 気分を変えてみたくて家をでた。行き先は渋谷の松涛美術館。渋谷の繁華街を抜けた静かな住宅地の中にある、小さな美術館。以前に、日本の水彩画の歴史を振り返った展覧会がここであって、来たことがあった。とっても落ち着いた静かな美術館で、人も少なく、ゆっくり絵を、心行くまで見ることができた所だ。

 何の展示があるのかも調べずに、ふらっと行ってみた。
 ちょうど特別展をやっていた。「久保 守展」。入場料は300円。中学生にはちょうどいい値段。
 入口かの近くのロビーで、リーフレットの解説をざっと読んでから、階段を降りて、地下の第一展示室にいった。油絵だった。そこの作品は、作者の若い頃のものばかりだ。とても写実的な細い緻密な線で描かれた美しい絵。
 二階の展示室にいくに従い、段々と年がいってからの作品となり、最後は生涯を閉じた1992年の作品。87歳の時のだ。

 びっくりしたのは、この人の絵が、生涯にわたって次々と変化していること。写実的な画風からしだいに立体的で太い力強い線で描いた絵に変化し、最晩年には、実在のものというより、自分の心の中の風景を描いたとても奇妙な絵へと変化している。
 80歳を過ぎても次々と新しい絵を書き続けていることが、とても不思議だった。

 どうしてそんなエネルギーが湧いてくるのだろう?。

 美術館の3階の喫茶室で紅茶を飲んだ。ふわっとしてとても美味しいシフォンケーキもつけて。
 ここの喫茶室は展示室も兼ねているのが特徴。ここにも、久保 守さんの絵が掛けてあった。紅茶をのみながら絵を眺めているうちに、ふっと心に浮かんだことがあった。
 この人は絵がきっと好きなんだ・・・。
 当たり前のことかもしれない。好きじゃなければこんなに長くやっていられるわけもない。
 でも、私の言いたいことは、好きだからこそ、とことん自分の絵を追求できたんではないかってこと。もっともっと自分の心にぴったり来る絵を描こうとしているうちに、87歳になるまで、どんどん違う新しい絵を描いてしまったのではないかってこと。
 ケーキを途中まで食べて、私は久保さんの絵に見入ってしまった。その絵の奥に、ひたむきにひたむきにカンバスにむかって絵筆をふるっている久保さんの後ろ姿が、でも背中がとても楽しげな姿が、くっきりと浮かんでいた。

 私にとって心から楽しいことってなんなのだろうか。私のもっとも好きなことってなんなのだろうか。私自身の存在理由ともなる、心の底から好きなことってなんなのだろうか。この言葉を心の中で呟きながら、私は美術館をあとにした。
 足は自然と、そばの公園に向かっていた。渋谷区立松涛公園。昔、金沢の大名だった前田家の下屋敷のあった所。その後明治維新の後には、お茶畑となり、戦後は住宅地となって、昔の大名屋敷の面影としては、この公園となっている泉の湧く林だけが残っている。
 池のそばのベンチに腰かけて、じっと池の水面の波紋を見ていた。
 好きなこと。存在理由ともなる好きなこと・・・と考えているうちに、一つの文章が心に浮かんだ。

 「しかし、今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性(サガ)としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは、日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。」

 酒鬼薔薇聖斗の挑戦状の中の一文。
 本当に彼にとって、殺人が好きなことだったのだろうか。彼は同じ挑戦状の中にこうも書いている。

 「君の趣味でもあり存在理由でもあり、また目的でもある殺人」と。

 これは友人の言葉として書かれてはいるが、彼の本心を語った言葉と受け取れる。殺人が存在理由でもあり、存在する目的でもあるなんて・・・。
 久保 守という人にとっての存在理由であった絵。生涯にわたって追求した絵。これとのあまりの落差に、私の心は暗然とした。


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