第2幕(5)
 

劇場艇プリマベスタはアレクサンドリアの城門から2キュビトほどの距離のところに停泊していた。
誕生祭は明日の午後から始まる。
何しろ女王の18歳の記念すべき誕生日だ。
昨年のこの日は、まだどの国も復興に専念していた。
アレクサンドリアも例外ではなかった。
戴冠式もそこそこに、ガーネット新女王は補償交渉のために各国を回っていた。特に加害国であるアレクサンドリアは、自国の復興を後回しにしても他の二国への賠償責務を果たさねばならない立場にあったのだ。とても女王生誕祭など催せる状態ではなかった。
それから一年。国々の復興もめどがたち、ようやくこのような日を迎えることができたのだ。
今年の祭りは、この大陸の国々の平和的な関係を民に示すための、一つのセレモニーでもあった。
そのため大陸各地から要人も祝賀に訪れる。飛空艇の発着ポートは空けておかねばならなかった。


「この新しいエンジン、最高だな」
低い唸りを上げるモーター部分の点検をしながら、ジタンはしきりに感心している。シナはまるで自分が誉められたように、ちょっと顔を赤くした。
「すごいずら?ちょっと高かったけど、どうしても欲しくってボスに頼んだズラ」
「これだったら、この前みたいに砲撃されても逃げ出せそうだ」
ジタンは軽く笑った。そして思い出す。あれからもう、2年が経つのだ。
目が覚めるまで半年かかった。元の通り体が動くようになるまで半年――そして、黒魔導士の村を出る決心を固めるのに半年近くかかっている。
ガーネットの面影が自分の中で色褪せないのが不思議だった。
そして更に不思議なことに、ガーネットも自分のことを忘れてはいないだろうと、彼は何の疑問もなく信じることができるのだ。
だが同時にジタンは思う。自分はガーネットが生きていることを知っている。けれど彼女は自分が生きていることを知らない。自分の安否を気遣ったまま、彼女はこの2年近くを過ごしたのだと思うと、ジタンはいてもたってもいられない気持ちになるのだった。
その想いにに追い討ちをかけるように、アレクサンドリアの城が、目の前にある。
――絶対、城に近づかない方がいいな。
ジタンは疼く胸を押さえて自分に言い聞かせる。
――絶対、俺は我慢が出来なくなる。
今ですら、このまま城へ駆け出していきたくなるのだ。
自分が生きていることを知らせて、中途半端な期待をさせることがガーネットのためになるとは思えなかった。今現在の自分では、アレクサンドリア女王を迎えに行くことはできないのだから。だから、会ってはならないと、何度も繰り返し自分に向かって言い続けているのだ。
だが一方で、自分の生死を気遣わせたまま彼女を放っておくことへの罪悪感も、山ほどあった。
ぼうっと考えに沈んでいたジタンの耳に、不意に自分を呼ぶ声が飛び込んできた。
「ジタン!大変や!」
「何だよ、ルビィ」
ルビィは真っ青な顔でジタンを見つけるなり駆け寄ってきた。
「マーカスが!倒れたんや!」
「なんだって!?」
すぐに船室へ向かおうとするジタンの腕をルビィが捉える。
「もうアレクサンドリアの病院に行かせたがな。二、三日休養が必要やて。動かしてはならんて言われた」
「そうか…。命に関わったりはしないんだな」
「それは大丈夫」
ほっとした表情のジタンに向かって、「せやけど…」とルビィが言いにくそうに口ごもる。
「?なんだよ」
「主役がおらへん」
「?」ルビィの言葉の意味を図りかねて、ジタンは彼女の顔を覗き込む。
「主役のマーカスが倒れたんや。このままでは劇がでけへん!」
顔を上げて、ルビィは言った。その語調は当然――。
ジタンは自分の顔を自分で指差して「?」と、無言でルビィに質問する。
しっかりと、ゆっくりと、力を込めて、ルビィは大きく、うなずいた。
「あんた以外にだれが代役になれるて言うの」
「ちょっと待て!それは困る!!」
「あんた個人が困ろうとどうしようと、この際関係ないねん。この誕生祭は特別なんやで!?それはあんたも知ってるやろ!あんたの仲間たちもようけ来てはる。あんたが生きてんの、ばれるかも知れせん。せやけど、ここでうちらが劇を上演でけへんかったら、各地からの要人貴人を招待したガーネット姫の顔に泥を塗ることになるんやで?ガーネット姫の…いいや、アレクサンドリアの微妙な苦しい立場、あんたかて判るやろ。せやったら、あんたができることは何でもせなあかんのやないの!?」
一気にまくし立てられて、ジタンは言葉に詰まる。
確かに、ルビィの言う通りなのだ。返す言葉もなく、ジタンは天を仰いだ。
「…ったくよ…。何だってんだよ」
「するの?せえへんの?」
「…かったよ」
「なんや、聞こえんがな」
「わかった!してやるよ、代役でも何でも!!それでいいんだろ!」
おっしゃ〜!!
ルビィは胸の中でガッツポーズを作った。
階段の上から下の様子を伺っていた他の面々も、音を立てないように静かに手を叩き合わせる。
「だけど、僧服で、フードを被ったままやらせてもらうからな」
憮然とした表情でジタンが言う。
ルビィはこれまた快く承知する。この反応も、彼女らが予想していた範囲内だからだ。
『あいつは絶対姫に気づかれないように演じるだろう』とブランクは危惧した。あのあとでルビィは自信を持って彼にこう耳打ちしたのである。
――大丈夫や。ひと目でもガーネット姫を見たら、ジタンは走り出さずにいられなくなる。

劇の幕が上がる。
客席の仲間たちの懐かしい顔が、舞台の上のジタンからも見て取れる。
サラマンダー…エーコ…クイナ…フライヤ…。
台詞を語りながらも彼の心は仲間たち一人一人を確かめてしまう。
そして今ここからは見えないスタイナー…。
その先を考えると胸が張り裂けそうだった。
「わたくしをどこへでも連れて行って!」
コーネリア姫役のルビィがジタンの胸に顔を埋める。
(ジタン、台詞!)
小さく囁かれて、ジタンははっと我に返る。
「もちろんだ、たとえ雨が降っても、嵐がきても!」
恋人を抱きしめる演技は、ジタンの心に火を点ける。腕の中に抱きしめたいのは、たった一人だけだった。演技であろうと、なかろうと。

――みんなジタンに帰ってきて欲しいって、ずっと待っていたんだよ…。
ビビの声が耳に蘇る。

ここにいない大切な仲間のことを思い出して、ジタンは目を上げないではいられなくなる。
そしてその目に飛び込んできたのは――。

輝きを増した、眩いばかりのかんばせ。
白い清楚なドレスに身を包み、どことなく愁いを含んだ懐かしい黒き瞳でこちらを見下ろす、この世のものとは思えないほどに清冽な美しさを湛える、一人の女性。
彼のよく知るその女(ひと)は、彼の見知っていた頃よりもずっと大人びて、そしてずっと、儚げな風情を纏っていた。
彼女のまとうその儚さと愁いがジタンの胸を突き刺す。
もう、止めようはなかった。
彼は、走り出した。


君は、どんな顔をするだろう。

「会わせてくれ!」

きっと、泣き出しそうな気がする。そして俺は…

「愛しの…」


冬の午後の日差しの中で、一つの伝説が、生まれた。

<リンドブルム狂詩曲■第二章/完>