Round 6 無転倒マシンYZF-R6

2003.05.17

 

次回のMCFAJオーバー40レースは5月25日(日)の筑波。おらの誕生日だ。筑波は2001年にウェットの走行会で1回走っただけ。そしてワンデー開催なので、前日の土曜日にフリー走行できるわけでもない。だからレースに出るとしたらブレーキング・ポイントも走行ラインも全く分からない状態での一発勝負となる。おらは同時開催の炎の走行会に参加するか、オーバー40に出場するか悩んだ挙句、村崎さんがTeam LANGで面倒見てくれるというので、無謀かもしれないがレースに出場することにした。最下位になるかもしれない・・・。おらはFISCOで2分切ること以外に、レースで完走して最下位にならないことを目標に追加している。

 

会社で歓送迎会が何回かあって、あっという間に69Kgに太ったおらは、再度レースの日までに65Kgに減量することにした。今度は無理かもしれない。

 

YAMAHA MOTOR SPORT FUN CLUB“ってなウェブサイトにある難波教頭の筑波攻略法を読んだ。また、筑波サーキットでのブレーキング・ポイントを村崎さんに聞いたら、ブレーキング・ポイントは分からないものの、コース攻略法を教えてくれた。そして“山野哲也のサーキット攻略講座!”ってな四輪用のウェブサイトを見つけたが、筑波だけでなくFISCOも載っててなかなか良い。おらはちょっと不安が癒された。

 

 

ところでおらが月給もらってる会社は昨今の半導体不況により2期連続で赤字決算となり、とうとう早期退職制度の案内を出した。なんと各部門のトップが不要と思われる社員には早期退職を勧めるようだ。肩たたきってホントにあったのね。今まで人ごとだと思っていたが・・・。この早期退職制度は勤続年数と基本給によって算出される本来の退職金に、年齢と基本給で算出される退職金が特別に加算され、おらの年齢でも本来の倍以上の退職金が出る。これは贅沢しなければ4、5年は職持たずにサーキットに通って本書の執筆に専念できる金額で、そのうち本書がベストセラーにでもなれば、万々歳だ。このところ人事の件でもいろいろあるから、ちょっと考えちゃう。飛ぶ鳥落とす勢いで、一兆円企業の仲間入りも時間の問題と思われたこの会社も、トップの無策が原因か、今や並みの会社となってしまった。しかしまじめな話、本書を執筆してる暇があるなら、英語の勉強するなどして、月給取りとしての実力をつける努力をするべきなのかもしれない。今や日本企業の終身雇用は崩壊しつつあるし、退職金や年金がまともにもらえるかも怪しくなってきた状況で、おらはサーキットにうつつをぬかしてていいのか?いいに決まってる。趣味に打ち込めるからこそ、仕事にも打ち込める。かたや、ヤマハ発動機は、二輪事業が北米、アジアで伸び、売上高が4期連続で過去最高を更新し、2003年3月期は初めて一兆円を突破したそうだ。WGPでホンダに手も足も出ないヤマハだが・・・。おらヤマハに再就職しよかなー。でも手に職ないしなー。

 

 

今年MLBのオークランド・アスレティックスの監督にケン・モッカが就任した。これは懐かしい名前で、1982年-1985年の中日の3塁手だ。その頃は3番谷沢、4番大島、5番モッカ、6番宇野の先発4人が30本以上のホームランを打つという凄い打線だった。それに比べて今年の中日のオーダーを見ると2軍のベスト・メンバーのようで情けない。強竜打線も今や昔。守れんでもいいから打てるチームになってほしい。

 

 

