Round 10 一周でレースを決めてしまう男

2001.07.06

 

今回はくだらない余談なしだ。おら去年まで二輪も四輪も含めてモーター・レースには全く興味がなかったから、本間氏に最初に会ったときは彼のことを知らなかった。ところが、本間氏のことをちょっと調べてみたら、すごい選手だったことを知った。んで、いつかまた会えたら、いろいろ聞きたいと思ってた。6月8日(金)にその機会がやってきた!おら、本間氏に会いたいと前から江場氏に言ってたから、名古屋にある本間氏のお店、“酔仙”で岡田や江場氏と飲む際に、江場氏が本間氏を呼んでくれたのだ。そこで、おらは生涯初のインタヴューを試みた。本間氏はおらのインタヴューの依頼に快く応じてくれて、飲みながら1時間余りに渡って丁寧に応対してくれた。

 

インタヴューの内容を記す前に、本間氏を知らない読者の為に、本間氏とおらの略歴を比較して戴き、彼がどんなライダーだったかを一目瞭然にしてさしあげよう。本間氏を知ってる読者には比較の対象がおかしいと、非難を浴びそうだ。

 

本間氏略歴

出生地:                 愛知県名古屋市

誕生日:                 1967.03.24

二輪:                    ヤマハYZR250他

四輪:                    BMW 528

声:                       すごく高い

二輪デビュー:        1985 全日本GP250

主な戦歴:              1986 富士スーパー・スプリント250 ヒート#1優勝、総合4位

                            1987 全日本GP250 ランキング3位

  1988 全日本GP250 チャンピオン

1989 全日本GP250 ランキング2位、WGP250 ランキング15位

1990 全日本GP250ランキング15位

1992 全日本GP500ランキング4位、WGP500 ランキング21位

1993 全日本GP500 ランキング2位

1996 全日本GP250ランキング5位。

南郷略歴

出生地:                 愛知県名古屋市

誕生日:                 1961.05.25

二輪:                    ヤマハSRV250他

四輪:                    BMW 318ti

声:                       高い

二輪デビュー:        1981 奥多摩有料道路 3位(3人中)

主な戦歴:              ここ3年間、箱根の峠では無敵(年に1回しか峠に行かない)

 

「乗ってる二輪は同じヤマハの250ccだし、四輪も同じBMWだから、南郷とあまり違わないじゃん」って思った人は、二輪レースのことを全く知らないか、知ってておらの将来性を見抜いた偉い奴だ。

 

以下におらの徹底調査と、本間氏本人から聞き出した内容を統合した、“本間利彦 ライダーの系譜”を示めそう。

 

1985年: 国際A級に昇格し、プライヴェータとしてヤマハの市販レーサーTZ250を駆り全日本GP250に参戦。

 

1986年: WGPチャンピオンを始め、そうそうたるワークス・ライダーを募った、第一回富士スーパー・スプリント250に出場し、ウェ   ット・コンディションの第1ヒートで優勝。総合4位。

 

1987年: シーズン途中、ヤマハはプライヴェータの本間氏にワークス・マシンYZR250を投入し、全日本GP250 ランキング3位。この頃、読売テレビのドキュメンタリー番組で、全日本GPのシンデレラ・ボーイとして取り上げられる。

 

1988年: UCCがスポンサーのヤマハ・ワークス入り。しかしヤマハは全日本GP250からYZR250を撤退させ本間氏はTZ250に乗ることとなる。それでも本間氏は全日本GP#3で、それまで上位を独占していたホンダのワークス・マシンNSR勢を破り優勝。その後ヤマハは本間氏に再度YZR250を投入し、シーズン7勝。大差での全日本GP250のチャンピオンを獲得。スポット参戦したWGP@鈴鹿ではポール・ポジションをとり決勝8位。富士スーパー・スプリント250では日本人トップの4位。翌年のWGPフル参戦を期待されたが、ヤマハ・ワークスは、本間氏にもう1年全日本で走ることを指示。

 

