愛すればこそ
ジタンの傷がだんだん増えてゆく。
昨日までは目の周りに青タンをつけていただけなのだが、今日は右頬に紅葉腫れが付け加わった。小さな可愛い手形で、むろんそれをつけたのはガーネット=ティル=アレクサンドロスというお姫様だ。
「いい加減、あきらめたらいいのに」
地面に大の字になって寝転がるジタンの横で、ビビがちっちゃな膝を抱えてため息をつく。
「諦める!?ジタン様の辞書にそーゆー言葉はないっ!」
がばっと起き上がってジタンは握り締めた拳を振り回した。
「それに、お前だって男の端くれだろ?やっぱ見たいと思うだろ??こんな近くに絶世の美人がいるんだぜ!それで燃えなきゃ男じゃないぜ!」
「だって、ダガーのお姉ちゃん、嫌だからジタンのことぶつんでしょう?」
「ちっちっち、ビビ、分かってないなあ。古来女性は”いやよいやよも好きのうち”なんだ!」
腰に手を当て右手の人差し指を揺らしてジタンがウインクする。
「じゃあ、きらいよ、とか最低、とかいうのは、相手のこと好きだっていう証拠なの?」
ビビの素朴な疑問にジタンは大きく首を縦に振る。
「そのとおり!」
「じゃあ、ダガーのお姉ちゃんはジタンのことすっごく好きなんだね。ばかとかきらいとかあっちにいってとか最低とか、いっつも言ってるもん」
「う…」
かなり複雑な気分でジタンは引きつり笑いを浮かべた。
「とにかくだな、今夜はここ、ピナックルロックスで一晩過ごすわけだ。ここだぞ!?自然の渓谷!天然の風呂!」
「…お湯じゃないけど」
「いいんだ、そんなに寒くないから。おーい、ダガー〜!一緒に風呂はいろーぜー!」
ふらふらと尻尾を振って能天気に姫君を呼びながら姿を消したジタンは、次の瞬間ものすごい勢いでビビの前に跳ね飛ばされてきた。
「く、くそおぉ、ラムウのじっちゃんが味方についちまって簡単に手出しできねえ!!」
鼻血をたらしながら悔しがるジタン。
「あの、もう止めた方が…」
「諦めたら、そこで試合終了ですよ、なんだぜ!俺はやるぜ!諦めねえぜ!」
燃える炎を背負って再トライ、と思いきや、彼は今度はしこしこと木の枝を集め始めた。
「何するの?」
「秘儀、隠れ蓑だ!」
「…それって覗きって言わない?」
頭から木の枝と草の束を被って振り向く哀れな男をみて、ビビはまたもやため息をついた。
「ボク、男の哀愁が分かるような気がするよ」
ジタンに聞こえないようにぽつりと洩らす、苦労人ビビだった。
当のジタンはビビの気苦労など少しも目に入っていない様子で、なんとかガーネットの素肌を拝見しようとあの手この手を試していた。
だがせっかくの秘儀隠れ蓑もあっさりガーネットに見破られ、ジャーマンスープレクスをお見舞いされてしまった。
もはやこれまで。そう悟った満身創痍のジタンは、がっくりと肩を落としてとぼとぼと歩き出した。
「こんな狭い渓谷でさ、妙齢の男と女がいてさ、俺はこんなに頼りがいのあるかっこいい男なのにさ、女一人落とせないなんて・・・世の中間違ってるよな」
うつむいて足で小石を蹴っ飛ばすジタンの姿は、かなり哀れを誘うものがある。
ビビはいたたまれなくなって、顔を上げた。
「分かったよ、ジタン。ボク、ちょっと頑張ってみるよ!」
「は?」
「ジタンは水浴びでもして、ゆっくりしてて。ボク、お姉ちゃんにちょっとお話してみるから」
「待てよ、ビビ!話すって何を…?」
ジタンが止める間もなく、ビビはとてとてと駆け去っていった。
一体何を話すつもりなのやら、何をするつもりやらちっともジタンには分からない。だが、そういうことをうだうだ考えてしまうタイプでもない。
彼は肩を竦めてため息混じりに独りごちた。
「しょうがない。今日のところは諦めて、気分転換にビビ様のおっしゃるとおり水浴びでもしますか」
渓流の透き通った水にぷかぷかと浮いていると、木々の間からのぞく狭い空の紺色が目に沁みた。
瞬く数え切れない星がきれいだった。
ぼうっとそうして星空を眺めていたジタンの耳に、不意に誰かが水に入ってくる音が聞こえた。
「げっ!?」
慌てて川の中央の小島に身を隠す。その影からそっと水音がした方を覗いて、彼は絶句した。
(だ、だだ、だがーぁあああっ!!)
