Round 20 2001年のFISCOにはコケ続けた凛々しいライダーがいた

2001.12.30

 

前回のSUGO体験記でスタート練習の話が出たが、江場ちゃんに、

「ウィリーしたときはスロットル戻すより、リア・ブレーキで駆動力の調整する方が簡単だし、安心感がある」

SUGOと鈴鹿のスタート地点は下っているので、リア・ブレーキを使ってのスタートが必要」

と聞いた。あそこ下ってたのか?おらホーム・ストレートはシケイン抜けた上りの後は、1コーナー手前までフラットだとばかり思ってた。おらってホントに上り下りが分からんのよねー。パッティングの読みとうまさはトップ・アマチュア・クラスだったけどなー。

 

 

イチローがア・リーグのMVPとった。こんな選手を中日はオリックスにドラフト4位でもっていかれたんだ。片や中日の現役でおらがいっちゃん好きだった今中慎二投手が引退した。3年ぐらい前に引退しててもおかしくない状態だったのに彼がここまで復帰にこだわったのは、おらの想像では最終戦で勝った方が優勝という、1994年の巨人との10.08決戦での敗戦の悔しさから、もう一度それにふさわしい舞台で投げたかったからだと思う。おらはナゴヤ球場まで10.08決戦を観に行ったが、あの敗戦には茫然自失となり自分の運命を呪ったものだ。結果論でなく、あの試合は郭源治が先発、今中、山本昌を抑えにもっていくべきだったと思う。おら今中の引退前に昨年のキャンプで彼に会えたのは幸いだった。90年代の今中に対し、80年代でおらが最も好きな中日の選手は抑えの牛島和彦だ。平忠彦、本間利彦と名前に彦がつくと速いらしいから、牛島も一流のライダーになれたかもしれない。

 

 

11月23日(金)は祭日で、おらはFISCOに行くつもりだった。ジョーも来ることになってた。おらはSUGOですっかり自信をつけ、転倒ライダーとはおさらばし、路面温度によっては2分を切る自信たっぷりで、この日が来るのが待ち遠しかった。ところが…。これは悲惨というより、情けなさすぎて、サーキットどころか二輪に乗るのも嫌になるような出来事だった。

 

07:30に自宅発。自走にこだわってきたおらだが、サーキットへ行くまでの寒さに自走の限界を感じ、これを最後に自走は諦め、次回からは軽トラ借りようと決めていた。07:00に自宅を出るつもりだったが、天気はいいものの、道中寒そうでかなり着こんだりしてるうちに30分以上遅れてしまい、随分慌てて自宅を出た。自宅から100m程行った最初の小さな交差点での左折。普段はオート・チョークによるエンジンの暖気が終わり、アイドリングの回転数が通常回転数に落ち着いてから走り出すんだが、この日は急いでたのでそれを無視した。で、高回転でのスピードで曲がるにはあまりにも小さな交差点だったから、おらは今までの二輪人生でやったことのないことをした。クラッチを完全にきることで後輪駆動を殺してコーナーに進入したのだ。確かにいつもより速い速度で交差点に進入したのは確かだ。でもまさかこれがおらのその日の運命を変えるとは。交差点でちょっと寝かし始めたとたんに前輪が一瞬にしてグリップ失い転倒した!TTが反対車線に向かって滑って行くのをおらは呆然と見つめていた。幸いTTは中央分離帯にぶつかって止まったから、反対車線までは行かなかった。おらは無傷。車体起こした後、エンジンはすぐにかかったが、微量だがオイルが漏れてて、よく見るとジェネレータ・カバーが割れてた!おらは生気を失い、自分の愚かさを呪った。でも冷えきったタイヤで後輪のトラクションなしだったとはいえ、あの程度の速度でグリップ失うものか?ハード・タイプのレース・タイヤはノーマルより低温時のグリップが弱いんだろうか?SUGOではあれだけ下りコーナーへの進入スピードを速くしたつもりでも何ともなかったのに。サーキットと公道のグリップの違いもあるんだろうが、きつねにつままれたような出来事だった。それにしても、まさかTTに乗って公道で転倒するとは、思いもよらなかったよ。これで、CB400N、SRV250、TT600とおらの手にした全てのマシンで1回づつ公道で転倒したことになる。TT600 1号機では転倒してないけど。今回TTには、フレームにじか付けして転倒時に車体を守る、フレーム・スライダーなるプロテクターを左右に装着していた。Jackl Lilleyでステアリング・ダンパーと共に買ったものだ。これがあれば左に転倒してもジェネレーター・カバーは大丈夫だと思ってたが、役にたたなかった。前回のFISCOで一度傷めてるカバーだから割れやすくなってたのかもしれない。シフト・ペダルも折れた。最初の頃は右にしか転倒しなかったおらが、ここ3回連続左に転倒してる。左に転倒するとジェネレーター・カバーが割れて一巻の終わりだから、スポンジかなんかでプロテクトできんもんかなー、と思ってたら、Jack LilleyでTT600用のケヴラー・ジェネレーター・カバー・プロテクターってのを売ってた。おらと同じ悩みを持つやつはいるんだな。早速買った。