1989年: 全日本GP250ではポール・ポジションが指定席で、スタートも速く、そのまま優勝することが多いので、「一周でレースを決めてしまう男」と呼ばれる。前半7戦中5勝。全日本の合間をぬって、WGPヨーロッパ・ラウンドにスポット参戦。WGP#11@フランスでは予選2位、決勝4位。WGP#12@イギリスでは予選19位、決勝転倒リタイア。WGP#13@スウェーデンでは予選13位、決勝6位。パワーでNSRに劣るYZRでの本場ヨーロッパでのこの活躍に、本間氏がWGPにフル参戦すれば上位ランキング獲得も夢ではないと期待される。WGP@鈴鹿では決勝4位。36ポイント獲得でWGPランキング15位。全日本GP250の2年連続チャンピオンは確実と思われていた。ところが…。本間氏は鈴鹿での全日本決勝時にマシンとガードレールに挟まれる大事故をおこし、岡田忠之に次ぐランキング2位に終わる。本間氏曰く、「生きてただけ、よかった」と。この事故で本間氏は三半器官を患い、手術により回復するも、「調子が悪くなっちゃってチャンスをなくした」となり、翌年のWGP250フル参戦を棒に振るばかりか、その後の戦績も振るわなくなる。結果的にこの事故が、本間氏のWGPフル参戦の道を断ったと言えよう。

 

1990年:全日本GP250でランキング15位。WGP@鈴鹿では決勝6位。

 

1991年:全日本GP500に転向。

 

1992年:全日本GP500でランキング4位。YZR500でWGP@鈴鹿に出場。決勝8位。

 

1993年:全日本GP500でランキング2位。ノリック阿部がこの年のチャンピオン。

 

1994年:一線を退き、YZR500のテスト・ライダーに。

 

1995年:YZR500のテスト・ライダーを続ける傍ら、WGP@鈴鹿にワイルド・カードで出場し予選4位、決勝リタイア。

 

1996年:再度全日本GP250に参戦し、ランキング5位。

 

1997年:ヤマハ・ワークスをクビになりかけ、酔仙の経営を始める。このとき「職業ライダーをもうやめようかと思った」と。しかし、河崎裕之監督に認められ、YZR250のテスト・ライダーに。「上司に気に入られないとクビになることがよく分った」と、喜怒哀楽をあまり表に出さない本間氏がめずらしく大笑い。しかし、本間氏はテストに呼ばれることなく、酔仙の経営に専念。

 

1998年:YZR250のテスト・ライダー。

 

1999年:YZR250のテスト・ライダー。この頃には「監督に気に入られて忙しくなった」ようだ。NHKのWGP解説者もしていた。この年オリヴィエ・ジャックの故障による突然の代役でWGP@フランスを走ることに。スタートでエンジン止まらせ、最後尾スタートとなるも、追い上げて10位となり、6ポイント獲得。WGP@イタリアでは、スタート時に前にいたライダーに接触し転倒。200mの走行に終わる。WGPランキング24位。

 

2000年:YZR250のテスト・ライダー。

 

2001年:YZR250のテスト・ライダー。

 

とまあこんなところだが、一言で言うとこんなライダーだったようだ。「ホンダNSRが強く、また日本人WGPライダーが稀だった時代に、彗星のごとく現れたヤマハの天才ライダー。全日本でのあまりの強さに、WGPフル参戦でのチャンピオン獲得の期待は高かったが、フル参戦に至らなかった稀有のライダー」

 

ちなみに酔仙はJR鶴舞駅から徒歩で5分のしゃれた店。鈴鹿でのレース後は、選手がレース・クイーンを連れて来るらしい。おら鈴鹿でレースがある日は、酔仙のカウンターでグラス傾けて彼女らを待つことにしよう。選手とケンカして、出入り禁止になるかも。

 

月刊誌CYCLE SOUNDS#74には“なぜ速い?本間利彦”という特集がある。“本間利彦レーシング・ダイアリー”という連載もあったようだ。

 

オリヴィエ・ジャックが出てきたが、ジャックはおらが昨年NHKで放送してたWGPの放送を観て、その面白さに衝撃を受けた際に活躍した選手だ。テレビとはいえ二輪のレースをまともに観たのは、これが初めてだった。それはヤマハ250ccクラスの両雄、オリヴィエ・ジャックと中野真也の獲得ポイントが拮抗していて、勝った方がチャンピオンになるという最終戦でのゴール寸前まで熾烈を極めたレースだった。ゴール寸前にジャックが抜け出し、一車輪程の差で優勝し、チャンピオンに。おもしろかったなー。でもヤマハの選手同士でそんな無理して、二人が接触、リタイアでもしたら、ホンダの加藤にチャンピオン持っていかれちゃうのに!といった手に汗握る展開で、今思えばあのレースがおらをサーキットに掻きたてた一因でもあったろう。そのジャックと中野の乗っていたマシンが、本間氏がテストしているYZR250だったのだ。

