[ Mar 2002 ] Back to [ Diary index ] Back to[ Kles'a index ]
ときメモタイピング。終わってみると、けっこう普通のタイピングソフトに感じます。
(まあ『激撃』をやって、北斗の単行本を読んだ気になる人はいませんな)
四季がグルグルと回りつづけることに、ムズムズしたものを感じます。モラトリアムというより無限地獄のような。
タイピングとしては、本編よりも単キートレーニングの方が難しく感じます。
私の場合キータッチを配列ではなく、音節の流れで憶えているからです。他の方もそうなんでしょうか?
四拾九日法要。
喪主であった伯父さんにも、ようやく安堵の顔が見られました。おつかれさまでした。
しばらくぶりに見た兄は、横に大きくなって陣内孝則のような面持ちになっていました。
ああおそるべし結婚生活。
定時ダッシュにて白い視線を浴びるの図。
というわけで、
内容は思ったよりメモ的です。最初「なんだ、ときメモと大して関係ない単語じゃん」と思っていると、後で泣きを見ます。
とりあえず入力では泣きを見ていない私ですが、何故か三年以上やっても卒業式になりません。なじぇ?
現在五年目。二留ですか? このままではタイピング肩こり必至です。しくしく。
アレです。倶零舎は、何かにつられて同じソフトを何本も買うようなことはしません。
たとえ何某のイベントに行けなくなったとしても。ちくそー。
あ、『ブラックホーク ダウン』の原作本(旧題『強襲部隊』)を買いました。
映画で省かれた要素――特にソマリア側の視点――が緻密に描かれているといわれています。
しかし例によって、いつ読むか分かりません。ああ。
* * *
浅草へ。
雷門から浅草寺を抜けたその先に、親父の生まれた町がありますが、今までろくに訪れたことはありませんでした。
詳細な場所は知りませんが、そのあたりは、いたって普通の商店街でした。
無理もありません。親父が焼け出されたのは57年も前のことです。
ここをかつてB-29が焼夷弾で絨毯爆撃をし、P-51が機銃掃射した事実を、あまりにかけ離れた風景からは想像できません。
しかし私はこのフィルムが好きです。
淡々と、愚直なまでにふたりの刑事を追う視点は、クライマックスのシーンから強烈な匂いを放ち始めます。
場違いなピアノソナタを合図に、13号と冴子が重なる一連のシーケンス。
13号の「ある部分」。(これは某サイトに書かれていましたな)
そして崩おれる13号と冴子。
ですが、私が一番好きなのはラスト、秦刑事がタバコに火をつけるシーンです。
見た目ぱっとしない男が、何気なくタバコに火をつける。何気ないが故に胸を打ちます。
映画にかっこいいタバコは数あれど、何気なくも切ないタバコがどれだけあったことか。
ただ、この匂いをどれだけの観客が感じたのか。それを想うと一観客としても寂しい。
ひとつ目は、リドリー・スコットの映画。
夕日を浴びて離陸するMH-60ブラックホークや、MH-6リトルバードが美しい。
弾丸が当たる瞬間、世界はスローモーションになる。
あたかも撤退する兵たちを迎えるかのように、少年たちが朝もやの中から現れる。
ああ、リドリーの映画だ。
だが意地悪な言い方をすれば、これらはリドリーの映画であることを忘れないように挿入されたのかも知れない、とも思える。
ふたつ目は、内戦干渉の映画だ。
米軍がソマリアの内戦に関わったのは、いわゆる国益のためではない。民主主義・国際世論というシステムのためだ。
政治が批判される場合、そのほとんどは政治家への批判に費やされる。しかし政治とはシステムであり、それを構成するすべてを評価する必要がある。
ソマリアへの介入を推した世論は、どれだけソマリアを知っていたか。
劇中「アメリカは介入すべきではなかった」とは、アイディード将軍につながる武器商人の言葉だ。介入を拒むのは独裁者の都合ではある。
だが、二機目の墜落機パイロットであるデュラントが捕らえられたとき、敵兵は言う。「アイディード将軍が死ねば内戦が終わると思うか? 我々が銃を置いてアメリカ式民主主義を受け入れると思うか?」
いずれが勝っても、ソマリアは不幸だ。自らが幸福を掴まない限り。
みっつ目は、自己犠牲の映画である。
個人主義が叫ばれて久しい時代に、レンジャーの兵は仲間を信じて闘い、信じる仲間を助けるために命を張ることを厭わない。
が、この自己犠牲が更なる犠牲を生む。だた、これは単なる自己犠牲批判の映画ではあるまい。
自己犠牲とはなんであろうか?
