Round 13 炎の筑波フリー走行
2004.05.23

前回の炎のコーチとの筑波フリー走行の三日後に、おらはまた会社を休んで筑波で走る事にした。そして走行日前夜に軽トラを借りてLANGまでR6を受け取りに行った。おらのタイムを更に短縮するには、本間師匠に昔教わったコーナー途中までのブレーキングの残しが必要だと思い、中村店長に筑波の第1コーナーでのブレーキのリリースはどのあたりで行うのか、そしてパーシャルでいる時間はどのくらいか尋ねてみた。すると「クリッピング・ポイントまでブレーキングを残す。筑波ではパーシャルにするところはシケインと最終コーナーぐらい。パーシャルを使うとその分遅くなる」と。おらは師匠のようにコーナー途中までブレーキングを残すのは、プロならではの技と思っていたのでびっくり。おらの走り方は一般的にライテク本に書かれている、コーナー進入までにスピードを殺し、寝かせ始めると共にクリッピング・ポイントまでパーシャルを持続し、クリッピング・ポイントからスロットルを開け始めるというもので、コーナリング・ブレーキはついぞ試したことがない。コーナリング中にブレーキングを残すと前輪がスライドして転倒すると思っていたからだ。中村店長にその事を尋ねると、「今のタイヤは大丈夫」と。また、レブリミットで2速から3速へシフト・アップした直後にだけウォブルが出た事を話すと、「クラッチを使わなければ大丈夫」と。

TEAM LANGの柿沢さんが中村店長の手伝いをしていた。せっかく表彰台に上がれる腕を持ちながら、「400ccクラスの出場者はいつも少なくてつまらないから今回もサポーターに回る」と。「600ccで出れば?」と尋ねると「買えない」と。おらは引退したら、R6を買ったファイアー・ガレージにR6を売ろうと思っていたけど、彼に売ってあげようかしらん。でもR6でもてぎを走れる目途はついているが、鈴鹿はいつ走れるかわからない。ナンバーなしで、軽自動車税も自賠責保険も必要ないから、乗らないけどR6を残す手もある。でも残すとまた走りたくなるだろう。

LANGからの帰路で本田さんから電話があり、「明日の走行1枠目で何か気になることがあったら連絡して」と。おらが「今LANGからの帰り道で、これから自宅でサス・セッティングをするが、わからなかったら電話しようと思っていた」と告げると、電話を受けた場所からものの10分で行ける本田さんの自宅で本田さんが待ってると。本田さんの自宅前で前後サスペンションのセッティングを指示してもらい、おらがやってみた。本田さんも「筑波ではシケイン以外パーシャルは使わず、クリッピング・ポイントまでブレーキングを残す」と。アマチュアでも速いライダーは皆そうやっているようだ。気づくのが遅かった。

自宅に着いてから本間師匠に電話して、引退することを伝えると共にクリッピング・ポイントまでブレーキングを残して本当に大丈夫か尋ねた。「ブレーキングを残してフロント・フォークを沈めていた方が曲がりやすい。ブレーキングをやめるとフロント・フォークが伸びきってしまう」と。おらはサスペンションの挙動と、前輪の接地感が未だに全くわからないのであった。最後のレースに向けてフリー走行に熱中している事を話すと、「最後と思って頑張っちゃうと危ないからだめ」と。でもおらは、“ああ、どうにも止まらない♪“のだ。

5月12日(水)、おらはまた有給休暇を取り、軽トラ借りてかみさんと筑波に行った。おらはこのところ会社を休んでばかりだが、仕事さえ滞らなければ、会社の連中にどう思われても構わないといった心境で、最後の二輪レースまでに可能な限り筑波を走りこむことに執念を燃やしている。レースまでにこの後、もう一回走れるかどうかといったところだ。