 

ジャックも中野も2001年からはWGPの500ccクラスに転向しているが、ジャックは転倒によるケガで思うようにいってない。中野はそこそこ期待どおりの結果を残しているが、まだ表彰台に立つには到っていない。500ccではホンダのロッシが強過ぎる。日本のスポーツ界はイチローで大騒ぎだが、二輪レースの世界最高峰舞台であるWGPにも、“悪魔くん”みたいな顔してるアプリリアの原田哲也や、ホンダの加藤大治郎なんていう世界の頂点に立つ日本人選手がいるのだ。ヤマハの中野真矢なんか、強いだけじゃなくてかわいいから、中野王子なんて呼ばれてる。加藤はホンダだし強すぎるから、おらは中野を応援してる。おらホンダと巨人を同一視してる?あっ、読者には炎のRR会がいた!スナップリングもホンダ店だ!読者がホンダ党とヤマハ党に完全に分かれているので(岡田だけはカワサキ)、本書を書き辛くてしょうがない。20年程前、二輪の売上は、2強(ホンダ、ヤマハ)、1弱(カワサキ)、1ダメ(スズキ)と言われていたが、本書の現在の読者配分を見る限り、その勢力図は今も変わっていない。おらはトラをサーキット・マシンにしてよかった。一見中立に見える。しかし…。ごーまんかましてよかですか!中野、ビアッジ、松戸のヤマハ勢は頑張ってホンダ勢をやっつけろ!セ・リーグの5球団は巨人をやっつけろ!特に中日はローテーションなんて滅茶苦茶にしていいから、野口、山本昌、バンチを対巨人3連戦につぎこみ続け、唯一巨人以外で優勝できそうなヤクルトに全部負けていいから若手投手陣を試せ!

 

当然本書の読者には巨人ファンがいるだろうが、本書の本当の目的は中日新聞社からの依頼を受けたおらが、巨人ファンをアンチ巨人に洗脳することだ。ちなみにおらは、どんなイイ女にいい寄られても、巨人ファンと知った時点で相手にしなくなる。従い、きわどい状況になる前に、必ず女の好きな球団名を聞くようにしている。おらってなんて男らしいの!

 

それにしても最近のイチローはホントに首位打者取るかもという勢いだ。おらシーズン前は.320から.330くらいと予想してたが、まだ前半とはいえおらの予想を上回ってる。今では中日の1勝よりイチローのヒット1本の方がおらには大事だ。

 

四輪アマ・レーサーの西田氏も後から酔仙にやって来た。このメンツの中で彼だけはモテそうだ。二輪のR1にも乗ってるが、色男風でないから許せる。明後日は鈴鹿で300Km四輪耐久レースやるそうだ。岡田も随分モテてるようだが、ニ枚目じゃないから全く許せる。でも15年ぶりに会った岡田の人相はほとんど変わってなかったのに、岡田曰く、おらは随分老けたそうだ。仕事のせいかなー。ちなみにこのメンツの二輪は、本間氏のYZR250、岡田のZU、西田氏のR1、江場氏のTRX850、おらのTT600とそうそうたるものだ。本間氏の公道マシンは前回会ったときにはヤマハTW200とのことだったが、今は自転車だって!でももうすぐヤマハXJR1300を手に入れると。「誰が速いかやろまいか!」とおらがいうと、江場氏が「鈴鹿スカイラインがいい」、岡田が「茶臼山がいい。なんなら奥多摩サーキット(旧奥多摩有料道路、現在の奥多摩周遊道路のこと)でもいい」と。おら本間氏と走れるならどこへでも行くぞ。いっぺん岡田もぶっちぎりたい。

 

本書Round 1〜7のハード・コピーを本間氏に渡し、読んでもらうようお願いした。TTの写真見せたら、「R6ですか?」と聞かれバツが悪かったなー。TT大破して、R6がインジェクション化されたら、次はR6買うから許して!R6買ったら本間氏にお願いして、ゴロワーズ・ヤマハのYZR500風(塗装と、チューニング・フォークのエンブレムと、ゴロワーズのステッカー、そしてジャックと中野のサイン付き!)に仕上げるぞ。公道マシンはトラのスピード・トリプルにしたいが、先立つ物が…。.