おまけとして、ヘリコプター好きにとっても、たまらない映画だろう。
飛んでいるのはMH-60とMH-6、それに機銃掃射場面でのAH-6ぐらいだが、スクリーン上をひっきりなしに飛び回る。
ただし絶対的に頼れる強い見方として、とは限らない。なにしろ二機のMH-60が撃墜される。
二機ともRPG-7をテイルローターに被弾して墜落、というところにヘリコプターの性を感じる。
テイルローターはヘリコプターのアキレス腱だ。この弱点を解消するため、フェネストロンやノーター、二重反転ローターなどといったものが開発されたが、なぜか普及率は今一つだ。
MH-60は、傑作汎用機UH-1の後を継ぐべく開発されたUH-60の特殊作戦仕様だ。機動性も防弾性も優れているが、テイルローターは古典的な露出式だ。
もしもMH-60がフェネストロンを採用していたら……戦闘に「もしも」はないが、飛行機好きとしてはついつい考えてしまう。
ようやく『頭文字D 〜Arcade Stage〜』をプレイ。
久々の佐々木ドリフトゲームだ。というより、ゲーセンに行くこと自体が久々。
とりあえず軽く初級4ステージをクリア。一回200円はチとキツいですな。
佐々木ドリフトゲームではありますが、フィクションのドリフトを楽しむというよりは、車のチューン(育成)を楽しむといった向きのようで。
これも中流意識かなあ。
ゲームショウがらみのネタですが、もしも『日経ビデオゲーム』なんて本が発行されたら、ボク買っちゃいます。
メーカーの提灯記事ともユーザーの願望を煽るような記事とも違う、問題提起の記事を書いてくれるんじゃないかと期待……というのは、私の勝手な妄想ですが。
しかし今あるゲームの業界紙ってアレですから、メーカーとも顧客とも違う第三者視点で業界を見る視点が欲しいなあ、と。
なんや妙にジメジメしてまんなあ。
さて、今年から年一回になってしまう東京ゲームショウですが、今回からCESAに加えて日経BP社との共同主催になるそうです。
個人的には日経BPの本が好き(でも自分では買わない)なので、どのようなショウになるか期待するところでありますが、反面ゲーム業界自体の弱体化を象徴するようで、なんとも。
ゲームの領域が拡がるコラボレーションを望みます。ゲームが食われてしまうんではなくて。
DC『青の6号 〜歳月不待人〜』、昨晩とりあえずクリア。
購入から2ヶ月、集中できなかったため断続的なプレイとなってしまいました。
本当は海底総ざらいと行きたかったんですが、さらに莫大な時間がかかるため……。
マイペースで海底宝捜しできるのが好みなんですが、例によってシナリオの中で消化されてしまうのが難です。
クリア後はエクストラモードよりも、フリーサルベージモードが欲しいところです。
まあ、クリア直前の状態で潜りつづければいいんですけど。ワードナのアミュレットを持ってウロウロするがごとく。
カタログスペックでは先に出たPS2版の方が上なのですが、それでもDC版のみ購入です。
それだけPS2の画面が気に食わないわけでして。本当に何とかなりませんかフリッカー。
ゴールデンシアター『TAXi2』。
やっぱバカ映画は字幕よりも吹き替えですか?
この映画一番の見どころは、フルチューンの406に対して派手な立ち回りを見せるランエボがどノーマルであるという点でしょう。
日本車、ノーマルではヨーロッパ車よりも速いのに。ああ。
4月1日に罪のない嘘を楽しむこともなく、真美姉のバースデーイベントにも行きそこね、『アベノ橋 魔法☆商店街』の第一話はいつの間にか放送済みで、カタルニアラリーはタイマー録画の曜日を間違える始末。ああ。
シャアないので『ガンダムエース』第4号を読んでます。
「榊原良子さんがハマーン・カーンを嫌がっていた」という噂がありましたが、本当のところが分かったのは大きな収穫です。
あ、マンガはこれから読みますよ。