3. epilogue〜そして、前兆


 メリダアーチは閉ざされていた。
 ここで戦闘があったらしいことは、船主の言葉から察していたが、しかしまさか閉鎖されているとは思いもしなかった。ジタンはがっくりとその場に膝をついた。
「どうしろって言うんだ…どうやってブルメシアに行けばいいんだよ…」
 人影一つ見当たらない。深閑とした静寂が横たわる石造りのアーチに、ジタンの嘆息だけが響く。
 と、そのとき背後の草むらが動いた。とっさにジタンは振り向く。期待に満ちた顔。船主が現れたと思ったのだ。
 だが意に反して姿を現したのは緋色の外套を羽織った丈の高い人物だった。外套と同色の帽子をかぶり、長い槍を手にしている。そして――尻尾があった。自分のそれとは明らかに違う細い尻尾だったが、だがジタンの警戒心を幾分か柔らげる効果はあったようだ。緊張を解いて相手の顔を見上げ、彼はあっと息を呑んだ。
 相手は女だったのだ。
「あんた、誰だ?」
「おぬし、ここで何をしておる」
 ほぼ同時に誰何し…そしてほぼ同時に二人は答える。
「旅の途中なんだ」
「ただの旅人だ」
 その波長の合い具合に思わず噴き出しそうになりながら、女は握り締めていた槍を下ろした。
「まだ若いな。幾つだ」
「13。――いや、9月生まれだから14になったばっかりだ」
 家を出てから一月が経つ。いつの間にか誕生月を迎えていたのだと、今更ながらジタンは気づく。
 だがそのジタンの返答を耳にした女は、帽子の下の細長い口元を困惑したように歪ませた。
「9月で?…おかしな奴じゃ。今は1月だぞ。いつのことを言っておるのじゃ」
 一瞬、ジタンは自分の耳を疑った。
 さっきの戦闘で頭がやられてしまったのかもしれない。それとも幻聴が聞こえるようになったのだろうか?
「1月…今、1月とか言ったか?」
「ああ。言った」
 短く応えを返すと女はふと目を細めた。検分するようにジタンの姿を眺め、それからおもむろに口を開く。
「そういえば、おぬし…アレクサンドリアは四季を通じてそれほど寒暖の差はないが、それにしても肌寒くは思わんのか?そのいでたちで。――どう考えてもこの気温は9月ではなかろう」
 言われて初めてジタンは寒気を感じた。確かにむき出しの腕に鳥肌がたっている。あまりに衝撃的なことが続きすぎて、感覚が麻痺していたのだろうか。だがそれにしても、一足飛びに数ヶ月も時を越えることなどあるわけがない。やっぱり自分の頭がおかしくなったに違いないと、ジタンは真剣に思った。
「おぬし…もしや時の迷いの森を抜けてきたのか」
「ああ…うん、さっきやっと抜け出てきたばかりだ。けど、どうしてそれが分かるんだ?」
 女の目が更に細められる。
「あの森にはいわれがあるのでな」
「いわれ?いわれって…それってどういうことだよ」
 しっ、と女がジタンの言葉を遮った。
「静かに!気配が近づいてきておる。2人…いや3人か」
 僅かに首を傾けて背後の林に意識を集中させ、彼女は手にした槍を構えた。実にさまになっている。かなりの手練に違いない。
 一体この尻尾の女は何者なのだろう。疑問がジタンの頭をかすめる。
「あんた、追われる様なことしたのか?」
 女は軽く口の端を曲げると、意外にも美しい緑の目でジタンを見下ろした。
「私はブルメシアの民じゃ。昨今のアレクサンドリア兵は、閉鎖されたアーチを越えた者を不法侵入者と見做すらしいのでな。その理屈で行けば、立派な犯罪者になるというわけじゃろう」
「ブ、ブルメシア!?」
 思わず大声を上げそうになったジタンの口を女の大きな手が塞ぐ。
「黙れ。――来るぞ!」
 しゅんっ、と、唸りを上げて飛んできた数本の矢を女は持っていた長槍で叩き落した。だがその槍をかいくぐった一本が、ジタンが背にしていた木の幹に突き刺さる。顔の真横で揺れている鏃を横目で見やり、ジタンはごくんと生唾を飲み込んだ。
「お、俺までまきぞいかよ〜」
「情けない声を出す間があるならおぬしも剣を抜け!」
 言い置いて、女は一気に茂みに向かって駆け出した。
 一難さってまた一難とはまさにこのことだ。涙目になりながら、仕方なくジタンは腰に下げたナイフを探った。例の大して役立ちそうも無い切り出しナイフだ。――が、手に当たった柄が、いつもの感触と違う。引っ張り出したナイフを目にして、ジタンは今度こそ本当に息が止まるかと思った。
「オリハルコン!」
 滑らかな青い玉の柄。透き通った薄い緑の刃が光を弾く。
 いつの間にかあの船主が差し替えていたに違いなかった。せめてもの餞別、ということなのだろうか。
 自分の力でこの短刀が使いこなせるかどうかは甚だ疑問だったが、しかし切り出しナイフよりは余程心強い。ジタンはしっかりとその柄を握り締めた。
「恩にきるぜ…船主の旦那!」
 そして彼もまた女の後を追った。

