2000年10月10日(火) 晴れ 東京からパレルモへ

成田から日航機でローマに入り、アリタリア機に乗り換えパレルモへ。ローマまでの途中、給油の為にモスクワ近郊の空港で30分ほど待機したが、女性のソルジャーが美人でかっこよかった。成田からローマまでは、エコノミーの正規格安航空券をマイルでビジネス・クラスにアップグレード。

ローマの空港で飲んだエスプレッソにはビックリ。量が少なくて、水分というよりは粘性の液体状。とても砂糖なしでは飲めない濃さだ。その後ローマ発のアリタリア機では離陸まで1時間ほど機内で待たされ、パレルモ着は11PMとなってしまった。

か:機内では何の説明もなかった。さすがイタリア!

おら自身茶髪に嫌悪感があったし、「浜崎あゆみみたいに入国でもめるぞ」、と上司から茶髪にするなと言わんばかりに脅されていたが、せっかくのチャンスと思い、日本を出る前に久しぶりにパーマをかけ、生まれて初めて脱色して茶髪にした。前に北京に行った時は普通にしてても、かみさんの中国人ガイドと間違われたおらだったが、現地人になりきりたいと思ったのだ。しかしイタリア人の髪の色が黒であるとは知らなかった。ローマでは入国審査も、税関も何もなかった。変な国。

パレルモのハーツでレンタカーを借りたら、1.6リッターのオペル・アストラ・クラスで予約していたのに、なんとメルセデスのCクラス2.2リッターワゴンしかないという。値段は一緒にすると言うので了解したが、ハーツのルールでは他の欧州諸国からメルセデスとBMWでのイタリアへの入国は禁止されていたはずだ。

夜中だったのでおらはホテルのチェックインを焦ってた。それなのに途中で道に迷い、真っ暗闇の山道で、下りの右急カーブにオーヴァー・スピードで進入した。突っ込むか!と思ったがABSがかなりの時間作動して、何とか曲がりきれた。メルセデスでなくばABSは付いていなかっただろうから、山から墜落間違いなし。「メルセデスでよかった」、とこの時は思った。

か:本当に怖かった。あまりにも無謀な運転だー!

道を聞こうと途中で見つけた警官(Polizia)の前にクルマを止めた。「ここに止めちゃいかん」と注意されたが、しつこくホテルの場所を聞き出して、0AMにやっとの事でジョリー・ホテルに到着。

かみさんは時差ぼけも無く良く寝てた。おらは1AMから4AMまで、腹減って死にそうだったが、PCと格闘した。ウェブでわかったがマリナーズがヤンキースとのリーグプレー・オフ第1戦で勝利。しかも佐々木のセーブつきだ。

10月11日(水) 晴れ パレルモ

か:朝食はバイキング。全種類食べようとしてお皿が山盛りになっているのは私達だけ。周りを見るとフルーツだけとかパンとチーズとか、やけに少食。シチリアのパンはボソボソして色も濃い黄色。バターを使ってないようだ。やはりオリーブオイルしか使用しないのだろうか?素朴な味が後をひく。

か:モンレアーレの中で一番高い山の上まで行く。素晴らしい景色!山の上に行くほどマフィアの家らしき豪華な家が見かけられた。ウ〜コワ。途中だんながイタリア人青年と写真をパチリッ。ダンナはイタリア人と同化してた!

