はみパロ4『事件』

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[1]

「遅いなぁ…」

みゆきは時計を見た。時刻は19時20分になろうとしているところだ。
今日は兵吾と食事をする約束をしており、いつもの場所で18時30分に待ち合わせをしていた。
兵吾が遅れるのはいつものことだが、
さっきから何度か携帯にかけてみているが、一向につながらないのだ。
何度かコール音がした後、留守番電話になってしまう。
辺りも真っ暗になってきて、みゆきは少し心細くなってきた。
(なんか事件が起きたんだったら、連絡くれればいいのに…)


玲子は本庁での会議を終え、まっすぐ家に帰ってきた。
本庁を出る前に広域本部へ連絡を入れた所、杉浦から「問題なし」という報告を受けたので、
残業せずに家に帰ることにしたのだ。
途中で一人分の夕飯の買い物をした。今頃、みゆきは兵吾と食事中の筈である。
玲子も食事に誘われたが、会議の終了時間がわからなかったので、断っていた。
(あぁ、思ったより早く終わったし、場所とか聞いとけばよかったかな)

玄関の鍵を開けて家の中に入ると、思いもかけず、みゆきが出迎えた。

「お母さん、お帰りなさい」
「あれ?!みゆき、どうしたの?もう食事終わって帰ってきたの?」
靴を脱ぎ、居間へと向かいながら玲子は尋ねた。
「ううん。まだ、ご飯食べてない…」
「どうして?!」
「兵吾くんが待ち合わせの場所に来ないの。
 1時間待ってたんだけど、全然来ないから、腹がたってきちゃって、帰ってきちゃった!」
「連絡はないの?」
「全然。携帯にも出ないし。…お母さん、何か事件でもあったの?」
「無いと思うわ。さっき本部に電話した時、杉浦さん何も言ってなかったし。
 それに、高見さんは外出先から直帰したって言ってたわ。」
「そうなんだ。じゃあ、どこに行っちゃったんだろう…」
玲子はみゆきの肩を抱いて、安心させるように言った。
「きっと、何か用事が出来たんでしょ。
 昔から一つのことに夢中になると周りが見えなくなるから、あの人。」
「うん…」
「大丈夫よ。それより、みゆき、お腹空いたでしょ?今すぐご飯作るから、一緒に食べよ。
 それにしても、可愛い娘を暗い中、1時間も待たせるなんてねぇ。
 連絡ぐらいちゃんと入れなさいっていうのよ。まったく、怒ってやらなくっちゃ!」
「ふふ…、やだ、お母さんったら、恐ーい(笑)」


翌日早朝。
玲子はいつもより早く出かける仕度をしていた。朝、兵吾の家に寄ってみようと思ったからだ。
昨夜、とうとう兵吾からの連絡は無かった。
さっきも、兵吾の自宅と携帯に電話してみたが、どちらも出る気配が無い。
昨日みゆきにはああ言ったものの、兵吾がみゆきとの約束をまったく忘れてしまうなんて、
玲子には考えられなかった。

(それに昨日はアレをみゆきにあげるはずだったのに…)


数日前、たまたま兵吾と玲子は昼食を一緒に食べた。
その帰り、雑貨屋の店先に籐で編んだ可愛らしいバックを見つけた。
「あ、あのバック可愛い〜♪」
「お前が持つにはちょっと可愛いすぎやしないか?(苦笑)」
「何言ってるのよ。私に、じゃなくて、みゆきによ!当たり前じゃないの!」
「ああ、そうか。…うん、そう見ると、みゆきに似合いそうだなぁ。」
「ねえ、あなた買ってあげたら?」
「え?…そんな、誕生日でもクリスマスでもないのに、…変じゃないか?」
「別に変じゃないわよ。親がちょっと気に入ったものを子供に買ってやるなんて、
 よくあることじゃない。そんなに高いものじゃないんだし。」
「そうか、そっかなー…変じゃないかなぁ。…みゆき、喜ぶかなぁ…」


結局、兵吾はバックを買い、昨日渡すことになっていた。
"一度家に帰って、プレゼントをとってくる"と兵吾は玲子に言っていた。
だからこそ外出先から直帰したはずなのだ。

