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ハロー! ヤバキチです。←誰?
今月は予想に反してすっかり『ガングリフォン ブレイズ』の月になってしまいました。発売直後の評判が悪かったので「さっさと終わらせて "COOL COOL TOON" 買おう〜」と思っていたのですが、時間があればブレイズばかりやっています。ええ、"COOL COOL TOON" 買ってません。真美姉ファンの風上にも置けませんな。
最近は面白いゲームがあるといっても、テレホアワーになったら止めていたのですが、ブレイズでは逆にネット閲覧が止まってしまうアリサマです。
↑こんな人間がいても、発売元は本数が売れなければ儲からないんだから、ゲームソフトパッケージってのは資本主義から大きく外れている可能性が云々……(まじめに書くと長いので略)
やった、明日はホームランだ!とうとう追加兵装なしで『ガングリフォン
ブレイズ』全面クリアできました。
とはいえ、ノーマルランク・ノーマルステージというデフォルト設定での話なので、まだまだ先は長うございます。
おまけにヤークトパンターを自機として使えるようになり万々歳。
フォルクスパンターのことをヤークトパンターの強化版かと思っていたんですが、逆でした。釣鐘型はヤバイやろ、釣鐘型は。
「例の注射が、実はプーチン政権を失墜させるために軍部内の反プーチン派によって遂行された」と考えてしまう私は陰謀小説の読み過ぎでしょうか? そんなものを読んじゃいませんが。
『ガングリフォン ブレイズ』とりあえず終了。結局、燃料気化爆弾を使ってしまいました。
あっけらかんとしたエンディングには、どうしても納得いきません。「戦争に勝利者はいない」それがガングリフォンのストーリではありますまいか。
サターン版と違ってレーダーが廃止された点ですが、おそらく開発陣としては索敵を中心とした戦闘システムを目指していたものと思われます。が、残念ながら敵の行動パターンが作りこまれていないため、探すよりも憶える方がプレイヤー行動の主体となっています。(状況如何に関わらず、ただ戦場を通過するだけの敵すら存在する)
点稼ぎパターンを攻略するゲームとしては良くできていると思いますが、プレイヤーに状況判断を求める部分は非常に少なくなっています。(とはいえボーナス点アイテムがランダム出現するなど、点稼ぎゲームとしても多少問題があり……)
もう少し練りこめば、サターン版と一味違う「状況対処ゲーム」になっていたかも知れません。
また「個人的には好きだが、人に勧めるのはためらわれる」ゲームが増えてしまいました。ただ、「歩行戦車操縦ゲーム」としては傑作です。
便宜上ゲーマーを自称する私ですが、『ドラゴンクエスト』シリーズに手を出したことはほとんどありません。
ドラクエに関しては2(しかもMSX版)を借りて序盤をやり「ふーん、こういうゲームなんだ」以上。
他の堀井雄二作品を振り返ると、『ポートピア連続殺人事件』(PC-6001)と『オホーツクに消ゆ』(PC-9801)をやりましたが、ともに序盤で挫折しました。よって「堀井作品=難しい」というヘンな刷りこみがされています。
思い出すに、両方とも港のシーンで詰まったように記憶しています。ひょっとすると私は、堀井氏の港から旅立つ資格を持っていないのかもしれません。
アンディ・フグ選手の追悼番組が複数のTV局で組まれたことに、氏の大きさを感じます。
ろくにK-1を観ていない私に大したことは申せませんが、ご冥福を祈ります。
と同時に「放送業界におけるK-1の大きさ」も気になりましたが、私には分かりませんでした。
「日本の大人は勉強しない」と言われて久しいと思いますが、オレもそうです。
業務がらみで、某講習会のため代々木に行ってまいりました。なんか貧乏くさい街だにょ。
近くに新宿のビル街が見えるだけに、余計に悲しく見えてしまいます。
講習自体は意外とわかりやすいものでした。でも考えてみたらこの3日間のために、学生時代の半年分を超える受講料を払っていたのでした。会社の金だけど。
新宿に寄ったり。