 


5472 随分削れてるが上の黒いのがフレーム・スライダーで、下の網目模様のがケヴラー・ジェネレーター・カバー・プロテクター

 

FISCOに行くのを諦めたおらは、TTを自宅の駐輪場に戻し、折れたシフト・ペダルを取り替えた。中央分離帯にはカウル下部が当たったようで、結構割れてた。しかし一番の被害はつなぎの上に着てた、去年買ったばかりのジャック・ウルフスキンのスキー・パンツだ。びりびりに破れててもうだめ。意気消沈したおらはしばらく駐輪場に座って、ふてくされてた。もうエンジンを危険には晒したくはないので、その夜、店長にTTを取りに来てもらった。

 

落ち込んでたおらだったが、翌日土曜に久々に洋画“トップガン”を観て気を取り直すことができた。おらトップガンには、そのサウンド・トラックが良かったという印象はあっても映画そのものに大した思い入れはなかったが、DVDを最近無料で手に入れてたし、トム・クルーズが乗ってた二輪が何だったのか知りたくて観たのだ。二輪はカワサキっぽいデザインだったがメーカーさえわからなかった。でもトップガンは転倒後のライダーにとても勇気を与える映画だった。戦闘機と二輪サーキット・マシン、そして戦闘機パイロットとサーキット・ライダーは合通じる物があるな。

 

 

どうせ乗らないくせに、中古でいいからカワサキのゼファー750が欲しいと、この年ずっと思ってたおらだが、近頃ホントに買いたくなってた。ここでまたトム・クルーズがおらにいい影響を与えてくれた。クルーズは大金持ちだからおらと比較できるもんじゃないと承知の上だが、クルーズは小型ジェット機を3機持ってるという。それに比べればおらが3台や4台二輪を持つなどしれたことだ。ところがBMW F650CSの写真を見てからゼファー熱が冷めた。F650CSは2001年12月にドイツ本国で発売になったばかりで日本での発売は2002年夏頃になりそうだが、おらが乗ったことのないシングルで、その近未来的なデザインがすばらしい。ABS付きが選べて、車体は小さめ。片持ちサスのベルト・ドライブで、一見フューエル・タンクとおぼしき部分にバッグだのオーディオ・スピーカーだのが収納できる。そしてたったの50PSというパワーは、おらの公道マシンとしてはうってつけだ。しかもBMWにしては\100万程度と安価。こいつならツーリングに行く気になるかも。でもこれ以上二輪地獄にはまって破産したくないから、夏までに気が変わることを祈る。

 

実際のところ、おらはサーキットをやりだしてからというもの、ますますツーリングに興味が薄れている。思いっきり走れない公道ではストレス溜まるのだ。でもできれば、サーキット熱なんか早く冷めて、のんびりとツーリングするのが好きになれればいいなーなんて思ったりする。サーキット熱はいつかは冷めるだろうが、峠に行っても平然とのんびり走れるようにならないと、おらは二輪と長く付き合うことはできないだろう。

 

 

12月9日(日)、この日を含め、FISCOで3週連続4日間、休日に走れる。年内中に2分を切るために、おらはこの4日間全てを走るつもりだった。その初日だ。軽トラを自宅近くのトヨタ・レンタカーで借りるつもりだったが、あいにく予約が取れなかったので、寒い中を自走。かなり着込んだものの、あまりの寒さに中央道の途中で休憩入れた。やっぱり自走はもうよそうと誓う。

 

中央道で試した15T-44Tスプロケットでのレブ・リミット時の速度は、

1速:110km

2速:150km

3速:190km

15T-42Tに比べ約10Km/hづつ速度が落ちる。

 

今回の課題は、

・どこで何速にシフト・チェンジしてるかちゃんと覚える

・ブレーキング・ポイントは、

1コーナー:200m

サントリー・コーナー:90m

ヘアピン:80m

MCコーナー:70m

ダンロップ・コーナー:100m

・ホーム・ストレートでの最高速度を確認する

・ストレート以外では前方に座わり、イン足をつま先に乗せ後輪の接地点に向けて荷重し、ブレーキを徐々に開放しながら前方に飛び込んでハングオフし、すぐにスロットルを開けパーシャルに (随分難しいね、こりゃ)

・ハングオフでは腰上を路面に対し垂直にする

・常に肘を曲げ、視線を遠くに

・タイムは見ないで、15ラップ以上転倒しないで走る

 

この日は09:30-10:30と走行時間は1時間だけだし、SUGOでの53ラップ無転倒の経験から、FISCOでも転倒しないで走れるはずとの自信があった。それにFISCO 3週連続の初日だから、ツーリングに徹するつもりだった。安全ライダーのジョーはというと、1時間の走行は短いから、次の週から来ると言ってた。しかしその翌週ジョーはあまりの寒さに厚木で引き返し、年内のFISCOでのフリー走行を諦めたらしい。そういえばやつはSUGOでも異常なまでに寒がってた。

 