(一体、どうしたのかしら…)
玲子は兵吾のことを心配していた。

「お母さん…」
みゆきが玲子の部屋に顔を出した。
「あ、みゆき。おはよう。ごめんね、起こしちゃった?」
「ううん。あんまりよく眠れなかったから…」
みゆきもまた兵吾のことを心配していた。
「兵吾くんから連絡あった…?」
「まだよ。母さん、出勤前に家に寄ってみるわ。きっと大いびき掻いて寝てるわよ(苦笑)」
玲子はわざと明るく言った。…そうあって欲しいと思った。
「あなたも少し早いけど、ご飯食べて、学校行く用意しなさい。」
みゆきは黙って、玲子の側に近寄り、玲子のジャケットの裾に触った。
「…お父さん、なんでもないよね?…無事、だよね?」
みゆきは不安でしょうがなかった。
みゆきは今までに何度か、兵吾が死んでしまうのではないかという場面に遭遇している。
そのことがみゆきに"兵吾が急にいなくなってしまうのではないか"という
恐れの気持ちを抱かせていた。
「何言ってるの!大丈夫、大丈夫よ…」
玲子はみゆきの気持ちを察して、みゆきを抱きしめて、あやすように言った。
それは玲子自身にも言い聞かせるようにであった。


兵吾のアパート。
何度かインターホンを鳴らすが応答はない。新聞受けには朝刊がささったままになっている。
夕刊が無いところを見ると、昨日の夕方から今朝までの間に一度は家に帰ってきたということか…
玲子はあきらめてアパートを後にする。

アパートを出たところで、玲子は携帯を取り出し、もう一度、兵吾の携帯にかけてみる。
メモリーから兵吾の名前を探し、ボタンを押す。その一つ一つの操作を祈るような気持ちで行った。
1回、2回、3回…コール音が空しく玲子の耳に響く。
(やっぱりかからないか…)
そう思った時、相手が電話に出た。
「もしもし…」
驚いた玲子は、慌てて、少し声が大きくなっているのも気にせずに電話に向かって話し掛ける。
「もしもし、高見さん!?あなた今どこにいるのよ?」
だが、電話の向こうからは意外な答えが返ってきた。

「あのー、どちらにおかけでしょうか?」

そして、玲子の耳に聞こえてきたその声は、兵吾の声ではなかった。

 

以下、つづく。

今回は、兵吾がなかなか登場しない話、というのを書いてみたかったので・・・(^^ゞ

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[2]

「え?、あの…」
玲子は言葉につまった。兵吾の番号を間違えたわけではない。どういうことなのだろう…。
すると電話の向こうの主が話し始めた。
「あ、失礼しました。こちらは○×駅前交番でありますが、
 今ですね、あなたがかけてらっしゃる携帯電話は落とし物としてこちらで預かっております。
 もし、持ち主の方にお心あたりがあるのでしたら、ご本人にご連絡いただきたいのですが…」
「落とし物、ですか?」玲子は驚いた。
「はい。もしくはですね、持ち主の連絡先を教えていただければ、こちらの方から連絡致します…」

玲子は、交番の場所を教えてもらい、そこへ向かった。
出迎えてくれた20代とおぼしき制服警官は、先ほど電話で話した本人だった。
玲子は自分が広域隊の課長であることを明かし、携帯をみせてもらった。
オートロックを設定してあったので、自局番号等を確認することができず、
発信もできない状態であり、そのままただ警察に保管されているだけであった。
「いやー、電話がかかってきてよかったですよ。
 このままじゃバッテリーも切れちゃうし、もう少ししたら電源切っておこうかと思ってたんです。」
玲子は無言で電話を見つめ、少し考えてから暗証番号を押してみた。
思った通りの番号であったのか、オートロックは解除された。
自局番号を見てみると、それは紛れも無く、兵吾の携帯であることが確認できた。
「今朝ですね、△丁目交差点そばの通りに落ちていたと、新聞配達の人が届けてくれまして…」
「そうですか…」
そこは兵吾のアパートの近くである。
「あ、あとですね、これはまったく関係ないかもしれませんが、
 そばにこれも落ちていたと一緒に届けがありました。」

若い警官が引き出しから取り出したのは、玲子も見覚えのあるプレゼントの包みだった。

玲子は事が悪い方へ悪い方へと向かっている気がして震えた。
携帯とみゆきへのプレゼントを落としてしまうなんて、ただ事じゃない。
兵吾は恐らく何か事件に巻き込まれたのだ。そして、未だ連絡がとれない状況にある!
「ねえ、あなたその場所への案内、頼めるかしら?」
本庁の広域捜査隊の課長に言われ、彼は緊張して返事をした。
「はい!」
「ありがとう。あとね、電話借りるわね。」
そう言うと、玲子は本部へと電話した。思った通り、杉浦はもう出勤していた。
「あ、杉浦さん?根岸です。おはようございます。
 あのね、…鑑識と一緒に、ちょっと来て欲しいんだけど…」
玲子は声が震えないように気を張りながら、事情を説明した。

