昨日床屋へ赴き鬼太郎ヘアーを脱するも、本日に入り剃られた部位がヒリヒリする。
凾S点
RGBセレクタの調子が悪いので、直結することにする。画質向上。
○7点
『スペースチャンネル5』のサントラを買おうと思い、川崎ヨドバシへ。
ポイントが貯まっているので、現金なしで買える。……売ってなし。
くやしさに売り場を見わたすと"METAL BLACK -The First-"があったので購入。バックインレイの日付を見ると、2年半前に発売されたことになっている。今まで俺は何をしていたのか。
シューティングゲーム『メタルブラック』のアレンジアルバム。しかし『メタルブラック』にはシューティングゲームという言葉は似合わない。悪い言い方をすれば、シューティングゲームのカタルシスを犠牲にして映像表現をしているからだ。このため、いわゆる「シューター」の評判はよろしくない。
原作者である仙波隆綱氏は元アニメーターである。流石という言葉が誉め言葉となるか、けなし言葉となるか、それは受け手次第だろう。
この『メタルブラック』も、今から9年も前のゲームだ。それ以降、映像の優れた様々なゲームが登場したが、『メタルブラック』のように「言葉なしで物語ろう」としたゲームは見かけない。
抽象的な表現をして「あとはプレイヤーの想像に委ねます」といったゲームは多いが、『メタルブラック』は違う。救いようのない「絶望の地球」を、F2システムというキャンバスに、明瞭に描き出したのだから。
寒いので蒲田へ担々麺を食べに行く。
帰り、雨に降られる。
●3点
木曜に買った『エアロダンシングF』。どっぷりです。
位置エネルギーを意識しながら飛ぶ空戦ゲームが、家庭用ゲーム機にようやく登場。なぜ今までなかったんでしょうか?
答:パンピーにはめんどくせぇから
F-4Jが使えるようになってからというもの、空母への着艦ばかりやってます。
やっぱりファントムはいいよ! 旋回中に失速しやすくても。前作では再現されていなかった「ファントムが低速旋回中に失速すると腹を上に向けてしまう」という現象も、本作ではバッチリです。
あと離艦のとき、ちゃんとブライドルが表示されます。
このゲームには艦上戦闘機が3機種登場します。トムキャットとホーネットはカタパルトを前脚に直結できるのですが、旧式であるファントムの前脚にはカタパルトをつけることができません。そこで、カタパルトと機体をブライドルと呼ばれる装具でつなぐ必要があります。
近年の空母にはブライドルが必要な艦上機は載っておらず、このため空母艦首の特徴的な突起であるブライドル・リトリーバー(回収器)も廃止されつつあります。
なんと言いますか『∀ガンダム』が急展開です。ハデな戦闘ではありませんが、異様に盛り上がっております。
この調子で行くと90年代富野アニメ最高傑作であることは間違いないと思いまする。
こんな具合なので、先月の『モデルグラフィックス』富野監督インタビューは私も気になるところなんですが、当分読みません。最終回を観終えるまでは読みません。
『無限のリヴァイアス』公式ページに載っているという黒田洋介氏のコメントも、最終回までは読みません。
創り手の考え方を直截に送り込まれてしまう記事ってのは、せっかくの間接表現であるフィクション本編の利点を殺しかねないと思うのですよ。つまり、ともすれば作品鑑賞という行為が「作者の意図が本編中に表現されているか否か」の確認でしかなくなってしまうかも知れない、ということです。
もちろんコメントやインタビューを読んだ上でも自分なりの感想を持てる人ならばいいのでしょうが、私のような意志薄弱な人間には創り手の考え方が一方的に「刷り込まれてしまう」危険があるのです。
というわけで、放送終了後にモデグラ貸してくれる方を募集。
やっぱり『無限のリヴァイアス』観たら、その後に『ビーストウォーズ メタルス』観ないとやってられませんわ。
以前KAさんがご自分のBBS(過去BBSログ参照)にて、もし『蝿の王』に女子が登場したならば「わたしのためにアイツのこと殺してきてよ」ってな展開になると想像されていましたが、事実リヴァイアスはそうなっており。今週は特にそうであり。
ところで私は『蝿の王』二章までしか読み進んでいません。やばし。
すっかり鬼太郎ヘアーです。あ〜る君ヘアーとかヒモー閣下ヘアーではありません。
しかし寒いので床屋さんに行く気もおきません。
ネットバブルに警鐘を鳴らす物語(仮):
日本クタラキ党大会じゃねえプレイステーションフェスティバル2000を見に行きました。
暫定レポートはこちら。詰め込みすぎて読みづらいですけど。後日、文を削ったものをアップします。
午後2時ごろには会場を去り。私にしては異例のあきらめ良さです。