 フードの男は、魔物に会うことも無く西側の道から森を抜けた。そう…今この森には魔物の影も無いのだ。二つの月が一つに重なり、霧が取り払われてからこのかた、大地は平穏を取り戻していたはずなのである。
 森を抜け出したことを確認してから、男はほうっと深いため息をつき、かぶっていたフードを払った。光を弾くまぶしい金髪が零れ出る。そして彼は西を向いた。風がチョコボの鳴き声を運んできたのだ。澄んだ碧い瞳が、溢れる光のカーテンの向こうに微かに見えるチョコボの姿を捉えた。
「父上!」
 騎乗していた黒髪の少年が頬を紅潮させてひらりとチョコボから飛び降りる。
「どこにいらしていたのですか。母上がそれはそれは心配なさって…大変だったのですよ!」
 手綱を牽いて父親に歩み寄りながら、少年が問う。少々とがめるような口ぶりである。
「お前…その堅苦しい喋り方はよせって言ってるだろう。父さんでも父ちゃんでも親父でも構わんから、父上だけはやめてくれ」
 軽く矛先をかわそうとする父親だが、賢しい息子は簡単に逃しはしなかった。
「暢気なことを言わないで下さい。城をどれだけ留守にしていたかちゃんとお分かりですか!?」
「やはり――数ヶ月経っているのか?」
 父親の返答に微妙なずれがある。だが少年は敢えてそれを取り沙汰しようとはしなかった。むしろさり気なくそのズレを修復しようとする。
「明日が僕の誕生日です」
「15のか」
 男は即座に応えた。
「…それだけは覚えていてくださったのですね」
 父親の顔を軽く覗きこみ、揶揄するように少年が言った。

 息子の誕生月は1月である。
 彼が城を出たのは9月――夏の終わりだった。だがそれから自身の感覚の中では一月が過ぎ、さらに森から抜け出たこの現実の世界では、今現在四ヶ月が経過しているという。これも時の迷いの森の悪戯なのだろう。
 せわしなく頭を回転させながら、一方で全く関係の無い軽口を叩きつつ男は歩き出す。
「減らず口だな。誰に似たんだろうな、まったく」
 その歩調に合わせ、少年も後をついてゆく。
「母上からはよく父上にそっくりだと言われます」
「外見はな。だが頭の中身はどっちかというと母さん譲りだと思うぞ」
「そうでしょうか?」
 黒髪の少年は半分承服しかねるように片眉を上げた。この息子のよくやる、「穏やかな抵抗」である。
 男は肩を竦めて、さらりとその瞳を受け流した。
「まあ、いいさ。――とにかく、こちらも四ヶ月経過したってことだな」
「こちらも…?」
 耳ざとく聞きとがめて少年が復唱する。そう、この少年は…母親譲りで賢いのだ。
 男は大きな手を少年の頭に置いた。くしゃくしゃと撫でると、髪に隠されていた銀色の小さな角が露わになる。その角を見下ろして、男はほんの一瞬悲しい色を目に浮かべ――それからその不安を振り切るように顎を上げて前を向いた。
「ルシアス、お前、時の迷いの森の伝説を知っているか?」
「いいえ」
「だろうな。俺も昔、仲間から教えてもらったんだが――それまで、そんな話は聞いたこともなかった」
「仲間?」
 父が仲間と言うからには、あの有名なガイアの戦役の折の戦友たちを指すのだろうが、だがその中の誰を示しているものか少年には分かりかねた。とはいえそれ以上に知りたいのはその「森の逸話」である。彼は父親そっくりな澄み切った碧い瞳を好奇心でいっぱいにして、当の本人を見上げた。
「いったい、それはどのような伝説なのですか?」
 父親は、遠い記憶を手繰りよせるように、眼差しを地平の彼方に投げかけて静かに語り始めた。