杉浦は鑑識チームを連れて、現場へと急いでやってきた。
玲子の話を聞き、杉浦もまた、兵吾の身に何かが起きたと感じていた。
杉浦の姿を見つけ、玲子は少しホッとした。
「あ、杉浦さん…」
「課長、遅くなりました。…大丈夫ですか?」
杉浦がそう声をかけるほど、玲子の顔は青ざめていた。
「ええ、大丈夫よ。ごめんなさいね。ひょっとしたら、私の思い過ごしかもしれないんだけど…」
「いえ。いや、…そうならいいんですがね。」
鑑識チームは携帯などが落ちていた交差点付近を検証し始めた。
交番の若き警官は、緊張しながらも現場の交通整理を担当している。
その場を彼らに任せ、玲子と杉浦は兵吾のアパートへと向かった。

管理をしている不動産屋からマスターキーを借りてきて、兵吾の部屋の鍵を開ける。
やはり部屋の中に兵吾の姿はなかった。
部屋の中を見てまわると、昨夜の夕刊が机の上においてあった。
「一度家に戻ってきているようですね。まあ、プレゼントも持って出ている訳だし、
 それは間違いないでしょう。あとで夕刊の配達時刻も確認してみます。」
杉浦はぬかりなく、部屋のすみずみまで見てまわり、
窓は内側からすべて施錠されていることなどを確認した。
玲子は体を抱きかかえるように腕を組み、緊張している自分を支えていた。
(兵吾、どこに行ったの…)
その時、鑑識チームからの連絡が入った。
「はい、杉浦。…はい、…はい、わかりました。どうもありがとう!課長!」
「何かわかったの?」
「…車のブレーキ痕が見つかったそうです。」

玲子と杉浦は、一旦、鑑識チームと共に本部に引き揚げた。
部屋に入ってきた玲子らに気付き、西崎が声をかける。
「どうでした?」
玲子は黙って自分の席へと向かった。代わりに杉浦が答える。
「ん…事件性があるか、はっきりしたことは、まだ何もわからないがな…」
「高見さんが行方不明、ってことに間違いはないんですね?」
「ああ。…こっちに高見からの連絡は?」
「ありません。」と、さくらが答える。
「ったく!高見さん、どこいっちまったんだよぉ!」
工藤のつぶやきは、この部屋にいる全員の気持ちだった。
玲子は自分の席に着くと、目をつぶり深呼吸した。
動揺している場合ではない。今、自分がやらなければいけないことは、なんなのか。
広域隊の課長として−。冷静にならなければ。
「…先ずは、状況を整理しましょう。みんな席について。捜査会議を始めます。…」

幸い現在広域隊で抱えている案件も落ち着いていて、全員で兵吾の行方を追うことに専念できる状況であった。
但し、まだ連絡が途絶えてから1日しか経っていないし、
ひょっとしたら、ひょっこり姿を現わすかもしれないので、あまり騒ぎ立てないように気をつけた。

隣近所や例の交差点付近で聞き込みをする。

・兵吾と同じアパートの1Fに住む主婦の証言。
「夕方6時頃かしら、なんか慌てて出かけて行くの、みかけたわよ。
 高見さん、いつも帰りが遅いでしょ?だから、こんな時間に珍しいなぁと思って(笑)。
 それにね、なんか飛び跳ねるように走っていったのよ(クスクス)(笑)。」

・いつも夕方のジョギングで交差点付近を通る高校生の証言。
「うーん、別に変わったことなんて、なかったけど…
 この交差点まで来た時は…他に人はいなかったかなぁ…
 あ、そうそう。すっごい勢いで走ってく白いバンを見たよ。
 エンジン吹かしてて、こう灰色の排気ガス撒き散らしててさ。
 思いっきり吸い込みそうになったから、『勘弁してくれよ!』って思ったんだ。」

・交差点付近に住む老人の証言。
「庭で水撒きしてたんですわ。ホースでジャーとね。
 そしたら、人の争うような声が聞こえた気がしたんでね、慌てて、水道止めたんやけど、
 止めたら、なーんも聞こえんのよ。空耳だったのか、居間のテレビの音だったんかのう…
 え?どんな声かって?そうやのう…何言ってるかはわからんけど、男の声と、
 …女の声がした気がしたなぁ。
 車?ああ、なんか配達の車かなんかが、その後、発進していきおったよ。車は見えんかったけど、
 バタンってドアしめる音がしたからな。軽トラックかバンみたいな車じゃろ。」

鑑識の報告によると、現場に残されていた、タイヤ痕もバン形式の車のものらしい。
高校生がかすかに覚えていたナンバーを手がかりにその車の捜索が中心となった。
そして、他にもその車を目撃した人物がいないかどうか、聞き込み捜査も引き続き行われた。