秋葉原に行き、使っていない携帯電話を解約しました。
仕事が内勤である上、プライベートでも人とつるんで遊ぶことがないため、まったく使い道がないのです。よよよ。
ついでに石丸へ行き『シーマンと20世紀のポテチン』を購入。ちなみに発売は元旦。買うの遅すぎ。
スネークマンショーの桑原茂一氏によるお笑いCD。確かに笑えるんだけど、それはイヒヒとかケケケとかであり、残念ながらワハハではありませんのことよ。
とりあえず伊武雅刀ファンとバカボン鬼塚ファンは買っとけ。
ふと思い出したけど、チャーリー・ブラウンは赤毛の女の子に想いを馳せていたのでした。近年の『ピーナツ』は読んでいないのだけれど、その想いが届くことはとうとうなかったと聞きます。
ああ、赤毛の女の子。
プレイステーション・ドット混ムでリロードボタンを連打された皆様、プレステツーは予約できましたでしょうか。
私もリロードリロードがしゃがしゃ(c)ながいけん。おかげで今日は寝坊したため、プレステヘステバルへ行くのを延期しましたとさ。しかし明日は雪。
しかし、ご丁寧に「混雑しています」ページが表示されたり、ヤフーオークションで狂った値段がついていたりしているサマをみていると「ブラフなんじゃない?」とか言いたくなりますよええ。
オ羽様と「ファミ通別冊『ゲームの話をしよう』を買わねば」という話題になる。
「それにしても、なぜ任天堂のゲームとかをバカにするゲーマーが多いんだろうね」
「子供に対して年齢以外のアドバンテージがない成人ゲーマーたちが、そういうことを言うんじゃないですか?」
我ながらうかつな回答をしてしまったものだ。
私自身、任天堂のゲームをバカにまではしないものの「趣味が合わない」といって敬遠するクチだ。これまでの人生で購入した任天堂のゲームは、ゲームウォッチの『ドンキーコング』とスーファミ用『スターフォックス』の2本だけ。中学生の頃は、その独占的な商売に憤りすら憶えていた。
任天堂のゲームは、子供たちをはじめ多くの人々が楽しめるようこだわりを持ってつくられている。その一方で、世の中には(私を含め)子供が遊べるようにつくられたゲームを敬遠する人々がいる。
日本の家庭用ビデオゲーム黎明期、その普及は玩具流通をもってなされた。任天堂は現在に名残る最後の存在だ。
(ワンダースワンは流通をSCEIに依存してしまった……)
このため初期の和製家庭用ビデオゲームは子供をターゲットにつくられ、ゲームは子供のものという認識が確立した。が、ゲームで遊びたがっていたのは子供だけではない。大人だってゲームで遊びたかったのだが、多くの大人にとって子供の領域に入っていくのには抵抗があった。
こんなとき大人たちはどうするか。そう、「ゲーム=大人の遊び」ということにしてしまうのだ。
なに、前例はある。子供の娯楽だったコリントは、大人に略取されてパチンコになった。かくして家庭用ゲームは、メーカーの思惑も手伝って大人のものになりつつあり、子供が遊んで面白いと感じるゲームは減じていった。
別段、大人向けのゲームが子供向けのゲームよりも優れているという客観的事実はないのだが、そうであるかのように演出されることによって一大市場は築かれた。
その一方で任天堂はかたくなに、子供が遊んで面白いと感じるゲームをつくっている。かつては市場の独占者と批判された任天堂だが、いまとなってはゲームを大人たちの侵略から護っている守護者と呼んだ方がいいのかも知れない。
さりとて任天堂のゲームを遊んで面白いと感じるのは子供だけではない。
「嗜好の多様化」という言葉のもと、ゲームソフトの購買ターゲットは狭い年齢層に絞られつつある。見るからに子供向けのゲームをつくるメーカーも多い。だが、子供が遊んでも大人が遊んでも面白いという確信をもってゲームソフトをつくりつづけるメーカーは任天堂だけになってしまった。
成年層のゲーマーがゲーマーたるには、子供の遊んでるゲームを拒絶するより、子供たちと体験を共有できることを誇りに思った方がいいのではなかろうか? その明確な解答を、私はまだ手に入れていない。
それより本を買わにゃ。
拙伝言板を眺めていると、ホント私は人様向けのネタ振りができてねえなあ、とか思ってしまいます。
ま、俺イズム噴出で行きたいと思います。
さてアマゾヌドットコムにてUS向けDC版デドアラ2を買おうとしていた剛の者達。意外な壁にブチ当ったそうです。どうやらメリケンでしか出ていないソフトは輸出しない意向のようです。
ま、別段「日本のDCでデドアラ2が出ない」と決まったワケではないのですけど。もしかして、テクモに対して「裏切り者め!」とか言っているヒトタチは全員エスパーで、DCでは発売されないと予知してるんでしょうか?
