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H&K Mk23 USSOCOM PISTOL
電網名:倶零舎(くれいしゃ)
魂の名:アルベール・フジモリ
出身地:千葉県
現住所:東京都
性別 :をのこ
年齢 :三十路でGo!
職業 :最近思うんですけど、私が勤務先を書くと刺されるような気がしてきました……。

ページの傾向:

 管理人である倶零舎が、自分の趣味(ビデオゲーム・航空機・飛び道具・アニメなど)について、自分の都合の良いように話すページ。
 詳細は「このページについて」を参照。

私歴(書きかけ):

 1971年、道楽親父とおっとり母の、次男坊として誕生する。
 幼稚園に上がるまで、一家は団地住まい。千葉市の中心部からちょっぴり外れた街並み。
 TV-CMや看板などで商標を目撃するとそれを連呼する、商標マニアだったらしい。

 1974年ごろ、千葉市の外れ、畑や林が適度に残る場所の一軒家に引越し。ちなみにこの場所、いまだに下水道が整備されていない。政令指定都市なのに。
 現在と違って活発な子供だったらしい。しかし『ザンボット3』の洗礼を受け、何かが狂い始める。(笑)
 親父が働いていたテナントビルにナムコの直営店があったため、ゲームへの憧れを抱く。

 小学生時代。(1978年〜)
 この頃になると、利発的な兄と対照的に、すっかり内向的になっていた。
 小学校というコミュニティになじめず、よく泣かされる。
 弱虫であることが憂慮されたのか、少年野球やスイミングスクールに通わされるが、長続きしない。
『ガンダム』が『ダイターン3』とあまりにも違うことにショックを受けるが、後のガンプラブームとコミックボンボン、『ダグラム』などによって、すっかりオタクの下地が形成される。
 同時に別冊コロコロを読んでいたため『ゲームセンターあらし』と『こんにちはマイコン』にハマり、親に「情操教育」と称してPC-6001をせがんだり、ベーマガを読んだりする。
 この辺の経緯から、すっかり流行のファミコンに対して反骨精神を露にする。ファミコン版『ゼビウス』よりも『タイニーゼビウス』が先に発売されたので、背伸びして自慢する。
『ポートピア連続殺人事件』の暗号が理不尽だったので、このとき既にアンチ堀井雄二となる。
 高学年になると空手教室に通わされる。

 中学生時代。(1984年〜)
 ややすると、近所にくにくに氏が引っ越して来、いっしょにMSXのゲームで遊んだり、月刊マイコンを読みふけったりする。
 今から思えば「怪しい部活動」への憧れは『究極超人あ〜る』ではなく、多部田俊雄氏の書いていたマイコン記事に起因していた。
 X1を持っている優等生の友達がうらやましかったので、今度はX1ckを親にねだる。
『Ζガンダム』を見、空手によって男らしさが得られるという幻想が崩壊する。
 進学塾に通いながらも、昼飯代をケチってゲーセンに行き、『沙羅曼蛇』や『ファンタジーゾーン』に金を注ぎ込んだが、全然うまくならない。
 そのくせ進学には成功したのだから不思議だ。
 卒業後の春休みに『王立宇宙軍』を観、強い感銘を受ける。ちょっとアニメが好きな連中が、てらいも恥ずかしげもなくアニメの話をできる幸せな時代だった。この作品がコアなアニメファンたちに拒絶されたと知るのは、しばらく後の話である。

 高専生時代。(1987年〜)
「高専ならば学費が安い」という親の目論見があったらしい。
 MSX2やX1turboが普及するにつけ、自分のMSXやX1ckがみすぼらしく見えた。
 アルバイトをして買ったのは、X1用のFDDだった。これで『ウィザードリィ』を遊べば幸せな気分だった。たとえ戦闘開始のたびに1分間のロードがあっても。
 パソコンの最新事情からは離れ、かわりに「怪しい部活」への憧れから写真部へ傾倒する。自分を含め『あ〜る』にかぶれた連中ばかりで、部活の存続を危ぶませることもしばしば。
 そんな中、『映像研究同好会』を設立しようという動きがあったので便乗する。が、活動の方向性が見えず、まだ見ぬ鳥坂センパイの登場を夢見る。
 鳥坂センパイは一人いれば十分なはずだが、こちらの事情にかまわず怪しい先輩たちがドカドカ入ってきて、映研は異様な活気を帯び、恥ずかしいビデオ作品を撮ることになる。
 この頃読んでいたオタク雑誌は、ファンロード、サイバーコミック、ゲーメスト、モデルグラフィックス『ガンダムセンチネル』など。
 また『エリア88』や『ファントム無頼』に触れて飛行機にかぶれたのも、この頃だ。とはいえ、学び舎の地が日本初のジェット機が飛んだ場所だと知るのは、ずっと後のこと。
 そして軟派ゲーム誌と呼ばれていたテクノポリスによって、同人の世界を知る。商業ソフトが出ないX1でも、コミケに行けばソフトが手に入る! Maruto! 氏の絵が好きだった。(当時はまだエロ絵師ではなかった)
 件のナムコ直営店に、当時有名だったゲームファンジンサークル
"Studio Force Field"がたむろしていたこともあり、同人誌の世界にも傾倒してゆく。(当時のゲーム同人誌は攻略が中心であり、ファンジンは珍しかった)
 ついにはくにくに氏と組んで、ファンジンサークル『スペシャル核攻撃』を結成。
『ストライダー飛竜』のカッコ良さにシビれ、遊びたさにメガドラを買う。X68000を買えない自分にとって、メガドラは安くゲームをするのにうってつけだった。
 とにかく高専での5年間は、(その愚かさを含め)語りつくせない濃さを持っていた。
 最大の心残りは、このとき自動車の運転免許を取っておかなかったことと、女の子に優しくしなかったことである……。

 1992年就職。以下続く。


著者近影

藤崎詩織(TM)


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