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パレルモでの運転は大変だ。ここでおらのように縦横無尽に運転できる日本人はいまい。道は狭く、混んでて、皆運転が荒い。1cm単位のすり抜けと度胸が必要だ。でも交差点ではちゃんと直進車には道を譲る。2人乗りのスクーターがやたらと多く、特にこいつらは皆無茶な走りをする。ここでは米国と違い、昼にライトつけてるヤツはほとんどいないが、おらは安全の為、ライトつけっぱなしで走った。

か:パレルモの警官は陽気で、カメラを向けると“チャオ!”と明るく手を振ってくれる。予約していたが高くてキャンセルしたサミット・クラブのグランドホテル・ヴィラ・イギエアに行ってみた。さすがに良いホテル。庭を歩いていたら1階の中庭付きの部屋に間違っておじゃましてしまった。海を見ながらテラスでお茶した。

今日もまたメルセデスで命拾いした。調子に乗って運転しながらデジカメ撮ってたら前の車が急停車し、かみさんが「ストップ!」と言った瞬間またまたABSフル作動。ABSなかったら衝突してた。

か:私の心臓もフル作動!いいカゲン頭にきて大喧嘩しすぎたせいか、のどが痛い…。

ジョリー・ホテルはゴージャスとは言えないが、結構いい朝飯がついてるだけでなく、オーシャン・ヴューも部屋もなかなかいい。なんせ、風情がある。

昼飯も食わずに一日中クルマで走りまわった後、夕方ホテルに着いてから、おらは10PMくらいまで寝てしまい、目覚めたもののそれから起きる気力が無く、かみさんも恐がってピザもよう買いに行かんから、この日食べたのは朝食だけ。

か:当たり前でしょう。夜のシチリアの街に女一人で行けるか!ルーム・サービスも終わったって言われたし、フロントでピザの配達してもらえないか聞いたができないと言われた。外に買いに行こうとしたら、フロントの人にあぶないと止められた。部屋に戻るとダンナには「どうしてピザ屋の電話番号聞いてこないんだ!」と叱られた。英語が話せない自分が情けないのと、なんでそんなに怒鳴るんだ…という気持ちでふて寝した。

UUNETでここから最も近いアクセス・ポイントであるローマにインターネット・アクセスしようとしたがだめ。何回かホテルに聞いて、やっと市外にかけるにはまずダイアル'0'が必要な事がわかった。しかしぷらら以外のアクセス・ポイントを使った場合、ぷららの電子メール・アドレスでは受信は出来ても送信ができないことがわかる。しかたなくぷららのアクセス・ポイントに接続しようとしていろいろやったが相当時間がかかりそうで明日以降再度やってみることにした。でもかみさんの実家のFAXにはパソコンからメッセージが何とか送れたし、幸い会社からの電子メールはなかった。

10月12日(木) 晴れ タオルミーナへ

チェックアウト後すぐタオルミーナ方面へ。今までずっと天気もいいし、途中の海景色と古い城壁らしきものが溶け合った風景がすばらしい。海景色を見ながら走りたかったのでアウトストラーダ(高速道路)は極力使わなかった。途中から、時間はかかるが山越ルートを使った。全てのクルマを抜いてかっ飛ばし、4PM頃タオルミーナに着いた。まだ明るい。今は亡きセナ以外おらを抜けるやつはいまい。ってことは現在おらを抜けるやつはいないのだ。しかしクルマが重いせいもあるかもしれんが、タイヤのグリップが甘い。ひょっとしてタイヤの扁平率は65以上かなー。

か:途中の街で地図を買おうと、小さなバール(喫茶店みたいなもの)に入った。マッチョで一見恐そうな店員と朝からビールを飲んでるおじいさんの2人。おじいさんはニコニコしながらイタリア語で話しかけてきて、とても楽しい人だった。またイタリア人が好きになった。

それにしてもかみさんと喧嘩ばかりしてる。ほとんど運転の事でだ。ちょっと飛ばし過ぎかもしれんが、おらの運転でなきゃイタ公相手にまともには走れんのがわからんようだ。できればイタ車で飛ばしたい。

か:まだ道に慣れてないのに、車線無視、信号無視。まだ旅も始まったばかりで事故に遭いたくないです。

新型プントの多いこと。日本では売ってない新型プント・カブリオも走ってた。フィアット、アルファの古くてめずらしいのがいっぱい走ってるからクルマを見るだけでも楽しい。

