Round 12 炎のコーチとの筑波フリー走行
2004.05.22

今年の4月に炎のRR会の色男本田さんが東北事業所から府中事業所に転勤になり、相模原の自宅に戻ってきていた。本田さんは2年前に相模原事業所から東北事業所に転勤したとき二輪サーキットは引退していたのだが、おらが5月のレースに出ることを知り、トランポ出しておらのレースを観に行くと連絡をくれた。その夜居酒屋で本田さんと飲んだ。本当は減量中で食べるわけにはいかなかったが、おらはそのとき引退を決意した直後で、今までいろいろなアドバイスをしてくれた彼と、なんだか飲みたかった。彼とサーキット以外で会ったのはその夜が初めてだったが、サーキットと会社の話題で会話が途切れず、あっという間に楽しい4時間が経過した。彼に次の練習日を聞かれ、三日後の日曜の筑波の予約が取れれば走ると答えると、彼はトランポ出して一緒に行ってサスペンションをセッティングしてくれると。嬉しいねー。3年前のFISCOでの大転倒の際、自走で帰る為にTT600の修理をしてもらった借りをその夜返せたと思ったら、また借りができてしまった。彼と出会ったのはホンダのCBR 900RR FireBlade(現在放映中の仮面ライダーブレイドのタイトルを10年以上先取りするバイクだ!)を愛好する炎のRR会主催の炎の走行会で、おらが初めて筑波を走ったとき。彼はその走行会の幹事兼先導ライダーだった。そして偶然彼とおらが同じ会社の社員同士でお互いの自宅も近い事を知った。その後彼は本書の読者となり、おらに批評をくれたり、FISCOでまた会ったり、FISCOでの走りの極意を教えてくれた。そんな、おらよりも全然速い彼が、おらのレースのコーチ役をかって出てくれるなんて感激だ。こりゃ最後のレースは思い出深いものになりそう。おらは本田さんに今度のレースを最後に引退することを告げ、とても怖がりそうにない本田さんにパドックで怖くなることがないか尋ねたら、「コース・インして数ラップ路面の状況を確認して本気で走り出すまでは怖い」と。

 

5月9日(日)の筑波の“当月予約“が3枠取れた。普通は土日祝日にそんなに予約が取れるはずはないんだが、走行日2日前の当月予約日時点での走行日の茨城県の降水確率が50%だったことでキャンセルがたくさん出たのだ。おらは本田さんの世話になって、ドライであれば走る事にした。ウェットなら走らずに\9,000無駄にする。しかし幸運にも走行日前日には走行日の茨城県の降水確率は10%になっていた。

 

5月9日(日)の04:30におらの自宅まで本田さんにトランポで来てもらって、買ったばかりのビデオ・カメラでおらの走りを撮影する役のかみさんと共に05:00自宅発の06:30筑波着。前回と同じ第1ヘアピン横にトランポを駐めてもらった。曇っているが雨は降ってない。筑波は早朝と夕方にコースを歩かせてくれることをおらは知っていたから、本田さんと二人で25分ほどかけて歩いてみた。第1コーナー縁石付近で凹んでいると思っていた部分は補修された跡だったから乗っても大丈夫な事がわかった。本田さんはダンロップ下の右に進入する前では左側いっぱいまで寄らないと。そして最終コーナーは本間師匠と同じ2回クリップで、二つのコーナーとして考えると。


0989 筑波フリー歩行。最終コーナー出口で

二輪サーキット恐怖症の兆候である走行日前夜の嫌な気分も、パドックで走行時間を待つ間も前回とは打って変わって怖さは全くなし。本田さんが一緒だからか?

本田さんはタイヤ・ウォーマーやらなんやらトランポに積んできた。そして、おらを何とか勝たせたい、嫌勝てるわけはないんだが、できるだけいい結果を残させたいと思うのか、ライダーのおらより意気込んでる。さすが炎のライダー。心強い人がコーチになってくれた。(本田コメント:本気で真面目に取り組まないと面白くないでしょ)


0990 初のワンボックスのトランポ

本田さんから前後輪のスタンドを持ってくるように言われていたので、普段のフリー走行では使わないが持ってきた。そういや、おらは面倒だから、レースのとき以外はサイド・スタンドを外した事がないが、サーキットに車載でやって来る連中でサイド・スタンドをつけてるようないい加減なやつは他にはいない。本田さんは自分の持ってきた空気入れとエア・ゲージで前後輪の空気圧を調整してくれた。そしてR6の伸び側、縮み側のサスペンションをフロント、リアともセッティングし、アイドリング回転数を3,500rpmに上げた。師匠から飛び出しをなくす方法のひとつとして教わっていたアイドリング回転数の高回転化だが、おらはアイドリング回転数の上げ方も知らなかった。