5月2日(金)にR6がやって来た。翌日おらはR6のカウルに書かれていた旧オーナーのロゴ等をミシュラン、アルパインスターズ、NGK、MCFAJのシールで隠したり、油性のペンで消したりした。また、念願のチューニング・フォークの立体シールをタンクに貼り、パトリオットのシールをカウルに貼り、逆シフトを正シフトに変えた。乗ってみてすぐ気付いたのはTTに比べてR6は足つき性がよく、クラッチが軽いということだ。TTでは両足のつま先がやっとつく程度だったが、R6ではかかとまでつく。それにFRPカウルや軽量マフラーのせいだと思うが取り回しが随分軽い。そしてTT600のタンク内部と違い、R6のタンク内部は前方がもりあがってて、急ブレーキをかけてもガソリンが前に寄らないようになってる。だからブレーキング時にガソリンがエンジンに供給されにくくなるなんてことはなさそうだ。自宅近くをちょっと走ったが、TTより速いような気がする。ファイナルがTTよりショートになってるのかもしれない。いずれにしても110PSで公道を走るのはどえらい怖くてエンジン回しきれない。エンジンを高回転まで回さなきゃいいんだろうが、そんな我慢ができないおらのような奴らはスーパースポーツで公道走ってもつまらんぞ。

 

 

5月9日(金)、おらはまた会社休んでかみさんとFISCOに行った。トライアンフからレーシング・チーム・ヤマハに移籍したおらのR6での初走行だ。なぜか走る数日前から、恐怖感があった。おまけにこんなこと初めてだが、走行前夜に肩を脱臼する夢を見た。恐ろしや…。前回のウェット・レースで怖い思いをしたせいだろうか?前回転倒してるわけでもないし、新しいマシンでの初走行で楽しいはずなのに。なんかサーキットに行くのが義務であるかのようだ。2001年後半に本書を執筆していたときは、本書の執筆が苦になって、サーキットに行くのが嫌になりそうだったが、今は本書を執筆したいがためにサーキットに嫌々行くって感じ。

 

なんと中央道途中から小雨になり、富士周辺は濃霧で前が全然見えない。FISCOに着いたら霧は消えて雨もやんだが、コースはウェットに違いないから、少し悩んで引き返した。レイン・タイヤでもないのにウェットで走っても危ないだけだし、翌々日の日曜に走れる。おらは怖かったから半分ホットした。

 

 

翌々日の5月11日(日)、おらはかみさんとFISCOに行った。2分切ることに焦ってるおらは、走れる日は必ず走りたい。この日FISCOにやってきたライダーは、2スト・レーサー、プロダクション・レーサー、ナンバー付き自走ともにめちゃくちゃ多かった。もうすぐMFJのレースがあるからだろう。こんなに多いのはおらがFISCOに来て以来初めてだ。この日はクラス分けの走行で、09:30-10:00の最初の30分間が全クラス混走。走行カードは完売となった。雨がポツポツ降ってきたが、すぐにやんだ。

 

1ヒート。走り出す直前になって、やけに怖くなってきた。ただでさえ怖いのに、こんなに多くの出走台数では接触しそうでなお怖い。ゴロワーズ・ライトを何本も何本も吸って、時間よ止まれと願いながら出走時間を待った。もう逃げ出したくなってきた。かみさんと一緒に来ていなかったら、おらホントに逃げ出してたかもしれない。出走時間が来てフルフェースを被る瞬間が緊張感のピークだ。とうとう死刑台に上がるのかといった気分。その後グローブをはめるときはもう諦めの境地だ。普段縁起をかつぐことなどしないおらだが、このときだけはなぜか左手からグローブをはめることに固執する。おら何が楽して、こんなおそぎゃーことしないかんのか?こんな趣味やめたくなった。今シーズンが終わったら絶対やめる。経験を積むほどにサーキットが怖くなってるおら。でもおらのように40歳になってから怖いもの知らずでサーキット始めるならわかるが、若いときからやってて、未だにオーバー40に出てる人は凄いと思う。いや、どこかおかしいのかもしれない。

 

ピット・ロードで20台くらいが赤信号から青信号に変わるまで待機。こんな光景も初めてだ。大集団でのコース・インとなった。走り出すと恐怖感はほとんどなくなったが、ファイヤー・ガレージ製R6の初乗りだし、タイヤも初めてのピレリの中古ドラゴン・スーパーコルサだから恐る恐る走った。出走台数が多すぎて、まるでいも洗い状態。おらのペースが遅いのか、皆が速いのか、おらは集団に抜かれっぱなし。とにかく大勢走ってるから、危なくてまともに走れない。おらは抜かれる瞬間が怖くて、ついスロットルを戻してしまう。