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タオルミーナではまず、映画“グレート・ブルー”にでてきたホテルのレストランに行って感激。でも残念ながら昼しか営業してないと。

か:この“グランデ・アルベルゴ・カポタオルミーナ”の地下6階にある天然の洞窟を抜けると目の前に海が広がっている。映画のように死ぬほどスパゲッティを食べたかった。奥の方には映画の中でジャックとエンゾがプールの中でシャンパンを飲んで溺れるシーンに使われたプールが見えた。

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タオルミーナは不思議な町。山のてっぺんの方に町がある。山の頂上まで車で行ったが、道は狭いし急カーブの連続。日本人でクルマ運転してここまで来たヤツはいないんじゃないだろか。歩いて行くのは高橋尚子以外はちょっと無理。それにメチャクチャ狭い路地だから左ハンドルのバックがうまくできんヤツは近づかん方が良い。ホテルのえらく狭い駐車場も、ホテルの兄ちゃんに誘導してもらってバックからの切り返しを4回くらい続けてナントか納まったが、こりゃ駐車場じゃなくて路駐だ。

か:このホテル・コンチネンタルは、カターニア門の近く。場所が分かりにくいのが難。

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それにしてもイタ公はみな人懐っこくて、いまのところいい感じのヤツらばかりだ。シチリアは危険と言われてるが、ホントか?

か:山の途中の教会で、結婚式を終えた新郎新婦の写真を片側ガケという場所にもかかわらず、カメラマンが海をバックに崖から落ちそうになりながら写真を撮っていた。とってもイイ雰囲気だった。ダンナもカメラマンになりきりパチパチやってた。

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夕食のときデジカメで写真撮ってたら、隣のテーブルにいたドイツ人夫婦が「ハイテク?」と、えらい珍しがる。その場で撮れたものを液晶画面で見せてあげたら喜ぶこと喜ぶこと。コリャおもしろい。

か:夕食はカターニア門正面のリストランテ・ラベネーレで。夜景もキレイで料理も美味しかった。でもその後が悲惨だった。タオルミーナのメインストリートとも言えるカターニア門からメッシーナ門までの通りが賑わっていたので私達も行ってみた。いろんなお店が軒を連ね、見ているだけで楽しい通り。途中、4月9日広場からタオルミーナ湾のキレイな夜景を見て、写真を撮ろうとしたらバッテリー切れ。しかも予備をホテルに忘れてきてしまったので、私がホテルまで取りに行った。でもここはタオルミーナ。ホテルまでの上り坂と急な階段でもうヘトヘト。広場に戻る時は下りになるので楽だったが、広場にダンナはいなかった。広場のはじからはじまでグルグル探し回ったが、変なオヤジに声をかけられるくらいで見当たらない。こんな時は動き回っちゃいけないと分かってはいるものの、酔っぱらいが声をかけてきたりと、その場にいられなくなり思い切ってメッシーナ門の方まで探しに行き、また引き返す。足は痛くなるは、ダンナはいないはで泣きそうだったがまた広場に戻り1周したがいない。と、ひょっこりダンナが現れ「何してたんだ!」と怒鳴られる始末。私も負けずに「ずっと広場を探してたんだよー!どこにいたの」と。その後は、「俺はここにいた!」「いや、いなかった!」の押し問答に。そしてお互い口もきかず、もちろん写真も撮らずホテルへ帰った。

10月13日(金) 晴れ タオルミーナ、そしてバーリへ

もともと一晩寝る為だけに予約した、格安のホテル・コンチネンタルだったが、部屋が狭い以外はそんなに悪くなかったな。でもオーシャンヴューの部屋はないし、タオルミーナにちゃんと滞在するなら金を惜しんじゃいかん。

