Round 16 感動のフィナーレへ!

2004.06.24

本書はいよいよ最終ラウンドに突入する!

15:30になり、ついにオーバー40決勝レースのときが来た。おらは脊椎パッドをはおり、つなぎを着、ブーツを履くという最後の儀式を行った。おらのカッコよくて凛々しいつなぎ姿もこれが最後か・・・。R6を押す本田さんと共にスタート前チェックへ。するとオフィシャルが、「出走申告書を出してください」と。あっ、持ってきてない!おらはすぐ近くのTEAM LANGのパドックまで走ったが、車検のときにオフィシャルに見せた後、出走申告書をどこにやったのか思い出せない!失格するかもしれないという不安がよぎった。本田さんのトランポの中を探したが見つからない。沢口さんが、「落ち着いて探せばいい」と言ってくれるが・・・。あった!スタート前チェックの場所に戻って出走申告書をオフィシャルに渡すと今度は、「MCFAJの会員証を見せてください」と。おらは前のレースでこれを言われた記憶はなかったが、万一の為につなぎのポケットにMCFAJのワンデー・ライセンスを入れておいた。くわばらくわばら。

ピット・ロード入口で前のレースが終わるのを待つ間、運んできたバッテリーとタイヤ・ウォーマーで、お兄さんのCBR600F4iとおらのR6のタイヤを暖め続けた。この待たされているときが一番緊張するときだ。怖さとは違う、なんともいえない緊張感がある。注射をうたれる前にアルコールを染み込ませた綿で腕を拭かれているとき痛くないのに緊張するってのに似ている。このときもこれが最後の二輪レースでいいと思った。二輪レースをやる連中はどこかおかしいのだ。


092 ついに最後の戦いのときがやってきた。左からおら、本田さん、前田さん

前のレースが終わった。おらはフルフェースを被り、いつものように左手から順にグローブをはめ、本田さんと共にピット・ロードへ向かった。エンジン・スタートの合図でR6にまたがり、本田さんと別れてコース・インの時間を待っていると、オートスタジオスキルの嶋根さんが、1台1台マシンのタイヤを調べていた。そしておらのR6がミシュランを履いているのを知った嶋根さんが、「頑張ってください」と。嶋根さんはおらのことを覚えていないと思うが、同じ八王子の多摩地区の人間同士が、茨城県のこんな辺鄙な場所で一緒になるとは・・・。オートスタジオスキルは全日本で本間師匠のライバルだった清水雅弘選手がWGPフル参戦した際にメカニックを派遣した会社で、パリダカの経験もある。有名なメタリカのブレーキ・パッドはオートスタジオスキルが開発した製品で、ミシュラン・タイヤ、オーリンズ・サスペンション、シルコリン・オイルの普及活動をしているおもしろい会社だ。おらの自宅からクルマで10分くらいのところにあり、おらはSRV250でFISCOを走る前に初めて訪ねた。その後おらの最初のレース@FISCOのときにミシュラン・サービスで来ていたオートスタジオスキルに、TT600のホイールをレイン・タイヤに交換してもらったことがある。その後も、子供がシールをねだるようで恥ずかしいが、転倒した後のカウルに貼るミシュランの大きなシールをもらいに何回か行った。そのミシュランのシールはどこにも売ってない大きさなのだ。そういやおらのR6にはオートスタジオスキルが扱うミシュラン、オーリンズ、シルコリン、メタリカの全てが使われている。オーリンズとメタリカは前のオーナーが選んだもので、ミシュランはおらが選び、シルコリンは本田さんが選んだもの。おらのR6は2001年式の3年落ちとはいえ、600ccスーパースポーツとしてはかなりの戦闘力を備えているのだ。


1239 ピット・ロードでサイティング・ラップを待つ10番の村崎さんと13番のおら

ピット・ロードからコース・インしてサイティング・ラップをし、本田さんとかみさんの待つグリッドについた。グリッドは一列4台の4-4式で、おらのグリッドは5列目の外側から2台目。普段走ることのないイン側からのスタートでなくてよかったよ。おらの斜め前方左側には、おらが抜きたいBIMOTA氏がいる。お兄さんははるかかなたの3列目。村崎さんは後ろで見えない。オフィシャルの指示に従いエンジンを止めた。そしてかみさんがアンブレラ・ガールとなり写真撮影。本田さんが「顔が硬い」と。おらは既に100%戦闘モードになっている。そして選手紹介がアナウンスされ始めるとともに、スタート2分前となり本田さんとかみさんがグリッドから去って行く。おらは何だか戦場に一人取り残された気分で不安になった。セコンド・アウトのときのボクサーの心境もこんなだろうか。おらは随分本田さんに頼っていたことを改めて感じた。しかしここからは自分だけが頼りだ。


1241 随分太めのアンブレラ・ガール


1243 ここまでくればもう腹は据わる。あとはゆくてを阻む相手をただ抜きまくるのみ

オフィシャルの指示に従い、一列づつスタートしてフォーメーション・ラップに入り、再度同じグリッドにつく。フォーメーション・ラップのときに前のバイクを抜きさえしなければ、自分のグリッドは容易に見つかる。フォーメーション・ラップを行う理由は、グリッドについてしばらく経っているマシンが、スタート時にちゃんと走るかどうかを確認する為。つまりサイティング・ラップの後に選手紹介やら写真撮影やら今生の別れやらなんやらする時間をくれた代償だ。だからフォーメーション・ラップの後にエンジンは止めない。この前のWGP第3戦フランスGPで、フォーメーション・ラップのスタートでエンジン・ストールさせたロッシが、必死の勢いで膝擦りしながらフォーメーション・ラップを走り、ペース・カーを抜いてぎりぎりでスタート時間に間に合わせてた。新型のエレクトロニクス・システムに慣れてなかったんだと。


102 全車グリッドに並ぶ

これ以降、順位から10を引いて読んで戴くとより迫力がある。例えばスタートは18位でなく8位と。

おらはスタートで無理に前に出てもどうせ自分より速い奴にはすぐ抜かれるし、混みあう第1コーナーで抜かれて接触転倒するのもつまらないと数日前までは思っていた。しかしスタートで少なくとも2台は抜かなきゃ16位内に入るのはほぼ不可能だし、いざグリッドにつくとスタートでできるだけ多く抜くことしか考えなかった。ロケット・スタートして、後は逃げ切るのみだ。スタート・ラインにいるオフィシャルが赤旗を上げたので、スタート直前であることがわかった。おらはクラッチをきってニュートラルから1速にシフト・ダウンし、スロットルを可能な限りすばやく開け閉めして空ぶかしした。2001年に参加したヤマハ・レーシング・スクール@SUGOでは、スタートではスロットルを開け続けて回転数を一定に保つと教わった。しかし目線はスタート信号にあるからタコ・メーターを見続けることはできないし、他のバイクのエンジン音がうるさくて自分のエンジン音を聞き分けることもできないから、スロットルを開け続けて適切な回転数を保つことなどできないことをおらは去年の筑波のレースで知った。だからスロットルをすばやく開け閉めし続けて、自分のエンジンのおおよその回転数を、エンジン音とスロットルを握る右手でわかるようにした。GPライダーがこうやってたのを観て真似したのだ。しかしサーキットではスタートの練習などさせてくれないから、この方法でスタートするのは今回が初めてで、うまくいくかどうかはわからない。練習するなら公道でやるしかないんだろうが、空ぶかしして警察にでも捕まったら、ナンバーもないからえらいことになる。やがて赤信号が点灯し、おらはウィリーしないように前傾してステアリングに荷重し、赤信号の消灯と同時にクラッチ・レバーをリリースした。半クラの時間ができるだけ短くなるように普段より早めに完全にクラッチ・ミートさせた。

スタート:18位


00924 スタート直前

ちょっとウィリーしてスロットルを戻してしまったが、タイミングはどんぴしゃ。おらは前列をごぼう抜きにした!そしてその前列も・・・、と思ったが2速にシフト・アップしてからの加速で引き離された。2速のまま大渋滞の第1コーナーに進入。おらは突っ込みすぎてコーナー中盤ではらんでしまい、インからどんどん抜かれる!と思ったが抜かれなかった。スタートで何台か抜いたとは思ったが、台数まではわからない。後でビデオ映像を観て調べたら4台抜いて1台に抜かれ、差し引き3台抜いて第1コーナーを立ち上がってた。スタートで抜いた連中のタイムはおらより速いから、おらはあっさり抜き返されると思ったが、その先のS字では抜かれず、逆に第1ヘアピン手前で1台に追いつき、すぐにインから抜いた。おらは出だしから全開だった。


Fh20010 第1ヘアピンで1台抜き


219 第1ヘアピンで集団の先頭を行くおら。カッコよすぎる!

その後も抜かれることなく、シケイン、第2ヘアピン、バック・ストレートを通過し、最終コーナーの立ち上がりでもう1台に追いついたと同時にインから抜いた。最終コーナーに飛び込むようになって、おらの最終コーナーでのコーナリング・スピードは随分ましになってるんだろう。フリー走行では最終コーナーで抜かれてばかりだったのに嘘みたい。そしておらはタイム・アタックのときから、一旦射程距離に入れた相手は間髪いれずに抜いてる。


009245 最終コーナーで1台抜いたところ。ちなみにここで抜いたタイム・アタック21位の85番は、スタートでおらを含み8台も抜いていたが、結局同じ21位でゴールしている

最終コーナー出口で100mくらい前を行く1台を捕捉した。とても追いつける距離とは思えなかったが、おらはその1台に追いつくことを目標にして2ラップ目に突入した。ビデオ映像を観ると、おらは最終コーナーの立ち上がりでホーム・ストレートの外側縁石近くまで寄っているから、最終コーナー中盤ではらんでから2回目のクリップにつけていたんだと思う。

1ラップ:13位(スタートで3台抜きその後2台抜き)


00925 ホーム・ストレート外側いっぱいから2ラップ目に突入

前を行く1台との距離は縮まらないが、それ以上離されもしないから、おらはいつか追いつくことを信じて走り続けた。フリー走行では克服できなかったS字だが、この日はそれなりにうまく曲がれて、少なくともここで抜かれることはないと思った。おらとR6はまさに人馬一体の境地で、一つの戦闘マシンと化している。四輪はC-130輸送機みたいなもので、二輪はF-16戦闘機のようなもの。エンジンにタイヤだけが付いている戦う為のマシンだ。

