[10]
しゃがみこみ、体の痛みに耐える勇次。
「大下さん、病院に戻りましょう!」
「バカ言え。…なんて説明すんだよ。カッコ、…はぁ…悪くて、言えるかよ、そんな、こと。」
「でも…」
「いいから!お前は、悪いけどさ、1人で署に、戻って、後始末しといてくれや…」
「それはいいけど…」
「…オレのことは、傷が痛むから、家に帰ったとかなんとか、誤魔化しといてくれよ。」
「じゃあ、家まで送ってく!」
「いいって!それにホントに家になんか帰るかよ…。誰か、様子見に来たら面倒だろうが…(苦笑)。」
「でもそれじゃぁ、どこに…?」
「いいからオレに構わず署に戻れ!」
勇次はそう言って、フラつきながら薫を押しのけ立ち上がると、歩き出し、手をあげてタクシーを止める。
タクシーの扉が開くと、倒れこむように乗り込んだ。
「じゃあ、薫。後は頼んだぞ。(運転手に向かって)…本牧まで。」
運転手が扉を閉めようとした瞬間、薫が勇次を押し込むようにして後部座席に乗り込む。
「お、お客さぁ〜ん!危ないからやめてくださいよぉー!」
「あら、ごめんなさぁーい。さ、さ、出して、出して!」
薫は勇次の方を向く。
「!?」
「いいから!どこへ行くのか知らないけど、とにかく、そこまで送っていくから。決めたの!」
「…勝手にしろ!」
勇次はこれ以上言い合いをする気力もなく、また、こうと決めた薫の強情さも十分知っていたので、諦めた。
タクシーは走り出す。
勇次がいくつか行き先の指示を出し、辿り着いたのは、薄汚い路地に面した安宿だった。
”HOTEL”というネオンサインがどこかうら寂しく点いている。
タクシーから降りる時、勇次はもう1人では歩けない状態であった。
薫に体を支えてもらいながら、そのホテルへと入っていく。
受付には老人が1人、座って本を読んでいた。
勇次は薫から体を離すと、カウンターに寄りかかった。
「…じーさん、奥の部屋、頼む…。」
そう言って、カウンターに金を置く。
老人はちらっと、勇次を見ると、無言で金を受け取り、キーを差し出す。
勇次はキーを掴むと、歩き出した。
薫は慌てて勇次に肩を貸す。歩きながら振り向くと、老人はまた本を読み始めていた。
部屋に入ると、薫は勇次をベッドに腰掛けさせた。勇次はすぐに体を横たえる。
勇次の息遣いはいっそう荒くなっており、汗もびっしょりかいていた。
「大丈夫?何か飲む?」
「いや…、それより、これで、手、縛ってくれよ。」
少年達に拉致されていた時の傷で、勇次の両手首には包帯が巻かれている。
勇次は左手に巻かれていた包帯を自分で解くと、薫に差し出した。
薫は躊躇するものの、黙って言う通りにした。右手首とベッドの柵の部分とを繋ぐ。
「サンキュー。じゃ、あとは、報告よろしくな…。」
勇次は無理に笑顔を作って言う。
薫はその笑顔の裏に「早く行け」という意味を汲み取った。
「うん、わかった。私、署に戻るわ。でも、とりあえず片付いたら、戻ってくるから。」
「いいって…」
「ううん。戻ってくるから、私。」
薫もこれだけは譲れないという風に力強く言う。
「…勝手にしろ。」
勇次のその言葉を聞いて薫はニッコリ微笑む。
バスルームに行き、濡らしタオルを作ってくると、それを勇次の顔にあててやる。
ひんやりとしたその感触は心地良かった。
「じゃあ、私、行くね。」
扉に向かう薫の背に勇次が声をかける。
「薫…戻ってくる気なら、部屋の鍵、持って行けよ。」
薫は振り向いてうなずくと、ルームキーを掴み、部屋の外に出る。
オートロックではない扉の鍵をかけると、薫は駆け出した。
薫が署に戻ると、みんなが出迎えてくれた。
その顔を見ていると、自分がどれだけ心配をかけていたのかがわかった。
「課長、ご心配おかけして申し訳ありませんでした。」
「本当よ、まったく(苦笑)。でも、無事で何より。で、大下くんは?」
「それが…、打ち身がひどくって熱がでてきちゃったみたいなんで、家に帰ってもらいました。」
最後の部分は、松村課長と並んで立っている近藤課長に向けて言う。
「そんなにヒドイのか、大下のケガは?」
「あ、いえ、傷の方は大したことありませんでした。」
「そうか…」
近藤課長は一目、勇次を見て安心したかったのだが、仕方がないな、という風にため息をつく。
捜査課の連中はケガが大した事は無いと聞いて、ホッとしていた。
「薫くんもご苦労だったな。薫くんの方は、ケガは大丈夫なのかい?」
「はい。私は擦り傷程度ですから。」
「それは何より。若いお嬢さんに何かあっては大変だからな。」
「そんな、近藤課長、若いだなんて…(照)」