 

本間氏のレーシング・チーム・ヤマハとゴロワーズ・ヤマハの関係がよく分からなくて、江場氏に聞いてみたら、結構複雑だった。てっきりYZR250で戦うペトロナス・スプリント・ヤマハの松戸とユージー、そしてYZR500で戦うゴロワーズ・ヤマハの中野とジャックは、本間氏の所属するレーシング・チーム・ヤマハのメンバーだと思っていたら、ペトロナス・スプリント・ヤマハもゴロワーズ・ヤマハもサテライト・チームだって。芳賀のレッド・ブル・ヤマハとビアッジのマールボロ・ヤマハもサテライト・チームだが、マールボロ・ヤマハだけはレーシング・チーム・ヤマハの直系チームなんだそうだ。本間氏の所属するレーシング・チーム・ヤマハは、ヤマハ発動機の組織だが、その組織がWGPに参戦してる訳ではなく、YZR250、YZR500を開発して、各サテライト・チームにマシンを貸しているんだそうだ。

 

次に、岡田のアイデアで本間氏の免許証を見せてもらった。本間氏だけでなく、岡田も江場氏も3、4回免許取り消しになってるらしい。おら、「ゴールド免許なんか、ライダーとして恥ずかしくて持っとれんし、青色が好きなんだ」と日頃下手ないい訳してるが、そのおらだって免取りの経験はない。こ奴らは筋金入りだ。ちなみに自衛官は赤キップで懲戒処分だそうな。自衛隊の戦闘機パイロットは危険だから二輪に乗ることさえ許されないらしい。F14パイロットのトム・クルーズは洋画“トップ・ガン”で、ビッグ・バイクをノーヘルで飛ばしてたが、米海軍はそんなにうるさくないのか?

 

いよいよ本間利彦独占インタヴュー!


4563 酔仙にて、本間氏近影

 

[おら向けのライディングに関する質問]

「おらオーバー・スピードでコーナー進入してしまった際、寝かしきれず、ブレーキングしたまま突っ込むことがありますが、そういうことってないですか?」

「「あー」と思っても前を見ないで、曲がる方向、つまりイン側を見て頑張らないとだめ。そして、曲がれると思えばブレーキは離せるもの。前見たままだとぼくたちでもブレーキかけるしかなく、曲がれない」

やた、やた、やたー!どえりゃー、嬉しいなも!本間氏がこのおらの質問に即答できたということは、この疑問はあってしかるべきものだったのだ!本書で、おらのこの疑問には再三に渡って触れてきたが、その回答を得たことも嬉しいが、それ以上に今まで伊藤さん以外誰にも理解してもらえなかったこの疑問を、プロの本間氏が理解してくれたことが何より嬉しい。やはり、頂点を目指すおらのようなライダーが持つ疑問は、同じ頂点を目指したライダーにしかわからんのだろうなー。「曲がる方向を見る」というのは、どんなライテク本にも書いてあるから、通常のコーナリングの基本としては、おらも知っていた。でも、それはおらの疑問である、本間氏の言葉を使うと「あー」という状況への回答とは到底結びつかないものだったし、「あー」という状況を記した書物を見たことがない。突っ込むのはおらに資質がなかったんじゃなく(それもあるが)、知識がなかったからだったんだ(頭も悪かったんだろうが)。あとは、このことを忘れないように、常に曲がる方向を見る癖とブレーキを放す勇気を持つことだ。それができなきゃ、伊藤さんの回答である「単車を放り出す」しかない。それも勇気いるけどなー。岡田が、「そんなときは、上見たほうがいい」と。すでに酔ってる。

 

「おらにFISCOでののアドヴァイスを!」

走行ライン、1コーナー、最終コーナーについて聞くつもりで、FISCOのコース図を出し、まず始めに走行ラインを聞いたのだが、本間氏は、ラインの説明は重要でないと思ったのだろうか、「ラインですか?」の後、しばらくして、おらの現在の走行タイムと目標タイムを聞き、走行ライン以外のことを長時間に渡って話してくれた。「一回目の214が現在のファステストで200が目標」と答えると、「すぐできます」って。ここで大多数の読者は本間氏だからそんなこと言えるんだと思うだろう。おらも最初はそう思った。でも、インタヴューを続けていくうちに、本間氏がビギナーのおらを対象とした、そのレヴェルでの話を真剣にしてくれてるのがよく分かった。読者も本間氏のコメントを読めば、本間氏が自分のテクとFISCOのコースを良く知った上での、決して軽々しい言葉ではないことがわかるはずだ。でもおらはそれをいつか実証しなければ、本間氏に会わせる顔がないし、読者にもカッコつかない。でーりゃー、プレッシャー!