か:朝食も充実してたなぁ。ホテルのフロント前にあるオープン・テラスからのエトナ山や街並みの眺めが素晴らしかった。

最悪その1。朝早くタオルミーナの屋外劇場に行く際、途中の道で出くわした狭い門をくぐろうとスピードも緩めず右折した際、な・な・な・なんとメルセデスの右後方をがつんとやった!昨日通った道だとばかり思って、なめてたけど違う道だったのだ。しかも今思うとめちゃくちゃ不思議だが、がつんとやった時点でちょっとバックしてやりなおせばいいのに、おらは無理やりアクセルふかし、ガリガリやりながら強引に行ってしまった。その後も2人で左右のドアミラーをそれぞれ手で倒しながら、何とかゆっくり通り抜けられるようなめちゃくちゃ狭い道がしばらく続いた。ドアミラーが電動で倒れないのはいいとしても、手で倒しても思いっきり押さえてないと元に戻っちゃうのは考えもんだ。クルマを降りてぶつけた跡を見ると、右後ろのドアはへこみ、キズだらけ。ドアの開閉には問題ないが、こりゃあかん。車両保険に入ってるとはいえ、免責で\40,000程とられる。それにシチリアのクルマはほとんどベコベコだからここではめだたないけど、これからの長い道のりはこれじゃカッコ悪い。その後も今日のおらの運転はバックで後ろを見なかったり、普通の道でも右に寄り過ぎたり、なんか変だった。

か:“ガンッ!”とぶつかった後、バックしないで前進し続けたのには驚いた!ドアにシルバーのプロテクターがあったが、この時取れてそのまんま。

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か:ショックに打ちひしがれながら、ギリシャ劇場を観に行った。紀元前3世紀の建物と思えないほど計算されたすり鉢状の造りに感動し、客席からエトナ山や海を見渡す景色にまたまた感動。ダンナといえば、キレイな女性に「一緒に写真撮りませんか?」と声をかけ、彼女は「どうして私と?」に対し、「あなたがキレイだから」と、ナンパしてたが、彼女は連れの彼氏をちらちら見て困ってた。彼女からすると、ダンナと私の写真を撮るなら分かるけど見ず知らずの人と、どうして写真を撮らなきゃいけないの?と、いう感じだろう。結局ダンナの押しに負けた感じで写真に写ってくれたが、その後さっさと彼の所に行ってしまった。大変お騒がせしましたぁ。

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か:タオルミーナのお土産として私はTシャツを、ダンナは昨日山頂の街で見つけたサビた兵士のマリオネット1体を買ったのだが、ここでは新品の兵士のマリオネットを4体購入。シチリアの歴史物語に登場する人物達なんだそうだ。あと、Tシャツも買っていた。ダンナは以降次々と立ち寄った土地のTシャツを買う事になる。後ろ髪を引かれる思いで、いざメッシーナへ!

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シチリアではシラキューサには行けなかったけど、タオルミーナはホントに良かった。もし今度行く事があったら、シラキューサを1日見てあとは4-5日タオルミーナの高級ホテルに滞在したい。

か:それならギリシャ劇場の前にあった、“TIMEO”に泊まりたいな。ちょっと立ち寄った時に見たテラスからの景色がスッゴク良かったもの。

本島へ渡る為、フェリー乗り場へ向かう。フェリー乗り場のあるメッシーナまでは結構早く着いたが、市街に入ってからフェリー乗り場を探すのに苦労した。今日はこれからかなりの強行軍だから焦ったが、結局20分位無駄にしただけで、出航間際のフェリーに乗れた。メルセデスにCDIと書いてあったのでもしやと思ってたが、給油の際にディーゼル車だとわかった。ディーゼルにしてはよく走る。

バーリはおらが一度地中海を見たいという理由だけで、わざわざ寄ったところ。途中のアウトストラーダからかみさんの海外初運転。アウトストラーダだから車線を間違える心配は無いけど、左ハンドルだから左右の車間に戸惑ってたナ。