 

R6は2速から3速へシフト・チェンジするときのショックがやたらと大きく、100R、300R、最終コーナーでのコーナリング中に2速から3速へシフト・アップするのがどえらい怖い。TTに最初に乗ったときもシフト・チェンジのショックが気になったが、それは公道でのことで、サーキットでは気になることはなかった。帰ってからファイヤー・ガレージに電話して聞いてみたが、ミッションはノーマルとのこと。SUGOでR6に乗ったときは、シフト・チェンジのショックは気にならなかったがなー。

 

ホーム・ストレートでの液晶スピード・メーターの表示は298Km/h!?それ以上はアクセル開け続けても、なぜか数字は上がらない。TTと違って前輪からスピード計ってるわけじゃないし、スプロケットの丁数がオリジナルと違うようだから、このスピード表示は全くあてにならない。たぶん実際は260Km/hくらいだろう。ピレリのドラゴン・スーパーコルサはウォブル全くなし。高速でのウォブルはダンロップだけの問題だったようだ。

 

ホーム・ストレートを走ってるときに前を走ってるライダーにみるみる近づいたが、スピードがあるせいか、なかなかラインを変えてよけられなくて、おっかなかったなー。でもこれはまだ序の口だった。この日はこれ以上の恐ろしい目に何度もあったのだ。

 

最終コーナー入って1/3くらいのところで、あわやコース外側をはみ出しそうになった!コースの端まであと10cmぐらい。最終コーナーでコースからはみ出したら転倒間違いなしで、コース上で転倒する以上にかなり悲惨なことになるだろうからホント冷や汗かいた。コース外側になんであんなに寄ってしまったのかわからない。最終コーナーは100Rと違って比較的自由にラインを取りやすいから、最終コーナー入口ではイン側ぎりぎりにつけ、あまり膨らまないようにしないといけない。

 

ダンロップ・コーナー手前で3速から2速にシフト・ダウンしたときにニュートラルに入った!しかもこれを何ラップか後に同じ場所でまたやった。2度とも大きくタイム・ロスしたが、転倒しなかっただけめっけもんだった。後で江場ちゃんに聞いたら、3速からニュートラルに直接落ちることはミッションの構造上ありえないとのことだから、おらは3速から1速まで2段落とそうとしたのか?そんなわけはないと思うし、サーキット走り始めの頃は間違って2速から1速に落とそうとしてしまい、たまにニュートラルに入れたが、それ以来ニュートラルはおろか1速にさえ間違って入れたことはないんだが。

 

途中、1コーナーで1台、サントリー・コーナーで2台がグラヴェルに突っ込み、黄旗が出てた。

 

ひざが笑ってパドック・イン。タイムがちっとも上がらなくて、最後のほうでやっと210切ったぐらいだったから、5ラップくらいしか走ってないかなーと思ったら、10ラップもしてた。ほぼ30分経過してたのだ。その割には情けないタイムで、最初の1-3ラップは220さえきれなくて、210をきったのはやっと9ラップ目。ファステストは10ラップ目の210。

 

転倒しなかったのは何よりだが、タイムが悪いからがっかり。次の10:10-10:40の間は250cc以下のレーサーの走行時間でおらは休み。10:50-11:20の30分間は400cc以上のレーサーの走行時間。11:30-12:00が再度全クラス混走。おら再度走ろうかどうか迷ったが、こんなタイムのままじゃダメだと思って、10:50から渋々走ることにした。筑波のレースまでもう走る機会がないのだ。でも第1ヒートに比べると出走前の怖さはあまりなかった。

 