 

本間氏曰く、「大事なのは最終コーナー」だって。本間氏は、紙に絵を描きながら丁寧におらに分かる言葉で話してくれた。本間氏の言葉をまとめると、

「いきなり、タイムを上げようとすると、1コーナーで転倒したように、ノー・コンになっちゃう。焦らず日に0.5秒ずつタイムアップするように一日10ラップを目途に何回も走り込む。そうしていくうちに208ぐらいでタイムが止まる。しかし、そこであきらめちゃうと、最初のタイムに戻ってからのやりなおしになるから、途中でやめたらだめ。我慢して何回もずうーっと走る。すると、同じタイムでも今まで目いっぱいだった、いろんな対応に余裕が持てるようになり、各コーナーのブレーキング・ポイント、ブレーキのリリース・ポイント、スロットル開け始めるところと全開のポイント、クリッピング・ポイントを覚えられ、しばらくするとまたタイムが少しづつ短縮できるようになる。一番大事なのはブレーキング・ポイント。155くらいはでるようになる」

 

1コーナー手前のブレーキング・ポイントは?」の問いに、

「ブレーキング・ポイントは200m手前から始めて、3回ぐらい同じことをやると余裕ができ、その後5m刻みで短くする。180mぐらいで目いっぱいになったら、それが自分の技量の中での限界」

おら5mのところを、50m刻みでやって突っ込んだのね!

 

「ブレーキのリリースは、瞬時に行うのではなく、クリッピング・ポイントまで徐々にリリースすること」

ここは、何度も、何度も、ブレーキングを弱める度合いを、10、8、6、4、2といった具合に、コース図のコーナーの部分に数字を書いて説明してくれた。

「ブレーキを瞬時にリリースすると曲がれないし、フロント・ホイールの接地感がなく、すべってるのか残ってるのかわからない」って。おらは、瞬時にリリースし、それをきっかけに曲がるものとばかり思ってたから、フル・ブレーキング後、いつも同じ旋廻開始場所に、いつも同じ速度で進入するなんてのはとうてい不可能だと悩んでたが、この本間氏の方法なら、それもできるはずだ。

 

「スロットルの開け方も最初はゆっくり開け始める。0.5か0.3秒毎にちょっとづつ早めに開けていき、すべったところが限界で、それは周回重ねないと分からない。いきなり早めては転ぶ。それを各コーナーでやる。でもヘアピンはスロットル開ける場所は分り易い。ラインを追っかけず、アウト側ぎりぎりいっぱいに膨らんだ際の、コースの外端との距離に余裕がある限り、スロットル開けるタイミングを0.5秒毎に早めていけばいい。コースの端ぎりぎりにまでふくらんだところが限界」

 

1コーナーはレーサーなら1速だが、乗ってみないと分からないが市販車ならたいてい2速。1コーナー直後は下りでかつ逆バンクなので滑り易く注意を要する。開け方注意しないとハイサイドの危険がある」

 

100Rは、遠くを見ること。ここでは、0.3か0.2秒毎にスロットル開けるタイミングを早めにしていく。ここはコーナー左側の奥行きがなく、転倒すると危ない」

 

「最終コーナーは、150-170Km/hでの旋廻。これを50km/hか70Km/hと自分に言い聞かせるなり自分を騙し、恐怖感をなくして走る。遠くを見ること。ここなら多少リアが流れても早く気づけば持ちなおせるし、ここでハイサイドになることはない。自分もやったことあるが、コースアウトしてもここは大丈夫」

 

 

[本間氏に関する質問]

「運動神経いいですか?」

「まあ、なんでもこなします。モトクロスを小学4年から、ロードレースは16歳から始めました。父にプロ・ゴルファーになる道を勧められ、小学6年から練習しました。腰を痛めてあきらめましたが、ゴルフは今もやります。今は82ぐらいで回ります」と。「ひょっとして、お父さんは本間ゴルフの社長?」と聞いたらそうではなかった。ここで岡田が、「本間ちゃんは今は股クロスが得意」と。本間氏は本当だからかどうか知らないが、否定せずに笑ってた。独占インタヴューのはずが、たまに岡田と江場氏のちゃちゃが入る。