「どうですかな、松村課長。薫くんも疲れているようですから、事情報告は明日ということで。」
「近藤課長の方がよろしいんでしたら。」
「ウチの方は、銀星会の方は別に話を進めますから。な、鷹山?」
「え、ええ。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。薫くん、今日はもういいわ。帰ってゆっくり休みなさい。」
「はい。ありがとうございます。」
薫は大きくお辞儀をすると、帰り支度を始める。
「薫、送っていかなくて大丈夫か?」
「タカさんのその気持ちだけで十分よ。」
帰りかけた薫の背に声をかける鷹山。薫は歩き出しながら振り返り、投げキッスを返す。
署の玄関を出ようした時、捜査課のほうで話す瞳とトオルの声が聞こえた。
「私、帰りに大下さんの家に寄って様子みてきます。」
「そんな、瞳さん1人で行ったら危険ですよー。僕も一緒に行きますって。」
(大下さんの読み、当ってるわ)…薫は心の中でつぶやいた。
薫は先ほどのホテルに戻った。
ポケットから鍵を取り出し、そっと扉を開ける。中は静かだった。
ゆっくりと部屋の中へ進むと、ベッドの上にいるとばかり思っていた勇次の姿は床の上にあった。
床の上に倒れているが、右手だけがベッドに引っ張られるように上に伸びていて、それがまた痛々しい。
「大下さん!」
薫は勇次に駆け寄るとその体をそっと抱き起こした。
体は汗でぐっしょりと濡れ、歯を食いしばったのか口の端に新たな傷が出来ている。
「…よ、薫。お帰り。」
「具合はどう?」
「なんとかな…。何度か発作みたいのがきてさ、ちょっと気ぃ失っちまったみたいだな。はは…カッコ悪ぃ(苦笑)」
「そんなことないよ、そんなこと。…じゃあ、もう大丈夫そうなの?」
「…どうかな。なんとなーく、まだ体に残ってるような気がすんだよなぁ…」
「そう…」
と、ここで急に勇次が笑い出した。
「あははは(笑)。これじゃあまるで、薫に抱きかかえられてる赤ん坊だな、オレは(苦笑)。」
薫は床にぺったりと座り込み、その膝に勇次の上半身をのせ、首をささえてやっている格好になっている。
軽口を言う勇次に薫はちょっと安心した。
その笑顔はまだどこか弱々しいが、いつもの勇次だと思ったからだ。
「あ〜ら、こんな憎たらしい赤ん坊なんて、いないわよーだ(笑)。」
「なんだとー!(笑)」
ふざけた会話をしていた勇次に突如ある感覚が襲った。体中をじわじわと虫が這いずり回るような不快感。
「うわっ!!」
急に緊張して体を固くする勇次に、驚く薫。
「あぁ!……はっ、…はぁ……んぐっ!!」
勇次はうめいて体を丸めた。不快感の次には、針で刺されるような痛みが全身を駆け抜ける。
その痛みに耐えようと体を固くし、右手はその手を縛っている包帯をぎゅっと掴む。
ぎりぎりとねじられた包帯はいまや細い紐状になっており、勇次の手首にくい込んでしまっている。
左手は何か掴むものを求めて彷徨っていた。
「大下さん!大下さん!」
薫は突然の勇次の変化に驚き、ただただ名前を呼ぶしかできなかった。
暴れる体を必死に後ろから抱き締めながら。
薫は勇次の体の前で交差させている腕に力を入れた。
勇次の左手は、その薫の手に辿り着くと、ぎゅっと掴んだ。
もっと弱い人間であったならば大声でわめきちらし、もっと暴れる回る所を勇次は必死に耐えていた。
それでも口からは声が漏れ、時々体がびくんとはねる。
薫は勇次を抱き締めながら、一緒にその嵐に耐えていた。
どのぐらいの時間が経ったのであろうか。
カーテンの隙間から日が差し込み始めた。夜が明けたようだ。
「薫!……薫、起きろよ。」
「…うん…?」
「(笑いを含んだ声で)重いからその手、どけてくれよ。」
薫はハッと目を覚ます。いつの間に眠ってしまったのか。
気付くと勇次の背に抱きつくような格好のまま、勇次と共に床で寝てしまっていた。
薫は勇次の腰にまわしたままの手を慌てて引っ込め、体を起こした。
「あ、ごめん!」
「おはよう(笑)」
そこにはいつもの勇次の笑顔が戻っていた。
「…大下さん。」
薫は勇次の体を起こしてやり、右手を縛っていた包帯を解く。
勇次は右手をさすりながら、薫の方を向く。髪は乱れ、疲れきった顔はしているもののさっぱりとした顔つきだ。
「ありがとな、薫。付き合ってくれて。なんとか、大丈夫みたいだわ、オレ。」
ちょっと照れたように言う勇次。改まって礼を言われ、薫もなんだか照れてしまう。
「そう、よかった。…でも、男前が台無しだね。」
「ホントだよなぁ、汗臭いし(苦笑)。まあ、しゃあないわ。ウチに帰って着替えるとするか。」