2ヒート。第1ヒートほどは混んでない。ピット・ロードからの出だしの0ラップ目にいきなり1コーナーと100Rで転倒している人がいた。おらはというと1ラップ目でいきなり211が出て2ラップ目以降は全ラップで2'10を切った。やっぱり慣れると随分違う。スピード感や走り方は220で走ってるときも203で走ってるときもあまり違いはないと思うんだけど、たぶんスピードに慣れるとスロットルを大きく開けられるようになるんだろう。1ラップ走った後、1コーナーにまかれたオイル処理のため赤旗中断。ピット・ロードでしばらく待機し、再度コース・イン。

 

今度は100Rで膨らんで、もうだめ!と思うほどコース外側ぎりぎりまで寄った。コースの端まであと5cmぐらいか。100Rではたまに膨らんで怖い思いをするが、こんなに膨らんだのは初めてだ。今日はなぜか100R出口で縁石のあるイン側にあまり寄せてなかったからか?ここは転倒したときのエスケープ・ゾーンがほとんどない、とても危険な場所で、こんなとこでは絶対転倒したくない。R6初乗りのせいではないと思うが、この日はやたら危険な目にあう。そのくせなかなか転倒しない。後になって本間師匠の言葉を思い出した。コース外側なんて見ずに曲がる方向に目線を持っていかなきゃいかんのだ。

 

これも初めての経験。最終コーナー出た後のホーム・ストレート入口で息が荒いのに気がついた。二輪サーキットはスポーツだわ。それともおらは後輪のスライドを恐れるあまり最終コーナーで息を止めてるんだろか?

 

おらはいつもヘアピン出口で離される。転倒したことないし、安全だし、かなりスピードの落ちるコーナーなのに、なぜか寝かせ切れないからコーナリングを終えるのが遅く、出口でスロットルを早く開けられないのだ。最終コーナー前のダンロップ・コーナーでも2回目の切り返しでおいていかれる。これは他のライダーのラインと比べると、2回目の切り返しでおらは膨らみすぎて、結果最終コーナー入口のクリッピング・ポイントが手前になりすぎてるからのようだ。だから立ち上がり加速が悪くなる。1コーナー、ヘアピンもおらのクリッピング・ポイントは手前過ぎるのかもしれない。

 

余裕あるのに1コーナー手前では、全て250m手前でブレーキング。へんな癖がついてしまった。常に200m手前でブレーキングするべし。

 

そのうち100Rで膝擦り出した。100Rで数ラップ膝擦った後、今度は久々に最終コーナーでも膝擦った!

 

2ヒートではギアがニュートラルに入ることはなかったが、2速から3速へのシフト・チェンジの衝撃の強さはあいかわらず強烈だ。

 

タイムはラップを重ねるに従い、随分縮まって、204台が2回出た。第1ヒートでは210さえなかなか切れなかったのに。そのうちまた膝が笑いだしたので、パドック・イン。

 

結局この日は転倒せず。2001年にSUGOをR6で53ラップしたときも転倒しなかったから、R6は転倒しにくいマシンなのか?そういえばR6に乗るジョーもめったに転倒しなかった。ジョーは引退したのか、ちっとも顔を見せない。

 

9ラップしてファステストが9ラップ目の2'04。おらのベストとたったの1秒違いだし、この日の合計ラップ数はFISCOでの自己最高を2ラップ更新する19ラップだったから、マシン、タイヤともに初めてにしては上出来なフリー走行だった。

 

後日FISCOのコース図を見ていたら、なぜ最終コーナーと100Rで大きく膨らんだかがわかった。車体を寝かせているときの2速から3速へのシフト・アップのショックを嫌がったおらは、できるだけ車体を起こしながらシフト・アップをしていた。だから寝かせ始めるのが遅れてコース外側まで行ってしまったのだ。おっかなくても寝かせながらシフト・アップするしかあるまい。

 