2ラップ:13位


009255 第1コーナー手前で。先頭がおらのターゲット、真ん中がおら、後続は抜いた85番

前を行く1台との距離は全く縮まらない。後続がすぐ後ろにいたらピット・サインでタイム差を出してもらうよう本田さんにお願いしていたが、おらは前を行く1台に追いつくことに集中していて後続のことを考える余裕はなく、決勝レースを通じてサインボードから読んだのは残りラップ数だけ。順位と後続とのタイム差を読む余裕はなかった。しかしおらがスタートで抜いた、おらより速い連中がすぐ後ろにいるかもしれないと一回だけ気になって、第1コーナーを立ち上がったところで後ろを振り返った。すると10mほど後方に1台いた!でもその後すぐに後続車のことは忘れた。どうせ忘れるんなら振り返るだけ無駄だし、後続がいないと知ると気が抜けるから振り返らなきゃいいんだが・・・。おらはこの日のレースを通してこの一回だけ振り返ったが、普段の二輪のフリー走行で後続車が気になることも、振り返ったこともない。バック・ミラーのある四輪のレースでも後続車のことはほとんど気にしない。この癖は四輪レースでは青旗出されてよくないのだが、猪突猛進型のおらには後続を気にする余裕がないし、その気もない。カートではそれを尾田に注意されたが、おらは抜きたきゃ腕で抜けと考える自己中心派だ。“神谷忠のレーシングスクールBOOK”にもあるように、二輪にはブロック・ラインと追い越しラインってのがあるくらいで、追い越しラインを使って抜くのもテクニックのひとつだとおらは思ってる。だいたいWGPを観ててもそうだが、周回遅れが道を譲るのは当然としても、レースはいかに抜くかってのが見所で、スピード差があるからといって道を譲らなきゃいけないのなら、レースでなく、より安全なタイム・アタックで勝負を決めればいいとおらは思う。だからこの前テレビで放映してた、抜きどころのないF1のモナコ・グランプリなんてばからしくて観てられなかった。後ろを気にしないおらは、ブロック・ラインを使えないから不利なのかもしれないが、後続に抜かれないことよりも、前を行く相手を抜くことを優先するなら、後続に抜かれる確率が上がるとしても、レコード・ラインを走ることでラップ・タイムを速くし、前を行く相手との差を詰めることに専念すべきだと思う。なんだか、降りることを知らない下手くそマージャンみたいな考え方だが・・・。

3ラップ:13位

あいかわらず前を行く1台との距離は縮まらないが、視界から消える事もないのでおらのいい目標になっている。決勝レースでは出なかったウォブルがバック・ストレートでまた出た!いったいどうなってるの?しかしその後ウォブルのことは覚えていないから、ウォブルは出なくなったんだろう。

4ラップ:13位


009325 前を行く1台にはどうしても近づかないが必死に追い続けるおら


00933 左からサイン・ボードを用意する本田さん、後続とのタイム差を計る前田さん


009345 最終コーナー立ち上がり。すぐ後ろに2台いるがおらは全く気付いていない

第2ヘアピン手前で黄旗が出てた。スピードを控えめにして進入したら、立ち上がった外側でバイクを押してるライダーがいた。転倒したようだ。


009365 第1コーナー手前では前を行く1台との差が縮まるどころか後続に追いつかれそう!

ついに前を行く1台との距離が近づき始めた!最終コーナー出口では50m程の距離まで来て、おらは追いつくのは時間の問題だと確信した!

5ラップ:12位(前にいた1台が転倒)

第1コーナー手前で前を行く36番まであとわずかのところまできた!おらはこのラップを最終ラップと勘違いして、このラップで絶対に抜く気だった。


00944 第1コーナー手前で36番を追いつめるおら


009445 後続の2台はちょっと引き離している

第1ヘアピンで36番をついに射程圏内に入れた! しかしあと5m程の距離なのに、それ以上なかなか近づけない。



009455 第1ヘアピンで36番に迫るおら


221 第1ヘアピンでのおらの華麗なライディング・フォーム。年賀状はこれで決まり!

その後36番とおらは第2ヘアピンまでいずこもスピード差がなく、追いついてはいるのにそれ以上距離を縮められないから、ブロックされているわけでもないのに、おらは抜きにかかることすらできない。バック・ストレートでも双方にスピード差はなく、やったことのないスリップ・ストリームにつける距離にも達することができない。そして最終コーナー手前のブレーキング・ポイントが近づいた。おらは36番のイン側のラインにつけ、いつものブレーキング・ポイントである100m看板を待った。100m看板が目前に迫る・・・、と36番が突然視界から消えた!ほぼ同時におらはフル・ブレーキングを開始!ブレーキングを終えてからいつものようにスロットルを少し開けてパーシャルに・・・、と36番が外側から勢いよくおらを抜いていった!36番はおらより手前でブレーキングを開始して一瞬おらに抜かれたが、おらがフル・ブレーキングしている間におらに追いついていたのだ!しかしチェッカー・フラッグはまだ振られていなかった!おらは36番に追いつこうと、スロットルをパーシャル以上に開け出した。そして最終コーナー立ち上がりで、今度はおらが36番の外側に回った!するとおらの更に外側からおらを抜きにかかっている1台がかすかに視界に入った!後続の1台のことをすっかり忘れていたおらはびっくり。そのまま36番、おら、後続の1台の順で“団子3兄台“がゴール・ラインを通過し最終ラップに突入した!

6ラップ:12位


00950 最終コーナー立ち上がりで横一線の左から36番、おら、そしておらに追いついてきた後続の1台。前にいるのは周回遅れのXS-1


00953 団子3兄台が最終ラップに突入!

ピット・サインでこれが最終ラップだとわかった。おらはまた後続の1台の存在を忘れ、36番を抜くことだけに集中していた。さっきの最終コーナー手前でおらの存在を知った36番がペースを上げたらおらに望みはないが、幸いにも36番との距離は開かない。36番に続いておらは第1コーナーに進入した。


00955 ホーム・ストレートのブレーキング・ポイント付近での団子3兄台。後続の
1台が第1コーナーのインを狙っている!


00956 第
1コーナーに進入する団子3兄台。後続の1台がおらのインにつけているが、順位は変わらず36番、おら、後続の1台の順で第1コーナーに進入


00958 第1コーナー立ち上がりでの団子3兄台


00960 S字手前の団子3兄台。おらは36番にちょっと離されてる!やはりおらのS字は遅いのか!

ビデオ映像を観ると後続の1台が第1ヘアピンで外側からおらを抜きにかかっていたが、おらは抜かれることなく、団子3兄台はそのままの順でダンロップ下、シケイン、170R、第2ヘアピン、バック・ストレートへと進んだ。


00963-trim 第1ヘアピンでおらを抜きにかかる後続の1台!おらは団子のどべになってしまうのか!

最終ラップでも36番とおらにはスピード差がなく、おらは追うだけが精一杯の状態。あと5m程が遠く、抜くどころではない。前のラップでおらが36番に勝っていたのは、最終コーナー手前のブレーキング・ポイントだけ。しかしその後の進入スピードで完全に負けていたからすぐ抜き返された。おらはまだ最終コーナー手前のブレーキングでスピードを殺しすぎていて、最終コーナーへの飛び込みが甘かったことを悟った。そしておらが36番を抜くには、更に進入スピードを上げて最終コーナーに飛び込むしかないと思った。前のラップ同様、バック・ストレートでもとても抜けない。おらに残されたチャンスはもう最終コーナーあと一回だけ。最終コーナーのブレーキング・ポイントが近づくと、おらは前のラップ同様36番のイン側のラインにつけて100m看板を待った。そして前のラップと同じように100m看板の直前で36番が後方に消えた!おらはほぼ同時にフル・ブレーキングを開始!しかし前のラップと同じようにブレーキングを続けていたらまた勢い良く抜かれるだけ。おらはブレーキングを前のラップよりちょっと早めに終え、最終コーナーに思いきって飛び込んだ!そしてスロットルをパーシャルまで開け出すと、前のラップほどの勢いはないものの、36番が外側からおらに並んできた!おらは譲らずスロットルをパーシャル以上に開け出した!これにより、最終コーナー中盤でのスピードが恐らくおらの許容範囲を超えるものとなり、中村店長の言う、「コーナー中盤ではらむには、突っ込みすぎと思うくらいでいい」を具現化したんだと思う。おらは最終コーナー中盤で、思った以上にはらみだした!しかしそのせいでおらの外側にいた36番はひるんだのだと思う。36番はおらを抜き返せなかった!そしておらは、はらんだ状態から最終コーナー2回目のクリッピング・ポイントと決めているイン側縁石の途切れた場所をかすめてクリップし、ゴール・ライン外側いっぱいに向けてスロットルを徐々に開けながら立ち上がり、36番を振り切った!おらはカウルに頭を沈め、勝利を確信しながらゴール・ラインを外側いっぱいから通過した!

最終ラップ:11位(1台抜き)


00967おらはついに36番を抜いた!


00970 チェッカー・フラッグが振られるなか、団子3兄台とすぐ後方の2台がゴール・ラインを目指す!先頭はゴルゴな13番だ!


00971 ゴルゴのゴーーーーーーーーーーール!

おらは勝った!普段のフリー走行の走りとは全く違う、タイム・アタック、決勝レースを通して野獣と化していたおらだった。おらはスロットルを戻してカウルから頭を上げ、ホーム・ストレート上で思わず右腕を上げてガッツ・ポーズだ!と、右腕の空気抵抗でおらはR6から振り落とされそうになった。GPライダーが接戦で勝ったときに激しいガッツ・ポーズをする気持ちがよくわかった。おらは筆舌し難い爽快感と達成感を覚えた。恐らくこれ以上の爽快感と達成感は、おらの今後の人生で二度とないだろう。それにしてもこの10分にも満たない時間の中での何と濃密な戦いだったろう。おらは自分が生きていることを実感した。そしておらの青春が終わったと感じた。

おらは戦闘モードを解除して、第1コーナーを回ってから、コントロール・タワー付近でビデオを撮ってるはずのかみさんの方に向かって手を振った。後になって、ホーム・ストレートを抜けるときに、ピット・ウォールにいる本田さんにもガッツ・ポーズをして見せればよかったと後悔した。すると後方からやってきたライダーがおらに並び、おらの方を向いてシールドを上げた自分の顔に指を指している。なんとそれはおらよりずっと前を走っていると思っていたお兄さんだった!後で聞いてわかったが、おらが1ラップ目の第1ヘアピンで抜いたのはお兄さんで、その後6ラップ目の最終コーナー立ち上がりで外側からおらに並んできた後続の1台もお兄さんだったのだ!元GP250ライダーに勝てたのは嬉しい。なんだかおらがヤマハに乗るロッシで、お兄さんがホンダに乗るビアッジって感じ。(お兄さん、ごめんなさい。) そしてお兄さんはおらが抜いた36番をゴール・ライン上で振り切っていた。お兄さんによれば、おらはいつも第2ヘアピンと最終コーナーでインが開いていたが、接触しそうで抜けなかったし、立ち上がりでいつも離されたと。おらはタイム・アタック同様真っ白になって走っていたようで、そう言われると確かに縁石の上で膝を擦るなんてのは一回もなく、それどころか縁石近くでクリップした覚えさえないから、コーナーではいつも突っ込みすぎて大回りしてたんだろう。そして立ち上がりが速かったのは、本田さんに立ち上がり加速の追求を求められた結果だ!おらの3年間の集大成のレースができた。そして最高に楽しめた!


00974 決勝レースを終えたS字手前でのお兄さんとおら

前日まではクーリング・ラップのシケインを出たところでウィリーしようと思っていたのに、おらはそれをすっかり忘れてピット・ロード出口へ向かった。でも600でウィリーをやったことのないおらは、ウィリーして転倒でもしたらオフィシャルに怒られるだろうなー、と心配だったから忘れてよかった。本田さんと前田さんだけでなく飯尾さんまでもが出迎えてくれた。飯尾さんが、「最後のレース、速かったですね」と。二輪レースで速かったなんて言われたのはこれが初めてだから嬉しかった。しかし飯尾さんにここまで言われるとやめないわけにはいかないよ。飯尾さんの所属するレーシングチーム・スウィングからもオーバー40に2人出場していたが、飯尾さんはおらを応援してくれてて、おらがその2人より先にゴールしたので嬉しかったと後で教えてくれた。おらがTT600でのFISCO初走行で転倒したときにTT600を修理してくれたのがきっかけで知り合って以来、FISCOで走るときは偶然ながらいつものように一緒だった、いわばおらの二輪サーキットの悲惨な部分を全て知ってる飯尾さん。今まで本当にありがとうございました・・・。

このときおらは自分が何位なのかさっぱりわからなかった。だいたい決勝レース中は36番を射止めることだけに頭がいっていて、順位など気にもしていなかった。しかし決勝レースが終わって我に返り、本田さんに順位を尋ねたら、「途中で周回遅れが出たからはっきりしないが、たぶん13位」と!?目標の16位を大幅に上回ってる!