「ここでシャワー浴びてけばいいじゃない?私、着替え買ってきたのよ。」
薫は立ち上がり、部屋の隅に放り出してあった紙袋を取ってくる。
この部屋に戻る途中に買い求めたものだった。
「お、薫、気がきくぅぅ〜。」
「えへへ、まあね(笑)。さあ、シャワー浴びてらっしゃい!」
横浜港署。朝。
捜査課。
「おはようございます!」
勇次が大きな声で挨拶する。
本当は勇次の無事な姿が見れて嬉しい近藤課長だが、厳しい顔で勇次を迎える。
「大下!まったくお前は心配ばっかりかけおって…」
「すみませんでした。」
神妙に頭を下げる勇次。
「…ま、今更何を言っても始まらんな。報告書、ちゃんと書いとけよ。」
「はい。」
「あ、それから。今回のは事前の届け出がなかったからな、無断欠勤になっとるから。」
「え、そんなぁ〜!」
「そんなも何もない。」
近藤課長はしっしっという手つきで、まだ反論したそうな勇次に自分の席に戻るように指示する。
しぶしぶ席に戻る勇次。
入れ替わるように吉井が課長席の前にやってきて報告する。
「課長、先ほど県警から連絡がありまして。中田が見つかったそうです。」
「本当か?」
中田とは、銀星会の構成員で、麻薬を持ち逃げしたとして組から追われていて、港署でも今回の事件で行方を追っていた男だ。
吉井のその声に他の捜査課の面々も課長席の回りに集まってくる。
「どこにいたんですか、中田のやつ。あんなに捜したのに影も形も見つからなかったのに。」
「山だ。」
「山?山ん中に隠れてたってことですか?」
「死後1ヶ月経っていたそうだ。」
「死んでたんですか?」
「ああ、崖から車ごと落ちたらしい。即死だったようなんだが、今まで気付かれなかったらしい。」
「そういえば、中田の趣味はドライブだって言ってる奴がいました。」
「そうか、で、持ち逃げした薬は見つかったのか?」
「いえ。所持していた形跡は無かったそうです。」
「奴が持ち逃げしたんじゃないとすると…」
「課長、これはひょっとしたら、あいつらの言ってること本当かもしれませんね。」
「あいつらってのは、あの少年らのことか、鷹山?」
それを聞いて勇次も課長席に近づく。松村課長や薫も寄ってくる。
「本当…って、拾ったって言ってた話のことか?」
「ああ。あいつらお前にそう言ったんだろ?あながち嘘ついてないんじゃないか。」
「確かに。オレも嘘ついてるようには見えなかったんだけどな…」
「え、じゃあ何?あの子たち、拾った麻薬を勝手に売りさばいてたって言うの?」
「…それなら何となくわかる気がする。」
「薫?」
「だって、彼ら、全然罪悪感なんて無かったんですよ。それがどうにも不思議だったんですけど、たまたま拾ってって言うんなら、少しはわかるような気がするんです。」
「拾った麻薬を売りさばく、か。最近の子供はよくわかりませんな。怖い、怖い。」
今後の取り調べの方針を決めると、みんなそれぞれの席に戻っていった。
勇次が自分の席で、報告書と、始末書を苦労して書いていると、鷹山がコーヒーを机の上に置いてくれた。
「サンキュー。やけに優しいじゃないの?どうしたの?」
「別に。俺はいつだって優しいぜ。」
「どうだか(笑)。」
「ところで勇次クンに聞きたいことがあるんだけどなぁ…」
「何?」
「昨夜はさ、どこに行ってた訳?」
「昨夜?昨夜は、熱出して部屋で寝てたさ。」
「俺さ、昨夜いちおうキミのこと心配してキミの部屋まで様子見に行ったんだけど、部屋にいる気配なかったぜ。」
「ば、何言っててるんだよ!(汗)…電気消して、熟睡してたから気付かなかっただけだよぉっ!」
「…トオルがさ、見かけたらしいんだよね。あいつも心配して様子見に寄ったんだぜ。そしたら、今朝方、部屋に戻ってくるキミをさ。」
「…ト、トオルの見間違いじゃないのかぁ?(汗)」
「派手ぇーな柄シャツ着てさ、口笛吹きながら帰って来たらしいじゃないの、うん?」
薫が勇次の着替えにと用意したシャツは、薫らしい、派手なプリント柄のシャツだったのだ。
「そんなシャツ着て、ケガだってしてるのに、一体どこに遊びに行ってた訳?ん?」
鷹山はからかうように勇次を責めつづける。
勇次は答えに困ってしまい、それでもなんとか言い訳をしようと色々と頭をめぐらしている。
(薫が、あんな派手なシャツを選ぶから!)
勇次はちらっと視界に入った薫をキッと睨んだ。
薫はその勇次の視線を軽くかわし、勇次に見えないように背を向けると、ペロっと下を出して笑った。
(おわり)
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