「違う時に運ぶのじゃ」
 手慰みに燠を枝で転がしながら、遠い目をして女は語る。
「違う時?」
 向かいに座ったジタンは小首をかしげた。まだ幼さの残る仕草に、女の瞳がふっと和らぐ。
「ああ。そう言い伝えられておる。時を惑わされて生き返ったものはおらぬのでな…真実は謎に包まれたままじゃが、全ての者がそうして惑わされるわけでもない。また、単に道に迷った挙句に生きて森を抜け出た者もおらぬではない。しかるに、様々な事象が織り合わさって、一つの伝説が生まれたのじゃ。森が時を変えるのはある決まった『時』だとな」
「決まった時って…」
「地に火種がまかれ、災厄が大地の縁を満たす時、じゃ…その前触れとして時空が鳴動し――森は時を歪ませる」
 まるで預言者の語る神の言葉にも似て、その呟きは林に囲まれた小さな窪地に染み渡る。
 ジタンは目を丸くしてぶるぶると頭を振った。
「冗談じゃない…じゃあ、じゃあもうすぐ争いが起きるってことかよ」
「争い?そうじゃな。早晩、この国も、わが祖国も麻の如く乱れ、騒乱の只中に置かれるのかもしれん」
 冷笑を含んだ声音で女は軽く予言する。ジタンは咄嗟に、弾かれたように立ち上がっていた。 
「そんなことあるもんか!今までだって――リンドブルムとアレクサンドリアだって、ちっちゃな小競り合いはやってるけど、その争いが大きくなったためしなんかないんだからな。いい加減なこと言うな!それに、それにもしそんなことになったら、俺、故郷を探せなくなっちまうじゃねーかよ!」
 両足を広げて両拳を握り締め、大真面目な顔で喚く。女は少しばかり驚いたような顔でジタンを見上げ、それから上目遣いで僅かに顎を引いた。
「おぬし、故郷を探しておるのか」
 思わず事情を暴露してしまったジタンは、己の失態に狼狽を隠せない。どうにもこうにも言い逃れはできなくて、仕方なく全部をぶちまける。
「う…ああ。あてもなくだけどな。俺、生まれたところを知らねえから」
 女の幽かな笑みがほんの少し深くなった。
「そうか。では仲間じゃな。私も放浪の身なのじゃ。故郷にも等しきものを探しての」
「え?」
 ほんの一瞬、俯いた女の顔に儚げな影が差したのを見て取って、ジタンは目をしばたたかせる。だが、すぐに彼女は目を上げた。見開かれた緑の眼はしっかりとした意志と強さを物語っている。さっきのは錯覚だったのかもしれないと彼は思った。
「では、ゆくか、少年」
 女は腰を上げた。長身を包む緋色の外套が、冬の明け方の濃紺を払い除ける。
「へ?」
 展開の速さについていけないジタンは素っ頓狂な声をあげ、それからまた目をぱちぱちとまたたかせた。
「何で俺も一緒に行くわけ?」
「袖ふりあうも他生の縁じゃ。これも何かのえにしであろう。さあ、つべこべ言わずにゆくぞ!」
「ちょっ…勝手に決めんなよ!」
「おぬし、ブルメシアに行きたいのじゃろう。では私について来たほうが得策じゃ。私は祖国に戻る途中じゃからな。おぬしは運がよいぞ。」
 ブルメシア、を盾にとられては、もうジタンに反駁のしようはない。
「うう〜」
「それに、路銀稼ぎも二人のほうが楽だしな」
 さらに追い討ちをかけられて、とうとうジタンは頷く羽目になってしまった。
「うう〜〜わかったよ!行ってやるよ、一緒に!!」
 その瞬間、しゅっ――と、喚くジタンの喉元に槍が突きつけられた。ぎょっとして彼は目を剥き、そのままごくりと唾を飲み込む。それからゆっくりと目玉だけを下に向けた。切っ先は彼の喉のほんの一寸手前でぴたりと止まっている。見事な寸止めである。
「行ってやるよ、ではなく、連れて行ってください、じゃ。言葉の使い方は覚えた方がいいぞ。少年」
 張りのある響きの良い声で女は言い、不敵に笑った。
「く…くっそおおおっ!分かりました!連れて行ってください!これでいいんだろ、これで!」
 やけくそになって大声で怒鳴り散らすジタン。
「覚えは早いようじゃな」
 すっと槍を収めると、女は踵を返してすたすたと歩き始めた。
 慌てて後を追いながら、それでも精一杯仏頂面をこさえてジタンは口を開く。
「あんた――」
 だがまたもや同時に女も口を開いていた。
「名前は?」
 二人は一瞬顔を見合わせ、それから弾かれたように大笑いする。
 私はフライヤじゃ。
 俺はジタンってんだ。
 素っ気無くあっさりと、自己紹介をかわす。
 やがて二人の姿は、日の射し初めるメリダ・アーチの脇の山道に消えて行った。
 