00981 パドックを凱旋する左から本田さん、おら、いろいろと手伝ってくれた前田さん


00984 優勝したわけでもないのに、まるでMotoGPクラスのチャンピオンを決めたかのようにはしゃぐおら


229 LANGのパドックに戻っても接戦を制したことに興奮冷めやらぬおら。佐々木さんが撮ってくれたこの写真を遺影にすると決めたおらは、この画像データをフロッピー・ディスクにコピーしてかみさんに渡しておいた。爺さんになってから死んでもこの写真を遺影にしたい


00988 おらはお兄さんの悔しさを気遣うことに頭が回らず自慢話に夢中♪

これまでの人生で少なからぬ感動を味わってきたおらだが、この歳になってこんな大きな感動を味わえるとは思ってもいなかった。金では買えないこの満足感と感動といったらない。この感動を得られただけでも、二輪サーキットを始めて、そして続けてきてよかったと思う。テニスの試合の接戦で勝ったことは何回もあるが、残念ながら自分の試合でこんなに感動した記憶はない。よく覚えているのは、大学2年のときの東京農工大との団体戦のシングルスで、おらが6-8、6-8で負けたときの悔しさぐらいだ。アマチュアの底辺のレースのしかも上位でもないのに接戦で勝つとこれだけ嬉しいのだから、ポイント獲得を争う職業ライダーが接戦で勝ったときの喜びはひとしおだろう。しかし今回本田さんとかみさんに支えられ、短期間とはいえ集中的に練習を積み、自分の能力を100%出し切ったレースで得たこのおらの喜びは、MotoGPクラスのチャンピオンを決めたときにロッシが感じたであろう喜びと比べてもそんなに劣るとは思えない。確かに職業ライダーにとってレースは全てであり、アマチュア・ライダーにとってレースは趣味でしかない。しかし二輪レースは単なる趣味を超越した命を張った真剣な勝負であり、それは職業ライダーにとってもアマチュア・ライダーにとっても同じこと。そして職業ライダーは、もちろん情熱もあるだろうが、金と名誉を得ることを最大の目的として走るのに対し、アマチュア・ライダーはなけなしの金をはたき、ケガによって地位や生活基盤が危うくなるリスクを背負ってでも、情熱だけで走っているのだから。今この原稿を執筆していてピンときた。それは20年以上昔のおらの大学受験の際、物理の解を求める方法がふっとひらめいたときの感覚に近いものだった。おらが二輪サーキットを始め、そしてやめたくてもなかなかやめられなかった理由は、もしかしたら二輪サーキットへの情熱によるものだったのではないだろうかと。

このレースを経験したおらは、人生の価値は金や地位や名誉で決まるのでも、ましてや生きていた歳月で決まるのでもなく、趣味にしろ恋愛にしろ仕事にしろ、生きている間にどれだけの感動を味わうことができたかで決まるのではないかと思うようになった。趣味で言えばそれが素晴らしい音楽や本に出会ったときの感動というものもあるだろう。実際おらはABBAの音楽に出会えただけでも、この世に生まれてきた甲斐があったと思っている。しかし自らが成し得たことで得た感動に勝るものはないのではないだろうか。

中村店長が「速かったですねー」と。店長にも言ってもらえて嬉しー。そして自分も今年40の仲間入りの癖に、「兄気はあと1ラップあったら。でもおじさんたちには7ラップが限界」と。オーバー40は他のクラスに比べて決勝レースのラップ数が2〜3ラップ少ない。それにしても去年のレースも今回のレースもおらがTEAM LANG生え抜きの1人をぎりぎりで負かしてしまって、なんか店長に申し訳ない。

あとは110を切っているかどうかだ。かすかな望みを抱いておらはP-LAPを見た。P-LAPによるおらの決勝レースのラップ・タイムは以下の通りだった。

1: 115860
2: 113103
3: 111968(MCFAJのリザルトでは111964)
4: 112574
5: 112335
6: 112687
7: 112617

現実はそんなに甘くなかった。決勝レースでのベスト・タイムは111964とタイム・アタックの111626をわずかに下回り、おらは110どころか111さえ切れなかった・・・。ニュー・タイヤであれだけ本気で走って、最終コーナーも飛び込んだのに・・・。頭が真っ白で、コーナーをレコード・ラインで走ってなかったからか・・・。しかし今までのフリー走行でのタイムと比較して、コンスタントに随分好タイムで走っている。おらが今までに113を切ったのは、5月12日の13ラップ目と5月19日の12ラップ目の計2ラップだけ。ところがこの決勝レースでは、グリッド・スタートの1ラップ目は別として、2ラップ目こそ13秒台だが、3ラップ目から最終ラップまで5ラップ連続で113を切っている。まあニュー・タイヤと今までやったことのない最終コーナーでの飛び込みをやったってことで、これぐらいはあたり前なのかもしれない。しかしタイム・アタックの8ラップの平均タイムが113162なのに対し、決勝レースのグリッド・スタートの1ラップ目を除いた6ラップの平均タイムが112547と、決勝レースの平均タイムはタイム・アタックのそれを0615も上回ってる。そしてこの決勝レースの平均タイムは、今までのおらの自己ベストである112329とほとんど変わらないタイムなのだ。おらのような小心者ではあるが猪突猛進型で気性の激しい人間が、安定して今までの自己ベストに近いタイムをラップし続けたというのはちょっと信じられないくらいの出来だ。

さて、おらは自前で安物のシャンパンを持ってきていた。あつかましいが、順位に関わらず、引退を飾る最後のレースでシャンパン・ファイトをやりたかったのだ。沢口さんに、「110切ってないから引退もシャンパン・ファイトもだめ」と言われてしまったが、オーバー40の表彰式が終わった後に表彰台でそれをやった。


1244 シャンパンを持つおらに群がってきたMCFAJのアンブレラ・ガールたち


20019-90 控えめに4番の台に立ち、自前だけど生涯最初で最後のシャンパン・ファイト!

そして待ちに待った決勝レースのリザルトが掲示板に張り出された。何とおらは上位半分どころか上位ほぼ1/3の11位だった!?おらはスタートで3台抜いて、その後1台にも抜かれることなく後続車を振り切り、1台の転倒を含めて4台抜いて順位を7つも上げたのだ。しかも1ラップ目に追い始めた1台を、最終ラップの最終コーナーで抜くという、順位から10を引けば出来すぎた漫画みたいなレース。そしておらがレースの数日前にイメージした、接戦で抜こうとすることと接戦で追われることが両方とも現実となり、おらはどっちもやっつけた!

オーバー40決勝レースのリザルトは以下の通り。

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* MCFAJ 筑波サーキット(2.070Km)                                                                *
* 04 CLUBMANロードレース2                                                             *
* 第12レース オーバー40                                                                          *
*   決勝結果表                                                                            *
* 2004. 5.30 天候:晴 コース状況:ドライ 発表: :                                                          *
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順位 車番 ライダー    型式          車 名            周回 所要時間  (トップ差)   Km/h  ベストタイム  周回
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1 55 伊藤 厚生     DUCATI-996     チーム トータス & AIR    7   7'42.613         112.759  1'04.645  5/ 7
2 25 三輪 信雄     DUCATI-998S    Bury Riders Cat.BRC  7   7'50.922  0'08.309  110.770  1'05.532  4/ 7
3 20 星野 康之     K-ZX-10R       OV40ワンデー        7   7'52.998  0'10.385  110.284  1'05.257  2/ 7
4 21 吉田 忠      K-ZXR400R      OV40ワンデー         7   7'54.003  0'11.390  110.050  1'05.739  2/ 7
5 69 野口 祥      S-TL1000R      大磯ムスタング         7   7'59.594  0'16.981  108.767  1'06.461  4/ 7
6 71 鎮目 泰人     DUCATI-996S    チーム トータス & AIR    7   7'59.822  0'17.209  108.715  1'06.698  4/ 7
7 8 JackDeAndrade  S-TL1000R      BAD KARMA Racing   7   7'59.893  0'17.280  108.699  1'06.180  6/ 7
8 1 岩城 晃一     DUCATI-851SPS                  7   8'00.245  0'17.632  108.620  1'06.812  5/ 7
9 3 川原 末男     Y-RZV500R      ゴルディーニクラブ        7   8'00.743  0'18.130  108.507  1'07.137  6/ 7
10 5 大久保 修     Y-YZF-R1       プライベートレーシングチーム    7   8'15.962  0'33.349  105.177  1'09.029  4/ 7
11 13 デューク南郷   Y-YZF-R6       TEAM LANG        7   8'35.254  0'52.641  101.239  1'11.964  3/ 7
12 73 中村 敏美    H-CBR600F4i     TEAM LANG        7   8'35.675  0'53.062  101.157  1'10.370  4/ 7
13 36 長田 昭一    DUC-ムルチストラーダ   チームオサダ悪餓鬼      7   8'35.675  0'53.062  101.157  1'11.818  2/ 7
14 27 小島 幹夫    H-VTR1000      プライベートレーシングチーム    7   8'36.149  0'53.536  101.064  1'11.761  4/ 7
15  6 望月 則政    BIMOTA-SB-6    OV40ワンデー         7   8'36.621  0'54.008  100.972  1'11.563  5/ 7
16 14 旭  竜一    H-RC30         レーシングチーム スウィング    7   8'38.097  0'55.484  100.684  1'11.165  6/ 7
17 92 輝井 嶂     H-RGB-YJIMA     大西歯科レーシングチーム   7   8'38.710  0'56.097  100.565  1'10.893  6/ 7
18 28 渡辺 和夫    H-CBR600F4i     レーシングチーム スウィング    7   8'41.863  0'59.250   99.957  1'10.823  6/ 7
19 22 乾  宏明    DUCATI-749S     ベストライダース クラブ      7   8'44.994  1'02.381   99.361  1'12.200  6/ 7
20 24 鵜飼 泰司    T-TZR250       OV40ワンデー         7   8'45.804  1'03.191   99.208  1'13.032  6/ 7
21 85 根岸 勉     BUELL-S1        チーム トータス & AIR    7   8'50.454  1'07.841   98.338  1'14.455  6/ 7
22 18 志田 敏行    Y-YZF-R1       プライベートレーシングチーム    7   8'52.240  1'09.627   98.008  1'14.094  5/ 7
23  7 山本 時彦    H-CBR400RR     プライベートレーシングチーム    6   7'46.858  1Lap     95.772  1'16.031  3/ 6
24 23 関  好成    BUEL-RR1200     OV40ワンデー          6   7'56.196  1Lap     93.894  1'16.662  6/ 6
25 45 小川 藤生    Y-XJR400       レーシングチーム 100R      6   7'59.326  1Lap     93.281  1'17.325  3/ 6
26 12 内藤 信男    Y-FZR750       レーシングチーム 100R      6   8'06.262  1Lap     91.950  1'17.913  4/ 6
27 10 村崎 則征    Y-FZR660       Team LANG         6   8'08.765  1Lap     91.480  1'18.411  4/ 6
28 16 宏林 和久   HD-XLH1200      仏像彫刻栄雲工房レーシング 6   8'18.220  1Lap     89.743  1'20.552  3/ 6
29 19 柴田 一正   Y-TZR250SPR     OV40ワンデー          6   8'21.634  1Lap     89.133  1'20.596  2/ 6
30  2 青木 一雄   Y-XS-1 チーム     ハイスピードあおき        6   8'51.151  1Lap     84.179  1'25.969  2/ 6
----------------------------------------------------------- 以上完走 -----------------------------------------
30 台  和則     K-GPZ900R       モンスター&モトモト☆まいど  4       3Laps          1'04.448  3/ 4
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

スタート:15:47'30.000 フィニッシュ:15:55'12.613
参加台数: 32 出走台数: 31 完走台数: 30
ベストタイム No. 30 (台  和則 ) 1'04.448 3/ 4 115.628 Km/h
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

おらはタイム・アタックでおらより遅かった人には誰にも抜かれず、タイム・アタックでおらより速かった110〜111台の6人全員を食っていた!なんとお兄さんと36番の所要時間はどちらも835675で1000分の1秒差もなし。写真判定だろう。その二人とおらの所要時間の差はわずか0421。7ラップしてたったこれだけの差は、ゴルゴ・カットにして軽量化したおかげかも。12kg減量してなかったらこの2人を抜くどころか団子3兄台にも入れてもらえなかったろう。そして団子3兄台の後続2人とおらとの所要時間の差もわずか0895と1367。その1367差がBIMOTA氏だ。更にその直後にも2人いて、所要時間835〜838台の11位から17位の7人の平均時速はみな同じ101km/h。7人の集団の中で首位になれたのは嬉しい。スタートで飛び出して、7ラップをぎりぎりで逃げ切ったレースとも言える。もう1ラップあったら36番は振り切れても、後続の3台ないしは5台に抜かれていた可能性は十分ある。それにしても迫りくる後続を振り切って、全ラップをかけて追いついた相手を最終ラップの最終コーナーで抜く快感!二輪サーキットの残念なのはこんなスリリングな戦いを、四輪と違ってライダーの視点から観た映像に残せないことだ。江場ちゃんが、「本間は勝負師だった」と言っていたが、この日のおらも勝負師だったぞ!WGPでもテレビに映らない上位以外で、毎回こんなドラマが演じられているんだろう。

おらが後続になんとか抜かれずに済んだのは、ひとえに36番によるところが大きいと思う。36番という目標がなければおらはツーリング・ペースになってしまって、ずるずると遅れ、ついには後続に飲み込まれていたろう。そしておらにはどんぴしゃのタイミングで決勝レースが終わった。できれば36番のライダーと話したかったが、230台の参加では見つかるはずもない。

ゴール・ラインぎりぎりでの周回遅れによるダブル・チェッカーの心配も杞憂に終わった。優勝者の所要時間は743で、おらの6ラップ目までの所要時間は、835(おらの全所要時間) ? 113(おらの7ラップ目のラップ・タイム) = 722だから、おらは21秒差の余裕?で周回遅れにならなかった。112(おらのベスト・タイム) ? 105(優勝者のベスト・タイム) = 007だから、21/7 = 3でおらはあと3ラップ、つまり10ラップで丁度周回遅れになる計算だ。

おらがこの1ヶ月間筑波を走りこまなかったら、おらのベスト・タイムは115程度のはずで、順位は23位あたり。ここ1ヶ月間の練習が報われた。そして本田さんにコーチ兼メカニックをしてもらわなかったら3人プラス2人の団子の中でおらが勝てたとは思えず、せいぜい15位ってとこだったろう。そして何よりこの感動は味わえなかった。本田さんはおらの最後の二輪レースを素晴らしいものにしてくれた。おらは本田さんから受け継いだホンダの炎をヤマハのチューニング・フォークのエンブレムの中で燃やし続けて走りきった。本田さんをWGPオーバー40参戦の際のメカニックには雇えなかったが、MCFAJのオーバー40で2人のタッグが実現し、それは成功した!それにしてもここまで面倒みてくれた本田さんに、おらなりにいいレースを見せることができてよかったよ。

四輪レースを経験したことも今回の結果に役立った。尾島監督に言われた、「外側いっぱいまで使って立ち上がる」という基本的なことをおらは二輪でもやっていなかったが、おらの四輪のドライビング映像を観た監督にそれを指摘してもらえたからだ。ビデオ映像を観る限り36番は最終コーナーの立ち上がりでは外側いっぱいまで寄ってなかった。

しかしこれ以上の結果を求めるなら、筑波をあと半年はみっちり走りこむ必要があるだろう。今回は11位というできすぎの結果だったが、10位のベスト・タイムは109029で、所要時間ではおらと19秒もの差があり、9位のベスト・タイムは107137で、所要時間ではおらと34秒もの差がある。

それにしても不思議なのは、決勝レースでのおらのベスト・タイムはタイム・アタックでのべスト・タイムよりわずかながらとはいえ遅かったのに、なぜ決勝レースの順位がタイム・アタックの順位より7位も上の11位になれたのか?本田さんは「タイム・アタックとレースは違う」と簡単に言う。しかし1位や2位ぐらいの順位差ならわかるが、7位の順位差は尋常ではない。しかも決勝レースでのおらのベスト・タイムの順位はタイム・アタックの順位よりもさらに悪い19位で、タイム・アタックでおらより上位にいた110〜111台の6人は、22番を除いてやっぱり決勝レースのベスト・タイムでもおらより速かったのだ。たぶんおらはスタートがよかったから前をふさがれることなくコンスタントに好タイムで走れたのに対し、他の6人はそれなりのスタートで、かつラップ・タイムが均衡していたから、競り合うことによりコンスタントなタイムを出せなかったんだと思う。絶対的なスピードでちょっとぐらい劣っていても、スタートで飛び出してコンスタントにベスト・タイムに近いタイムで走り続ければ、実力以上の順位になれるってことか。

ではなぜスタートがよかったのか?それはきっと天性のものだろう、と自分で言わせて貰うしかない。ヤマハ・レーシング・スクール@SUGOでもおらは誰よりもスタートがうまかった。ではなぜ普段のフリー走行では考えられない好タイムでコンスタントに走れたのか?それはきっと普段のフリー走行は混んでいるから抜きつ抜かれつでタイムが安定しないのに対し、今回はおらよりラップ・タイムの速い36番をペース・メーカーとして、全く前をふさがれることなく走れたからだろう。最後の二輪レースということでおらも必死だったから、自分の限界に近いタイムで走り続ける事ができたんだと思う。しかし自分の限界を超えるタイムである110には届かなかったということだ。

村崎さんはベスト・タイム118で27位。岩城晃一はベスト・タイム107で8位。ジャックはタイム・アタックで岩城晃一に負けてたが、決勝レースでは僅差で岩城晃一の上をいく7位。ジャックがおらの代わりに岩城晃一に勝ってくれたようで嬉しい。そして1リッター・マシンが上位を占める中、なんとカワサキのZXR400Rで4位につけてる人がいた。この人が一番速いよ。また、決勝レースでのファステストを出した30番が唯一の未完走という皮肉な結果に。第2ヘアピンで転倒してた人だろう。オーバー40レースらしいところは、最終ラップがベスト・ラップだった人は1人しかいなかったということだ。

 

お兄さんが、「本当にやめるの?このままでは悔しい」と。その気持ちはよくわかります。おらも去年の筑波のレースでベスト・タイムでおらの上をいった小山さんがやめてしまって残念だったもの。勝ち逃げしてすいません。でも実力はお兄さんの方が上。おらが勝てたのは、これが最後の二輪レースという執念があったからってだけのことだと思う。お兄さんはとてもレーシング・ライダーって感じじゃなく、素朴で優しそうな人。おらと同学年で、おらの好きなタイプだから、お友達になってくれないかしらん。本間師匠、平校長、中野王子、ドクター・ロッシ、そしてお兄さんと、レーシング・ライダーにはおらを惹きつける魅力のある連中が多いようだ。おらは女を惹きつける魅力しか備えていないが…。その点、平校長はどちらも持ち合わせる両刀使いってところがすごい。


1248 お兄さんと。あれだけ減量してもおらの腹はまだこんなに出てる。お兄さんみたいに細くなりたい!


232 最後に記念撮影。左から本田さん、おら、かみさん、前田さん

この日は恐らくおらの人生で最もエキサイティングな一日となった。接戦なしでぶっちぎりの上位になるよりよっぽど楽しめたろう。プロ野球だって、中日が大差で勝っても面白くもなんともない。接戦で牛島や郭源治といったリリーフ・エースが抑えるか、彦野やゴメスといった強打者がサヨナラ・ヒットを打って勝つのが面白い。ペナント・レースにしても同じだ。接戦を制することができたおかげで、おらは完全燃焼できた。そして二輪サーキットをこれできっぱりやめられると思った。よっぽど運が良くなきゃ二度と今回のようなレースができるとは思えないし、筑波では110を切れなかったがそれはもういい。レース前には、筑波のサーキット・ライセンスの有効期限が切れる8月末まで、110を切ることを目標におらなりに筑波を極めたいと思っていたが、あれだけ本気で走ったのに111さえ切れなかったのだから、110を切るのはあと数回のフリー走行では難しかろう。まだまだ筑波は走り足りないが、最終コーナーでそれなりに飛び込めたからある程度は満足できた。愛着のあるR6だがこれは売って、最高の形で二輪サーキットを終えたい。

それにしてもMCFAJのオーバー40レースという存在は、40歳になって二輪サーキットを始めたおらには、上位を狙うのは無理としてもレベル的にぴったりのレースで、このレースがなければおらは二輪レースはおろか、四輪レースに出場することもなかったろう。MCFAJの皆さん、今までありがとうございました。ホント感謝してます。来年からのFISCOの件が気がかりですが、クラブマンレースの継続と発展を祈ってます。おらは今後もTEAM LANGと飯尾さんを応援しにMCFAJレースを観に来るぞ。

 

次は今後四輪も含めて二度と走ることのないかもしれない筑波サーキットの総括。二輪で峠を攻めてどんなコーナーが一番楽しいかと言うと、滅多にないがヘアピンだ。サーキットのヘアピンを走っていて楽しいと思ったことはたぶんないが、おらは膝擦りしながら定常円旋回を永遠にやっていたいハングオフ大好きライダーだから、おらにとってサーキットにヘアピンがあるか否かは重要な要素。そのヘアピンはFISCOには一つ、SUGOにはなし、もてぎには一つ、鈴鹿には一つある。そこへいくと、筑波はこれらのサーキットの約半分の距離しかないのに、二つもヘアピンがあるのがいい。そして筑波はストレートが短い分、コーナーが多いので、比較的安全なスピードでライテクを磨く事のできるサーキットだ。また高速コーナーである最終コーナーは、おらが走ったどのサーキットのコーナーよりもおらには難しかったし度胸がいった。だからおらは筑波のコース・レイアウト自体はかなり気に入った。しかし筑波はグリーンやグラベルの面積が狭すぎてかなり危険だと思う。それに筑波はFISCOのような雄大さも、もてぎのような華やかさも持ち合わせていないちんけなサーキットだから、筑波で死にたいとは思えない。


00293 第1コーナー入口


00295 第1コーナー出口


00300 S字


00303 第1ヘアピン入口


00307 第1ヘアピン出口


00309 ダンロップ下


00312 シケイン(シルコリン・コーナー)入口


00314 シケイン出口


00318 170R


00323 第2ヘアピン入口


00326 第2ヘアピン出口とバック・ストレート


00331 最終コーナー手前のブレーキング・ポイント


00332 最終コーナー入口


00336 最終コーナー中盤


00338 最終コーナー出口


00339 ホーム・ストレート

おらのフィナーレは読者が期待した悲惨な終わり方でもゴルゴな終わり方(死ぬってことか?)でもない、ロッシな終わり方だった。ロッシよお前も?ヤマハでチャンピオンになれ!しかしこの話はこれで終わりではない。実に多くの落ちがある。この日のレースで余生の運を全て使い果たしたおらには、その後厳しい運命が待っていた。おらは次々とショックな出来事に遭遇する!