05:00自宅発の06:40筑波着。この日は2枠走る。今にも雨が降りそうな雲行きだったが、おらの走行時間中はもってくれた。ピットが開いていたがおらのライディングの写真を撮るのに絶好の、いつもの第1ヘアピン前の駐車場に停めようとしたら、復帰二回目に来たときにおらの隣に店を構えていたライダーが寄ってきて、「ピットが開いてるから使えば?」と。おらは何かあったときに助けてもらえると思って、そのライダーの使ってた隣のピットに軽トラを駐車した。第2ピットだ。しかしピットが開いていた理由は、その日の午後に筑波を借り切っての催しがあり、11:00までにピットを開けておかなければならない為であった。おらの走行は11:00までには終わるからいいんだけど、おらをピットに誘ったライダーはしきりに謝ってた。ちなみにFISCOと違って筑波のピットは無料。


1068 筑波のピットには何故かピット・ロードに直接出られない壁がある

三日前のフリー走行の際の太ももの状態はまだ完全には快復しておらず、好タイムは期待できそうにない。

前回は本田さんが一緒だからかとも思ったが、不思議と今回も全く怖くなかった。おらの二輪サーキット恐怖症は引退を決めたと同時に完治したのか?

目標はおもいっきり寝かせること。ベスト・タイムを1秒短縮の113に更新すること。第1コーナーのブレーキング・ポイントを110mから100mにすること。最終コーナーのブレーキング・ポイントを110mから100mにすることだ。P-LAPのタイム表示部分は黒いテープで覆ったままにした。

08:00から30分の第1ヒート。

第1コーナー、第2ヘアピン、最終コーナーで軽く膝を擦った。ところがまともに写真が撮れる唯一のコーナーである第1ヘアピンだけは、いつものようになかなか膝は擦らず、一回軽く擦っただけ。

S字は未だにレコード・ライン上を走れないが、170Rはかなりいいラインで走れるようになった。

7ラップの予定を8ラップしてからピット・ロードに横付けした。R6から降りると、走行中はそうでもなかったのに、太ももはかなりつらい状態である事がわかり、これじゃあもうまともに走れないと思って5分程ピットに横たわってた。

再び走り始めると、ダンロップ下の右でついに膝を擦るようになった!それにシケインはだいぶひらひら感が板についてきた。休憩した直後に急に走りがよくなるのは不思議だ。そして前回本田さんに教わった尻ずらしのハングオフ動作のおかげで、太ももの調子は悪くない。

第1コーナーより随分手前のホーム・ストレートの左側グリーンで転倒者がいた。ストレートでのコース・アウトとは不思議。第2ヘアピンにも転倒者がいた。

コーナリング・ブレーキはクリッピング・ポイントまでは残せないが、コーナー中盤まではブレーキングを残せた。思ったほど怖くなかった。

アイドリング回転数を上げたのと進入スピードが増したからか、第1ヘアピンでの飛び出しは全く出なくなり、スロットルを開けやすくなった。

最終コーナーの入口でインから抜かれ、寝かせ始めるタイミングが遅れたせいでいつもより鋭角に曲がりすぎたのか、最終コーナー中盤にある縁石にわずかに前輪が乗って、あわや大惨事となるところだった。最終コーナーでだけは転倒したくないよ。

最終コーナーのブレーキングでよく抜かれた。ブレーキング・ポイントをあと10m詰められたとしても、おらはブレーキングしている時間が長すぎて進入スピードを落としすぎ。飛躍的にタイムを上げるにはここで思いっきり飛び込む覚悟が必要なんだろうが・・・。

この日は抜かれた台数と同じくらいの台数を抜いた。

めずらしくS字がうまくいったラップがあった。その後、前が詰まる事もなく全体的にいい感じで、これはいいタイムが出るかもと思いながら最終コーナーを立ち上がると、チェッカー・フラッグが振られているのが見えた。おらは上体をカウルに潜り込ませ、4速にシフト・アップすることなど考えず、3速全開のままゴール・ラインを通過した。ベスト・タイムを更新したとおらは確信した!

ピット・インしてP-LAPを見ると、12ラップ目までは114しか出ていないのに、最後の13ラップ目でなんと112329が出た!三日前のベスト・タイムを一挙に2秒更新の112だ!ゴルゴな13秒をおらの最終目標にしようと考え初めていたところだったから、おらはめちゃんこ嬉しかった。本田さんから教わったライテクのおかげだ。サス・セッティングを変えた事にもよるのかどうかおらにはわからないが、そうだとしたら凄いことだ。


1081 悦楽のひととき。しかし1時間後にはまたコンクリート・ジャングルへ

隣のピットのライダーに「2秒更新した!」と自慢すると、「何秒?」と聞かれたので、まずいと思いながらも、「112・・・」と答えると、「だったらBクラスで走ればいい」と。嬉しい事言ってくれるなー。「でもBクラスは106以内でしょ?」と言ったら、「関係ない」と。


1085 ピットは病院と一緒で4番がなかった!

1時間休憩した後、09:30から30分の第2ヒート。もうベスト・タイムも更新したし、太ももがだめだからタイム・アタックする意欲はあまりなし。

第2ヘアピンで転倒者あり。ここはおらもよく突っ込みそうになるが、カントがあるから何とかなる。

第1ヘアピンでは一回膝を擦っただけ。ここでTT600でも2回経験した、ブレーキング時のエンジン回転数の断続的な吹け上がりがあった!おらは曲がれないと思って寝かせるのをあきらめ、コーナーをそのまま真っ直ぐ行って、ブレーキングで速度を落とし、コース・アウトぎりぎりまで行ってから切り返した。ここもカントが随分あるので何とかなったが、原因はなんだろう?TT600と違っておらのR6はキャブレターだから燃料の異常噴射ってのはないはずだが・・・。その後しばらくの間は、これがいつまた出るかと思うと攻められなかった。

第1コーナー手前と最終コーナー手前でいつもよりかなり強めのハード・ブレーキングを試みたが怖くない。おらの今までのブレーキングは随分甘かった事がわかった。第1コーナー手前のブレーキング・ポイントはついに110mから100mに詰めることができた。突っ込みすぎたかも!と思ってもコーナー途中までブレーキングを残せると思うとなんとかなる。しかしブレーキングをコーナーまで残すようにしたせいだと思うが、第1コーナー中盤以降ではらみすぎてこの日はほとんど縁石に寄ってクリップできなかった。しかしプロ並に縁石で膝を擦るってのもあった。

S字は3ラップに一回ぐらいまともに走れるようになった。S字は高速シケインと思えばいいのかも。

最終コーナーのブレーキング・ポイントはあいかわらず110mのまま。100mに詰めたいが・・・。最終コーナーでは復帰第一回目ほどガリガリ膝を擦ってないからスピードもあのとき程のってないはず。ここで進入時に5速から4速、そして3速にシフト・ダウンしたときにエンブレが効き過ぎて、よく後輪を滑らした。進入スピードが上がっている証拠だが、走っているときは対処方法に気づかなかった。空ぶかしのときにスロットルをもっと大きく開ければいいだけだ。

抜いたり抜かれたり。8ラップしてピット・ロードで5分程休憩した後、5ラップしてチェッカー・フラッグを受けて走行終了。ファステスト・ラップはまたもや最後の13ラップ目で、1

13420とこの日二番目のまあまあのタイム。

30分の間に一回休憩を挟むのはホントにいい。体力も精神力もリフレッシュできて、タイムもよくなる。

これで筑波に今年4回来て、おらのベスト・タイムを4秒更新した。ラップ1秒差しかないライダーに抜かれたときでさえ、とても追いつけないと思う程のスピード差があるから、この4秒は大きい。しかしこの日走った13ラップ x 2ヒートの中で、114を切ったのはいずれも各ヒート後半の計6ラップだけ。これじゃあいいタイムが出だした頃にはレースが終ってる。そして112はその中でも1ラップだけ突出したタイムだったからこのタイムはまぐれくさい。112前半は二度と出せないかもしれない。あと5kg体重を軽くして、最終コーナーの進入スピードを上げて、何とか111が出せれば御の字で、110をきるのはレース後も5回ぐらいは練習を重ねないと無理って感じ。

前輪のタイヤの外側はまだ1cmぐらい使ってない。

今回ずっと本田さんに教えてもらったハングオフの際の尻滑りの方法を使った。たまに今までの癖でよっこいしょとやりそうになるが、だいたいうまくいった。その証拠に、走り終わっても太ももの状態は悪くなかった。でも左足首がたまに痛む。それにしてもおらはFISCO以外では転倒しない。今のところ・・・。

二輪サーキット。こんな危険な遊びは少し頭の弱いやつじゃないとやれないかもしれないが、危険なだけに素晴らしい充実感がある。しかしおらの二輪サーキット人生は間もなく幕を閉じる。二輪サーキット恐怖症も影を潜めたし、こんなに調子がいいと、やめるのやめたくなってくる。ボクシングの選手がよく引退した後に復帰する気持ちがよくわかってきた。しかし一度決断したことは翻したくない。おらは十分楽しんだ。おらが二輪サーキットに復帰できるのは余命宣告を受けたときだけだ。だんだん癌に罹りたくなってきた。実はここ数ヶ月、前立腺癌の兆候はあるのだが・・・。体がジェット・スキーから落ちると手首に巻いたコードが引っ張られてエンジンが止まるのと同じような仕組みで、転倒時にバイクから体が離れた瞬間につなぎ全体からエアバッグが開くってやつを誰か開発してくれないかしらん。

二輪サーキットは、ライテクだけでなくマシンにも精通している必要のある奥深いスポーツだということが、本田さんと一緒にやりだしてよくわかった。

10:30筑波発の13:30自宅着。来週も会社休んで筑波で走ろうか迷う。もうこのへんでほどほどにしておいた方がいいのかもしれない。

 

その夜本田さんが会社帰りにおらの自宅に寄ってくれて、R6のガソリン・タンクを何回も押して、オイルを代えたフロント・フォークの沈み具合を確認し、「いいですねー」と。だからいつもよりかなりハードにブレーキングをしても怖くなかったのか?本田さんはシートも同じように押して、リア・サスペンションの具合を確認し、再度サスペンションのセッティングをし、イニシャルも変更。リア・タイヤの状態を見てゴムのめくれが前回より外側に移っていたようで、これも「いいですねー」と。「立ち上がりのスロットルの開けが早くなっているのがわかる」と。「しかし更にタイムを短縮するには今以上に立ち上がりのスロットルの開けを早くする必要があり、タイヤが急激にスライドしたときが心配」と。また「何も言わなかったが前回スロットルの遊びをなくしておいた」と。おらは全く気がつかなかったが、それも第1ヘアピンで飛び出しが出なくなった要因か?

おらのライディングの写真も見てもらった。本田さんは、「頭の位置はいいが、上体と共に頭を曲がる方向に向けるように。外足のつま先が外を向いているが、後輪のスライドをおさえるには前を向いていた方がいい」と。おらの頭はバイクの車体と同じ方向、つまりコーナリング中には外側を向いていた。おらは意識して内側を見ていたつもりだったが、写真を見ると目だけが内側を向いていた。



00162 頭の向きが悪し。なかなか膝の擦らない第1ヘアピン

いつかはライバルとして本田さんのタイムを目標にしようと思った事もある2001年のおらの二輪サーキット・デビュー・イヤーから3年が経ち、まさかその本田さんがおらのコーチになってくれるとは思わなかった。おらは職場ではリーダーよりもサポーターの方が気楽でいいが、こと趣味に関しては主役でなくては気がすまない。本田さんもそんなタイプに見えるし、おらよりキザな本田さんが本来そんなに親切な男には見えない。なのにこんなに親切にしてくれるのは、自分のライテクとメカの知識を全力でおらに注ぎ込む事により、おらを自分の分身と見立ててレースに挑んでいるんだろう。そしておらが本書を執筆し続け、本田さんが読み続けてくれたからこそ実現した、普通ならありえない色男二人のコンビであった。こりゃー、へたなレースはできないぞ。

(本田コメント:やっぱ、表彰台でしょう!)

(南郷コメント:無理だっちゅーに!)

