個人情報漏洩問題で存続の危機にあったサンクリですが、なんとか再開。
しかし本買いもそこそこに、たこすさんに挨拶。というかダベる。
いろーんな意味で面白いお話が聞けました。ありがとやんす。
あー、行列整理がグダグダな入場列で1時間弱費やしたり、ときメモ4ステージを見て1時間弱費やしたり、グダグダなメタルギア配信列に1時間強並んだりしていたら、色々なものを見る時間がなくなりましたとさ。どっとはらい。
肝心なゲーム生活の展望については考えてません。とりあえず360用の安い大容量HDD出しとくれ。
ああ、自転車いじりとゲームだけで5連休を潰してしまった。あほか俺。
百里輪行の反省と、来月浜松航空祭へ行く可能性があることから、長距離行に適した装備を考える。
1は既に購入済み(一万円かかったよ……)、2も通販で注文済み。
問題は3だ。およそ年一で更新されるようだが、今が買いどきなのか……買いどきなのか。新バージョンが出たばかりで、行ったことのない場所へ行くのだから。
ゲームのほうだが、ファイネストアワーの4面がいまだクリアできず、朧村正は簡単な「無双」で4種類だけエンディングを見たという程度の進捗。
購入本数を絞らないとどうにもならんのではないか、という懸念。明日のODSTを買うかは微妙。
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その他散財:
アレなマンガばっかりだが、寛大な心で許してほしい(謎)
例によって写真にキャプション付けるのは面倒なので、こちらからぬるりとご覧くださいまし。
5年前に痛い目見たおかげで、百里入りは輪行でと心に決めているわけですが、今回は南門が使えなくなったおかげで渋滞の影響を受けたり、午前中は霧が晴れずに飛行展示が激減したり、帰りは帰りでパンク(またかよ)したりと大変でした。午後の天気はよかったけれども逆光気味。
ゲーム雑想:
簡単な操作で技がズバズバ出るとか、食事シーンに異様なこだわりがあるとか、既に語りつくされているので何も言いがたいけれど。
難度設定に「無双」と「修羅」の2種類があって、前者は滅多なことでプレイヤーがダメージを受けない。後者は体力を徐々に削られてジリ貧になってゆく仕組み。
しかもこの難度はゲーム中自由に切り替えが出来るというシステム。これ、どう受け止めたらいいんかね?
ジリ貧になったら難度を下げればいいという逃げ道であるとすれば、自分で操作しているとはいえ、例の自動マリオに近いもんを感じるのだが。
個人的にはアクションゲームは得意でないんで、「無双」で一度クリアしてから「修羅」に取り掛かろうと思う。こういうのも前時代的な考えなんだろうか。
クラシックコントローラで遊ぼうと思ったら、リモコン単体の方がアーケードの操作感に近い罠。そりゃまあ、一種のガンシューティングだし。
もっとも、自動連射をONにしたときの操作感こそアーケードに近いが、手動連射に挑戦しようとするとボタンの少なさがハンデになる。
アーケードゲームの感覚を後世に伝えるというのは、複数の意味で難しい。
もう、これのためにWiiを買ってしまったわけで。マイナーゲームを移植したことに拍手したい。
忘れていたことを色々思い出す。ショット手連射必須、ダッシュ必須、着地前にバーニアを吹かして硬直時間を短くすること必須、黄ロボは回復が速いうえミサイルを撃って来るので速攻必須……。
予備知識のない人には鬼のような仕様だなあ。オリジナルが稼働していたときには既に過去のものとなりつつあったが、アーケードゲームには「よく分からんものを相手にする」という妙なワクワク感があった。各々のタイトル、その存在自体がそれぞれ事件だったのである。
今のゲーセンは客単価を上げるため、コンシューマゲームがそうなってしまったように、メモリカードで安心感を売っている。どちらのゲーセンが幸せかというのは、いちがいに言えたことではないんだけどね。
こういう真剣にアホなゲームが許されるっていいなあ。
一時期は妙なバカゲーブームというのがあって、バカさ加減で差別化をしなくちゃいけないんだ! という暗黙の空気があり、バカなものを素直にバカらしく楽しむことができなかったのだ。そういう意味では、肩の力が適度に抜けたいい時代になった気がする。
ところで裏5面のボスがモーレツに強すぎるのを何とかしてください。
ICのシュリンクが進み、ようやく3台機種の価格が並んできた。
が、マイクロソフトさんや。ちょっと待ってくれ。120GB HDD搭載のエリートを値下げするのなら、既存ユーザーのために別売120G HDDも値下げしてくれや。
360は特に大容量HDDが熱望される機種である。なにしろトレイラーや体験版を大量に配信しているうえ、コンシューマゲーム機で唯一DVD-ROMソフトのDL販売を実施している。
そのくせPS3のように市販HDDへの交換を黙認しているわけではなく、ユーザーは120GBのHDDに1TBのPC用HDDと同程度の出費をしなければならない。DL販売を推進するのであれば、HDDを戦略価格で売る必要がある。
Webで内容を見てまず思ったのは、お元気そうで何より。
しかし困ったのは、「ゲームは悪」発言。いやおっしゃるとおり。ゲームを遊ぶこと自体には、基本的に生産性はない。
だが僕が考えを異にするのは、善のゲームをつくろうとするよりも、むしろゲームを遊ぶときに「これはあんまりよろしくないもんだな」と自覚することが必要ではないか、ということだ。ゲームが良識派から叩かれた80年代、「ゲームは知性を磨くのに役立ちますよ」等の理論武装が試みられたこともあったが、そのために創られたゲームはつまらないか、あるいは説得力を伴わないものが大半だった。
ゲームで遊んでいることをおおっぴらにできるようになったのは90年代ごろから。つまり、かつてゲームで遊んでいた子供が親になったころだ。こういった親は、時として子供のゲームを制限することを忘れる。ゲームだろうとなんだろうと、やりすぎはいけない。
ネトゲ中毒の人が限界を感じて「ゲームから得られたものは何もなかった」という例があるが、私のようなゲームじじいから言わせれば「何を今更」である。世の中には素晴らしいゲームがあるとは思うが、しかしゲームそのものが善を目指すというのなら、それはおこがましいか、あるいはゲームでない何かを生み出すことだろう。
ゲーム中毒の人間に対し、ゲームの外に世界があることを知らしめるのであれば、逆にゲーム自身は悪だと名乗っておいた方がいい。
あるいは、ゲームが何かの訓練になると考えたりしたら、しまいには世の中のほうをゲームに合わせる連中も出てくるだろう。
というか、実は富野監督がこういった二元論的な言い方をしたのに驚いた。といっても、頭の中まで二元論じみているとは思わないけれど。つまるところ一種の方便だろう。
願わくば、この講演でゲーム業界の向上心が刺激されればいいのだけれど。
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その他散財: