古時計は夢を紡ぐ。―3―

さらさらと零れ落ちる砂時計の音だけが部屋に響いていた。
四公が共同で管理する、トレノの自治府の会議室。
円卓についた彼らは、ジタンの目の前でそろいも揃って苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「陛下」
「その呼び方はやめてください。名前でいい」
「――では、トライバル殿」
「はいな」
調子のいい返事に、キング公は毒気を抜かれて間抜けな表情になる。
「トレノ東部の大森林は、景観においても、資源においても、大変貴重な我々自由都市トレノの領地なのです。いかな陛下のお申し出でも、おいそれとお譲りするわけには…」
「あなた方に、特別誂えの土産を用意してきました」
キング公の言葉を受け流し、ジタンは軽く指を鳴らした。
一人の若者が姿を現す。飾り箱を四つ、手にしている。
いずれも意匠の凝らされた見事な工芸品だが、彼らは蓋を開けた中身の方に絶句した。
「以前、あなた様から頂いたダイアモンドも見事なものでしたが…いやはや、これは…」
四人とも声を失って、茫然と光り輝く箱の中をみつめた。
業突く張りを篭絡するには金目の品物が一番なのだ。と、これは昔バクーから教わった手練手管の一つであった。
「その中に入っている宝石は全て私の所有する鉱山から産出したものです。まだまだ含有する鉱物の量は計り知れない。その鉱山を、代償としてあなた方にお譲りしようと考えております」
笑みを含んだ滑らかな声音が、部屋の隅々まで響く。
たった一人でトレノという、いわば仇敵の本拠地に乗り込みながら、いささかも怯まない堂々とした口ぶりに、かえって四公の方が圧倒されていた。
「あ、いや、それはまた、何とも…」
額に浮かぶ汗を拭い、しどろもどろになってキング公は周囲の諸公を見渡す。
「今しばらく協議のお時間を頂けますかな?」
とりあえずその場しのぎを口にして、彼らはぞろぞろと連れ立って部屋を出て行った。

後に残されたジタンは、傍に立つこのトレノの旧家の使用人、マルコを見上げた。
「例のものを」
促されてマルコは懐から小さな紙包みを取り出した。
「ありがとう、マルコ。後のことは手はずどおりに…頼んだぜ」
「はい。ジタンさま。トレノの裏門でお待ちしています」
マルコは口早に囁き、その場を退出した。

隣室で四公は頭を寄せ合っていた。
「どうする?悪い取引ではないとは思うが」
「ああ。賛成だ」
キング公の意見に、ほかの三人は同意を示した。
「だが、キング殿」
一番年かさのクインズ公が、重い口を開く。
「あのジタンという男、前王と同じく、始末した方がよいのではないか。あの男は切れ者に過ぎる。いずれ我らの障害となろう」
「うむ」
前王を始末したのはたかだか十四,五年前のことだ。
その時手を下した者がここに雁首をそろえている事になる。当然、発想は同じ所に帰着する。障害は排除せよ。それがこのトレノの暗黙裡の了解であった。
剣を使えば戦乱になる。それは彼らとて望まなかった。安らかに、病死として息を引き取っていただければいいだけである。ちょうどいいことに、トレノにはそれにうってつけの毒薬がある。服用した後には影も形も残らず、飲んだものを昇天させてくれる美しい薬が。
「では早速用意させよう。祝杯の用意をな」
キング公は言って、下卑た笑いを浮かべた。

「乾杯」
商談は成立し、ジタンを含めた五人の男たちは、キング公が召使に用意させたワインで祝杯をあげていた。
それぞれにグラスを傾けようとした手を一瞬止めて、彼らは息を詰めてジタンを伺う。
透き通った赤い液体が唇に届く瞬間、ジタンはグラスを下ろしてにこやかに彼らに笑みを振りまいた。
「何か?」
「い、いえ、何も」
キング公が慌ててグラスをあおる。
「さあ、どうぞ、ジタン殿。我がトレノにも美酒はあるのですぞ。これはわがキング公爵家の直轄地で栽培、醸成した、特別な葡萄酒です。ささ、お試しあれ」
「では」
慇懃に頭を下げて、ジタンがグラスに口をつけた、その時。
「火事だ!」
窓の外が突然真昼のように明るくなった。
四公は顔色を変えて席を立つ。一人が慌てて窓辺に走りより、鎧戸を開けた。
隣接するキング公の屋敷の壁が燃えているのが見える。
「キング公!そなたの屋敷が!」
「何!?」
ジタンの存在など忘れて、彼らはどたどたと階下に走り去っていく。
広い円卓にまたもや一人取り残されたジタンは、溜め息混じりに肩を竦めた。
「火事なのに、王様を忘れて自分たちだけ逃げるなんて、リンドブルムでやったら大変だぜ?一発でカエルの刑だ」
くすくす笑いながらジタンはグラスの中の液体を床に溢す。
「まあ、とりあえず俺は心が広いから。ってことで」
立ち上がって、彼は窓から雨どいに飛び移った。
そのままするすると滑り降り、地面到着すると、トレノの裏門に向かった。

