出かける前に、忍耐我慢そして傲慢無礼な対応への心構えも 予めお持ちください。

 歩き遍路は「修行の旅」です。 肉体的な苦痛や苦労、宿代や食費などの経済的出費、気候 の変化や風雨にさらされる厳しい環境、自分と自分自身との間で絶え間なく繰り返す葛藤やジレンマ等々、各々の修行の道筋に手配され、そして各々が体験して ゆく諸々の課題や難題等を数え上げればキリがありません。 そうした課題の中に、思わぬところで他人から押し付けられる忍耐や我慢そして不快な出来事などにも遭遇することが道中で稀に有ります。
 ここでは、自分が体験した出来事について記述しますので、そうしたことにも遭遇するかも知れないと、
予め承知しそれなりの心構えをお持ちになって歩き遍路「修行の旅」に臨んで欲しいと願います。




タクシー   上乗せ料金をお遍路さんに さも当然の如くに請求する雲助もどきのタクシーや地域もあるのです。

 肉刺などで足を痛めたり、道を間違い日暮れとなった場合などに地元のタクシーに送迎を依頼する場合もありま す。 見知らぬ土地で送迎を受けると本当に助かる場合もあります。 然しながら、お遍路さんの状態を見透かして上乗せ料金を当然の如く要求する雲助のごときタクシーや地域もありますので驚かないようにしてください。
(補足説明)
この地域の住民の殆ど大多数の方々はお遍路さんを大切にしてくださる親切な方々です。タクシーと同列に認識しないようにしてください。

実体験】  土佐の国、足摺岬区域での出来事でした。 連れのお遍路さんが足を痛めたため、地元のタクシーに電話して送迎を依頼したところ、上乗せ料金として1,000円を最初の電話口から要求され、それを受け入れなければ送迎をしないと申し渡されました。 翌日、別のタクシーに電話で依頼した場合でも同様でした。 後日、お宿でタクシーを紹介してもらったところ、上乗せ料金を強要しない「真面目なタクシーは○○だけです」とアドバイスされました。 乗車区間の料金を支払うメーターはこの地域では通用しないようです。

実体験】  土佐の国、四万十川河口付近の出来事でした。 夕暮れとなり身体の疲労もあったことから、地元のタクシーに電話して送迎を依頼したところ、営業所スタート時点から料金メーターを入れますと宣告され受け入れることを要求されました。 仕方なく同意したところ、タクシーが来た時には既に1,360円を表示しておりました。  どうやら、お遍路さんには当然に上乗せ料金を強要するのがこの地域のタクシーの習俗のようです。 ちなみに、その営業所からは通常5分位で着く距離だと、地元の方が説明してくれましたが、到着するまでに随分と長時間を要していました。




物乞い・たかり・つきまとい   出会うことは殆ど無いと思いますが、念の為に注意されてください。

 お遍路の道中で多くの方々から道案内や応援の声掛けを受けます。 そして心温まるお接待を戴くこともあります。 有り難いことです。 然し、極めて稀に応援の素振りを示しながらお遍路さんに近づき物乞いや金品をたかる不逞の輩も稀にいるのです。

実体験】  西条市の氷見地区での出来事でした。 自転車に乗った60歳過ぎの小柄な男が女性のお遍路に声掛けしてきました。 段々と身の上話を話し、職を失い年金支給まで不自由している等々と話を続けお遍路の歩みを止めて行く手を遮り、そして金銭をせびりました。 気弱な女性遍路さんは1,000円を施してその男から離れました。 善意善良な地元の方々の中にも極めて稀にですが、お遍路に災いする不心得者もいるのです。