ショックな出来事その1:全てのレースが終わって後片付けをしていたときに、「オーバー40は当初の9位ではなく、10位までを入賞とする」とのアナウンスがあった!当初29人のエントリーだったのが32人になったので、その30%の10位まで入賞が繰り上がったのだ。惜しかった!ぶっちぎりでも10位の方が良かったか?でもやっぱり接戦の11位の方が楽しめてよかったろう。順位が全てじゃないのがプロとアマチュアの違いだ。だいたいおらは11位とはいえ10位とは19秒差もあったんだから入賞なんておこがましい。それにぎりぎりで入賞を逃すって方がおらにはふさわしいかも。でも上位でもう1人転倒でもしてくれてたら…。

17:00に筑波を発ち、前田さんを調布で降ろして21:00に本田さん、かみさんとおらは自宅近くのとんかつ屋に行った。減量続きだったおらには久々の肉だ。自分への褒美に、大好きなひれかつを300gたいらげた。おらはステーキを1.5Kgたいらげたこともあるのだ。実は最初はよく行く別のとんかつ屋に行ったけど閉店してた。その晩に行ったとんかつ屋は、おらが去年骨折した直後に手術前の最後の晩餐と思って行ったきりの店だった。ちょっと嫌な予感がした。

ショックな出来事その2:筑波からの帰路に、決勝レースのリザルトとエントリー表を見比べてたら、おらが最終ラップの最終コーナーで抜いた36番は、なんと最年長の64歳の人だとわかった!その長田さんはタイム・アタック15位で、スタートで3台抜いている。凄いやあの人。タイム・アタックを控えてピット・ロード入口に並んでいたとき、おらはその人らしき白髪の老人を見かけている。もっと早くそのことを知って、会っておかなかったことを後悔した。劇的な追い抜きに浮かれていたおらは、それを知って急に恥ずかしくなった。おらがはらんでしまった結果のちょっと危ない抜き方だったから、謝ってもいいぐらいだった。おらも60歳を越えてから、足腰がだめになってもいいと思えるようになったら復帰しようかしらん。おらは長田さんのフルネームをインターネットで検索して長田さんの連絡先を見つけた。長田さんは台東区にある外車のバイク・ショップ、オサダモータースの社長だった。おらは、レースの翌々日に長田さんと電話で話した。「最後のレースと決めていたので無理な追い抜きをしました。すいませんでした」と謝った。しかし長田さんは、「全然そんなことなかったですよ」と言ってくれた。しかしビデオ映像を観ると、それまで最終コーナー立ち上がりでホーム・ストレートの外側まではらんでいなかった長田さんが、最終ラップだけは外側いっぱいまで寄ってたから、おらのせいではらんでるはずだ。64歳の長田さんはなんと「MAX 10-IIB(水冷)にもエントリーしていた」と!オーバー40の二つ前のレースだ。「もう体力の限界だったし、安全第一で無理なラインも走らなかった」と。そして長田さんはおらのマシンが青いヤマハ車だったことを覚えていた。おらはあれだけ長く長田さんの後ろを走っていたのに、長田さんのバイクの車種はおろか、外車であることもわからなかったし、色も覚えていない。一瞬相手を見ただけでヤマハ車と何故わかる?おらの稚拙な観察能力ではとても考えられないことだが、伊達にバイク屋さんやってないってことか?それともおらは100%戦闘モードだったのに対し、長田さんはツーリング・モードで余裕綽々だったのかもしれない。長田さんはおらに、「まだ20年楽しめるからやめないで」とおっしゃる。「ダートをやりによくもてぎに行くが、ロード・レースは1年半ぶり」と。そしておらがかみさんを連れて来ていたことを知ると、「それはめずらしい」と。そういやジャック以外にかみさんをサーキットに連れて来るライダーをおらは見たことがない。

ショックな出来事その3:おらはかみさんが撮った、おらの二輪サーキットの集大成のレースを収めたビデオ映像に期待していた。ビデオ・カメラはJoy耐でも使うが、この日の為に買ったようなものだ。レースの晩に観てみたが、これがあまりにも出気が悪かった!2度とできないドラマなのに…。「今日は何でも言うこと聞いてやる」と上機嫌だったおらは一転してかんかんになって怒り、かみさんはショックで寝てしまった。一方この日一日、レースの興奮が冷めやらなかったおらは、寝てしまって明日になったら、この日の感激が薄れてしまうと思うと寝たくなかった。しかし決勝レースのリザルトを見たり、本書の原稿を執筆したりしているうちにソファーで寝てしまった。

ショックな出来事その4:おらは決勝レースを通じて疲れを感じる暇はなかったが、決勝レースが終わった直後からカートで痛めた右脇腹がえらく痛くなった。一週間前にレーシング・カートをやったときからずっと痛かったんだが、幸いレース前日には痛みはなくなっていた。しかし決勝レース後の痛みは、一週間前に痛めたときをはるかに上回る痛さで、じっとしてても痛いが、咳をするとどえらい痛い。帰りのとんかつ屋でひょっとしたら・・・と思えてきたので、レースの翌朝会社を遅刻して整形外科に行きレントゲンを撮ってもらったら、右の8番目の肋骨が骨折してた!ポッキリ折れてるようには見えないが、まあるく曲がっている肋骨が途中でずれてる。医者曰く、バイクに乗ると下半身だけでなく、腹筋も使って上半身の六角筋が圧縮されるから痛くなるんだと。「湿布して、4週間昼夜を問わずサポーターを強く巻いて腹式呼吸していれば手術しなくても治る。激しい運動は2ヶ月程ひかえた方が骨の付きが良い。呼吸が荒くなるから入浴はだめ」と。手術の必要がなくて不幸中の幸いだった。レーシング・カートをやると肋骨はすぐ折れるから、ちゃんとやる人はみなサポーターを巻いてると本田さんが言ってた。しかし7ラップの決勝レース直後に痛くなったのに、8ラップのタイム・アタック後になぜ痛くならなかったのか不思議だ。タイム・アタックと決勝レースではタイムが違ってた分無理してたからか?精神的な理由で決勝レースが終わるまで痛まなかったとはとても思えない。それにしても1ヵ月後のJoy耐7時間は大丈夫だろか?7時間の内、恐らく3人が2時間、1人が1時間走るだろうから、おらは2時間走る為に監督には黙ってる。

レース翌日の月曜日に会社に出勤すると、興奮まだ冷めやらぬおらは、レーシング・ライダーのおらがなぜ背広着てこんなところにいるんだ?と違和感を覚えた。その日本間師匠に電話してレース結果と内容を報告した。否、自慢した。WGPで4位入賞したこともある全日本チャンピオンに草レースの11位を自慢するのもどうかと思うが、師匠は我慢強くちゃんと聞いてくれた。そして、「これで二輪はきっぱりやめられます」とおらが話すと、「それがいいです。今度四輪のレースに一緒に出ましょう」と言ってくれた。

ショックな出来事その5:これは極め付けに最悪な出来事だった。レースから自宅に戻った晩から翌朝にかけての間に、R6のフロント・ブレーキ・キャリパー2個と左右バック・ステップが盗まれ、バック・ステップを盗む為にリア・ブレーキ・ホースが切られていた!レース翌日にこれを知ったおらは会社から帰宅してすぐ交番に行き被害届けを出したが、部品の盗難で犯人が見つかるとは思えない。それに犯人が見つかったらもっと恐ろしいことが起こるかもしれない。おらは絶対、絶対そんな野郎を許せないから、半殺しにしてしまいそうだ。おらはこれは傷害罪より悪質だと思った。だって誰でも殴ってやりたいと思ったことのある奴が1人ぐらいはいるだろう。しかし人の物を盗もうなんて思ったことのある人はあまりいないと思うからだ。しかしこれが1日違いのレース後の事件で不幸中の幸いだった。レース直前だったらおらは泣くに泣けなかったよ。ストライカーのサイレンサーも無事だった。本当は「犯人が見つかったら殺してやりたい!」と言いたかったところを、殺人未遂で逮捕されると嫌だから、「八つ裂きにしてやりたい!」と興奮して警官に話すと、「皆そう言います」と警官になだめられた。それにしてもR6は前輪のディスクをABUSのワイヤー・ロックで鉄柱に繋げてるから盗まれることはないとしても、部品までは守りようがない。シャッター付きの車庫がなければ、ちょっとしたバイクは持てないってことか…。物騒な世の中だね。でも2001年から同じ場所に置き始めたスーパースポーツ600が、最後のレース直後にこんなことになるなんて…。ちなみに同じところに置いてあるSRV250に被害はなかった。

ショックな出来事その6:レース翌々日の火曜日から始まった東京ドームでの巨人−中日3連戦で、中日はドミンゴ、川上、山本昌の3本柱を投入したにも関わらず、3戦とも逆転負けを喫し、8連勝の巨人に首位の座を明け渡した!レースで余生の運を使い果たした代償は、予想だにしない早さでおらに降りかかってきた!しかしこれはまだ序の口かもしれない・・・。

 

レース翌々日になってようやくレースの興奮が冷め始めてきたおらは、なぜおらよりタイム・アタックの順位が上だった6人ものライダーを決勝レースの順位で上回ることができたのか、その理由をはっきりと知りたくなった。なんだか狐につままれた感じで、にわかに喜んでいられなくなったのだ。それに勝てた理由をちゃんと知っておかないと、次は同じ理由でおらが負けるかもしれない。まあ次はないんだが・・・。そして下手すると「このタイムでのこの順位は不審だ」とMCFAJからクレームつけられるかもしれないとも思った。

いくらスタートが良かったとはいえ、それで7ラップの間逃げきれるとは思えない。お兄さん、長田さん、BIMOTA氏はゴール時におらのすぐ後ろにいたからまだわかる。しかし92番は約3秒、28番は約7秒、22番にいたっては約10秒もおらより遅れている。6人の内22番だけは決勝レースのベスト・タイムがおらより遅かったのだけど、それでもわずか0“236の差だから、7ラップのレースで10秒もおらに遅れるなんてのは普通じゃない。

タイム・アタックと決勝のリザルトを何回も何回も繰り返し見た。オーバー40全員の中で決勝レースのベスト・タイムがタイム・アタックのベスト・タイムより1秒以上遅かった人が二人いた。22番と36番の長田さんだ。そこで長田さんが、「ダブル・エントリーで疲れた」と言っていたのを思い出し、調べてみると22番も長田さんと同じMAX10-IIBにダブル・エントリーしていた!オーバー40の二つ前のレースだ。22番は本当に疲れてしまって、決勝レースのベスト・タイムがタイム・アタックより2秒近く落ちてしまったんだろう。ついでに調べてみるとオーバー40出場者の中にはダブル・エントリーしている人が6人もいた。みなMAX10かMAX5とのダブル・エントリー。おらが長田さんと22番に勝てた要因のひとつは、彼らがダブル・エントリーにより疲れてしまったからだろうということがわかった。ちなみにおらがMCFAJのレースを知った頃、オーバー40とプロダクション600のダブル・エントリーを考えたことがあったが、おらにはプロダクション600のレベルは高すぎた。