0995 本田さんのサス・セッティング

おらの今回の目標は最終コーナーのブレーキング・ポイントを5m刻みで110mからちょっとでも詰める事。S字をレコード・ラインで走る事。ダンロップ下でも膝が擦るくらい寝かせる事。タイムはあまり欲張らずに、前回出したベスト・タイムから1秒短縮の114が目標。走行中はP-LAPは見ない。嫌、見たくても見れなかった。本田さんがP-LAPのタイム表示部分に黒いビニール・テープを貼ったからだ。「見ると燃えちゃうでしょ」と。おらは炎のライダーじゃないぞ。(本田コメント:どうやら自覚がないらしい・・・)

08:00から30分の第1ヒート。本田さんが、「私はピット・ロードにいるから、最初はストレートを除いてゆっくり走って調子を見て、5ラップ走って戻って」と。そして「出だしは突っ込むやつがいるかもしれないから」ということで、走行開始時間をちょっと過ぎてからコース・イン。結局おらはこの日を通して全く怖くなかった。

ゆっくりペースで5ラップしてから本田さんの待ってるピット・ロードに横付けした。第1ヒートが終わった後にP-LAPを見たらこの5ラップでのファステストは119だった。バイクの感触を聞かれたので、おらは「全然わからないが、悪くはない」と。すると「33番のXJRに抜かれてはだめ」と。ゆっくり走れといったのに・・・。そして、「第1コーナーの進入では、さっきコースを歩いたときに南郷さんが示したラインより随分早くインに寄ってる」と。

おらはまたピット・ロードを駆け抜け、指示通り走行時間終了まで走った。ネイキッドのXJR1300には抜かれまいとペースを上げてほぼ全開でいったが、膝はたまにかする程度。そしてXJR1300 にまた抜かれた!スパルタ・コーチにまた何か言われそうだが、全開で走ってもあれにはかなわないよ。ネイキッドだろうがスクーターだろうが、速い奴は何に乗っても速い事をSUGOで平さんのXJR1300にタンデムさせてもらったときにおらは思い知らされてる。この日おらはほとんど抜かれっぱなしだった。

レースでスターティング・グリッドがイン側になることを想定して、第1コーナーを進入時からインベタで一回走ってみた。

S字で3速にシフト・アップせず2速のまま走ってみた。本間師匠の教えに従い、左に寝かせる前にスロットルを1/2だけ戻したが、2速での高回転域からのスロットル1/2戻しは、エンブレが効きすぎてうまくいかない。3速にシフト・アップして同じ事をやったら、エンブレはあまり効かないから、いい感じのが1ラップだけあった。

アイドリング回転数を上げたのが効いたのか、第1ヘアピンでの飛び出しはあまり出なくなった。

筑波のコース図を見ていたら、第2ヘアピン手前の左170Rで早めにインにつけると第2ヘアピンのイン側に進入してしまうが、170Rのインにつけるのをぎりぎりまで遅らせると第2ヘアピンのアウト側に進入できるラインがあることがわかったので試してみた。あんまりうまくいかなかったが、これが正解のような気がする。

最終コーナーでは4速でレブ・リミットにあたっている事がわかったが、その後すぐにブレーキング・ポイントに達するから、5速へのシフト・アップはせず。

途中で3分ほど休んだせいか、不思議と太ももの状態はよく、最後まで足は使えた。これからは今回のように走行途中にピット・ロードで一回休憩する事にする。

おらはチェッカー・フラッグを見落として、バック・ストレートでみんながピット・ロードに向けてイン側を走ってるのを見てようやく走行時間が終わった事に気がついた。筑波ではいつもチェッカー・フラッグを見落とす。レースのときにチェッカー・フラッグを見落として、二度チェッカー・フラッグを受けるとダブル・チェッカーで失格になるからどえらい不安。今度のレースでは本田さんに残りラップ数と後続車とのタイム差をピット・サインで出してもらう。(本田コメント:そういやサインボード見る練習しなかったですね)

ピット・ロードに入る手前のバック・ストレートで2速からシフト・アップできない!何度やっても1速と2速にしか入らない。パドックに戻って見てみたら、左側のバック・ステップのブラケットのねじが緩んでバック・ステップが外れかけてた!本田さんがねじを締めなおしてくれたが、レース中だったらリタイアだよ。今まで緩んだ事のないところが緩むなんて、サーキットで走るときはどこもかしこもねじ増ししなきゃいけないのか・・・。(本田コメント:緩みそうなボルトはネジロック剤を使いましょう)

P-LAPを見ると前半5ラップ、後半5ラップの計10ラップ走っていて、そんなにペースが速いとは思っていなかったが、何と6ラップ目にベスト・タイムを1秒更新の114が出た!もうこの日の目標タイムが出ちゃったよ。これで筑波でのおらの平均速度は100km/hを越えた。