実体験】 香南市の物部川付近での出来事でした。 60歳前後の男が待ち構えていたかのごとくに声掛けしてきました。 法華経云々とか、何とか学会とか、地獄に堕ちるなどとか… の怪しげで愚かしい話を投げかけながら、嫌がるお遍路さんにつきまとい始めたのです。 立ち退くように注意をしても、物の怪に取りつかれているのか…或いは邪教に洗脳され社会常識も欠落してしまったのか…、離れようとしないのです。 しばらくの間、追い払っても追い払ってもついてくるのでした。 異端宗教に毒され、亡者に堕ちてしまった愚かで浅ましい有様を見せつけられた、不快でおぞましい体験でした。 女性のお遍路さんを狙っている様子でしたので注意をしてください。 地元の方々の見回りに期待したいものです。




納経所   僧侶を含め寺院の方々も十人十色、ピンからキリまであります。 稀にですが、傲慢無礼で冷酷な仕打ちに遭うこともあります。

 お遍路の道中には八十八箇所の寺院もありますので立ち寄ります。 経文を唱え参拝した証として納経帳などで料金を支払い墨書・朱印を受けます。 「お疲れ様…」・「気を付けて…」などの気遣いや普通の応対をしてくださる納経所がほとんどなのですが、一部の納経所では お遍路さんを見下した様な浅はかで傲慢無礼な応対をしてしまう世間知らずの愚か者も稀にいるのです。

実体験】  宇和海沿いでの出来事でした。 勤行を唱えて納経所に立寄りました。 こちらからは「お願いします」と挨拶し、料金を添えて納経帳を差し出しました。  …ビックリでした。 …なんと! 記帳を済ませた納経帳を投げて返してきたのです。 墨染の袈裟姿の方でした。 極めて狭い宗門世界に長く安住しているからでしょうか、社会常識と極端にかけ離れてしまっている愚か者も中には存在するのです。

実体験 猛暑や厳寒の時期に体験する出来事です。 納経所で記帳を済ませ、料金を支払い、納経帳等の返却を受けた後の収納しているタイミングで遭遇します。 冷暖房の効いた室温を維持するためなのでしょか、お遍路さんの面前でガラス戸などを ピシャ と無表情で締め切る納経所もあります。 「暑いのに…」、或は「この寒いのに…」と あからさまに寺院側の立場や自己都合を最優先しただけの無配慮な対応にさらされると、お遍路の心も 凍り付かされてしまいます。 …炎天下を歩き、或は寒風の中を耐えて参拝し 納経所を訪れて 割高な料金を支払っているにも拘らず、少しの我慢や僅かな心配りも無い傲慢な態度と冷酷さが お遍路さんの全身に突き刺さります。 伊予の国の一部の寺院では 何故か、淋しい思いを感じさせられてしまいます。

実体験 近頃、殆ど全ての人が携帯端末機器類を利用しており、寺院関係者や僧侶達も同様に通信端末を日常生活に活用しています。 身近に情報の溢れる時代であっても、一般社会ではお客様を迎える接客カウンターや受付応対などの場所では携帯端末機器類を業務中に私的使用することを厳に慎みます。 これは守るべき最低限の礼儀・マナーだからですし、札所の納経所でも同じことだと思います。 体験上での判定ですが、雇われている納経所の職員さん達は一般社会に住いし生活していますので業務中に携帯通信機器類を使用してはならないという最低限の礼儀やマナーを知っており遵守しているようにも思います。 しかしながら、寺院の身内や僧侶達の中には納経所で携帯端末機器を無造作・無頓着に使用している姿をお遍路さんの前で見せつけていることがあります。 そして驚くことに、納経帳等に朱印墨書し料金の授受を終えるや否や、お遍路さんの面前で携帯端末機器類を手に取り操作を再開し熱中する無礼な所作を見せつけられる場面にも出くわすことも多くあります。 反面教師として受け入れるには、余りにも軽薄で愚かな姿を無様に晒している札所の僧侶や納経所もあるのです。