わからないのは28番と92番だ。おらを含めたタイム・アタックで110〜111台だった7人全員を一人づつ検証した。
タイム・アタック12位のお兄さんは決勝レース12位で順当。
タイム・アタック13位の28番は決勝レース18位と大きく順位を下げている。決勝レースのベスト・タイムはタイム・アタックのベスト・タイムをわずかながら上回っているのに何故だ?
タイム・アタック14位の22番は決勝レース19位と大きく順位を下げている。しかしこれは既に記したように、恐らくダブル・エントリーでの疲れによるもので、決勝レースのベスト・タイムもタイム・アタックのベスト・タイムを2秒近く下回ってるからうなずける。
タイム・アタック15位の長田さんはダブル・エントリーながら決勝レース13位で順当。
タイム・アタック16位の92番は決勝レース17位で順当。
タイム・アタック17位のBIMOTA氏は決勝レース15位で順当。
タイム・アタック18位のおらは決勝レース11位と大きく順位を上げている。決勝レースのベスト・タイムはタイム・アタックのベスト・タイムをわずかながら下回ってるのに何故だ?本人でさえその理由がわからない。
う〜ん。92番の順位は順当だったってことはわかったが、28番がよくわからない。もう一度別の角度から見てみると・・・。

オーバー40出場者の中でタイム・アタックと決勝レースで順位が6位以上違うのは、18位から11位に7位上げたおらと、なんと23位から14位に9位も上げた27番の二人。27番はタイム・アタックのベスト・タイムが1
16で決勝レースのベスト・タイムが112と4秒もタイムを上げているからこの大幅な順位アップはうなずける。しかしなぜ決勝レースで4秒もタイムを上げられたのか?俗に言う、三味線弾いてたってやつかもしれないが、それで何の得がある?グリッドが下位になるだけ損だ。いつもポール・トゥー・ウィンでつまらないってのなら分かるがそんなレベルでもない。順位にこだわらず、決勝でたくさん抜きたいという考え方もあるかもしれないが、それはちょっとひねくれたベテラン・ライダーが考えつくことで、この27番は40歳でオーバー40に初出場。かつ2001年以降のMCFAJレースのリザルトを調べたが、どのレースにも出ていない。恐らくレース初出場だろうから、三味線なんか弾いてる余裕はないはずだ。タイム・アタックで初めて筑波を走ってどんどんタイムがよくなったのか?それにしてはタイム・アタックでのベスト・タイムは5/8ラップで出したものだし、決勝でのベスト・タイムも4/7ラップで出したもので、終盤に出したものではない。タイム・アタックで初めて筑波を走って、決勝レース前にファイナルを変えたのか?ビデオ映像を観ると、27番はスタートで恐らく7台抜いて、1ラップ目の第1ヘアピンで既におらの直後につけている。そして長田さんの次にゴールしている。しかし27番の追い上げがおらの順位に影響しているとは思えない。ビデオ映像を観ると、タイム・アタック21位の85番もスタートでおらを含めた8台抜きの離れ業を演じているが、おらは1ラップ目の最終コーナーで85番を抜き返し、85番は結局ゴールも21位。いくらスタートが良くても、この85番のようにその後に抜かれて元の順位に戻るのが普通だと思うから、おらの順位はやっぱり不思議だ。

次にオーバー40出場者の中で決勝レースでのベスト・タイムの順位と着順が4位以上違うのは、決勝レースでのベスト・タイムの順位が19位に対して着順が11位と8位上回ったおら、18位に対して13位と5位上回った長田さん、13位に対して18位と5位下回った28番の3人。その他はみな決勝レースでのベスト・タイムの順位と着順に大差はない。長田さんはスタートで3台抜いて、かつ前をふさがれることがなかったからコンスタントに速く走れた結果だろう。おらもスタートで3台抜いて、かつ前をふさがれることがなかったからコンスタントに速く走れたのは長田さんと同じだが、長田さんが5位上回ったのをさらに3位上回るってのは説明がつかない。28番がこれだけ順位を落とした理由はどうしてもわからないが、途中でコース・アウトでもしたと思うしかあるまい。

おらが決勝レースで大きく順位を上げたこと以外にもう一つわからないことがある。おらよりタイム・アタックでも決勝レースでもベスト・タイムが良かったお兄さんと長田さんをおらはなぜ抜けたのか。長田さんの場合はダブル・エントリーにより終盤疲れてしまったのがおらに抜かれた要因の一つと考えられる。しかしお兄さんがわからない。おらがお兄さんに終盤に追いつかれたのは当然だが、おらはなぜ1ラップ目の第1コーナーでお兄さんをあっさり抜けたのか?ひょっとしておらの1ラップ目の115860というのは、グリッド・スタートとしてはものすごく速かったからか?でもそうだとしたらその最終コーナーからホーム・ストレートでのスピードを生かして、2ラップ目のタイムも良いはずだ。しかしおらの2ラップ目のタイムである113103は、グリッド・スタートの1ラップ目は別として、おらの決勝レースでは最も遅いタイム。

このままじゃ気持ち悪いし本書の執筆を終わらせられないから、おらは江場ちゃんにタイム・アタックと決勝レースのリザルトを見てもらい理由を考えてもらった。江場ちゃんによれば、「南郷さんは前をふさがれることがなかったが、恐らく6人はバトルしてた。バトルするとそれぞれの得意なところで抜くが、不得意なところでは抜かれ、ラップ・タイムが落ちる。南郷さんも最初からバトルしていたら後続に飲み込まれていた」と。確かにおらはタイム・アタック、決勝レースを通じて前をふさがれることは一回もなかった。追いついた相手は長田さんを除きすぐに抜いたし、長田さんは最終コーナーのブレーキング・ポイント以外で、おらに劣るところはなかったから、長田さんに前をふさがれておらのラップ・タイムが落ちるということはなかった。それはおらが長田さんに追いついた最後の2ラップでも113を切っていることが証明している。おらが6人に勝てたのは、おらはスタートが良かった為に、激戦だったタイム・アタック110〜111台の他の6人とバトルすることなくコンスタントに好タイムで走れたが、他の6人はバトルしあってコンスタントなタイムでは走れなかったからか。結局おらの最初の推論にたどりついた。タイムが均衡している中でのスタートはおらが思っていた以上に重要だったのだ。たった7ラップのレースではなおのこと。

また江場ちゃんによればお兄さんの件は、「ベテランほど1ラップ目はタイヤが暖まるのを待つからでは」と。それでおらは師匠が言っていたことを思い出した。師匠は、「筑波の第1ヘアピンは唯一の左コーナーだから走り始めは慎重にいかないといけない」と教えてくれた。しかしおらは本田さんから、「タイヤ・ウォーマーで十分タイヤは暖まってるから、1ラップ目から飛ばしていい」と指示されていたので、1ラップ目から全開だった。お兄さんは元GP250ライダーだから、筑波の1ラップ目の第1ヘアピンが危ないことは知っていたはずだ。ビデオを観るとお兄さんはスタートで2台に抜かれた後に1ラップ目に3台に抜かれ、その後ゴールまでに5台抜いて12位でゴールしている。お兄さんは1ラップ目を慎重に行きすぎたんだろう。そしてお兄さんは、「なかなか抜けない1台がいた」と言っていた。それはビデオ映像を観る限りきっと決勝レースで驚異的にタイムを上げた27番だ。27番がお兄さんをなかなか抜かせなかったので、おらはお兄さんに抜かれずに済んだのだろう。そして江場ちゃんは、「その人は南郷さんと同じチームだし、南郷さんの最後のレースと知っていたから危険な抜き方はできなかったのでは」と。確かにお兄さんは優しそうな人。おらはこのレースで前を走っている奴に追いついたら、例えそれがロッシだろうが巨摩群だろうが、ためらわずに強引に抜いたろう。でもそれがお兄さんか中野王子だと知っていたらそれができたかどうかわからない。おらは1ラップ目の第1ヘアピンで前にいたライダーがお兄さんだとは全く気がつかなかったから躊躇せずに抜いた。それはおらに観察能力がなかったからだが、その欠点はこのときに限っては利点となったのかもしれない。

また、タイム・アタックより9位も順位を上げた27番に関しての江場ちゃんの見解は、「恐らく初めて筑波を走ったので走り方がわからなかったが、決勝レースで速いライダーの後ろに付いて走っているうちにタイムが上がった。WGPでも激しい中盤争いしている選手がファステストを出すことはある。タイム・アタックで三味線弾いてたのなら南郷さんよりもっと上に行くはず」と。とすればこのライダーは底知れず速くなる可能性がある。そして江場ちゃんは、「レースは決勝の順位が全て。Joy耐はピット・ストップ等が絡んでいろいろな要素があったが、今回はシンプルなレースで、いかさましたわけではなく、まじめに走った結果なのだから気にせず喜んで自慢すればいい。ファステストが遅いのはそれが実力だから悔しがれ」と。それじゃあ、なんかおらがいかさま“らしき”ことをしたみたいじゃん!

 

さて、レースがあった次の土曜日に、おらはかみさんとビーマーでLANGに行き、CD-Rに焼いたかみさんの撮った写真みんなの分を中村店長に渡した。“フォトグラハー“佐々木さんの撮った写真を見せてもらったら、おらが被写体になってるどえらいいい写真が何枚かあった。今回本書ではそれらの写真を随分使わせてもらっている。残念ながら都合のつかなかったお兄さんには会えなかったが、いつものように小山さんがやってきた。この人はいつもLANGに入りびたってる。小山さんは今回のレースのリザルトを観ていたようで、「凄かったねー」と言ってくれた。そしておらは引退したはずなのに、中村店長に筑波のラインを聞いた。店長のラインには、おらのラインと大きな違いが一つあった。店長は第1コーナーの進入で早くインにつき、中盤ではらんでクリッピング・ポイントを2回取ると。本間師匠と同じだ。店長が自分で見つけたラインなのかどうか知らないが、“神谷忠のレーシングスクールBOOK”に、「最も効率的なラインを導き出す能力を持つことは、走ること同様、ライダーの実力の一つとなるのである」という一文がある。おらは二輪サーキットと四輪サーキットをやってその能力に欠けていることを認識している。次に同じ600ccでの店長との8秒差の理由を尋ねた。中村店長は、「ブレーキングの差だと思う。プロとアマチュアの差も、最も大きいのはブレーキングで、ブレーキングは一般のライダーが思っているより、もっと強くかけられる。バンク角にはそれほど差はなくコーナリング・スピードにもそれほど差はない」と。しかしおらは筑波でのフリー走行を通して、かなり強くブレーキングするようになっている。そしておらの思った通り店長はシケイン出口の左でも膝を擦っているし、第1ヘアピンでの写真を見ても店長とのバンク角には差がある。最終コーナーでの進入スピードもまだかなりの差があるはずだから、おらのバンク角とコーナリング・スピードは、“それほど差はない”次元には到底達していないと思う。そうでなければ8秒差の説明はとてもつかない。おらはコーナーへの進入スピードの限界近くに挑んだことさえなくて、今まで進入スピードが速すぎて前輪を滑らせたのは、タイヤの暖まっていないコース・イン直後にFISCOの第1コーナーで転倒した1回だけ。写真で見ると第1ヘアピンでのおらのバンク角はせいぜい45°程度なのに対し、別のサーキットでのスリック・タイヤでのものだがGPライダーのバンク角は30°程度。そしておらはヤマハ・レーシング・スクール@SUGOでの平校長とのタンデム走行で体験した、コーナーへの進入スピードのあきらかな違いをまだ鮮明に覚えている。