色々と予告コンテンツがアップできず申し訳ありません。ちまちまと用事を片付けております故。
長いこと沈黙を守っていた『NHKスペシャル 世紀を超えて』が再開されました。大掛かりなシリーズ番組であるにもかかわらず、告知が非常に少ない気がします。
今日の特集は、なんとCVTですよCVT。『プロジェクトX』かと思ってしまいました。しかし単なる技術者賛美に終わるのではなく、摩擦というキーワードで語ってくれた点に安心。
ネットスケープ6PR2をダウンロードしてみました。
さすがにPR1ほどボロボロではないものの、プロクシの自動設定ファイルを読みこまなかったり、ページ上のテキストボックスからCGIに送る文字が一部化けるなど、まだ安心して使えるレベルではないようです。ま、それゆえのプレビューリリースなのですが。
安定性は4.7よりも高いようですが、処理は全般的に遅くなっています。
あとフォントサイズを13ポイントに設定すると、従来バージョンの10ポイントに相当します。なぜか。
とりあえず正式リリースまでにはなんとかしていただきたい所存。
ゲーマーの『ガングリフォン ブレイズ』に対する評価は厳しいようで。
「レーダーが廃止され」「補給ポイントを防衛する必要がなくなり」「多方面から敵が侵入してくる」ことから「モグラたたきになってしまった」という。
操作感覚が正常進化していると思うだけに、この辺は確かに残念です。一度クリアしたら旧システムで遊べるようになる……といいなあ。(妄想、あくまで妄想、残念ながら妄想)
現在、4面(民間人避難ヘリ防衛任務)にて苦戦中。難民全滅。泣け。
15日の日記に追記。
ちと帰省。こんなときは、近県出身者であることが便利に思えます。
この間の購入物件:
終戦記念日。
戦争の記憶が風化していくのは致し方ないところだと感じています。ただしそれは、単なる時間の流れだけによるものではない、そのように感じます。
考えてみれば大東亜戦争(太平洋戦争)は3年8ヶ月の間おこなわれてきたわけで、その中でなぜ8月15日が戦争を思い出す日とされるのか? 8月15日は日本が負けた日です。8月15日を悔いることはすなわち、日本が戦争をしたことではなく、戦争に負けたことを悔いることです。
経済復興を過ぎて下り坂に向かっている日本経済にとって、それ以前の勝敗に対して無関心となっていくのは自然な成り行きでしょう。
もし戦争自体を悔いるのなら、むしろ戦争を始めたことを悔いるべきではありますまいか。
12月8日よりも、むしろ8月15日の方が戦争を賛美しているかもしれないのです。
焼け野原はやがて新しい建物にかき消されてしまいます。しかし、多くの日本国民が「大東亜共栄圏によってアジア全体が幸せになる」と信じていたことの恐ろしさは(表層はともかく本質において)今なお解消されていません。
私はこのように感じていますが、皆様は如何か。
8月15日を記念しても、戦争は消えません。「戦争という状況への関心」のみが消えます。
* * *
ただし、戦没者の慰霊行事そのものを否定する意図はありません。
慰霊行事の日として8月15日が最適か否かについては私の中でも結論が出ないところではありますが、多くの人が戦没者のあったことを意識する機会が必要だということは強く感じます。
願わくばそれが社交辞令ではなく、その死を二度と繰り返さないための自覚とならんことを。
あにょー。どんとゲーム民族のあいさつを交わしました。
その昔ゲーセンにたむろしていた人々はどこに行ったのか? 答えは色々あると思いますが、顕著に見られるのはコンビニです。
かつては田舎の自動販売機前で見られた傾向ですが、今や都心のコンビニ前でも同じことになっています。
居場所のない疎外感の大きさと、遠くへ行くのがおっくうな行動力のなさ。このギャップが壮絶。
彼らを相手に何かをすれば、それは凄いことができそうですが……方法は洗脳しかない、かなあ。
コミケット58。
日記は今週末に。
最近は寝不足なので、体が震えたり、大きな声を出したりしがちです。あ、でも赤い結晶入りのタバコなんて吸っていませんよ。スイーン(顔が赤ライトで照らされる)ウガーッ!