本田さんから以下の助言を得た。

「第1コーナーの進入ラインはよくなったが進入スピードが遅い。一気に寝かす。速いライダーは第1コーナー中盤で膝を擦り始める」

「第1コーナーの進入を2速でなく3速にして、立ち上がりでスロットルを全開にするのを試してほしい」

「2スト・レーサーはレブリミットまで回すが、一般市販車は公道で乗りやすいトルク・カーブになっているので、レブ・リミットまで加速が伸びないから、シフト・アップをレブ・リミットの効く15,000rpmでなく14,000rpmで試してほしい」

「リア・タイヤは外側いっぱいまで使っているが、フロント・タイヤの外側1cmほどが全く使われていないからまだ寝かせられる。ただR6のスタンダードのタイヤ・サイズである120/60に対して今は120/70を履かせているせいかもしれない」


1040 今まで気付かなかったが、おらはフロント・タイヤ120/70の外側を使い切ってない

そして本田さんがフロントのサスペンションを再度セッティングしてくれた。

(本田コメント:フロント伸び側減衰が弱いので、強くしただけ&イニシャルを抜いた)

かみさんに本田さんの持ってきたガソリン・タンクを持たせてガソリンを買いに行かせた。15リッターは重かったようだ。10リッター程燃料を補給した。

10:00から30分の第2ヒート。今度は7ラップして一度戻るように指示を受けた。レースも7〜8ラップだからこの周回数は実戦的かも。

膝はあいかわらず擦らないが、なんか乗れてる感じだった。7ラップしてピット・ロードに戻り、本田さんがフロント・タイヤの未使用部分が若干減っているのを確認し、おらはまたピット・ロードを駆け抜けた。

第1コーナーの進入を2速でなく3速で何回か試してみたが、エンブレが効かないからどうしてもコーナー途中ではらんでしまって、おらには無理と諦めた。

第1コーナー出口と最終コーナー途中で転倒者あり。救急車が出動。

ダンロップ下では進入時にどうしてもスピードを殺しすぎてしまい、あまり寝かせられない。後に本田さんが「あそこはフル・バンク」と。

レブ・リミットまで1,000rpm余した14,000rpmでシフト・アップすると、バックストレートで3速にシフト・アップした直後のフル・スロットルでのウォブルが全く出ない!これはいい。レブ・リミットでのシフト・アップはミッションへの負担が大きいのだろう。

最終コーナーのブレーキング・ポイントは今回も全く詰められず。ここのブレーキングはおっかなくてそう簡単には詰められない。

さすがに最後の3ラップは太ももが使えなくなった。

チェッカー・フラッグに気づかずまたバック・ストレートで走行時間終了を知り、パドック・イン。直後に小雨が降ってきた。

おらは1、2秒ベスト・タイムを更新していると思ったが、P-LAPを見ると15ラップ走ってファステストは14ラップ目の1’14で、第1ヒートで出したべス・タイムと同じ。おらのこの日のタイムは1’15前後の低いレベルで安定してた。これ以上は無理なのか?嫌、復帰一回目のように寝かせられればまだ2秒ぐらいはすぐに更新できると思う。

本田さんから以下の助言を得た。

リア・タイヤの外側が波のようにめくれてるのを見て、「これは寝かせながらスロットルを開けてる証拠でいい感じ。でもコーナー立ち上がりのもっと早い時点でスロットルを開けるようにして、リア・タイヤの更に外側がめくれるように」


1039 リア・タイヤのめくれ

「第1コーナー進入の姿がよくなった」

「ホーム・ストレートで前に抜けそうなのがいると、そのときのラップが遅い」

確かにおらは練習中に事故りたくないから無理して抜かず、できるだけバック・ストレートで抜くようにしてたから、前が詰まったときのラップ・タイムは遅くなる。本田さんは、

「レースのときに抜けるように、抜き方や抜き場所を考えて抜くのも練習。自分が相手より速いところで抜く」と。

そして本田さんがR6にちょい乗りしたら、「フロント・フォークのオイルの状態が良くないから、シルコリンのオイルを入れた方がいい」と。シルコリン・コーナーってのをどこかで聞いた覚えがあったので後で調べたら、筑波のシケインの名称だった。

12:00から30分の第3ヒート。雨脚が強くなってて、レイン・タイヤを使う程ではないが路面はウェットに。本田さんが、「せっかくだから、気をつけて2、3ラップ走って、ダメと思ったら戻って」と。ウェットになったから出走台数は少ない。おらはS字と170Rの練習の為だけに走った。