 

「ライテクは主に人から教わったのですか、自分で考えたのですか?」

「ほとんど自分で」

 

「なぜ速いのだと思いますか?」

「好きだから、研究したので」他のトップ・ライダーがどうかは知らないが彼は結構理論派だ。江場氏曰く、「才能やセンスがあって努力したから強かった。勝負師で、ここぞというときには速かった」と。ちなみに、江場氏は手が速くて、岡田は行くのが速いらしい。みな一芸を持ってる。

 

「でも優しいですね」とおらが言うと「走ると変わります」って。おら、本間氏があまりに謙虚なので、彼の戦歴とのギャップを感じずにはいられなかったのだ。後日、本間氏の現役の頃を知っている伊藤さんに本間氏のこのあまりにも優しそうな性格について話すと、「インタヴューでも、解説者のときもそうだった。あれだけのライダーになると、多少は驕りもでるもんだが、本間は一貫して変わらなかった」そうだ。それにしても、本間氏現役の頃の走りを観てたなんてうらやましい。

 

「なぜ1990年にWGPフル参戦しなかったのですか?」

「三半器官を患ってから、調子が戻らなかった」(ここで、上記に述べた1990年以降の経歴を話してくれた。)

 

「自分をどういう性格だと思いますか?」

「負けず嫌いで、気が長い方ではないが、歳と共に・・・」と。おらは歳と共に気が短くなってるがなー。

 

「自分をどういうライダーだと思いますか?」

「昔ですか、現在ですか?」とのことだったので両方お願いした。

「昔は負けず嫌いで、日本人だから外国人に勝てないという概念を打ち破りたかった。技術的には変わらないので、精神的に負けないよう頑張った」確かに二輪レースは体力や体格でさほど差のでる競技ではない。現にここ数年日本人ライダーは世界でも強い。テニスは二輪ほどではないが、特に女子の場合は日本人の体力や体格で勝てない競技ではないから、今のWGP並みとまではいわんが、もちょっと何とかならんもんか。

「現在はテスト・ライダーとして、マシンの感覚を言葉におき変えることをやっています。転ぶ前の瞬間のグリップとか、グリップのなくなり方とかを言葉におき変えられないといけない」おらが、「現在はコンピュータ化が進み、マシンの感覚をメカニックに伝える技術も随分進歩しているようですが?」と問うと、「確かに、昔に比べて多くの部分はコンピュータ化により可能となっていますが、最終的な感覚というのはテスト・ライダーの言葉が重要です」と。「先輩から受け継いだ技術を、後継者に伝えなきゃいけない。人間の文化と同じで、レースの世界も一代では成り立たない」って。現在の仕事の話を聞いていて、本間氏は既に自分を第一線のライダーとしては考えておらず、後継者を如何に育てていくかということに情熱を燃やしていることがわかった。それにしても本間氏は岡田らとは明らかに違って真面目だ。なぜそんな真面目な本間氏が岡田らなんかと連るむのだろうか?江場氏と仲が良いのは分かるが、その江場氏だって、相当な遊び人のようだ。おらがまだ、本間氏の裏の姿を知らないだけかもしれない。

 

「将来目指すものは?」の問いに、「いつか監督やりたいが、エンジニアもいい」と。本間氏がヤマハの監督になったら、おら達をWGPで使ってくれないかなー。岡田は用心棒。江場氏はメカニック。おら、二輪のセッティングはできないが、レース・クイーンとの合コンのセッティングならやる。あるいは、おら絶対転倒しないようにするから、テスト・ライダーやらせて!