そのヤマハ・レーシング・スクールだが、YAMAHA YZF CIRCUIT RUN !と名称を変えて今年も開催される予定になっていた。インストラクターは平校長、難波教頭以下のヤマハのライダーで変わりはないが、全て日帰りのコースとなり、ファーストステップのクラスがサーキット走行未経験者を対象としたR6のレンタル車両で行われ、セカンドステップのクラスがヤマハ車でサーキット走行をしている経験者を対象とした車両持ち込みとなっていた。TZ-125に乗る機会は失われてしまったのだ。筑波では8月19日(木)に開催されることになっていたので、おらは二輪サーキットの締めくくりとして、筑波で平校長の教えを得ようと、参加申込書が用意でき次第郵送してもらうよう数ヶ月前に筑波にお願いしていた。おらの引退にあたり、これだけは心残りだったのだが、LANGから自宅に戻るとその参加申込書が届いていて、「平校長が都合により参加できなくなりました」と書かれていた。平校長のいないヤマハのスクールなんて、コーヒーのないクリープみたいなものだ。おらはこれで最後の心残りがなくなった。全てがおらの即時引退に向かって進んでいる。来月浜松に出張の予定があるから、平校長にはそのときに会ってこよう。タイム・アタックでのおらのコーナリング時の写真を見ると、今回のレースでステップへの足の置き方を変えたのに、結局平校長のように綺麗な内足の形にはなっておらず、どうしてもその秘訣を教えてもらいたいのだ。

 

おらが今回のレースの執筆を終える前に、LANGのウェブサイトにレース・リポートが掲載されてた。佐々木さんが書いたものでレースの内容を簡潔に楽しく伝えている。そしておらのことを写真つきで随分良く書いてくれている。せっかく引退したのに、あんなに良い書かれ方して、ヤマハからオファーがあったらどうしよう・・・。

http://www.ms-lang.jp/files/2004mcfaj_2nd.html

LANGのウェブ・デザインも佐々木さんが担当していた。LANGのウェブサイトはえらくかっこよくて、前からどこでデザインしてもらったのか気になってた。おらは佐々木さんに電話して、おらのウェブサイトのデザインも請け負ってもらうようお願いした。町田に住む佐々木さんは、

Jun Bass Design Studioという会社をSOHO(Small Office Home Office)でやってる。SOHOなんて羨ましい。その佐々木さんが本書を読み出してくれて、「今回のレースでは南郷さんのことを緻密な走りをするライダーだと思っていたので、かなり意外な内容」と。緻密な走りをすると思われたおらの方がかなり意外だったが、確かに今回のコンスタントな走りに比べて、二輪サーキットを始めた頃のおらの度重なる転倒劇は意外だったかもしれない。おらは佐々木さんが撮ってくれたおらのライディングの写真を写真屋でA2サイズに引き伸ばし、ロッシと大治郎のポスターの間に貼った。ロッシとおらのライディング・フォームはとてもよく似ているし、かつどちらも青いヤマハ車に乗ってるから、どちらが世界チャンピオンなのか、おらにも容易には見分けがつかない。おらは何をやってもフォームだけは綺麗なのだ。だからこそ平校長の内足の秘訣をマスターしたい。


1312 おらの自宅の居間に貼った3人のレーシング・ライダーのポスター。左からおら、ロッシ、大治郎・・・だと思う

 

ショックな出来事その7:ずっと楽しみにしていた9月に開催される2004 WGP第12戦日本グランプリ@もてぎ。別にレースが観たいわけじゃなく、おらの目的はゴロワーズ・ヤマハのグッズを入手することだった。ちなみに今までパシフィック・グランプリと命名されていたもてぎでの秋の一戦だが、前年の大治郎の死亡事故により改修された鈴鹿のコースがFIMに認可されなかった為、2004年は鈴鹿でのグランプリがない。よってもてぎでのグランプリが日本グランプリと命名されたのだと思われる。その日本グランプリは、当然前年のように、“ゴロワーズ日本グランプリ”となると思っていたのに、“キャメル日本グランプリ”となっていた!おらは去年の様に予選を観に行ってゴロワーズのタバコを買えば、どこにも売ってないロッシとノリックのネームの入ったゴロワーズ・ヤマハの帽子か何かを貰えると思っていたのに・・・。しかも去年はアレンネスというつなぎメーカーがバロスの使うゴロワーズ・ヤマハの帽子を売ってたが、アレンネスのつなぎを着るバロスはホンダに移籍していて、2004年はアレンネスのつなぎを着るヤマハのGPライダーはいないのだ・・・。

 

2004 WGP第4戦イタリアGPで、300km/h超のスピードが出るロング・ストレートを走っていた中野王子のリア・タイヤがバーストし、中野が凄い転倒をした。中野はコース上を転げ続けてグリーンまで飛び出しコンクリートらしき壁の直前で止まり、奇蹟的にケガはなかった。そして1週間後のWGP第5戦カタルニヤGPに出場し、カワサキにとっては2002年にWGPに復帰して以来最高位の7位入賞。いくらブリヂストンが一週間でタイヤを改良したとはいえ、自分のミスではないタイヤのバーストによる転倒後のレースで、中野がスロットルを全開にできるのかおらは疑っていたが…。「一周目は、さすがに不安だった。しかし走り出したらそんな心配は吹き飛んでしまった」との中野のコメント。出走する直前までが怖いおらの二輪サーキット恐怖症の経験からも、これはわからんでもないが、中野の精神力に恐れ入ったと共に、二輪レースは超人の、いや狂人の彼らGPライダーに任せて、観戦する側に回るのが正解だとおらは思った。今後おらはロッシを自分の分身に見たてて、テレビでWGPを観戦する。二輪サーキットをやり始めるまでは、いったい誰がこんなものを観るんだろうと思っていたNHK放映のWGPだが、今は野球中継よりも楽しめる。

 

ショックな出来事その8:ショックな出来事はまだまだ続く。レースの2週間後におらの妹の義父が亡くなった。そのときおらの両親は呑気に海外旅行中で葬儀に出られないから、南郷家を代表しておらが豊橋での葬儀に行くしかなかった。しかし葬儀のある月曜日はおらの今後8年の仕事の行く末に関わる防衛予算を決める防衛庁審議の日で、おらは防衛庁からの質問に備える為に会社で待機していなければならない日だった!おらはもてぎでサーキット・ライセンスを取得した日、フリー走行前に貼ったゼッケン4をしぶしぶ剥がし、かみさんとビーマーで豊橋の葬儀場に向かった。仕事の方は部下が対応できたので、問題はなかったが…。

ショックな出来事その9:その葬儀の帰路19:40に、おらは東名高速道路上りの海老名サービス・エリアまであと3km程の場所を、ヘッド・ライトにフォグ・ランプまで点けて、前を走るクルマを蹴散らしながら走ってた。おらは運転が嫌いだから、普段はほとんどかみさんが運転するが、その日は東京−豊橋間の往復という長距離を走っていたので、たまにおらが運転を代わっていた。おらは一般道で運転するときは、峠を除きそんなに飛ばさない。信号が多いし、人を跳ねたくないからだ。しかし高速道路に信号はないし、人を跳ねる心配もないからそこそこ飛ばす。120km/hぐらいのスピードではイライラするから、混んでいさえなければ140km/hぐらいで巡航し、昼間で空いてるなら180km/hぐらいまではざらに出す。かといっておらは並木さんが言うようにスピード狂だとは思っていない。ちんたら走るのが辛いから、しかたなく飛ばすのだ。そのときは3車線で見通しが良いことと、前方をふさぐクルマがいなくなったので、夜間とはいえおらは180km/hまでスピードを上げた。しばらくして前方にクルマが見え始めたので、おらはスロットルを戻してスピードを落とし始めた。すると後ろから赤い点滅が!パトカーだ!おらはサーキットと違って、高速道路で飛ばすときは、たまにバック・ミラーで追尾の確認をするが、このときは全くノー・マーク。おらはブレーキを踏んでさらにスピードを落とし、追い越し車線から真ん中の車線に車線変更して、パトカーをやり過ごそうとした。警官がスピーカーで何か言ってるが、おらはスピーカーで注意だけされて、パトカーが通りすぎることを祈った。しかし手振りで左側に停めるように合図された!追尾で捕まるのはこれが初めてだ。180km/hで走ってるところを計測されてたら、そこが100km/h制限の区間だったとしても80km/hオーバー。東名は80km/h制限の区間も多いから、100km/hオーバーの可能性もある。スピード違反での一発免許取り消しはなくなってるとはいえ、おらは少なくとも生涯二度目の90日免停を覚悟した。そして何よりまずいのは2週間後に控えるJoy耐に出場できなくなるかもしれないということだ!JAF公認競技に出場するには競技ライセンスだけでなく、有効な運転免許証も必要なのだ。でも免停期間は捕まった日から始まるのではなく、出頭日から始まるから、おらは出頭日がJoy耐の後になることを祈ると共に、もしそれ以前であれば出頭日を遅らせてもらうよう頼み込むつもりだった。ビーマーを停める直前に急いでシート・ベルトを締め、オービスで写されてもナンバーが写らない特殊プレートが警官に見つからないことも祈った。その特殊プレートは数年前から取締りの対象になってるのだ。パトカーの後部座席に座らせられた喪服姿のおらは、「葬儀後で、これから会社に行かねばならなかったので急いでいた」と同情を引く為の嘘をついたが無駄だった。しかし運転席の横にあるスピード計測器を見せられておらは我が目を疑った。たったの127km/h!しかもそこは100km/h制限区間だった。つまりおらの違反は27km/hオーバーで、90日免停どころか30日免停でもなく、3点減点の罰金\18,000で済む青切符。おらはどえらい得した気がした。警官が、「実際には140km/h以上出てたことはおわかりだと思いますが、それではあまりにもまずいと思ったので、警告してスピードを落としてもらってから計測しました。この取り締まりは捕まえることよりも事故を起こさないようにしてもらうことを目的としているので、まずは追尾していることを運転手に気づいてもらい、スピードを落としてもらってから計測します」と。「いつまでも気がつかない場合は?」と尋ねたら、「その場合はしかたないのでそのままのスピードで計測します」と。オービスやネズミ捕りは容赦ないが追尾の何とやさしいことか。しかし「あまりにもまずいと思った」ってのが気になって後で調べたら、これにはちゃんとした理由があった。追尾の場合は前を走るクルマとの車間が変わらないようにパトカーを走らせ、そのときのパトカーのスピードで違反者のクルマのスピードを計測する。しかしそれでは必ずしも正確なスピード計測ができるとは言えないから、運転手にゴネられないように、スピードを落とさせてから計測して運転手を安心させ、切符を切りやすくするということらしい。また幸いなことにおらが最後に捕まったのはTT600を買う直前の3年前にSRV250でツーリングに行ったときで、高速道路で路側帯通行をした。過去2年間違反がなければ、違反後3ヶ月間無違反で通せば減点は消える。だからおらは今後3ヶ月間はクルマにもバイクにもできるだけ乗らないようにする。それにしてもおらは一生ゴールド免許を持てそうにない。いずれにしても、おらはまたクルマの運転が嫌いになった。ちなみに現在の道路交通法によれば、高速道路では40km/h以上が30日免停で、50km/h以上が90日免停。一般道では30km/h以上が30日免停で、50km/h以上が90日免停。