ビビと連れ立って、水辺にやってきたのはガーネット姫だったのである。
ジタンはその場に硬直してしまった。
あまりの展開に心臓が口から飛び出しそうである。
「ビビ、ジタンが来ないかどうか、見張っててね」
笑いながらガーネットが軽い調子で言った。ビビは礼儀正しく(?)後ろを向いたまま、コクンと肯いた。
その仕草が可愛らしくてたまらないらしく、ガーネットはこの上なく優しい表情で笑うと、おもむろに服を脱ぎ始めた。
いかん!やばい!
今まであれほど見たがって様々な手を使って挑戦していたはずなのに、ジタンは思わず胸のうちで叫んでしまう。
見ちゃ駄目だって!俺ってばよ!!
かなり自分を叱咤するのだが、ぎんぎんに血走った目がどうしてもそこから外れてくれない。
だが幸いなことに――というか残念なことに、あと少しで胸が!というところまで服を脱ぐと、彼女はビビのもってくれていた布をすっと取って、体に巻いてしまった。
ほうっ、とジタンは全身の力が全部抜けてしまうようなため息をつく。
と、それと同時にぼたぼたと鼻血が胸元に垂れてきた。
うげ。
慌てて鼻面まで水に浸かる。
ここに動揺しまくっている男がいることなど露知らず、ガーネットはすらりと伸びた白い足を水に浸した。
「気持ちいい。ビビも一緒に水浴びしない?」
ガーネットの甘い優しい声が風に乗ってジタンの耳元まで流れてくる。
鼻血が更に噴き出した。おまけに心臓の鼓動が頭のてっぺんを突き破りそうになる。
(何で俺はだめでビビならいいんだよ!)
独りで突っ込むけれど、それ以上にドキドキが激しくてどうにかなりそうだ。
そのとき、ビビが不意に尋ねた。
「ガーネットのお姉ちゃんは、ジタンのこと、嫌いなの?」
「え?」
と、聞き返してしまったのはガーネットだけではない。岩の影でジタンも思わず口に出し、慌てて自分の口を手で押さえた。
「と、突然何を言い出すの?ビビったら」
白い真珠のような肌を胸元までぱっと赤く染めて、ガーネットはうつむいてしまう。
ジタンがもしその場にいたら、そのあまりの美しさに卒倒してしまうか失血死してしまっただろう。鼻血の吹きすぎで。
「ねえ、きらいなの?」
「そんなの…わからないわ。――でも、嫌いじゃないわ」
純粋なビビの純粋な問い。無垢な少年の質問を嘘でごまかしてしまう事などガーネットにはできなかった。
「じゃあ、どうしてお姉ちゃんはジタンに冷たいの?」
「冷たいかしら…そんなつもりはないのだけど」
(冷たいって言うより凶暴なんだよな)
岩の影でぶーぶー突っ込むジタン。
「ボク思うんだ。ジタンはきっと、おねえちゃんと仲良くしたいんだよ。でも、どうやったら仲良くなれるかわかんなくて、あんなふうに 怒られることばっかりやっちゃうんだと思う」
「・・・」
ビビの言葉を、ガーネットは黙って聞いている。
「それとね、気がついたんだ。おねえちゃんがジタンを叩いたり殴ったりぶちのめしたり、プロレス技かけたりチョップしたり、ぎったんぎったんにしてるとき、おねえちゃん、なんだかすごく明るい顔してる。遠い世界のお姫様じゃなくて、ボク達の隣にいてくれてるって感じがするんだ。だからジタン、おねえちゃんにそういう顔させたくて、ちょっかいかけてるんじゃないかな」
(違う!ビビ!それは違う!!俺は殴り殺されたくないぞ〜!!)
「あのね、ビビ。私は確かにジタンを殴ったり投げ飛ばしたりプロレス技かけたりしたことあるけど、チョップとかぎったんぎったんに簀巻きにしたりしたことはまだないわ」
(まだ、って何だ!まだって〜!!???)
ジタンの顔からすーっと血の気が引く。
「あ、うん、ごめんね、言い過ぎちゃったかなボク」
「ううん、いいのよ。これからそのとおりになるかもしれないし」
(はああああ!?)