まずは13ラップ目までの状況。

1コーナー:1コーナーの進入でアウトからインに寄らず、アウトからそのまま1コーナーのアウトぎりぎりを通ると、1コーナー出口のインに、ストレートの方向に車体起こした状態で寄せられるから、1コーナー脱出後に左端に膨らむことなく、すぐにスロットルを全開にでき、かつサントリー・コーナーまでのいびつなストレートをほぼ直線的なラインにとれる。もともと使ってたラインと全く違うが、こっちの方が速そうだ。

 

サントリー・コーナーまでのストレート:しかし、上記のように1コーナーを抜けても、1コーナーからサントリー・コーナーまでのいびつなストレートでスロットルを全開にし続けるのは、かなり難しいことが分かった。1コーナー出口のインに車体を起こして寄せることができても、サントリー・コーナーまでできるだけ直線的に走るには、まず1/3程行ったところで右端いっぱいをかすめなければいけない。これはかなりおっかなかった。その後左に軽く寝かせてサントリー・コーナーに向かうが、コーナー間近では思っていたより車体が寝ているようで、一度ブレーキング時に冷やっとした。また、シフト・ダウン時にスロットルを開け過ぎて余分な駆動力がかかりおっかない目にもあった。こんなこと初めてだ。ここはおらには鬼門だな。次回からはブレーキング・ポイントを90mから100mに戻す。

 

ヘアピン:全くうまくいかなかった。コーナー入口で思ったように寝かしこめないからコーナリング・スピードが遅過ぎる。ヘアピン出てからの短いストレートはMCコーナー手前のブレーキング・ポイントちょっと手前で2速のレブリミットになり、何ラップかは2速でレブ・リミットのままにしてた。これじゃあ100R、ヘアピン、MCコーナー手前まで3速で通した方が速いかもしれん。2速でのコーナリング・スピードを上げて、ヘアピン抜けた後すぐに3速に入れるような回転数にしないとだめだ。次回からはブレーキング・ポイントを80mから70mにする。

 

シケイン:MCコーナー、ダンロップ・コーナーとも抜け方に納得がいかない。ヘアピン同様、低速コーナー進入時の寝かしこみがだめ。一気に寝かしこむ思いきりが必要だ。また、サントリー・コーナー手前のブレーキングは遅めでも感覚的には恐くないのに対し、ダンロップ・コーナー手前のブレーキングは下りでスピード感あるからか、いつも早過ぎる。ここはセーフティー・ゾーンがあって、いざとなったら突き抜けられるから安全なのに。ここは次回からブレーキング・ポイントを100mから90mにする。

 

最終コーナー:今回の最終コーナーは久々にイイ感じだった。なんと初めて、コーナー途中で目の前の富士山を観る余裕があった。ちょっと遠すぎるような気がするが、遠くを見るってこういうことか?最終コーナーでは久々に膝も擦った。でも寝かせながら3速にシフトアップするとき、一度ギア抜けした!こんな場所でギア抜けするのはおそぎゃー。そういやこの日FISCOへ来る途中の中央道で、おらは6速へのシフトアップ時にギア抜けを初めて経験した。ギア抜けってホントにあるぞ。またハングオフで体が相当イン側に寄ってるから、外足にあるシフト・ペダルが随分遠くてシフト・アップに苦労した。ステップの位置を上げねばなるまい。これができるからバック・ステップにしてよかった。おかげで、つま先も全く擦らなくなったし、やっぱりサーキットを走る上ではバック・ステップは必需品だ。FISCOの上空写真を見てこの最終コーナーは思ってたような単調なコーナーではなく、出口のRが急に小さくなってるのを今になって知った。それだけじゃない。上空写真を見る限り、おらのラインは最終コーナー出口のインに全然寄ってないことがわかった。こりゃもったいない話で、おらは随分遠回りのラインを走ってるようだ。ここは相当寝かせながら170km/hは出てるコーナーだから、最後になお小さく回ってインに寄せるのが難しいんだろう。

 

ホーム・ストレート:一ラップ目で愕然とした。220Km/h程を越えると、今までのウォブルとは比較にならない程、前輪の揺れが激しくて転倒しそうになる。だからこの日はスロットル開けるのをずっと我慢してた。てな訳で、今回セッティングした15T-44Tでの最高速度は試せなかったから、もう一度このセッティングで走らないといかん。ただ少なくとも前回の15T-42Tよりはよっぽどいい。江場ちゃんや店長によれば、転倒によりホイールが歪んでいれば100Km/h出す前に異常がでるとのことだから、ホイールの問題ではなさそう。また店長にテストしてもらったがホイール・バランスは正常だった。となれば前回との唯一の違いである、ステアリング・ダンパーが怪しいことになる。ステアリング・ダンパーのせいで、路面のギャップに対するセルフ・ステアが働かなかったのかもしれない。次回はステアリング・ダンパーを外してみる。車速を220km/h程に抑えてたのを差し引いても、今回は1コーナー手前のブレーキングが恐くなかった。SUGOのバック・ストレートでのブレーキングで慣れたんだと思う。今回は、柏秀樹の“ビッグマシンを自在に操る”にあった、「フル制動時に両腕でハンドルを抑えてしまうと、前輪の滑り出しに対する感知能力が低下」を意識したが、それをホーム・ストレートで実感できた。ホーム・ストレートでブレーキング開始して半分くらい行ったところで、スズッズーと前輪が滑り出す感触を得、ブレーキングを緩めることができたのだ。しかしサントリー・コーナー前のブレーキングではそうはいかなかった…。