この後ショックな出来事がいつまで続くかわからないが、おらはJoy耐7時間を翌日に控えているから、もうこのあたりでショックな出来事シリーズは終わりにし、本書の執筆を終わらせなければならない。Joy耐7時間では何も起こらないことを祈るばかりだ…とJoy耐7時間が始まる前の晩の札幌ドームでの巨人-中日3連戦の3戦目でも中日が勝ち、中日はドミンゴ、川上、バルガスでこの前の借りを返す3連勝。巨人に2.5ゲーム差の首位となった!スピード違反を最後にショックな出来事は終わってくれたのかもしれない。しかし巨人に勝つのは大歓迎だが、なんか嫌な予感がしてきた。おらは中日の優勝は望んでない。セ・リーグ制覇の試合を追っかけたり、日本シリーズのチケットを買ったり、ホテルやフライトの予約を取るのが大変だからだ。優勝は10年に1度で十分だよ。

 

2004年シーズンこれまでのおらのサーキット走行記録は以下の通り。

Round yy.mm.dd Circuit Condition Machine Tire Laps Fastest Lap Fastest Time Km/h Crash
1 04.02.07 Tsukuba Dry BMW 318ti PL P6000 11 - - - 0
2 04.02.21 Motegi Dry BMW 318ti PL P6000 10 8 2'49 102 0
3 04.03.05 Motegi Dry H-CIVIC DP DIREZZA 02G 22 22 2'24 120 0
4 04.03.06 Motegi Wet H-CIVIC DP DIREZZA 02G 12 11 2'29 116 0
5 04.03.07 Motegi Dry H-CIVIC DP DIREZZA 02G 23 14 2'24 120 0
6 04.04.16 Tsukuba Dry Y-YZF-R6 ML Pilot Race S2 (new) 30 26 1'15 99 0
7 04.04.24 Motegi Dry T-Vitz - 15 5 3'01 95 0
8 04.04.28 Motegi Wet H-CIVIC DP FORMULA-R Rain 10 3 2'42 107 1
9 04.04.30 Tsukuba Dry Y-YZF-R6 ML Pilot Race S2 15 13 1'15 99 0
10 04.05.09 Tsukuba Dry & wet Y-YZF-R6 ML Pilot Race S2 40 6 1'14 101 0
11 04.05.12 Tsukuba Dry Y-YZF-R6 ML Pilot Race S2 26 13 1'12 104 0
12 04.05.19 Tsukuba Dry Y-YZF-R6 ML Pilot Race S2 40 12 1'12 104 0
13 04.05.30 Tsukuba Dry Y-YZF-R6 ML Pilot Race S2 (new) 16 8 1'12 104 0
Total           270       1

今シーズンおらは二輪で筑波を6回走り、ついに転倒しなかった。去年まではFIISCOで走るのが主だったが、2001年は10回走りに行って5回転倒の転倒率50%、2003年は9回走りに行って3回転倒の転倒率33%だったので、サーキットの違いはあれど、おらはかなり上達しているんだろう。FISCOでの大転倒後だから、おらが怖がって筑波では攻め切れていなかったということはないと思う。サーキット恐怖症はフリー走行前のパドックだけでの症状だったし、今年その症状があったのは一回だけ。それにおらは筑波で走る度にベスト・タイムを約1秒づつ更新し続けた。周回数は、全て筑波という距離の短いサーキットでの走行だったとはいえ167ラップで過去最多。四輪も含めると270ラップで、これはまともな月給取りが4ヶ月間でこなせる周回数ではない。

 

スピードを競う競技のいいところは、TOEICの点数のようにタイムや順位で自分のおおよそのレベルがわかることだ。これが1対1、あるいはチーム対チームで勝ち負けを決める競技だと、英検の合格・不合格ように勝負が決まるだけで自分のレベルはわかりにくい。まあ、勝ち負けだけで優劣が決まる競技に比べて、順位が出る競技はその分気楽といえば気楽でもある。シビアに言えば、レースで勝ったのは1位だけと言うこともできるが、WGPでも3位までは表彰台に上れるし、15位まではポイントが得られるから、ポイントを得たライダー全員が勝者とも言える。そしておらの今回のレースのように順位に関係なく、接戦を制すれば自分なりに勝ったと思えることもある。FISCOで2分切ったらおらの勝ちってのも同様。減量も体重という数字を競う競技みたいなところがあるが、おらはレースでいい成績を残すという目的があったからこそ頑張れた。ちなみにおらは今年に入って英語の勉強をちょっとやりだして、来年の3月までにTOEICで65点アップの800点を取ることを目標にしている。理科系とはいえ手に職のないおらが転職するとしたら、せめてTOEICの点数で800点ぐらいないと辛いのだ。TOEICで何点取れば勝ちなんてのはないが、目標の800点を取れればおらの勝ちだ。TOEICは問題そのものの難しさよりも、リスニングはネイティブの話すスピードについていけるか、リーディングはいかに早く読むことができるかが点数に大きく影響するスピード競技みたいなもの。今後しばらくはサーキットでのラップ・タイムの代わりにTOEICの点数を競技結果にみたてて頑張りたい。おらは英語の勉強をしようと思ってたまに教材を買うことはあっても、それを読み終えた試しがないが、二輪サーキットでこれだけ頑張れたのだから英語の勉強も頑張れるはず・・・と思いたい。

一方今後も今の仕事を続けられるかどうかの、おらの月給取り人生を賭けた米陸軍との熾烈な戦いは、米国防総省をも巻き込んで、とてもおらの手に負えないどころか、防衛庁も尻込みしてしまうありさま。おらは世界第2位の兵器メーカーのトップに助けを求めた。そしておらが米国政府の実態を暴露し、CIAに殺されるかもしれないことをそのメーカーにe-mailで伝えた翌日、7年間在任していたテネットCIA長官の辞任が表明された。どうせ死ぬならサーキットで死にたいよ。

 

こうしておらは、山口百恵のごとく、あるいはキャンディーズのごとく、絶頂期で、いや絶頂期を迎える前にレーシング・ライダーを引退し、本田さんの言葉を借りれば、“堅気のライダー”に戻ったのである。
「普通の月給取りに戻りたい・・・」/キャンディーズの応用
「忘れるんだ、ライダーのことなんか。そして普通の生活に戻るんだ」/仮面ライダーブレイド

テニス・ラケットの代わりにスロットルを握るようになった、おらの実質3年間の二輪サーキット体験談はこれで終わる。随分金と時間を注ぎこみ体にも鞭打ったが、二輪サーキットの体験はおらにとって素晴らしい財産になった。命を張るだけの価値のある二輪サーキット。いつかまた戻ってきたい。

経験を積み重ねると共にそれが真実であると思えるようになったラッセルさんの言葉を本書の締めくくりとしたい。
Good smooth riders are fast riders, and they are not dangerous.

第3部 完

全編 完

 

 

第3部の執筆を終えて

筆者の今シーズンの二輪サーキット体験は、1ヵ月半という短い期間ではあったものの、その間に6回筑波に足を運び、かつレースにも出場するという、とても充実したものとなった。それは引退を決意したからこそのものであったろう。そして最後の二輪レースを最高の形で終えることができただけでなく、五体満足で二輪サーキットを去ることができたことを筆者は幸福に感じている。しかしとても残念でもある。筆者は二輪サーキットに飽きたのでも嫌になったわけでもないからだ。筆者が初めて二輪でFISCOを走ったとき、最終コーナーの路面にへばりつくように走るライダーを見て衝撃を受けた。そしてラップ・タイムを更新できなくなったり、ケガをしたり、サーキットが怖くなったりといった理由から何度もくじけそうになった。筆者だけでなく、峠では自信があったもののサーキットでの現実を知り、すぐにサーキットを去ってしまったライダーは多いと思う。しかし現在の筆者を二輪サーキットから遠ざける理由はそのいずれでもなく、むしろ今はMAX10という、筆者のレベルでも表彰台が狙えるレースの存在を知ったこと、そして筑波で1

10を切りたいことから、すぐにでも復帰したい気持ちが強い。筆者はサーキットで死ねるのなら本望だと今でも思っている。しかしこの機会にやめなければ、いつか身体障害を持つかもしれないということが怖いのである。それにしても3年前までサーキットは筆者には別世界の場所であり、関心さえなかったのに、実質3年間にも満たない短い期間ではあったが、サーキットで多くの体験ができたのは、筆者が二輪サーキットの魅力に取り付かれてしまったことによるものだけでなく、筆者を助け、そして励ましてくれた、筆者が出会ったライダーたちのおかげなのである。

筆者が二輪サーキットを経験して得た、数字としての最高の勲章は、ラップ・タイムでもレースの順位でもなく、FISCOでのラップ数167、筑波でのラップ数181、SUGOでのラップ数53の計401というラップ数でありFISCOでの8回の転倒数だと思っている。二輪サーキットを趣味としたライダーにとって、401ラップは決して多いラップ数とは言えないかもしれない。しかし筆者にとってこのラップ数は、ごくわずかな人間だけが経験することのできる二輪レーシング・スピードでのフル加速、フル・ブレーキング、フル・バンクを経験した時間の長さを示す貴重な数字だ。そして8回の転倒数は、直接の原因が筆者の技術の未熟さにあったとしても、自分の限界を超える走りに挑んでいた筆者のサーキットに賭ける情熱を思い起こさせてくれる、とても誇らしい数字なのである。

本書は総文字数約50万字、400字詰め原稿用紙にして約1,250枚の超大作となった。執筆に要する時間は、恐らく読者の予想をはるかに越えていて、毎日が忙しかった。だから、いつ頃から始めるようになったのか定かでないが、執筆をはかどらせる為に、筆者はサーキットに行く数日前から原稿の下書きをするようになった。それはサーキットで何を試すかという目標を決める為にも大いに役立った。そして本書を執筆し続けたことで筆者は二輪サーキットをここまで続けることができ、やめることもできたのだと思う。また本書により、サーキット仲間との関係を深めることができたことは望外の喜びであった。そして本書を読み返すことで、記憶から薄らいでいくであろう筆者の二輪サーキット体験やレースでの感動を、いつでも詳細に思い出すことができるのである。筆者のこの経験から、サーキットに限らず、スポーツに限らず、読者が何か新しいことを始める場合は、最初は辛いかもしれないが、その過程を文章に残すことをお勧めする。もしかしたらそれが楽しみとなり、筆者のように執筆すること自体が趣味となる可能性もある。

さて、二輪サーキットを引退した筆者の手元に残ったものは、大型自動二輪免許、つなぎ、脊椎パッド、ブーツ、グローブ、工具、ラダー・レール、フルフェース、脱臼で鎖骨のせりあがった左肩、ケガをしてから1年たっても未だに力の入らない後十字靭帯の切れた左膝、そして本書といった具合。その中で今後役に立ちそうなものは本書だけだ。本書は筆者のライテクを磨く為の覚え書きとして執筆したものなので、執筆する上で最も優先した読者は筆者自信であった。よって筆者以外の読者に読んで戴くにはつらい部分も多々あったことを重々承知している。筆者はこれから本書を広く一般に読んで戴けるように大幅に削除・修正を加え、出版社に売り込むつもりだ。それにしてもMAX10か・・・。もし本書が売れたら、第4部執筆の為に中古の外車を買って筆者はMAX10で復帰するかもしれない。そのときこそ、筆者の本当のシャンパン・ファイトをお見せしたい。

2004.06.24
デューク南郷

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