白いレースのカーテンが、窓辺で優しい光をはらんで揺れている。
膝の上に載せた古ぼけた冊子から目を上げて、ガーネットはふとバルコニーに目を向けた。
そこに、人の気配を感じたからだ。
「ジタン?」
暇をみつけては無聊を慰めに来てくれる優しい人の名を口にして、それからちょっと、照れくさそうに笑う。
「やっと気が付いてくれたんだ。結構前からここに立ってたんだけどな」
腰を曲げ、カーテンから上半身だけ現したジタンは、片目を瞑って見せた。
「でも、きっと、この世の誰よりも早く見つけられてると思うわ。普通の人なら気が付かないわよ」
つんとして、――しかし双眸には微笑を浮かべて――ガーネットはカーテンを引く。
カーテンに仕切られてしまうより一足早く、ジタンはするりと部屋の中に滑り込んだ。
「ひょっとして、泣いてたのか?俺に会えないのが寂しかった?」
ほんのりと目元を赤く腫らしているガーネットの顔を両手に挟み、半分からかうような目で見下ろすジタン。
「もう」
両手で彼の胸を軽く叩くと、ガーネットはそっとその手から逃れた。
「日記を…ね。読んでたの」
卓上に置いた冊子を取り上げて、栞を挟んでいたページを開く。
そのすぐ側に立って、ジタンは彼女の手にした日記を覗き込んだ。
「誰のだ?まさか、お前の…じゃないよな」
紙はすでに色褪せている。この日記が、何年もの時を経ている証拠だ。
ガーネットはジタンを見上げ、かすかに微笑んだ。目を潤ませて。
「お母様の、なの。昨日、書庫で見つけたのよ」
こういう、あどけないというか、無防備な、というか…いかにもこちらを全面的に信頼しきっているのがありありと分かる、そういう目で見られる度に、ジタンは胃が痛くなるのだった。抱きしめたかったり、押し倒したかったりする手をもじもじと宙で動かしつつ、なんとかその衝動を抑えて平静を装う。
「ふうん」
行き場のないもやもやを体現している手を頭の後ろで組んで、さりげなく彼女から離れ――ようとして突然彼は振り返った。
「って、それって、ブラネの日記ってことか!?」
こくん、と可愛らしく頷くガーネット。
だが、その可愛らしさに勝る衝撃に、ジタンは開いた口が塞がらない。
言っちゃあ悪いと思うから、ガーネットの前では口にしないが、しかしあのブラネが日記?
クジャの野郎の言った言葉の中で唯一同感してしまった名称がぴったりだった、あの女王…。
「ど…どんなことが書いてあるんだ?」
ある意味で興味深い物体に、ジタンは心ならずも気を惹かれてしまう。
「お父様との出会い…から始まってるの」
そう、ガーネットは呟いた。
少し、哀しげに。
この日記を綴っていた頃のブラネは、優しく温かい太陽のような女王としてアレクサンドリアの国民から慕われていた。
その話はジタンも知っている。
容姿には優れなかったが、その分、民衆の心の痛みが分かる女王だった、と。
「お母様は、16歳で、お父様と出会ったの」
そう言って、ガーネットは顔を上げた。
「そして、16歳の最後の日に、婚礼を挙げて、女王になったの」
ジタンと、自分が出会った年…。
自分を見つけることすら叶わなかったあの頃。
自分では何一つ満足にできず、周りも見えず、暗闇の中を手探りで進むしかなかった。
母はその年で女王に即位したのだ。どれほどの重圧だったことか――。ガーネットには身に沁みるほどよくわかる。
「うん?で、その馴れ初めってのは?」
だがジタンの興味の方向は、専ら”あのブラネにどんなロマンスが訪れたか”、ということに向けられているようだ。
半分呆れて、そして半分そんなジタンをいとおしく思いながら、ガーネットは肩をすくめた。
「お父様は、下級貴族の出身だったの。官吏として宮廷に出仕していたのだけど、ある日――」
言いかけて、彼女は日記をジタンに押し付けた。
「読んだ方が早いわ」
「ええ?俺に読めって?俺さー、本読むのって苦手なんだよなあ」
「だって、話すと長くなっちゃうもの」
「じゃあさ、お前が読んでよ」
「え?」
「夜まではまだ間があるしさ。――アレクサンドリア女王陛下は、明日もまた朝早くから執務?だったらやめとくけど」
「いいわ、途中までなら。」
「全部読む必要ないよ。ダガーが、読みたいとこだけ読んでくれたらいい」
そう言ってジタンは天蓋つきのガーネットのベッドにごろんと横になった。
いたずらっぽく輝く目が、ダガーに語りかける。話したいんだろ。いいよ、いつまでもつきあってやるからさ。
彼は分かっているのだ。
ガーネットはまた目頭がちょっと熱くなってくる。
自分ひとりの胸に置いておくには忍びなくて、誰かにこの母の真実の姿を知って欲しいと彼女が思っていたこと。
誰かに、聞いて欲しいと思っていたこと。そして…誰よりも、大切な人に、分かって欲しかったことを。
いつもジタンはこうしてさりげなく手を差し伸べてくれる。やさしい冗談でくるんで。
ガーネットは、ジタンの側に腰を下ろすと、静かに読み始めた。
もっともその横に体を伸ばした件の男は、
(ダガーの顔をずっと見つめ続けられるし、そのうえ声まで聞けてラッキー)
なんぞと不謹慎なことも考えていたのではあるが。