色々ありまして、私もコミケで売り子をすることになりました。
スペースは土曜日の東1館、F-8b『不良社員ず』です。今回は私も本を出します(予定)が、急遽作成の薄っぺら本なので、あまり期待なさらぬよう。現在執筆中。
「倶零舎ホームページ見てます」とおっしゃると、なにかいいことがあるかもしれません。(主観&予定)
近所のゲーム屋さんにてPS2用ソフト『ガングリフォン
ブレイズ』購入。
今回のオープニングムービーは、いかにも「ロボットゲームのオープニング」といった風で残念。そのかわり、直後の生ポリゴンシーンがいい味出しているので許す。
ただし、画面の雰囲気が軽めに見えてしまいます。これはサターンに比べ画面の解像度とフレーム数が増しているだけに仕方のないところですが……(動きに誤魔化しが効かない分、重量感のある動きを見せるのが難しい)
それも手伝ってか、ゲーム自体のつくりもサターン版と違い、スピード感を重視したものになっています。こういった意味では『アーマード・コア2』よりも多くのプレイヤーに受け入れられる要素はあると思いますが……数は売れないんだろうなあ。
同じ店の古書(攻略本)コーナーに、1作目の設定資料本があったので購入。
長崎原爆の日。
私の居所でも9月にはCATV、年末にはADSLサービスが始まるとのことで、諸手続きやコストパフォーマンスなどの点からADSLを導入しようと思っていたのですが……どうやらNTTが"ISDN+SDSL"というサービスを始めるらしい、との話を聞きました。(日経コミュニケーションの記事)
SDSLは通信速度が速いので現行発表されているADSLサービスよりもコストパフォーマンスはよさそうですが、高速なSDSL(最大1.5Mbps)があるなら、わずか128kBPSのISDNは要りません。
(追記:なんでもSDSL+アナログの共存ができないため、電話利用のためにISDNを残すようです……)
もちろんISDN+SDSLもADSLと同様、端末〜交換局間は銅配線でなければなりません。私はてっきり「NTTは光化をすすめたいからISDNの販促をしている」と思っていたのですが、果たして。
これをきっかけに、ADSLの値段が下がってくれりゃいいんですが。
行き詰まってます。
やはり私は自分で考える仕事と、他人から言われた趣味は苦手でヤンス。
色々とテンパっているので、この日記も普段よりつまらなくなっております。
五十五回目の原爆の日。
東急目蒲線の消えた日。
『首都高バトル2』終了。まさか最終ボスがあの車とは。
このゲームでよかったのは「いじった車に満足するために勝つ」のではなく、「勝つために車をいじる」点です。前者の楽しみ方が通用してしまったら、単なる走り屋気分シミュレータの域を出なかったことでしょう。
とはいえ走り屋気分シミュとして買う人も多いんでしょうね。しかしそれならばそれで、別の縛りを入れないといけません。たとえばチューン資金を稼ぐために昼間は働くとか、事故ると車が全損したり賠償を求められたりする、など。
でもそれってクソリアルだよなあ。今のままがいいや。
盆と正月のガンマニアまつり『ブラックホール』に行くのはあきらめました。
今回は会場が浜松町に戻ったから、交通の便はよかったんですけどね。
都立高専にて行なわれた関東信越地区文化発表会に行ってまいりました。
文化発表会というのは近県の高専に所属する文化部が寄り集う、言わば文化祭の地区大会みたいなモンですな。
高専というのは……ご存知ない方はご自分でお調べ下され。
木更津のOB連中に会うのが目的だったので展示をあまり見ていないのですが、その中で感じたことは「やる気のあるヤツとないヤツの差があまりにも激しい」ということです。
もちろんやる気の問題は社会全般に言えることですが、なんというか他人に見られることへの緊張感が希薄な展示が多いんですよ。
私も人のことを言えないような気もしますが、学生の読者さんも多いので書きます。
部活で重要なのは、他人に見せられるものを出していくこと、特定の集団にのみ依存した活動をしないことです。たとえば(閉鎖的になりがちな部活の例として)RPG研ならば予めRPGをやっている人間を相手にするのではなくて、やったことのない人間が興味を持てる展示をする、と。
きょうの俺法則:
他人の趣味に文句を言う人は、実は自分自身の趣味に満足していない。あれ、以前も同じことを書いた気がするような、しないような……?