で、そのメリケンDCに『レインボー・シックス』のゲームが出ているんですが、PCゲームのそれとは違ってロクヨン007ライクのゲームらしく。ざんねん。
私はそんな喧騒と無縁に『ギレンの野望』やってます。サターンの。
いかにも貧乏ゲーマーって感じですが、これまで乱買してきたゲームの山を見るに如何ともし難し。しかも衝動買いではなく、ほとんどが計画的購入であるのが恐ろしいス。
本格ウォーシムに比べておおらかなシステム(それでもスパロボに比べれば極めて緻密なのだが)や、アニメから抜き出したため場面に合ってねぇ台詞にニヤリと笑うところもあるのですが、戦略脳の未熟な私として満腹です。むにゃむにゃ、もう食べられないよう。
連邦シナリオにて諜報予算をケチっているにもかかわらず、ガンダムよりも先にコピーザクが量産できてしまいそうで。MiG-17に泣く泣くアトール(サイドワインダーのコピー)を載せていたソ連軍を笑うことはできませんよ。ふう。
今年は久々にありつけました。義理チョコに。
よくよく調べたところ、J−フォンショップには蒲田の他にも営業時間が短い店がポツポツとあるようです。フランチャイズなんでしょうか。秋葉原は年中無休らしいので、そちらで解約しようかと思います。
* * *
話は少しかわって、モバイルコンピュータ関係。
私はweb中心でパソコンを使っている人間なので、私用で持ち運ぶなら文章が打てる程度のPDAでいいかも、とか考えています。ところが日本のPDA事情を振り返ると、携帯電話にメール機能を付加したものがある一方で、フルキーボードのついたPDAはモデムを介して携帯電話に繋いでいます。その中間がありません。
なぜわざわざこういう事を書くかというと、数年前のTV番組で次世代携帯電話を特集していた際、携帯電話機サイズであるにもかかわらずちゃんとしたキーボードとLCDを備えた品を紹介していたからです。
平素は少し大きめの携帯電話機に見えるのですが、アジのひらきよろしくパカッと開くとキーボードとLCDが登場する仕組みです。たとえて言うならば、電話機サイズのポケットボードといったところしょうか。
しかしこれは海外製の機器であり、日本向けには存在しません。
原因の一つとして「日本の携帯電話市場が日本製電話機によって囲われているから」というものが挙げられます。cdmaOneが風穴を開けるかと思われたのですが、あまりそういった様子は見うけられないようで。
ま、自転車通勤で、しかもあまり出歩かない私にはあまり縁のない話だったりします。
電車通勤に転向するとしたら、WindowsCEのPDAでも買いますか……?
その容姿にしか興味を持たない人には無縁の話だろうけど。
シニカルな態度をして私にカッコイイと思わせた最初の(そしておそらく最後の)存在はスヌーピーだった。シニカルってのは、えてして発言者が自身の立場を誤魔化すのに使いがちな姿勢だったからだ。
いや、スヌーピーにだって「チャーリー・ブラウンのご厄介になっている」という事実を誤魔化したいという気持ちはあったかも知れない。それにせよ、自己主張の強いヤツだった。
一方のチャーリー・ブラウン。彼は彼で、敗北の苦さを知り尽くした「偉大なる敗者」だった。なべおさみ氏の声が耳に焼き付いて離れないのは、失礼ながら氏もまた「偉大なる敗者」だからだろうか。
チャールズ・M・シュルツ氏のご冥福を祈ります。
つれづれと『ギレンの野望』を遊ぶ。と言ってもプレステ版『ジオンの系譜』ではない。
プレステ版を買いたい気持ちを抑えるべくサターン版を引っ張り出し、
「ほら君は戦略シミュレーションゲームがこんなにヘタなんだよ、プレステ版はこれの倍ボリュームがあるから大変だよ」
と自己暗示をかけたりする。
購入時はジオン編のみプレイしたので、今回は連邦編。
他人よりも思考時間が異様に長い上、ガンダムができるまではヨワヨワ兵器しか造れないためヘトヘト。
なぜに蒲田のJ−フォンショップは営業時間が極端に短いか。お役所と競う気か。
普通のJ−フォンショップ:祝祭日を除く午後7時まで営業23区の辺境、それが蒲田。飲み屋やフーゾクばかりがひしめく街、それが蒲田。ひゅるりら〜♪
蒲田のJ−フォンショップ:日曜および祝祭日を除く午後5時まで受付
なにげなしに『TVチャンピォン』を観たら『悪役怪人・怪獣王選手権』でした。
……長谷川裕一先生が出場しているよ! しかも優勝したよ!!