実体験】 一部の寺院で納経帳の冊数制限に固執している納経所があります。 何故か?は 理解し辛いのですが、納経所側の姿勢には「邪見にまみれた傲慢さ」と「偏見に固執する浅はかさ」そして「遠来の信者を愚弄する邪鬼の哀れ」を お遍路の全ての方々が感じ取っています。 八十八箇所霊場の納経所の場で、遠来のお遍路さん衆目の前で、お遍路さんの清浄な祈りの心を傷つけている悪行を 寺院自らが率先して犯していることにも気づかずに、納経の冊数のことで憤り、罵り合って、争っている状況を 敢えて衆目に晒している僧侶や寺院関係者には 呆れ果てる他に対応する術を持ちえません。 原点に返って「納経とは、御本尊様や御大師様に写経や経文読誦を納めることであって、対価(\300/冊)を支払ってまで 納経帳に墨書朱印を記することでは無いことを 思い起こす必要があります。 参拝者自らが「破邪の剣」で打ち砕く意で、邪鬼の巣食う納経所への立ち寄りを拒絶し 拒否することも 必要な時代になってしまったのでしょうか…⁉。




先達及び先達もどき   いわゆる先達と称される人達にもピンからキリまでいて、そのほとんどは歩き遍路未体験者です。

 四国88箇所札所寺院を巡った経験者を先達といい、そうした経験者の内でも四国88箇所札所寺院を四回以上巡ったうえで霊場会の認定を得た人達を「公認先達」と称しています。 ですが、この巡る回数には団体バスで巡るのも・自家用車で巡るのも・歩き遍路で巡るのも・その他の方法で巡るのも、一回は一回としてカウントされますので先達としての経験レベルや深みには極めて大きなバラツキがありますし、公認先達の人数も数万人の単位で存在しているのです。 そもそも本来のお遍路とは徒歩で巡る「歩き遍路」を指し、それ以外は一般に「札所巡り」「霊場巡り」といいます。 驚くことですが、数万人も存在する公認先達のほとんどは「札所巡り」や「霊場巡り」の先達さんであって、本来の「歩き遍路」は全く未経験者の素人さんなのです。 数多の公認先達のなかで歩き遍路体験を有するのは極めて一握り先達のみであって、極少人数しか存在していないのです。 公認先達の中では「○○先達」とか「△□先達」とかの名称を誇示し外面を着飾るように格差をつけているようですが、煩悩の塊である先達名称や外見に惑わされないようにしてください。 本来のお遍路である「歩き遍路」未体験者が外面を装飾して、その実態を見透かされないように足搔いているのが大多数の姿なのです。




お遍路シール   お遍路シールが剥がし棄て去られ、大幅に少なくなっています。

 歩き遍路さんにとって道中に貼られている「遍路シール・道標」はありがたいものです。 四国島外から来訪するお遍路さんにとって四国島内での「方向・方角」や「道順」等は全くの不案内ですし、地名等は殆ど全てが初めて耳にする言葉です。 四国島内に住まいする方々でさえ、道順や方向方角を間違えることもあるのですから、遠来の四国島外のお遍路さんが不安を抱き道順を間違い困窮するのは当然のことだと思います。  そうしたお遍路さんを導いてきたのが江戸時代であれば真念法師の建立された「真念しるべ石」であり、明治時代であれば中司茂兵衛聖の「道しるべ石」であって、平成の時代の現在では電柱やガードレール等に貼られている「お遍路シール」だと思います。 もしも、このお遍路シールが無いと仮定しますと、ほぼ全ての歩き遍路さんは地図と磁石で遍路道を探しながら、不自由・不案内で見知らぬ土地を不安に駆られながらの苦しい道行きを強いられることだろうと容易に想定されます。
 
注意をして欲しいのですが、最近、各行政体がお遍路の案内シールを貼付していますが、行政の案内シールを貼るに併せて既存の「お遍路シール」を剥がし棄て去っています。 案内シールは行政目線で貼っていますので、道不案内のお遍路さん目線には映りにくい場面や場所も多くあります。 既存のお遍路シールの剥がし棄て去られたことに因り歩き遍路さんが道順や方向を間違え戸惑うことも増加しています。 お遍路さん、お遍路地図は必ず持参し要所要所では位置と方向を確認しながら歩き遍路を続けられてください。


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