このR6はTTのオリジナルに比べるとかなりショートなスプロケットのセッティングで、1コーナーからサントリー・コーナーまでのストレートの途中と300Rの途中で3速ではオーバー・レブになるから、周回重ねて慣れてからどちらも4速に入れるようにした。R6もTTと同じ、15,000rpmでオーバー・レブになる。ショートで加速がいいから、ホーム・ストレートでもあっという間に4速、5速、6速と入る。後で江場ちゃんに聞いたら、ホーム・ストレートで6速のレブ・リミットを越えるようならスプロケットを変えた方がいいと。おらは6速に入れてからはスピード・メーターばかり見てたから、どうだったか分からない。298Km/h以上スピード表示が上がらなかったのはひょっとして、レブ・リミットまでいってたからかもしれないから今度確認する。6速でレブ・リミットを越えてなければ、最終コーナー出口では3速でレブ・リミットぎりぎりまでいってたものの、なんとか車体を起こしかけた後に4速に入れてたし、タイムもまあまあだったから、とりあえずこのままのスプロケットでやってみる。筑波用のスプロケットは全然分からんが、低速コースだからこのままでよかろう。R6の現在のスプロケットはたぶんフロントが16丁でリアは48丁。

 

TTとの性能的な違いは・・・、よくわからない。おらはスコッチとバーボンの違いも、キリンビールとアサヒビールの違いも、コカ・コーラとペプシ・コーラの違いも、TTとR6の違いも分からない。もちろんサスセッティングは未だに全く分からないから、いじったことない。

 

おらは本書執筆のために、サーキットでの出来事を、暇を見つけてはその場で殴り書きしているが、この日はたくさん走って右手を酷使した為か、2年前にFISCOで痛めた右親指の付け根が痛くて、うまく字が書けなかった。

 

走り終えてからまたポツポツと雨が降ってきた。天気がもって良かったよ。恐怖との戦いでもあったこの日だが、満足いくタイムで無事走り終えることができ、自分でも何言ってるかよくわからんが、洋画のディア・ハンターな気分だ。しかしライディングには全く満足できない。全然寝かせてない!

 

ディア・ハンターが出てきたので、おらの好きな映画を紹介する。

ひまわり

グレート・ブルー

サウンド・オブ・ミュージック

ランボー1

テス

愛と哀しみのボレロ

アビス

ディア・ハンター

エイリアン2

邦画も一つ入れるとすると、砂の器

 

FISCOからの帰りは東名高速道路を使って、今度のレースでお世話になる厚木にあるバイク・ショップLANGに寄り、菓子折りもって店長の中村さんに挨拶してきた。気さくな人で一度サーキットから去って復帰したそうだ。飯尾さんや飯倉さんとも知り合いとのこと。おらのR6を見たいとのことでお見せした。中村さんもサーキットは怖いと言ってたし、江場ちゃんが相手してた職業ライダーも走る前は怖いと言ってたようだが・・・。

 

そしてスナップリングへ。R6を預け、スナップリングに預けっぱなしだったTT 2号機のホイールが履いてたレイン・タイヤを外してもらい、R6のピレリをTT 2号機のホイールに履かせ、R6には今まで使ってたミシュランのパイロット・レースM2を履かせてもらうことにした。R6の左右ハンドルと左右レバーをスペア用に注文。あと、R6の前後輪をはずす工具が必要だ。TT用の工具では残念ながらサイズが合わないのだ。TTのホイールをR6のレイン・タイヤ用に使いたかったが、ホイールは他機種との互換性はないとのこと。だからR6のスペア・ホイールがほしいが、高いし、MCFAJのレースではいつもミシュラン・サービスが来るようだから、なしでいく。

 


0008 勢ぞろいしたおらの二輪たち。左から、SRV250、TT600 2号機、TT600 1号機、YZF-R6。四輪と二輪を持っている人のことを6輪オーナーというが、おらはその倍の12輪オーナーだ。しかし間もなく2台のTT600はいなくなる

 

 

彩図社編集部の“本を出したい人のための徹底研究”を読んだ。原稿募集による共同出版で成功することはほとんどないそうだ。特に本書のようなエッセイは、小説と違いかなり難しいらしい。やっぱりなー。以前B出版社から度々共同出版を誘われたがおらはなんか話がうますぎると思ったんだ。で、今シーズンの執筆が終了したら、今度はS出版社の出版賞に応募しようと思っている。本書が売れて、過去3台のマシン購入費が必要経費で税控除されたらどえらい嬉しい。

 

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