いや、長谷川先生のマンガは『クロスボーンガンダム』ぐらいしか読んでいない私が興奮するのもナニですが。
あと飯塚昭三様の声には、男なら誰でも憧れるね!(ちょっと違う)
ゲーム消費者的トピックス:
最近これにかかりっきりの『ルーマニア#203』ですが、月曜にシナリオ4(シオリ編……というより南天編)、火曜にシナリオ2(エレナ編)をクリア。が、どうやらシナリオ内でも細かい分岐があるようで。シナリオ1をもう1度、っと。 ちまたでは家庭用『デドアラ2』に関する色々な憶測が飛び交い、ついには公式BBSが閉鎖される騒ぎに。
しかし一部のツワモノは騒ぎをよそに、DCメリケン版をアマゾヌドツトコムにて購入する算段を……。ベロニカとかギレンとかベイグラントとかの話題作が目白押しですが、そんな時流に逆らってオイラの今月購入予定ソフトは『エアロダンシングF』一本だったりします。 『セガGT』には(時期的に)大した魅力を感じないのですが、車体コンストラクションがツボにはまったら買うかも。
ムチャなRR車体でケツ滑らせまくるとか。
ネットサーフ(古語)していたところ、いつのまにやら『ゲームセンターあらし公式ホームページ』が!。
なにしろ『ゲームセンターあらし』『こんにちは! マイコン』『マイコン電児ラン』の3ヒットコンボで今の私があるようなもの。すがやみつる先生はお忙しいようで工事中ページが多いのは残念でしたが、嬉々として眺めてしまいました。
『マイコン電児ラン』基礎知識:
アニメっ子的トピックス:(長い割に面白くないので、読みたい方だけ範囲指定してお読み下さい)
最近のアニメでは作品の雰囲気を統一するためか、シリーズ構成作家が自ら多くの脚本を書き下ろしたり、一人の脚本家がシリーズ全話の脚本を書いてしまったりすることが増えているようです。
スタッフとしてはシド・ミード氏やAKIMAN氏などが注目される『∀ガンダム』ですが、描写に統一感があるのは星山氏の力量によるところが大きいのではないでしょうか。黒田洋介氏も一作品で多くの脚本を担当する脚本家のひとりです。
拙掲示板でも『トライガン』におけるキャラクター描写が問題提起(?)されたことがありましたが、あれは書き手の力量を云々するまえに、作品の発表される形態の違いが大きく影響しているように感じます。
『トライガン』の原作は、アンケートの結果に左右される漫画誌連載であったがために各話のみどころを最重視する形にならざるを得なかった、と。いっぽう(ビデオ化を前提としたため)スポンサーがあらかじめ話数を定めたアニメ版は違う描きかたが可能となったのだが……続きは気が向いたら。『無限のリヴァイアス』に関しては、最終回を見るまでなにも言わない方がいいような気がしてきました。
が、とりあえず丹下桜キャラがイカレるというのは非常に正しい描写だと思います。その恐ろしさにおいて。リヴァイアスネタを繰り返し書いている拙日記ですが、それに反していま一番のお気に入りアニメは『地球防衛企業ダイ・ガード』だったりします。
ミもフタもない言い方をすれば『パトレイバー』と『エヴァンゲリオン』そして『踊る大捜査線』をブチ込んだ闇鍋アニメなのですが、これだけ消費し尽くされた(みんなが食べ飽きた)作品のエッセンスから魅せるものをつくりあげるのは大変なことのはずです。
腰痛が再発して外出もできず、また『ルーマニア#203』を遊びました。
シオリの次はミハルですか。むふう。
シナリオ1(シュウタ編)に次いでシナリオ3(ミハル編)をクリア。ロマンチシズムは存在したようなので、昨日の日記を一部削除しました。
シナリオ3の最後に出た日記は蛇足のような気が。ネジの決意を表せば、その後の「結果」をわざわざ描写する必要はないのでは? それ以外についてはけっこう好きです。
#製作者側は、特別ハードボイルドという表現方法を意識したわけではないのだろうか?