「お前、たいしたもんだよ」
マルコに向かってジタンは言った。
「絶妙のタイミングだったぜ、あの火事。あのおっさんたち、慌てふためいて走り去ったから、眠らせようと思って用意してもらった薬を使う暇もなかった」
マルコの主人はトレノの古い商家であった。良心的な老人で、ジタンは以前、旅の途中でかれに厄介になったことがあったのだ。
ジタンが女王の夫となっても彼の態度は変わらなかった。
公務でこの街に赴いたものの、まず真っ先に彼を尋ねたジタンに、この旧知の老人は耳打ちしてくれたのだ。
前王がいかにして命を落としたか。
トレノのお家芸が何なのかを。
そこでジタンは彼の力を借りて、一計を案じたのだった。

商家に辿り着いてすぐ、マルコはジタンに待っていてくださいと告げて、自室に戻った。
再び姿を現した時、彼の手には、茶色い皮の帽子が握られていた。
「それは――」
右の横に破れた後があり、そこを縫い合わせて繕ってある。
なぜそれがこんなところにあるのか、ジタンには判じかねた。
マルコはその帽子を、大事そうに目の前の貴人に差し出した。
「以前、預かっていたんです。アレクサンドリアが崩壊する直前でしたか――あなた方がこの街にいらした時に」
「ビビを…知っていたのか」
「ええ。小さな男の子でしょう?もう3年ほどまえになりますか、この街にふらっとやってきて、アレクサンドリア行きの飛空艇に乗っけてくれって言うんです。見も知らぬ私に。それで私がご主人様にお願いして。そのあと、もう一度再会したんです。そのときに、これを託されたんですよ」
ジタンは帽子を受け取って、じっとみつめた。
みつめることしかできなかった。
「よくできているでしょう?自分の被っている帽子とそっくり同じ物を作りたいからって言うんで、いい店を教えてあげたんですよ。あなたに上げるつもりだったみたいですけどね、でも出来上がる前に出発しなくちゃいけなくなって。それで、ぼくが頼まれたんです。尻尾の生えた、金髪の男の人がやってきたら、この帽子を渡してくれって。会えなかったら、忘れていいから、って。でも一発で分かりました。奇遇だけど、会えてよかったです」
屈託なくマルコは笑う。
「それじゃあ。帰り道、お気をつけて」
「ああ。君のご主人にも、くれぐれもよろしく伝えてくれ。――迷惑がかからないように、俺はここで失礼するけど」
「はい。約束は忘れませんから、安心してください」
ジタンも微笑を返す。
人とのめぐり合わせがつながりを生み、そしてそれがひょんなところで顔を出す。誰もが全く予期していなかったところで。
人生なんて、そんなことの繰り返しなのかもしれない。
飛空艇に乗り込んでから、ジタンは手にした帽子をかぶってみようとした。
と、さかさまにした帽子の中から、ひらひらと一片の紙片が舞い落ちた。
たどたどしい筆跡で書かれた、一通の手紙。

――ジタンへ。
ボクも、いつか動かなくなってしまうんだと思う。
おじいちゃんの洞窟に帰ってみたとき、ぼくは何だかとっても悲しかった。それまで、感じたこともなかった気持ちだった。
ボクを助けようとしてくれた黒魔導士クンたちが、飛空艇から落っことされたとき、ボクは自分の気持ちがわからなかった。
だけど、ガーネットのおねえちゃんが、お母さんが死んだ時にとても悲しがって泣いていたよね。あの時分かったんだ、ああ、これが悲しいって気持ちなんだって。
そして、久しぶりにおじいちゃんのところに帰って。ボクは、泣いちゃったんだ。男の子なのに恥ずかしいけど。
ボク、おじいちゃんが大好きだったから。
その時ね、思ったの。何かおじいちゃんのものが残ってればいいのにって。そしたらそれを見て、いつでもおじいちゃんを思い出せるのに、って。
だから。これを、ジタンに残すね。
大好きだったよ、ジタン。
ありがとう。

途中から、涙にかすんでちゃんとは読めなかった。
周りには誰もいなくて、気兼ねせずに済んだことも手伝って。
溢れ出てくる涙をぬぐうこともせず、固定した舵にもたれかかってジタンは泣いた。

明けて行く夜の底が、仄白く光り始める。
山並みに半身を沈めた月が、彼の哀しみも共に抱いて、彼方の岸に去り行こうとしているかのように、幽けく瞬いた。

<完>

書きたかったのはクェンおじいちゃんとビビ、だったのですが…。
それをきちんと描けるようになるには、まだまだ筆力不足でした(^^;
でも、とても楽しんで書けました。それに、リクエストいただけたことが、とてもとても嬉しかったです。
sskさま、ありがとうございました!