S字がたまにレコード・ラインで走れるようになってきた。

シケイン左で左膝を出してハングオフした後も、そのままの体勢を保ちながらフル加速し、170Rで左に寝かせる方法を思いついてやってみた。左にハングオフしながらの3速へのシフト・アップはやりにくいが、これだとハングオフ一回分の動作がなくなり楽。でも膝に当る風圧で加速が乗らないからこれは違うかも。しかし170Rでのラインはつかめてきた。

(本田コメント:加速状態では膝を閉じたほうがいいですよ)

最終コーナーでは5速へシフト・アップするようにした。これが今のファイナルでの本来の走り方だ。

何台か抜いたがほとんど抜かれっぱなし。最終コーナーで転倒があり、黄旗が出たので走行を終えようとしたらチェッカー・フラッグを受け走行時間終了。ウェットなのであまり寝かせてないから、ほとんど使い物にならなくなってた太ももでも何とかもち、結局30分を休まず15ラップ走った。ファステストは128。

本田さんからの助言を以下に示す。

「抜かれすぎ。NSR250(本田コメント:NSR250でなくNS250R。NS250Rは1985〜1987、NSR250は1987〜。私は高校時代にNS250Rに乗っていました)に抜かれるのはストレートでスロットルを完全には開けていないから」

ゆっくり走れといったのに!炎のライダーは炎のスパルタ・コーチでもあった。

(本田コメント:排気量の小さい、古いバイクに抜かれたらSwitch ONでしょう!)

(南郷コメント:おらには抜かれたバイクが何なのかを見てる余裕がないし、だいたいバイクの種類をよく知らない)

おらは今までハングオフのフォームを作るときよっこらしょと体を持ち上げて、戻すときもよっこらしょと体を持ち上げていたが、「そのやり方ではこれから寝かせ始める、あるいはスロットルを開け始めるというときに、フロント・フォークを伸び縮みさせてしまうのでだめ。頭の上下位置を変えずに、尻を横にずらしてハングオフのフォームにする。戻すときは開いていない方の膝をタンクに押し付けて、開いた方の膝を寄せるようにして閉じる」

スタンドで立たせたR6の上にまたがってその方法を試してみたら、この方が楽でもあった。おらのやり方はハングオフの度にうさぎ飛びをしていたようなものだったが、この方法であれば太ももは平気かも。

この日は10 + 15 +15の合計40ラップし、おらの二輪筑波はついに通算100ラップを越えた。おらは何とかあと1、2秒タイムを更新して、生涯最後の二輪レースに挑みたい。

本田さんにおらの走りを見てもらっていい勉強になった。それに本田さんはおらに強制することなく、いろいろな事を教えてくれる、なかなかいいコーチだ。その本田さんのブレーキングは珍しい中指一本握り。そしてリア・ブレーキも使うと。そういやおらの走りは、平さんには見てもらった事はあるが、残念ながら本間師匠には見てもらったことがない。

この日走って思ったが、筑波はコース幅が狭くて接触ぎりぎりで抜く事が多いので、いくら低速サーキットといえど他のサーキットに比べて危険だ。しかもおらが抜かれた後にそのままのラインで走り続けると接触を免れない、人任せの抜き方をするやつがいた。抜く方はリア・タイヤが接触するだけで大事にはいたらないが、抜かれるほうはフロント・タイヤが接触するからどえらい危ないのに。

走ってたときはそうでもなかったが、撤収作業を終え、雨脚が強くなり完全なウェットとなった頃には両太ももは階段を上り下りする事もできない状態で、特に右太ももに力を入れるとどえらい痛い。そしてボルトを入れた左足首に体重をかけると、たまに激痛が走るようになっていた。おらはこの日の三日後も会社を休んで走るつもりだが、こんなんでまともに走れるのかしらん。

LANGに電話してシルコリンのフォーク・オイルがあるか訪ねると、あるという事だったので、LANGまで本田さんに付き合ってもらう事にした。14:00筑波発の16:20自宅着。そこでかみさんがおらの帰りの為に一人でビーマーに乗り、本田さんのトランポと2台でLANGに行った。本田さんの自宅は、おらの自宅からLANGに行く丁度中間地点ぐらいのところにある。中村店長に、明後日の夜までにフロント・フォークのオイルをシルコリンのものに交換してもらうようにお願いした。詳細は本田さんから説明してもらった。そして次回走るときの前後サスペンションのセッティングを本田さんから聞いておいた。

(本田コメント:15番を標準油面で組んで貰うことにしました。ちょっと乗った感じではバリアブルピッチではなさそうだったので、オーリンズのスプリングが組んであると予想し、決定)

LANGに小山さんが来ていた。残念ながら、おらと同じようなタイムで走る小山さんはレースに出ないと。去年おらと一緒に出場したレースの際、第1コーナー出口で転倒しかけたらしく、「レースはついむきになってしまって危険なのでもうやらない」と。おらは小山さんには引退する事を伝えたが、中村店長には切り出せなかった。

 

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