 

転倒せずに結構長く走ってたから、この日はもう時間一杯まで走り切れるとおらは確信してた。だいたいホーム・ストレートでスロットル開けられないから、バカバカしくてタイム・アタックする気になどなれず、練習に徹してるつもりだった。しかし1コーナー、100R、最終コーナーで膝が擦り始めるようになり、後にタイムを知ってわかったが、いつのまにかめいっぱい飛ばしてた。おらはスピード狂か!転倒を繰り返しても、ツーリングすると心に決めても、走り出すとドラゴンと化すおら。走行時間が40分に達し、おらの1日でのFISCO最多ラップ数に並ぶ14ラップ目に入ったところで悪夢はやってきた。

 

サントリー・コーナーの結構手前から、おらは一瞬にしてグラヴェルに飛んでた。何故だか分からんが、たぶんまたもや前輪からの転倒だ。TTは左側を下にして珍しくおらより手前に横たわってる。今回は結構なスピードで転倒した。路面に左肩から落ちたようで、左肩が少し痛む。つなぎの左肩にある、コミネのブランド・ワッペンが半分はがれてた。TTは深い砂利上にあったから起こすのをあきらめ、オフィシャルがやってくるのを待った。けっこう大き目のカウルのカケラが2つ落ちてて、これはかなりTTもいっちゃってるようだ。ワゴンでやってきたオフィシャル二人がTTを起こすと、昨日つけたケヴラー・ジェネレータ・カバー・プロテクターが外れてカウル内に潜り込んでるのが見えた。外れちゃ意味ないなー。ジェネレータ・カバーからオイルが漏れてた。また割ってしまったようだ。こんなわけのわからない転倒はもういや!

 

FISCOの医療室に連れていかれ、いつかの看護婦さんに再会した。転倒直後はそれほど痛くなかった左肩だが、この時点ではかなり痛みがあり、つなぎから左腕を出すのがつらかった。左腕を上げられず、すぐに三角巾で腕を吊るされた。看護婦さんはおらの左鎖骨の起伏を一目見て、「いっちゃってるから、今から救急車で病院に行って」と!「それって骨折してるってこと?」と聞いたら、そうだと言われた。ガーン!!!

 

おら久しぶりにホントの救急車に乗った。サイレンはなし。救急車でおらを病院に連れてってくれたオフィシャルに聞いた話しでは、4年ほど前に四輪の死亡事故があったが、二輪の死亡事故はここずっとないそうだ。またこの人は師匠がFISCOでスーパースプリントに出てた頃のことを知ってて、「本間選手は1人でやってきて車検から何から全部自分でやって、私らなんかにも気軽に話しかけてくれる好感のもてる選手だった」って。へー、現役の頃のきつそうな面構えからは想像できん。

 

フジ虎ノ門病院にてレントゲン撮られ、「骨は折れてないが鎖骨回りの靭帯が切れてて、手術の必要があるかもしれない。明日までに自宅近くの病院に行って診察を受けるように」と。おら明日は千歳に日帰り出張だから今日中に行かなくては。そういや、この前、整形外科医から、おらの鎖骨は左右とも突起してると言われた。FISCOの看護婦さんはそれで勘違いしたんだな。この病院では特に何か処置された訳でもなく、来た甲斐がなかった。痛みはだいぶひいてきたが、クシャミすると左胸あたりの骨がきしんでどえらい痛い。


5467 意気消沈のおら

 

クラッチきれそうにないし、ジェネレータ・カバーも割れてるようだから、TT自走で帰るのを断念したおらは、とても片手では持ち帰れそうにない荷物もあるから、かみさんに電話して、ビーマーで病院まで来てもらった。おらは米軍パラシュート部隊用のでっかいナップサックにタンク・バッグを持ってきている。TTは店長に電話してこの日の晩に取りに来てもらった。

 

かみさんが運転する富士から東京に戻る車中で、初めてかみさんに「もう引退!」と言われた。即死なら1回で済むが、こういうのが続くのは面倒くさいからなー。でもサーキット始めて1年での引退は早過ぎる。2分切って、せめて一度でもレースに出たい。でも、もし来年1年やっても2分切れんようなら、素質なしと諦めて引退する気になった。転倒の原因もわからないまま大きなケガを負ったからか、おらは弱気になってる。

 

この日は日曜だったが、家の近くで一番大きい病院に救急で飛びこみ、何とか取りいって診てもらった。左肩鎖関節亜脱臼との診断。昔はこの症状で手術をしたが、今は保存療法だそうだ。4週間はかかると。亜脱臼は肩鎖関節の重度な捻挫。靭帯がどのくらい断裂してるかにもよるんだろうが癖になるらしい。左にコケる度に脱臼してたらたまらんよ。おらは左膝前十字靭帯を断裂したことがあるが、テニスで何度もひざ崩れを起こし、結局靭帯再建手術をして治したことがある。テーピングで鎖骨を抑えてもらったら、ちょっと楽になった。