 

「ライヴァルはやはり清水雅広選手だったのですか?」

「そうです」ホンダの清水選手は本間氏より少し前の世代だが、清水選手も国内では敵なしの強さだったようで、WGP250フル参戦を果たしている。惜しまれるのは、福田照男の“チャンピオンライダー考現学”に表現される、「この頃(ライヴァル同士の)本間と清水の二人がWGPへ揃ってフル参戦していたら原田より前に250での日本人チャンピオンが生まれた可能性もあったと思われる」の言葉に現れているように、本間氏がWGPフル参戦に至らなかったことだ。

 

「好きな選手は誰ですか?」

特にいなさそうだったが、「身近で言うとマイケル・ドゥーハン」。岡田はフランスのクリスチャン・サロンだって。おらまだ選手をよく知らないが、「ウェイン・レイニー」と言ったら、「私もレイニーさんは努力家だから好き」と本間氏。この言葉から本間氏も努力家であることが伺える。後で知ったがレイニーもヤマハだったから良かったよ。おらがレイニーに興味があるのは、彼が強かったからではなく、転倒により下半身不随になっても、今もレース監督として活躍している、その強靭な精神力によるものだ。死にたがりのおらは、彼に比べて弱虫だと思う。また彼の二枚目ぶりもいい。どうもおらは二枚目ライダーでも、真面目なやつは例外的に好きなようだ。その気になればホイホイなのに、真面目というのは好感が持てる。007役にしても、ティモシー・ダルトンだけは他のボンド役と違い、カッコいいけど色男風でないことから格別好きな俳優だ。二枚目と色男ってのは違うんだな。おらどっちだろう?そういや、北京では、ジョン・ローンと間違えられて、よく中国語で話しかけられたなー。かみさんと二人でいて、おらサングラスまでかけてたのに、かみさんに帯同してる中国人のツアコンに間違えられたこともあった。

 

「来週からWGP#6@カタルニア、#7@オランダ、#8@イギリスとヨーロッパ・ラウンドに行かれるようですが、その目的は?」

YZR250のサスペンションとフレームのテストです。日本のようにサーキットのグリップが良くないので、現地でやらないと分からないので」おら、江場氏から本間氏がこのテストの結果如何によっては、WGP#7、#8にスポット参戦する可能性があると聞いていたので、インタヴュー前の2日間、会社を辞めようかどうか悩みに悩んでた。それは本間氏がWGPにスポット参戦できるかどうかの結果はさておき、本間氏がカタルニアでWGP出場を目指す過程がとても魅力的に思え、それを執筆したいと思ったからだ。だからもし本間氏の同意が得られれば、会社辞めてでも、カタルニアに行こうかと考えてた。おらの幼稚園時代の友人で、四輪F1の撮影で世界を回ってたプロ・カメラマンがいるから、なんだったら彼も巻き込もうかとも思ってた。でも、本間氏は「WGPへの出場はないしもう一線を引いている」と。おら、本間氏自身に既にWGPで走る気がないことを知り、残念に思った反面、会社を辞める決断を下す必要がなくなったことでホッとした。

 

以上で、インタヴューは終了。酔仙でのインタヴューの後、居酒屋での二次会にも本間氏は付き合ってくれた。カウンターだったが、みんな気を使っておらを本間氏の横に座らせてくれたので、またいろいろ話ができた。上記にはその際に聞いた話も含まれている。本間氏は、モトクロスを趣味としているそうだ。趣味でオンロードやって、ケガして仕事に支障をきたす訳にはいかないし、趣味として危険なオンロードをやる気にはならないようだ。その点、転倒しても大丈夫なオフロードなら楽しめるらしい。本間氏に「サーキットで抜かれたい!」と誘ってみたが、「オフロードならいいです」って断られちゃった。後日、江場氏に相談したら、「本間もツーリングはやるから、そのときいっしょに走れば」って。それいいじゃん。本間氏のXJR1300に対し、TTは600ccといえど国内規制なしのフル・パワー・スーパースポーツだから、マシン性能としては遜色ない。沈着冷静すぎる本間氏の熱くなるところを見てみたいから、峠でぶっちぎってみるか。いくら、本間氏が無茶しないと言っても、峠でおらがぶっちぎれば血が騒ぐはずだ。江場さん、なんとか本間氏とのツーリングを企画しておらも呼んで!でも結果は目に見えてる。本間氏がどえらいおとなしく走っても、おらは峠ではついていけないだろう。本間氏とも親しいらしい、現役の芳賀は中川区の長者番付1位だって。

 

でも、本間氏がテスト・ライダーやってるうちに、いつか本間氏のサーキットでの走りを見てみたい。10月のWGP@もてぎで本間氏のテスト走行が見れるといいなー。おら昨日の発売日初日にチケット買ったぞ。決勝日のパドック・チケットも買った。ただ、サーキットの敷地内にある、選手も泊まるらしいホテルはキャンセル待ちだ。サーキットで本間氏に会えるといいなー。

