京都に行ってきたこと(第3回)。
今年も京都に行ってきました。今回は出かけるか出かけないか、かなりいきあたりばったり。
しばらく前から行こうか行くまいかずっと考えていたのです。行きたい気持ちだけはあったんだけども、11月にも予定しているし、ここで行くこともないんじゃないかと。行くべきか行かぬべきか迷いに迷い、とりあえずそれでも、残っていた夏の休みを9月の10日、11日と取り、行けなければ行けないでいいや、と思っていました。
それで、たぶん年齢的にだんだんしんどくなるので、その前に一度経験しておこう、と、夜行バスで行くことにしました。ただ、これも、駅まで行ってみて、空いていなければそこで旅行を中止して家に帰る、というノリ。終わって帰ってくると何もかも計画的にやった、という気分になるのですけど、かなり行き当たりばったりでした。家を出かけるにも迷いに迷い、暗い道をとぼとぼ出かけました。盛り上がっているのかいないのか、なんとも引きずった気分での出発。そんな感じのせいか、駅への到着も時間ぎりぎり。駅まで行ってみると、バスは余裕で乗れるどころか、まあまあすいていました。やっとこのあたりで、出かけるぞ気分になった。
初の夜行バスなので中をきょろきょろ。中はカーテンが釣ってあって表が見えなくて、なんともヘンテコな雰囲気でした。夜の8時に地元の駅を出発。
表が見えないのは寂しいので、カーテンをあけて、外を見ますが、ガラスにもなんだかスモークのようなものがしてあるのか、表がはっきり見えない。最初は見慣れた街中を走っているのですけど、どこを走っているか見当がつけにくくて妙な感じです。時々、見慣れた店の明かりがぼんやりと見える。けっこう運転ぶりはいせいがよくて、おまけにバウンドがけっこうきつくて、乗り心地わろし。静岡県内のあちこちの駅でお客さんを拾っていくので、移動の効率があんまりよくない。まあでも、そうでもなければ京都には夜中じゅうに着いてしまうものな。高速道路を走って、静岡のこのあたりだと海が見えるんだろうな、ってあたりも外は暗くてどこが海やら陸やら。ぼんやりした月ばっかり見えていました。途中休憩で外に出て、なかぞらに浮かぶ月を改めて確認。
23時半過ぎに消灯で、車内は暗くなりました。さて寝ようかと思っても寝られない。ウルサイし、けっこうごとんごとん震動は激しいし。なんだかところどころうつらうつらしたような、全然寝なかったような感じで京都まで着きました。冷房のせいかどうも風邪をひいたような気もする。のどが弱いのでただ冷房にやられただけかなあ?5時に京都に着予定ですが、4時半頃から駅の近くのバス停のようなところに長々停まって時間調整?していました。 寝たのか寝ないのかはっきりしない、さっぱりしない気分で座席の上で転々としながら到着を待ちました。
5時ごろに駅に到着。まだ夜ですよ…。空はぼんやり明けの深い色。涼しい風が吹いています。
とりあえず休みたい。どこか空いている店などないか駅の周りをうろうろ。とりあえずトイレにも行きたいようなそうでもないような。朝5時の京都駅、寝てます。トイレないよ。顔が洗いたい。女性用だけトイレが一箇所空いていましたが。そんなに差し迫ってはいないので、とりあえず朝早くから開くとのウワサをきいている東本願寺さんを徒歩でめざしました。例年に比べて涼しいようで、半袖だと風がつめたい。
やっと明けてきた感じ。空に響く謎のイキモノの声のような、不思議な音がして、門が開きました。すぐ入るのもなんなんで、すこしあたりをぶらついてから中に入りました。東本願寺さんは、修復中だった御影堂ができあがって、立派な姿を拝むことができましたが、中にはまだ入れないとのことで残念。静かな境内を、砂利を踏む音に遠慮しながらすこし歩きました。写真には、三門の影がうつりこんでいる。境内から三門の前に立つと、丁度上り始めた朝日が、柱の間からまぶしくまっすぐに差しこみました。
京都駅に戻って、そろそろ朝食ですけども、まだ早くて開いている店がない。次の目的地の宇治まで行って、そこで開いてる店を探して朝食にしようと思いました。JRに乗って宇治に移動。国電の頃の山手線みたいな黄緑の電車。京都駅は平日なのでお仕事に向かう人でごったがえしていました。宇治まではのどかな風景。こんなところにお寺さんがあるのかしらん?なんて思いました。宇治についたのは7時20分ごろ。駅前をうろつきましたが、まださすがにやってる飲食店はなくて、ししらしんとしていました。はあぁ。一軒タマキさんというパン屋さんが営業していて、良いにおいがしていたので、そこでパンを買い、とぼとぼ平等院のほうへ。門前町はいかにも観光地って感じにととのっていましたが、いいんだかどうだか私にはわからない。犬の散歩をする人などがちらほらっていう程度の、閑散とした門前町?を抜け、そのまま平等院をとおりこし、宇治川の中洲のようなところの公園?のベンチでパンを食べました。クロワッサンがバタの風味がして、とってもおいしかった。川が中州でふたてにわかれていて、平等院側はおだやかな流れ。反対はかなり急な流れでした。おだやかな流れのほうをむいて、平等院側の岸辺の木や、川の流れを見ながら、まったりパンを食べて、ちょっとうれしい時間でした。びみょうに恥ずかしかったけど。あと、パン食べてて、ハトとかが寄ってこないか心配しましたが、寄ってきませんでした。それどころか、食べこぼしたパンくずも、帰りに見たらまだ残っていて、蟻がはこんでいた。