 

この日のタイムはホーム・ストレートを220km/h程に抑えていたにもかかわらず、207台が計13ラップのうち5ラップも出てた。めずらしくタイムが安定してたのは嬉しい。1.5kmのホーム・ストレートで、前輪揺れ出す220Km/hに達してから10秒間はスロットル開けるの我慢してたから、以下の様にざっくりと計算すると、1.4秒の差がでる。

220km/h × 10/3,600h ≒ 0.6km

10秒 - 0.6km ÷ 250km/h × 3,600秒/h ≒ 1.4秒

つまり久々に205が出ててもおかしくないペースだった。でもこうやって計算してみると250Km/hと220Km/hの差は、思ったほどにはタイム差に出ない。計算式がおかしいのかなー?計算式が正しければ、おらがR1に乗ったとしても、劇的にタイムが良くなることはなさそうだ。タイム短縮には100Rと最終コーナーでもっと寝かせるのが手っ取り早そうだが、技術的には小径コーナーをうまく走りたいもんだ。ST600のコース・レコード144出すやつはいったいどうやって走ってんだろ。

 

ついにおらのFISCOでの走行時間が4時間を越えた。30分以内に転倒してる分も全て30分でカウントされるし、四輪とSRV250で走った分もあるからまともに走ったのは2時間半位だろう。でもおらは筑波とSUGOでも走ってるからサーキット経験4時間は妥当なところだ。おらはこれでMCFAJのレース出場資格を得た。

 

後日FISCOの看護婦さんから自宅に、おらの容態を心配する電話があった。年配の看護婦さんにももてるおら。

 

TTはというと、ジェネレータ・カバーが割れただけでなく、今回初めてフロント・カウルが割れた。あとはシフト・ペダルが折れたくらい。思ったより軽傷だったが、カウルの割れはかなりひどく、もうあかんと思った。が、店長に教えてもらったプラリペアって特殊な接着剤を使ったら、驚くほどよくくっついた。転倒したときは、どんな小さな破片でも拾っとかなきゃいかんな。今の左肩の状態では右コーナーでのハングオフは無理そうだし、TTのジェネレータ・カバーの入手にも1週間はかかるだろうから、翌週は無理としても、何とかケガもTTも2週間後までに治し、年内にもう一度走りたい。

 

 

翌日の羽田から千歳への機上でFISCOの上空写真を穴のあくほど見ていたら、今回のサントリー・コーナーでの転倒の原因がだんだんとわかってきた。1コーナー出口のインから直線ラインで2/3程先の左端いっぱいをかすめても、そのまま直線ラインをとった場合、その後すぐに右端からコースアウトする。2/3行った所から先は思っていた以上に左への曲がりがきついのだ。そういやTTでFISCOを初めて走ったときに、みるみるうちにコース右端に吸いこまれてコース・アウト寸前まで行きどえらい恐い思いをしたことがある。1コーナー出口のインからその後のストレートでアウトに膨らんだラインではスロットル全開にできるのが遅くなると思い、今回1コーナー出口のインを、車体を起こした状態で通過するようにしたんだが、このラインで走ると、ストレートの残り1/3では、おらが思っていた以上に左に寝かせてたはずで、その車体の傾きの度合いに気付かないままハード・ブレーキングし、前輪のグリップなくして左に転倒したんだと思う。寝かせたままハード・ブレーキングするなんて度胸はおらにはないが、車体の傾きに気がつかなかったんだろう。あるいは、そんなにハード・ブレーキングしなくても、スピードがのってるし下りだから、少しでも車体が傾いてるとグリップなくしやすいんだろう。TT 1号機をだめにしたときも、サントリー・コーナーで左に転倒してるが、これもブレーキングでグリップ失ったのかもしれない。

 

もう二度とここで同じ過ちは犯したくないし、上記の推測が正しければ、ここは安易にいびつなストレートだと思わず、ラインを考え直さなきゃならんから、1コーナー出口からサントリー・コーナーまでのラインについて徹底究明した。このストレートは考えれば考えるほど難しい。なぜこんな複雑なストレートになっているのかも上空写真を見るとよく分かる。このストレートは途中から旧コースのワイド・コーナーを流用しているのだ。そういや筑波の1コーナーからヘアピンにかけても、ストレートだかS字だか分らんが妙な曲がり方してるが、あそこは一見して単なるストレートではないことが分かる。ところがFISCOのこの不快なストレートは距離が長くて曲がりが緩いので、おらに単なるストレートだと思わせる誘惑がある。きっと四輪にとっては、なんてことないストレートなんだろうが…。

 

A案: 2/3の地点まで直線ラインをとり、左端いっぱいをかすめてから思いっきり左に向き変えし、車体を起こしざまブレーキングを開始する。ただこれではブレーキング・ポイントが遅すぎる気がする。