 

本間氏の人間像は、とても岡田の言う「xxxでどうしようもない」、という印象は垣間見えず、紳士で、自分を持ってて、へたな月給取り顔負けの社会人としての礼節や、常識をわきまえた人物という印象だ。官庁相手の仕事してるくせにおらの方がよっぽど無作法だな。実際おら、客とも、上司とも、仕入先のアメリカ人ともよくケンカする、およそ月給取りが務まるとは思えない攻撃的な性格だ。本間氏は寡黙ではあるが、つぼにはまると咳を切ったように話し始める。また、本間氏はリベラルで、根性という言葉を嫌う、おらの想像していたがむしゃらライダーではなく、現代的な理論派ライダーだった。そうでなきゃNHKの解説者には呼ばれんわな。残念なのは、年の差があるからかもしれないが、本間氏がおらにばか丁寧すぎる点だ。港区出身の生粋の名古屋っ子だというのに、敬語でしか話してくれないから、名古屋弁で語り合えないのは寂しい。まあ、知り合ったばかりだし、紳士で人見知りする?本間氏には無理なお願いかもしれん。

 

本間氏がライダーとしての性格を覗かせたのは、おらがFISCOのライディングについての教えを乞うたときだ。それまでとは明らかに話ぶりがかわり熱気を帯びていた。ずぶの素人のおらに、懇切丁寧に、一生懸命練習方法を教えてくれたのは嬉しかった。それに、すごいなーと思ったのは、世界を舞台に走っていた本間氏が、ビギナーのおらのタイムを念頭に、わかりやすく説明できることだ。ホントいい勉強になって、感謝感激。本間さん、江場さん、岡田よ、ありがとう。


4580 左から江場氏、おら、本間氏、岡田、西田氏

 

YZR250について、おらの調べた範囲で紹介しておこう。YZR250は、ホンダのワークス・マシンNSR250に対抗するため、1985年にヤマハが開発したワークス・マシン。それまでヤマハは市販TZ250を使用していた。しかし今シーズン松戸とユージーの乗るYZR250は2000年モデルの継承であり、YZR250は今年でその生涯を終え、ヤマハはWGP250から撤退するようだ。2000年にWGP250のランキング1位、2位を独占した、オリヴィエ・ジャックと中野真矢の活躍が、YZR250の花道だったと言えよう。それにしても一度乗ってみたーい!

 

その後、岡田と江場氏と3人で別の場で軽く一杯やってから、次に行ったラーメン屋で、おらが「本間氏は収入にこだわるなー」と言ったら、二人からこう言われた。「彼は職業ライダー。命を張って走ってるから、収入にこだわるのは当然。得られる金額が彼のステータスを決める」と。おら、大きな勘違いをしていた。元阪神の花形満だって、金持ちだけど、ステータスとしての年俸にこだわった。他のスポーツと違って、職業レーサーってのは、好きなだけではやっていけない、命を賭した仕事なんだ。野球やテニスなんかだとプロが一線退いても、好きな奴は趣味としてプレーしたりするが、プロ・ライダーはそうはいかないんだな。二輪ライダーよりも危険で合法的な仕事って他にあるだろうか?ゴルゴの仕事は合法的とは言えない。

 

それにしても岡田のやつ、この前レガシーに乗ってたから「大人しくなったなー」とバカにしたけど、この日は「会社の」なんて言ってたが、黒のポルシェ911に乗ってた。あの運転ぶりはまだ若いぞ。「もう無茶しない」なんて言ってるけど、二輪でもまだ速そうだ。

 

[おらのインタヴュー反省記]

インタヴュー録音聞いたら、おら愕然とした。あれはインタヴューなんてもんじゃない。おら、自分で質問しといて、本間氏が答える前に、自分の話をしすぎ。おら昔は聞き上手で寡黙な男だったのに、まるでおらが本間氏をナンパしてるみたいだった。本間さん、おら随分本間さんの現在の立場とか、考えとかを勘違いしてて、失礼なことばかり聞いてゴメンなさい。それに本間さんは優しくて顔に出さないから、おら本間さんに甘えてしまって、随分馴れ馴れしかったかも。これに懲りずにまたいろいろ教えて欲しいっす。

 

インタヴューの内容整理、本間氏に関する調査等、今回の執筆には相当な努力を費やした。どえりゃー疲れたでかん。

 

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