#しかしそれだと「部屋のものをクリック」とか「のぞきカメラ」といったインターフェイスはまどろっこしいだけになってしまうし……うーむ。
今日はほぼ一日寝て、夜に『ルーマニア#203』を少し遊びました。
……ゲームの登場人物名に「しおり」ってつけないでくれぇぇぇ!
それだけのことで、俺がどれだけ苦しむか知っているのか?
↑ふつう知りっこない
* * *
これまで神の視点を持ったゲームは、民に対する優越感をプレイヤーへもたらした。
だがネジタイヘイの部屋では、神の力は本質的な意味において無力だ。
これまでシナリオのためのゲームといえば、キャラクターへの感情移入を高めるためにシステムがシナリオに奉仕してきた。
だがネジタイヘイの部屋では、システムがシナリオに対して醒めた視点を供給するばかりだ。
このゲームが従来のそれといかに異なるかを説明することはできるが、それが正しいか否かをここで説明することはできない。
いまこのゲームが世に出たことの意味は大きいと私は思っているし、拍手もする。もしかするとこれまでミステリー小説の文脈でしか語られてこなかったハードボイルドが、本当の意味でゲームのものになったかも知れないのだ。
いっぽうゲーマーが真の意味でハードボイルドを望んでいるかどうかは疑わしい。
ハードボイルドな雰囲気を好むと自称するゲーマーは、実は単にハードボイルドという単語から連想されるダンディズムやロマンチシズムを欲しているだけかもしれないのだ。
タイマー録画していた『無限のリヴァイアス』を
「おお、援交とみせかけて逆襲に転じましたか。いいぞもっとやれ! ゲス男を蹴散らせ!!」
などと言いながら観た後、セガBBSを眺めていると『無限のリヴァイアス』≒『蝿の王』説が。なるほど!
なるほどとは思ったものの、実はワタクシ『蝿の王』を読んだことがない。ちと古い小説なのでなまじの本屋には置いていまいと予想した私は、蒲田の紀伊國屋書店へ。
紀伊國屋に入るのは初めてだ。駅から近くてビジネスマンが多い場所の割には、内装が郊外型書店みたいだ……。でっけー駐車場と店舗面積で、本棚がポツリポツリと置いてあるアレだ。
なぜそう感じたかというと、面積も広く天井も高いのに、本棚の高さが異様に低いのだ。ふつう大型の都市型書店は蔵書数を稼ぐために本棚の段数を高くする。が、ここでは背の低い人でも脚立はほとんど必要ない。そういう意味では便利なのだろうが、イヤな予感がしてきた。
……やっぱりない。ないのだよ、『蝿の王』が。
脈絡はないが「かわりに『レインボー・シックス』買うか!」と考える。
……2・3・4巻は平積みされているのに、1巻は棚にすら置いていない。なんなのだこの店は?
何も買わずに(つーか買えずに)店をあとにする。まあきっとアレだ、ビヂネスマンにウケる本だけを集中陳列・短期在庫入替してるから、俺っちのような人間の嗜好には合わないんだろう。たぶん。
結局『蝿の王』と『レインボー・シックス』は駅ビルの本屋で買えましたとさ。めでたしめでたし。
少女が9年以上も監禁されていた事件が先週の金曜日に報道された。その後しばらく「9年もの監禁はいかにして成立したのか?」という好奇の目を向ける人々を大勢見かけたが、いっぽう被害者家族がこの後どうなってしまうのかを案じる人はほとんど見かけない。事件が被害者一家に対し、ともすれば死よりも大きな爪痕を残したかもしれないのに、である。
第三者が心配したとて余計なお世話かもしれないし、あるいは勝手な投影行為かもしれない。
が、たとえそうだとしても世の中が被害者に対して好奇以外の関心を抱かないのであれば、被害者にとってこれほど住むのが辛い国はあるまい。
PNG画像フォーマットって良さそうなんだけど、ドリームパスポートが対応してないんだよなあ……。
ドリパスでご覧の方もいらっしゃるので、拙ページにおけるGIFからPNGへの転換は見送り。