 

B案:1コーナー出て1/3行った右端すれすれからコース右端にそって緩やかに右に旋廻し、サントリー・コーナーが正面に見える2/3くらい行った所、つまり旧コースのワイド・コーナーの頂点で左に向き変えする。これが現実にできるかどうか分らんが、これならA案より向き変えの場所が早いから、ブレーキング・ポイントが遅過ぎることはなさそう。

 

その後、前に一度観た1988フジ・スーパー・スプリントのビデオを観なおしてみた。なななんと、こんな左コーナーあったかなー?と思った場所が、サントリー・コーナーまでのいびつなストレートの中間地点で、WGPライダーはあそこを完全に左コーナーにしてる!だいたいおらがこの前走ったラインは1コーナーの進入から出口にかけて大きく間違ってて、WGPライダーはみな1コーナー入り口でインにつけ、出口のインを出てから左端いっぱいに膨らみ、それからストレート中間地点の右端に向かってコースを横断し、2/3行ったところの左へ曲がる部分のインを左に“コーナリング”してかすめ、サントリー・コーナー前では右端すれすれで車体を立ててブレーキングしてる。つまり、1コーナーの出方が全く違うが、その後は上記で言うB案で走ってるのだ。このビデオ、もっとしっかり見とけば良かった。ビデオを観て、100Rと最終コーナーのラインも勉強になった。買って最初にこのビデオ観たときは、各場面がいったいコースのどこなのか全然わからなかったのを覚えている。

 

また、江場ちゃんにはサントリー・コーナーの左への進入は殺して、直後の右コーナー優先と言われた。100Rでのスピードのノリを考えるとそうなんだろう。

 

 

千歳に出張したおらは大雪の中、ヴィッツを右腕一本で縦横無尽に乗りこなした。やっぱり四輪はFFに限る。おらのFRビーマーではこうはいかん。しかし左腕使えないから、車庫入れでバックするときは右手でシフトをリバースにしたり、後方確認する為に体を後ろに反らせると左肩が痛んだりで往生こいた。利き腕が使えるとはいえ、片手しか使えないってのはつらい。一番大変なのは着替えだ。肩をケガしたときにシャツを着るときは、ケガした方の腕から先に袖を通すのがコツだ。利き腕の右手も前々回の転倒で痛めた親指がまだ痛み、字がまともに書けん。満身創痍になりつつあるおら。サーキットやる前も、おらはケガばかりしてたけど。

 

その日千歳は観測史上2番目の大雪となり、いったん帰りの飛行機に乗ったものの空港ロビーや機内で4時間待たされた挙句に欠航となった。翌日も大雪で予約しなおした便が欠航となり、日帰り出張が2泊に。千歳市内のホテルはどこも満室となり、札幌のホテルに泊まった人も多かったようだが、欠航1日目の夜は370人が、2日目の夜は1,000人余りが、3日目の夜は800人余りが千歳空港で夜を明かした。おらは1泊分のキャンセル料を払う覚悟で欠航と決まる直前に千歳市内のホテルに予約を入れたからなんとかなった。2泊目はホテル日航千歳に事情を話して当日予約したら、日航機が欠航になって宿泊しないことになってもキャンセル料とらないとのことだったので重宝した。しかし不手際きわまる日航の対応に、空港内では怒りをぶちまける客がところどころで見うけられた。年に一度は雪による欠航があるであろう千歳空港でのこの日航の対応のお粗末さには呆れるばかりで、イメージだけが先行する日本の翼の実態は山崎豊子の“沈まぬ太陽”さながらだった。欠航翌日は客先に1日居座わって時間をつぶし、その翌日は空港で5時間待って臨時便になんとか乗れた。空港内は床も階段も出航を待つ客で溢れかえり、難民キャンプ状態。おらはといえば、臨時便のチェックインができるまではセキュリティー・ゲート内に入れないから、日航のラウンジは使えないが、普段は役に立たないゴールド・カード会員向けのラウンジで出航を待った。

 

それにしても、おらは最近こんなんばっかだ。9月の米国出張時の同時多発テロ、11月のSUGOの帰りの東北新幹線の送電ストップ、そして12月のこの大雪による千歳での欠航。特に今回ばかりは左腕が使えない不自由さから、さすがにうんざりした。

 

 

仮面ライダークウガのビデオをやっと見終わったが、これは元祖仮面ライダーの延長線上程度の内容でつまらん。それに比べて、アギトはなぜあれほどまでに面白いのか。

 

 

12月22日(土)、TTの修理が終わったので、スナップリングにTTを取りに行き、国道16号から16号バイパスを抜け30分程走った。左腕は日に日に稼動域が増していたものの、まだ水平以上には上げられないから、体を伏せると左肩が痛いし、乗ってしばらくすると左肩の付け根が痛み出す。それにエンジンの力で走ることはできても二輪を押したり、引いたり、起こしたりはとてもできない。これでおらは翌日、翌々日の年内最後のFISCOでの走行を諦めた。医者が言ったように4週間はかかりそうだ。という訳で、2001年のおらのサーキットでの活躍はあっけなく幕を閉じた。本書も終わりが近づいてきたようだ。


