二人の男性とわらじの会の鈴木さん達と、4人でアパート探しをしました。しかし何件あたってみたものの、みんなことわられてしまいました。

やっとみっかっても新築はダメ「障害者はことわる、火事でも起こしたら困るよ」と大家さんの一言で、また、探してなんにちかんたって鈴木さんが、アパートを見つけてきてくれて、そこのアパートはたって10年になり少しの改造はいいと言ってくれました。

聞いたら不動さんが、わらじの会の人で、しかも大家さんが、不動さん屋の娘だとかんちがいしたそうです。それで、アパートに入れたんです。

場所は谷中耳鼻科から歩いて10分ぐらいでさっそくアパートを見に行きました。

見に行ったら「ええ、私が住むのやだな」と言ってしまいました。

みためは古く、今にもこわれそうな家でした。私は今まで60坪の家に昼間は一人で住んでいたのにアパートを見たらショックが大きくてこのことをみんなに言ったら「あんたはぜいたくだよ」と言われました。

この生活があたりまえなんだから、家族で住む人だっているんだし、あんたは一人よ」何人かのおばさんに言われました。

家出をしてなんにちかんたって、お金がなくなってきて社協に借りに言ったりしながら、生活保護申請に市役所に組合事務所の人と行きました。

どきどきしながら生活保護課に行きました。

申請に言ったら、狭い部屋にいかされて、前には課長、係長、ケースワーカがいました。「生活保護とりたいの?」私「はい」「なんで施設に入らないの?」私「施設は入ったこともありますし、アパート暮らしをしたいんです。両親は、私を食べさせることはできないんです。」「生活保護は働けない人や生活に困っている人が取るお金なんです。私「私も困っています。お金もないし食べるものも食べていません、けさも知り合いが作ったのを食べさせてもらいました。

お金がないときは塩と水しか飲んでいません、」「それにしてもおたく顔がまあるくてツヤツヤしているね」そのことをほんとかどうかたしかめに介護者に電話をケースワーカがしました。

「野島さんは、水と塩しか飲んでいないと言っていますが本当なんですか?」

介護者「はい、本当なんです。けさだってお腹がすいたと言ってきてパンと牛乳をあげたんです。」2時間かけて生活保護をかちとりました。

それからすぐにヘルパーの申請に行きました。

春日部はヘルパーが4人しかいなく、全部高齢ヘルパーなんですと言われ申請は高齢福祉に言ってください、私「そんなこといったって」そのことを山下さんに言いました。

今度は、山下さんと行きましたがカウンターの前でもめました。

もめあいになって6月にヘルパーがくるようになりました。

ヘルパーに週2回派遣してくれましたが、それだけでは生活が成り立たなくて、自分では、風呂にも入れず介護者募集のビラを作って駅でまいたり、当時はパタパタがお店だったので、店のお客さんにビラを配り二人きてくれるようになって、あとは、黄色い部屋に出入りしている佐藤さん、大日方さんにも頼みました。

しかし古くからわらじに関わっている人は、いい顔しません「なんであとから来た人が自立ができて、まだ自立ができない光子さん、幸子さんがまだなのに、あなただけさきではずるいわよ、介護者になってくださいなんておかしいわよ」と言われました。私は、とても悲しかった。

一人暮らしをした年は、筋肉痛になって私が動けなくなり、ヘルパーを毎日派遣してほしいとか、ひざに水がたまり動けなくなり、そんな日々が続きました。

そのたびに、はばたく家の専従を使ったりもしました。

 

                       第5話へつづく