その後、おらの写真を見たかみさんが、「内足のつま先が下を向いていて路面に当たりそう」と言う。確かに何故か第1ヘアピンだけは膝でなくよくブーツだけを擦るのでおっかない。そこで平さんの絵葉書きにあるライディング・フォームを見ると、どういう角度で内足をステップに当てているのかよくかわからないが、足の脛から足の甲にかけて綺麗に一直線になっていて、膝よりブーツが先に擦るようなことのないフォームになっている。師匠に教わったステップの先端に靴底を当てるやり方で、おらのフォームもそうなっていると思っていたのに…。そこでR6にまたがって、いろいろな角度で足首を曲げてかみさんに正面から写真を撮ってもらい、どの角度が平さん風なのか調べてみた。そしたらおらは師匠の言うようにはステップに直角に靴底を当てていない事がわかった。しかし平さん風の足の向きにすると体の硬いおらにはきつい。今度は試しにかみさんをR6にまたがらせてみた。そしたらちょっと足首を動かしただけで、いとも簡単に平さん風にした!おらが「相当無理してその角度を作っているんだろう!」と疑っても、「自然にこうなる」という。おら仰天。おらの永遠の二輪のバイブルである、つじつかさ著“ベストライディングの探求”に「必然から生まれたフォームこそが美しい」とある。これはけだし名言で、どんなスポーツのフォームにも当てはまるとおらは思うのだが、かみさんはそれをやって見せた!実は何をやらせてもおらより運動神経がいいが、スポーツをやる事に興味のないかみさんであった。


1090 たぶんこれがいい例

5月15日(土)、全日本ロードレース選手権の予選を筑波に観にいった。MCFAJとWGP以外の二輪レースを生で観るのはこれが初めて。MCFAJレース直前の筑波での全日本は、あたかもおらの勉強の為に催されたかのようだ。決勝は混むから嫌だったし、予選の方がレコード・ラインが観れると本田さんから聞いていた。全日本を観て以下の事がわかった。

第1コーナーでは人によるが、みな中盤からクリッピング・ポイント近くまでブレーキに指をかけていた。クリッピング・ポイントはひとつ。

S字でみなカウルに頭を入れている。

ダンロップ下のラインはおらが使っていたラインと全く違っていて、みな第1ヘアピンからの短いストレートの中間よりちょっと先のちょうど左のグリーンが禿げてるあたりで左いっぱいから寝かせ始め、入口右側縁石近くを通り、フル・バンクしてシケイン右の縁石をかすめ、次の左の縁石をかすめてる。この短いストレートで車体を起こしているのは一瞬の間で、S字のごとく切り返している。いったいいつブレーキングしてるのか不思議でしょうがない。ひょっとしてブレーキングしてないのか?後でJSB1000の北川圭一選手がつなぎ姿で第1ヘアピンの観客席にいたのを見つけて尋ねてみたら、2速でブレーキングすると。

ほとんどの連中が、最終コーナー手前でカウルから頭を起こした直後に寝かせ始めている。車体を立てて行うハード・ブレーキングは一瞬の間で、その後はコーナリング・ブレーキしてるのか?

最終コーナーではみなクリッピング・ポイントを二つ取る。バック・ストレート左端から進入してまず入口でクリップし、縁石のあるところではコース真ん中くらいまではらみ、縁石が終わるあたりで再びクリップ。

JSB1000は056台。ST600は059台。GP250は057台。GP125は059台の予選結果。GP125では、元WGPチャンピオンの坂田和人が何故か走っていて、予選7位につけていたが転倒してケガしたようだ。翌日は決勝レースがあるので、NHKのフランスGPの解説には登場していなかった。全日本のST600とおらの13秒差の理由がよくわかった。コーナーへの進入スピード、寝かせ具合、シケインでのすばやい切り返し等、走りが根本的に違う。

 

日本でただ一人自分の職業を選べない人がいる。天皇陛下だ。皇太子さまから「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった」との異例なご発言があった。宮内庁が悪いのか、外務省が悪いのか知らないが、とんでもない話だ。皇太子さまは自分の職業を選べないという、おらの見方ではとても気の毒なお方だがそれも運命。しかし雅子さまは外交官としての仕事も家族も捨てて皇室にお入りになるという、自己犠牲の決断を自ら下された。言うなれば雅子さまは、皇室はおろか全日本国民にとっての大恩人なのだから、大切にしなきゃいかんよ。

back