 



Round

Yy.mm.dd Circuit Condition Machine Tire Laps Fastest Lap Fastest Time Km/h Crash

1

01.02.24 FISCO wet & fogy BMW 318ti ML MXV3-A

3

-

-

-

1

2

01.03.10 FISCO Dry Y-SRV250 DP GT501

10

10

2'43

98

0

3

01.05.06 FISCO Dry T-TT600 BS BT010

6

6

2'14

119

1

4

01.05.27 Tsukuba Wet T-TT600 BS BT010

14

14

1'30

83

0

5

01.06.24 FISCO semi wet & fogy T-TT600 BS BT010

9

4

2'29

107

0

6

01.07.14 FISCO Dry T-TT600 BS BT010

13

13

2'05

127

1

7

01.08.18 FISCO Dry T-TT600 DP D208GP

5

5

2'10

122

1

8

01.10.26 FISCO Dry T-TT600-2 DP D208GP

7

5

2'14

119

1

9

01.11.12 SUGO Dry Y-YZF-R6 ML Pilot Sport

24

22

1'59

113

0

10

01.11.13 SUGO Dry Y-YZF-R6 ML Pilot Sport

29

22

1'59

113

0

11

01.12.09 FISCO Dry T-TT600-2 DP D208GP

13

10

2'07

125

1

Total

 

 

 

 

 

133

 

 

 

6

2001年シーズンのおらのサーキット走行記録

 

TT600@FISCOに限定して総括すると、おらは2001年5月から12月にかけて6回走りに行って計53ラップしてる。偶然だがこれはたった2日間のSUGOでのラップ数に一致する。WGPライダーが1日の練習で100ラップすることがあるのに比べ、これはあまりにも少ないラップ数だ。その原因は一にも二にも転倒の多さによる。転倒しなかったのは6回のうちセミ・ウェットでの1回だけで、ドライ・コンディションでは、必ず転倒してるのだ。結果、練習時間が少なくなり、タイムは7月に1回伸びただけ。

 

次に公道を含めた転倒回数を吟味すると、サーキットやりだすまでの二輪保有期間通算10年で転倒は1回だから、

平均転倒時間(MTBF: Mean Time Between Fall) = 10年/回

[注意:このMTBFはおらの造語。ホントのMTBF(Mean Time Between Failure)は平均故障時間を意味する。まあ、転倒したら故障するから同じようなもんだが]

それに対し、二輪でサーキットに行くようになってからの9ヶ月間での転倒回数はサーキットで5回と公道で2回の計7回だから、

平均転倒時間 = 9ヶ月/7回 = 9 x 30日/7回 = 40日/回

つまり、10年に1回しか転倒しなかった単なる二輪デザイン好きの色男が、サーキット野郎になってからは40日に1回の割合で転倒してるのだ。

 

あれだけ身体的にも金銭的にも痛い目にあってきたのに、転倒し続けるってのはあまりにも凄い。いやひどい。今までいろいろ対策を練ってきたが、どれも効果がなかった。おらには何か重大なものが欠けているようだ。たぶんそれは、自分の走りの限界を察知する能力が欠けているにもかかわらず、サーキットでドラゴンと化すことだろう。ライダーの優劣は、路面の摩擦係数に対する自分のテクニックとマシンの総合力の限界点を察知する感覚によって決まるものだと思う。レースのレヴェルが高ければ高いほど、この傾向は顕著になるのではないだろうか。限界察知能力が優れていないと、限界以上のことをやって転倒するか、限界近くまでもっていくのが怖くて速く走れないかのどちらかになるだろう。おらがこのままサーキットを続けるのは非常に厳しいし、今まで何も言わなかったかみさんのあんばいも悪くなりつつある。浮気してかみさんに逃げられるならいざしらず、サーキットやって逃げられたんではたまらん。おらは来年こそ、絶対、絶対、転倒しないことを第一の目標として、タイムなんてどうでもいいからテクニック上達の練習に徹し、1日20ラップくらい走ることを繰り返すと心に誓うぞ。自分では限界の90%で走ってるつもりが100%超えてるから、80%で走る。とりあえずは、時間のかかりそうな寝かしこみの練習に的をしぼり、ブレーキングは超安全マージンをとる。

 

 

おらが本書を執筆しはじめた際に何の気なしに与えた本書のタイトルは、本書がノンフィクションであるにもかかわらず、おらのこの1年をまさに言い当てたものとなった。しかしながら、未だ癒えぬケガが身に染みたのか、今ではこのタイトルが気に入らない。おらはサーキットで転倒するなんて当初は思いもしなかったが、これだけ路面に叩きつけられることになったのは、こんなタイトルをつけたからではないかとさえ思えるからだ。

 