が、本人がそれを自覚することは少ない。
昨日の話に補足をば。
以下の話は一般論としてお読みください。(アーマード・コアに当てはまるか否か、判断がつきかねますので)
近年のゲームにおいては「ゲームの中にアイテムを順次登場させることによって、プレイヤーの収集欲を満たす」という傾向が顕著に見られます。これはビデオゲームのトラッドな面白さである「刹那的な爽快感」とは(共存は可能であっても概念的には)相反するものです。
もっとも収集欲を満たすゲームは古くから存在しており、いわゆるロールプレイングゲームでは古くからアイテム集めが楽しみの一種として存在しました。が、近年のゲームでは特に「ゲームの面白さを設計するうえで、プレイヤーの収集欲を最重要視するもの」が非常に多くなりました。ゲームの体裁がRPGだろうとアクションだろうと構いません。
このことは、家庭用ゲームソフトの売り方と密接に関係しています。
メーカーにとって、中古市場への流出による新品売上の減少を防ぐことは重要な課題とされています。したがって家庭用ゲームソフトは「刹那的な爽快感」のみをウリにすることができません。飽きたらすぐに中古屋に売り飛ばされてしまうからです。
中古市場による新品市場の飽和を防ぐためには、プレイヤーがゲームが一段落しても中古屋に売りに行かなくなるほどの付加価値をつけて売る必要があります。その代表格が「プレイヤーのアイテム収集欲を満足するゲーム設計」です。
また「ゲームに興味はないがコレクション行為が好きな人々」にゲームソフトを売りこんでいくこともでき、新規市場の拡大にも成功してきたわけです。
これらのこと自体は特に問題ありません。最終的な判断を下すのはプレイヤー自身ですし。
が、ここにひとつの落とし穴があります。(オレ、この言葉が好きだな……)
実は「プレイヤーのアイテム収集欲を満足するゲーム設計」さえ作りこんでしまえば、「刹那的な爽快感」が希薄であってもある程度は売れてしまうのです。したがって、世のゲームソフトから「刹那的な爽快感」を得る機会は年々減少しています。
もう一つ厄介なことに、前述の「ゲームに興味はないがコレクション行為が好きな人々」にとっては、トラッドなゲーム性というのはむしろ邪魔に感じられることさえあるのです。
コレクションという行為は一種のゲームと解釈することはできますが、それはビデオゲーム独自のものではありません。
こうなると、ビデオゲームが何のために存在するのか分からなくなってしまいます。
「ゲームで収集欲ばかり刺激するな!」と言いたい訳ではありません。収集欲を中心に考えてデザインされ、収集欲をウリとして宣伝されたソフトならば文句の付け所はないわけです。
ところが「アクションゲームの決定番!」と言われて買ったソフトの正体が「アクション部分をちゃんと作るのが面倒だからアイテム収集要素で誤魔化したゲーム」だったら萎えますな。そういうことです。
※この辺、ときメモのPCE版とPS版以降との違いもからむので、個人的に微妙な話題ではあります。PCE版とPS版が別個に存在する意義は認めるが、PCE版の要素が継承されていないのは残念、というレベルで。
最近は人と会うたびに
「ゲームが売れないですねえ」
「売れませんねえ」
というあいさつを交わしています。こうなると農耕民族ではなくゲーム民族です。
ゲームが売れないということについて、いま無理に書くと愚痴や言い訳になりそうでして。(仲良し系ページなら派閥内で通用する愚痴ってのもアリですが……当ページは意図的に仲良し雰囲気を抑えております故)
ただ「みんなゲームに飽きたんじゃないか?」という捉えかたは少し違うんじゃないかと感じます。
言うならば「世の中がゲーム的になったため、あえてゲームソフトパッケージを買う意味が薄れた」ということかも知れません。←それ最悪
さかのぼり、7月31日(月)
網走の最高気温が37℃!? この国は融ける……。
インストール備忘録に追記。
ガングリフォンのオープニングについて訂正。