パンを食べてもまだ平等院さんは開きません。公園を散歩の人が歩いてる。川向こうで何かわめいている人がいる(あとで近くを通ったら大声で川に向かってお題目を唱えていてこわかった)。夜見た月が、宇治川の上のあおい空に高くしらじらと光っています。
赤い橋を渡って、宇治の駅に案内のあった宇治上神社に行ってみることにしました。道々に案内看板が書いてあって、従って行ったらどう行っていいのか迷ってしまったけど、宇治神社の境内を抜けていけばよいみたい。思ったよりずっと近くでした。すこしだけ住宅街の中の坂をのぼったところに建っている、ひっそりしたたたずまいのステキな神社でした。
どちらも拝殿の写真ですが、屋根の形がかっこいい。下の写真は本殿の前から。ちょっとうしろすがたにひかれました。拝殿は朝で閉まっていたけれど昼間は開いたりするみたい。
神社の前にせみが落っこってた。拾って木にでも止めてやろうと思ったら、突然ばたばた暴れだしてちとびっくり。ああいうのってまだ生きられるものなのかなあ。宇治上神社と宇治神社に家族の幸せをばお願いして、再度宇治川を渡って平等院へ。宇治川、急な方側はけっこう流れが激しいです。昔この川を戦で馬でわたった人がいるそうな。梶原…なんとかさん。
平等院は開いたばっかり。受付の人がどこは何時からで、そんでどこは何時から見ることができますよ、みたいな説明をしてくださったのですけど、悪い癖で聞き流してしまった。平等院、ここも修復工事でしばらく見れなかったんじゃあるまいか。修学旅行以来ですが、なんという見事な美しさだんべいと思った。真正面より斜めからの方がきれいだと思いました。
しっかし、朝もはよから修学旅行生が次々と訪れては、堂と池を挟んだところで記念写真を撮っていく。わあわあいうし、砂埃は立ちまくりだし、落ち着いて見ていられないですわ。しみじみ見てみたい建物です。横手の方にいろいろ寺宝みたいのをしまってる建物があって、この中もなかなか楽しかった。最後に、300円払ってお堂の中に入って、阿弥陀さんを眺めてきました。ある程度人数を区切って見せてくれるので、すこしだけ静かなキブンになる。このお堂の中の阿弥陀さまの修復をしていたそうです。金箔のはがれとか、額のまんなかにある白毫を水晶に替えたりとかしたそうです。寺宝を収蔵している鳳翔館には鳳凰堂の中のちいさい仏様やら、昔の鐘やらがあってみごたえがあった。お堂の屋根の上の鳳凰は,、今のはさほど古いものではないそうで、もともと屋根にあったのがここに飾られていました。この鳳凰をみて「ジブリだ!」という感想を抱いたのは私だけじゃないと思う。
鳳凰堂の脇の、2階に上がる階段がどこにもない気がするんだけどあの2階はなんなのであろう。
再び電車で宇治を出発して、今度は東福寺へ。電車の中で隣に座ったおばさまの、お香のような臭いが、喉がおかしい体調にものすごくこたえて閉口しました。お香の臭いが嫌なのではなく、何かその臭いは喉を刺激するようなざらざらした臭いでした。耐えられなくなって途中で席を立ってしまった。
で、臭いに耐えつつ電車に乗って、以前見て感動した三門を特別公開してるとのことで、東福寺へ行きました。前回来て、その時はバスで、今回電車ですが、前回の記憶があるので道に迷わず着けました。途中の土のような塀に落書きというか、落削り?がしてあるのはみぐるしい。去年と似たような写真なので通天橋の写真は割愛。で、三門…公開、終わってました。がーん。
ただ静かに堂々たっていました。見たかった…。
しかたなく特別公開中の龍吟庵へ。
やっぱりこんな橋を渡っていきます。この橋も重要文化財とか。それで龍吟庵のほうは、みどころは庭のようですが、この庭はちょっと私にはピンときませんでした。なんだか追い立てるように係りの人が説明していて、なんだか気分的にトゲトゲした感じがして余裕がありませんでした。ぐるっとまわっただけで出てきてしまいました。
これからふたたび電車で祗園近辺に移動して、さんざんあちらこちら迷ったあげく昼食を食べ、午後の部。すでに相当歩いてへとへとです。いつもご飯場所探しで体力を使う。
今まで見るつもりもあまりなかったのですが、ちょっと面白そうだと思って、安井金比羅宮へ。