すでにジタンは息の根が止まる寸前である。
「そんなに嫌いなの?」
ビビが思わず振り向きかけ、そして慌てて帽子のつばを引き下ろし、正面を向きなおした。
ガーネットは、水に濡れた長い黒髪を胸に垂らして月を見上げていた。青白いガイアの月光が、濡れた彼女の細い体を美しく浮かび上がらせる。それはこの隠された渓谷に相応しい、幻想的な美しい光景だった。
しばらくの沈黙の後、ガーネットは静かに口を開いた。
「ううん。好きよ――多分」
それから恥ずかしそうにすぐ頭まで水に浸かった。
「こんなふうに、自分を心の底からさらけ出しても平気でいられる人に、初めて出会った気がするの。ううん、そういう人は今までもいたはずだし、そして小さな頃はきっと平気でさらけ出していたはずなのに…いつの間にか、隠すことが普通になっちゃったのね」
ガーネットは水に仰向けに浮いた。顔と白い胸元のシルエットが水の上に浮かび上がる。
「でも、ジタンの側にいると、隠さなくていいの。すごく、楽になれるの。…それが好きってことなのかどうかは、まだ分からないわ…。それにジタンだって私のこと好きかどうか、分かったものじゃないでしょう?だってあの人、ちょっとでも可愛い子を見たら、見境なしに声をかけて回るのよ?信じられる?そんな人がいくら私に好きだって言ったって、簡単に信じられやしないと思わない?」
「う…ん…」
「そんなことないぞ!!」
突然、向こう岸の近くの岩場から声が飛んだ。
ぎょっとしてガーネットが思わずその場に立ち上がる。無論布を体に巻きつけたままである。
だが一方のジタンは、やもたてもたまらず岩場に飛び上がったものだから、一糸まとわぬあられもない姿を月光の下に晒してしまった。
「俺は…」
「きゃあああああああ!!!!」
絶叫がピナックルロックスに響き渡る。
ジタンは最後まで言葉を続けることが出来なかった。
次の瞬間、空気を劈くような雷鳴と稲光が彼を直撃したからだ。
目を覚ましたのは明け方だった。
大きな木の根元に寝かせられて、額には濡れた布が置いてあった。薄い毛布をはねのけて、慌てて飛び起きるジタン。
「だ、ダガーは?」
きょろきょろと辺りを見回す。
「ここにいます」
ぶすっとしたまま反対側からガーネットが姿を現した。手に湧き水の入ったカップを持っている。それをどんと乱暴にジタンの目の前に置いた。
「お水」
ぶっきっらぼうに言ってそっぽを向く。だが、ジタンの側からすぐに離れていこうとはしない。
「ビビは?」
「薪を拾いに行ってくれました。ジタンが風邪をひくといけないからって」
「風邪、ひいちまったみたいだ」言ってジタンは大きなくしゃみを二発した。
「大丈夫ですか?」
と、思わず心配そうにジタンの顔を覗きこみかけたガーネットは、はっと気がついてまたそっぽを向いた。
「ひどいわ。あんなところで覗き見しようとするなんて」
口を尖らせるガーネット。
あれはわざとじゃないんだと言い訳しようとしたジタンは、思いなおして口を閉じた。
「悪かったよ。もうしないよ。見ません。いくら見たくても我慢します。誓います。――これでいい?」
「もう」
いくらしかめ面を維持しようとしても、いたずらっ子みたいにガーネットを下から見上げるジタンの仕草や表情に、思わず口元が解れてしまう。
「誰にでもすぐにそうやってなつくから、だから分からなくなるの。きっと私も他の女の子たちと同じなんだろうって?」
「違う!それだけは絶対違う」
力を込めてジタンは言った。
「あんまり真実味ないかもしれないけど、ダガーは他の女の子とは違う。なんか違うんだ。いつも一緒にいたいと思う女の子なんてこれまでいなかった。ダガーとは…その…ずーっと一緒にいてもいいかなって…」
「ジタン…」
「ダガーは、特別なんだ」
ジタンはガーネットの肩をつかむ手に力を込め、そっと引き寄せた。
ガーネットのつぶらな黒い瞳が見る間に潤む。
(いいっ!いいムードだぜ!これで一気にぶちゅーっと!)
ここぞとばかりににジタンは目を閉じて唇を突き出した。
ところが。
「あら?」
突如胸元から聞こえる可愛らしい疑問符。
どきっとしてジタンが目を開けると、彼のはだけた胸元から白い紐が覗いているのが見えた。目ざとく見つけたガーネットがその紐の端を握って引っ張る。するすると出てきたのは……。
「どーして私の下着がこんなところにあるのですか!!!???」
純白の可愛い下着を手に握り締め、ガーネットは仁王立ちになってふるふると怒りに震えた。
「いや、あの、つまりこれも愛情の表現だしさ、あの、やめて!おねがい!許して!!」
こうして、彼らがピナックルロックスを抜けるまでに、数日が無為に費やされたのであった。
ちゃんちゃん♪
捧げた短編でございます。
私が原案を練って、☆に漫画化していただこう!なんて僭越極まりない考えを起こしまして、送りつけた代物でございます^_^;そのくせ、まさに親父ギャグ、『内容が、ないよう!』なハナシで、ごめんなさい、(><)
でも、いつか☆さんの素敵な絵でこれが見事なマンガに生まれ変わることを夢見てます〜vv(←図々しい奴ここに極まれり)