か:アドレア海側が地中海と勘違いしていた私達。地中海はパレルモからずっと見ていたのでした。だからバーリに行く必要はなかったのだけど、お蔭でアルベロベッロに行く事が出来て、私としては大満足。海外初運転は、ダンナに「大した事ない」と言われたものの、私としては心臓バクバクもんで、トンネルとか、隣に車が走っていたりすると特に緊張しました。

アウトストラーダと下の道を使い延々走った。どこもすいてたし、いい道だったナー。アウトストラーダはおろか下の道でも200Km/h出せる道が続いたのだ。C220の加速はいいが、2.2Lにしては200Km/h程度までしか出ないのはディーゼル車だからしかたがないか。でもさすがメルセデス。高速安定性はいい。それにしてもまたかみさんと喧嘩ばっかだ。なんとかシチクリー!

か:喧嘩っていうか、私の運転がとろくさいって一人で勝手に怒ってるんでしょうが。私は安全運転なの!それにバーリの街でも、平気で両側縦列駐車しているところを通るのはかなり難しく、ぶつけたくないから慎重にもなる。今日一日緊張しながらの運転でア〜肩こった。イタ公のダンナにはこの気持ちは分かるまい。

アウトストラーダのレストランで美人のウェイトレスをデジカメで撮ったら、近くにいた数人がデジカメの事を「コンピュータ?!」だと言って、おらに寄ってきた。

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最悪その2。バーリに着いてから目の前のシェラトン・ニコラス・バーリ・ホテルまで2時間くらいかかった。30分もかからないで行けた場所なのに。まともな地図が入手できないのが辛いし(ミシュラン地図を買おうかと思って見てみたけど政府観光局でもらったのとたいしてかわらなかった)、道の名前があまりなく、標識の字が小さすぎる。だいたいアウトストラーダも、A12とか名前はついてるけど地名を知ってないとどっち方面に行けばいいのか分からない。これは日本の高速道路にもいえるが、米国の様に“東”、“西”、“南”、“北”とインターチェンジの入り口に書かれていないとツーリストには厳しい。シチリアだけかと思ったがイタリアは全部こうか?

信号赤で突っ切るヤツはいるは、これは怒りを通り越して感動ものだったけど、なんとおらが交差点右折したとこで前にいたクルマが突然バックしだして、そのまま交差点のど真ん中まで走って行った。たぶんその後で前進左折したんだと思う。おらの右折時に青だったから、やつは赤の交差点をバックしていったっちゅうこと?結局警官に道聞いてなんとかホテルに着いた。

か:ダンナの勘の良さには随分助けられているよね。感心するサー!日本では考えられないけど、警官を見かけると何故かホッとする。

イタリアではよっぽどずうずうしく、度胸すえて走らないかん。おらにはぴったりだ。でも、この辺りじゃ、かみさんには下の道はとても無理。やっぱりここを走れる日本人はよっぽどのヤツだと思うぞ。北京では単車のかわりに、自転車が波のように多いのと信号があちこちで壊れてるのがこれに加わるから、さすがのおらも、あそこでは運転する気がしないが、ここに比べたらロサンゼルスやニューヨークはたやすい。イタリアでの運転は殺しのライセンスを持ったつもりで走って良い。また、イタリアのクルマにウィンカーは必要ない。

南イタリアでは都会でも高級ホテルの中と旅行者以外英語通じるヤツはほとんどいない。北欧、パリ、スイスなんかじゃよっぽど田舎に行かない限りだいたい英語は通じたけどな。これじゃまるで北極圏にいるみたいだ。

最悪その3。パソコンのモデムがなぜか電話回線を認識しない。ひょっとしてデジタル回線かと思ってホテルに聞いたが、はっきりしない。いろいろ試したが、疲れて寝た。会社から電子メール送ってるばかたれがいるかもしれないし、チェックインの際に「David氏がおらに電話してきた」と言われたので気になって電子メールのチェックをしたかったのだけど。Davidって誰だ?

 

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