ここの手前に、米朝さんがらみの方の絵馬があれこれ飾ってあって、桂枝雀さんの絵馬もありました。かたつむり そろそろ登る 富士の山…だったかな?ちょっとそんなような文句と、かわいらしい似顔絵が書いてありまして、ほほえましいものでした。あとできいたのですが、この神社の関係の建物で米朝一門の勉強会が開かれているそうです。
この写真の右手のところには絵馬をかけるところがあって、たくさんに絵馬がかかっているのですが、けっこうここの絵馬、濃いいものがたくさんで、ちょっと見てるだけでもなんだか毒気に当てられそうでした。「ナントカさんとナントカさんが別れて、ナントカさんが私のところに来ますように」とか、「悪妻○○子と縁が切れますように」とか、「ナントカがひどい目に遭って死にますように」とかいう文句が実名つきで書かれてるですよ。見てたらヘンテコな気分になりました。
で、ここの横に、古い絵馬を飾った絵馬館ってのがある。ここが見たくて来たのです。前まで行ってみるとなんだか中は暗いのです。そっとのぞくと年配の女性が座ってらっしゃる。んー。入りにくい。ちょっと通りすぎて、まわりに飾ってある絵馬をみたりしながら、入ろうか、入るの辞めようかと迷ってみたのですが、ここを見るために移動してきたので、思い切って入ることにしました。で、入るとその女性の方が電気をつけて、見てまわるのにけっこう時間がかかりますが大丈夫ですか?ってきかれました。見始めると、その方が横でこれは何の絵で…と、いちいち横で説明してくださる。そういう話をきくと、ああ、この絵はこういうことを描いたんだな、ってことがわかって、また一層面白いです。見ていくと、かなり達者な絵師の手によるものが多いってことがわかる。退色してしまっているのが味わいだったり、残念だったり。二階には芸能人の人や漫画家さんなど、有名人の描いた絵馬がたくさんで、この人もこの人も!ってなかなか楽しかったです。1階に蚊がたくさんいたのには閉口したけれども、見てよかったです。電気は絵の退色を防ぐためにふだんは消してあるのだそうで、そういわれればそうですわな。けっこう貴重な絵がたくさんあるといえますもの。京都にくるたび、絵馬面白い、と思っていたのですが、より一層楽しめるようになりそうです。
なんだか案内の人とちょっと米朝さんや枝雀さんや吉朝さんの話やらでもりあがってしまって、なかなか充実の時間でした。今回私は絵馬とか書いてこなかったけど、また行って書くのもよいかなと思いました。「世界征服」とかさ。「○○さんが死にますように」とかよりよっぽどマシじゃないですか。
あ。ここで京都の家には玄関に鐘旭さんが飾ってあるって説明をきいて「そうなんですか。確認してみます」って言ったのに、そのあと確認するのを忘れてた。
続いてこの近くの六道珍皇寺へ。道がわからなくてちょっと苦戦した。ここは誰もいなくて、小野篁像かなんかあった。あと、小野篁が閻魔の庁に通った井戸ってのが、庭のむこうかわにありました。そこは遠くからちょっとのぞけるようになってるだけでした。誰にでもおきがるに閻魔の庁に行かれては困りますからな。
やや時間が遅くなりましたが、続いて六波羅密寺へ。夕方だし、ちょっと行こうか迷ったのですが、近いし、と行きました。ほんとにすぐそこでした。朱のあざやかなお寺だったので新しいのかと思ったらけっこう古い建物らしい。
宝物館に、教科書で見た空也上人像とか、平清盛像なんかがあって、こちらは見ごたえがありました。なんだかひとくせありそうな感じの係りの人がさりげなーく見ている人のそばに来て、突然見どころワンポイントアドバイスをするのでうかつに見ていられません。なかなか面白い。私も閻魔さんの像の前で横から急に「こういう目に色がついているのは珍しい」みたいな説明をしていただきました。閻魔さんは不思議な、灰色のような紫のような目をしていた。学生さんには別の像の前で「そこでしゃがむと、この目がキラっと光る!」みたいな説明をしていたので、あとでこっそりその像の前に行って、気がつかれないように身をかがめてみたら、目がきらっと光りました。お寺を出たら方角がわかんなくなっちゃった。
さて、これで夕方になったので、ホテルにいったんチェックインすることにしました。六波羅密寺から、市バスの停留所まで、かなり歩いた。そこで地元のおじさんに、バスの経路やら何やら、懇切丁寧にご案内していただいて、バスが来るまでちょっとお話をしました。バスの中では私が一日乗車券を買おうとして前に行って離れてしまったのでお話できませんでしたが。
ホテルに着くと、新型インフルエンザ対策でフロントのところに消毒用アルコールが置いてあった。うれしいお心づかい。部屋に荷物を置き、再び出かけて串もののお店でお酒のみました。昨年も行ったのですけど、やすくてソコソコおいしい。ぼちぼちと飲んで、昨晩ちゃんと寝てないので、早めに床に就きました。長い一日でした。