おらは自分がこれだけサーキットに熱を入れるようになることも当初は思ってもみなかった。サーキットに熱を入れるようになった要因としてあげられるのは、予想以上におらがサーキットに順応できたということだ。あれだけ転倒しておいて順応もなにもないもんだと言われそうだが、FISCOの路面との相性は悪かったものの、おらはFISCOの100Rや最終コーナー攻めてるときの生きるか死ぬかの緊張感がなんともたまらんし、おらの走りは、サーキットで知り合った多くのライダーとほぼ同じレヴェルで語り合えるものだった。転倒談義ができる奴はいないが…。そしてサーキットを通じ多くの友を得られたことで、おらはサーキットをやりだしたことに満足している。

 

・おらがサーキットをかじって知りえたことは、

峠のブラインド・コーナーはどこまでいったら出口なのかわからんから不安だが、サーキットでは安心してコーナリングできる。でも峠では自重するから転倒することはまずないが、サーキットではなかなか自重できるもんじゃないからよく転倒する。しかし峠のコーナーで曲がり切れないと、ガードレールにぶつかったり、谷に落ちたり、対向車に轢かれるから致命傷になりかねない。でもサーキットは転倒した後の安全性が配慮されてるからどんな転倒の仕方してもまず死なず、たいがい軽傷で済む。そういや、おらは峠で転倒したことない。

・おらが600ccスーパースポーツをかじって知りえたことは、

スーパースポーツはサーキット野郎以外が買うもんじゃない。公道での走行を考えると、600ccでさえスーパースポーツの性能は非常識に高く、こんなもので公道を走ってもこれっぽっちも性能を引き出せないばかりか、低速トルクはないは、取りまわしは悪いはでバカらしい。それでも買ってしまったのなら性能をいくらかでも引き出したくなるのが人情で、奥多摩周遊道路にでも持ち出せばかなり速く走れるかもしれないが、おらは絶対にTTでは行かない。大ケガすることが目に見えているからだ。だいたいあんな前屈姿勢で峠まで行くのも億劫だ。400cc程度のパワーが峠には安全でよろしい。

 

2002年シーズンの抱負を語っておく。まずはケガを治し、1月末にはサーキットに戻ってTT600の高速時のゆれの原因を取り除く。そんでもって、3回連続、計50ラップを無転倒で走り、2002シーズン開幕の4月までには2分切って、その後のMCFAJのオーバー40レースに参戦。あとは走行会で筑波、もてぎ、鈴鹿を走り、ヤマハ・レーシング・スクールでSUGOを走る。


5487 左からSRV250、TT 1号機、TT 2号機。TT 1号機はそのままほったらかしの状態。駐輪場には恵まれてるおら

 

 

全日本のヤマハの監督、シャケさんこと河崎裕之氏が引退を表明した。汚れた英雄の時代からワークス・ライダー、開発ライダー、そして監督として長期に渡って活躍された御大は、おらにキー抜きポイ捨ての必殺技を伝授してレース界を去った。

 

1部 完


1部の執筆を終えて

 

筆者がサーキットでの二輪フリー走行を始めるにあたっては、まさか転倒するほど攻めるような走りをするとは思ってもみなかった。ところが筆者本人はそれほど無茶な走りをしているつもりはないのに、いつのまにか自分の限界を越え、どうしても転倒してしまう。しかし転倒することでサーキットをやめたいと思ったことはなかった。ただ、新車で買ったTT600をあっという間にダメにしてしまったことはさすがにこたえた。

 

サーキットを始めたきっかけは安全な場所で思いっきりコーナリングを楽しみたいというものだった。しかしサーキットを走るなら、タイムを知りたくなるのが人情で、そうなると好タイムを出したくなる。好タイムを出す為には、コーナリング前にできるだけ短時間で減速を終えるようにハード・ブレーキングし、コーナリングをできるだけ早く終わらせるラインを通り、コーナー出口から直線的なラインでできるだけ早くスロットルを開けて行く必要がある。つまりコーナリングはタイム・ロスの時間なので、極力ストレートを長くするラインを走る必要がある。よってコーナリングを楽しむことと、いいタイムを出すことは、サーキットでは相容れないのだ。幸いFISCOは、100Rと最終コーナーという、二つの高速コーナーがあるため、比較的コーナリングの醍醐味が味わえるサーキットではあったが、コーナリングを楽しむという気持ちは消えうせ、タイム・アップだけを望むようになっていた。

 

また、1年弱に渡る本書第1部の執筆は、筆者のサーキット体験以上に、困難極まりないものであった。筆者がなぜこれほどまでに本書の執筆に執着したのか、筆者自身理解に苦しむところだが、最初から読者を持ったことで、途中で投げ出せないという義務感にかられたところが大きかったように思う。また、各原稿は次のイヴェントまでに完成させるという、筆者自身で課した締め切りを守ることで、何度かくじけそうになった場面を乗り越えることができ、結果として本書第1部は22万字に及ぶ膨大な原稿量となった。ここまで執筆を続けたのだから、初レースまで、あるいはFISCOで2分を切るまで本書の執筆を続けたいという気持ちは筆者自身にあるものの、過酷な執筆シーズンを2度と繰り返したくないという気持ちも強く、2001年シーズンの終わりをもって本書の執筆を終了したい。

 

2001年12月30日

デューク南郷

 

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