 このとき。
 時の迷いの森だけが知っていたのだ。
 星を揺るがす戦いが、ほんの二年の後に始まることを。

「ということは、この…この穏やかなアレクサンドリアに戦が起こるということですか?」
「…その可能性は捨てきれん」
「でも父上、母上の治世はこの上なく安定しています。どこに一穴があるとお思いなのですか」
 男は――ジタンはつと足を止め、深い思慮を湛えた瞳を息子に向けた。 
「ルシアス。この世に影を落とすのは何も人だけに限ったことではないんだぞ」
 珍しく重々しい口調で諭す。
「用心するに越したことはあるまい」
 黒髪の少年はじっと父親の目をみつめた。
 父上は、何か御存知なのですね。
 その目が語る。しかし彼はその疑問を口には出さなかった。口に出したとて父からその答えが返ってくるとは思えなかったのだ。きっと――いい加減に見えてその実責任感の塊のようなこの父親は、全てを自分の腹に収め、全てを自分の手で守ろうとするに違いない。
 質す代わりに少年は小さく頷いた。
「わかりました、父上。でも、僕が傍らにいることをお忘れにならないでください。事が起こったときには、僕も父上とともに戦います。僕だってもう一人前ですから」
 誰よりも心優しい穏やかな息子の口から発せられた「戦う」と言う言葉に、ジタンの表情が微かに翳る。
「ああ。心強いよ」
 言いながら彼は息子の頭を撫で、そして再び無言に戻った。

 その額に銀の角を頂く召喚士の命運は16に定まる。それは僅か一年後である。
 その時、このただならぬ力を内に秘めた少年に訪れる運命が激烈なものであろう事は想像に難くない。そしてそれを暗示するが如く時の迷いの森は動いた。

 地平線の向こうに森が姿を消す寸前、最後にもう一度だけジタンは振り返った。
 
 25年前の自分がその激烈な運命を超えて来たように、どんな運命が襲い来ようと、必ず乗り越えてみせる。
 遥か時の彼方の自分に、彼はそっと、誓うのだった。