鑑識の報告では、タイヤ痕からは少し離れた位置に、少量の血痕も発見されていた。
AB型。…兵吾の血液型もAB型である。

夜11時頃。広域捜査隊の部屋。玲子と正美は不安げに皆の帰りを待っていた。
不思議なことに今日に限って他にこれといった連絡が広域に入らない。
玲子は、よっぽど何か用事があった方が気が紛れていいのに、と思った。

杉浦たちが部屋に戻ってきた。
「お疲れさま。どう?何か進展はあった?」
「他に白いバンを目撃した人によると、…まあ、白いバンなんてたくさん見かける訳なんですが、
 後ろの荷台の部分にスモークを貼っていた車を目撃した人がいました。」
「そう、それかしらね…」
「高見から何か連絡は?」
杉浦の質問に、玲子は残念そうに首を横に振った。
「そうですか…」
「目撃ナンバーから割り出した白いバンは316台です。
 車種が特定できればもう少し絞れるんですが…」
さくらが報告をする。
得られた情報があまりに少なく、また、広域メンバーだけの捜査の為、動くのにも限界があった。

「とりあえず、車の線で捜査するしかないかしらね…」
玲子はそう言い、それからふと思い付いて、自嘲気味に言った。
「なんか、私たち変よね。事件の通報があった訳でもなく、こうして捜査しているなんて。
 ひょっとしたら、高見さん、ちょっと何処かに出かけているだけかもしれないのに…」
「…そうかもしれません。でも、そんな訳はないことは、ここにいるみんながわかっていますよ。
 あの人が、課長やみゆきちゃんに黙って、どこかに出かけるなんて考えられない。
 不測の事態が起きたと見て間違いないです。」
「西崎さん…」
「そうですよ!高見さんは遅刻したりすることはあっても、無断で休むなんて考えられないです!」
「秋本さん、それあんまりフォローになってないですよ…」
さくらが苦笑しながら秋本に言う。
玲子はこんな状況ではあるが、みんなの気持ちがひとつになっていることが嬉しかった。
「そうね、ごめんなさい。みんなが必死になって捜査してくれているのに、馬鹿なこと言ったわ。
 とりあえず、今日は解散しましょう。もうこんなに遅い時間だし…」
玲子はそう言って、みゆきに何も連絡していなかったことに気付いた。
(きっとあの子、もの凄く心配しているわね。やだなー、私もなんか変なんだなぁ、今日は…)

ちょうどそんなことを思った時、入口の方からみゆきの声がした。
「やっぱり、兵吾くんの身に何かあったの…?」
「みゆき!?」
「…みゆきちゃん!?」

みゆきはまっすぐ玲子の所までやってきた。玲子も机をまわってみゆきに近づいた。
「お母さん、何にも連絡くれないから、心配で来たの。
 (玲子をまっすぐに見つめ)ねえ、兵吾くん、どうしちゃったの?」
「みゆき…ごめんね、あなたもとっても心配してること、母さん、わかってたのに連絡しなくって。
 あのね、落ち着いて聞いてね。高見さんね、何か事件に巻き込まれたみたいなの。」
「!」みゆきは息を呑んだ。
「それが何なのかまだ全然わからないんだけど、今、みんな全力で高見さんの行方を探してるから。
 大丈夫、きっと見つかるから。」
みゆきの瞳から涙が溢れてくる。
「…お父さん、…無事だよね?…怪我とかしてないよね?」
みゆきは玲子にしがみついて泣いた。
みんなかける言葉がなかった。現場からは少量であるが、血痕も見つかっている。
兵吾が怪我をしているとも、していないとも、まだ、わからないのだ。
「みゆきちゃん…」
みゆきは、以前に瀕死の重傷を負った兵吾を発見した時のことを思い出していた。
あの時、いくらみゆきが声をかけても目を開けなかった兵吾。
あんなに恐くて悲しい思いをしたのは初めてだった。
泣きじゃくるみゆきを抱きしめ、玲子はやさしく言った。
「大丈夫よ、みゆき。ここにいるみんなで高見さんのこと探してるんだから、
 見つかるに決ってるじゃない。広域はね、優秀なのよ。」
みゆきの顔を両手で挟み、自分の方に向けさせる。
「ね?母さん達を信じて、任せてちょうだい。
 それにね、高見さんも無事でいるわよ。あなただって知ってるでしょ?
 あの人、悪運強いんだから、大丈夫よ。」
にっこりと玲子はみゆきに笑いかけた。
「…うん。」みゆきはその笑顔に安心し、少し泣き止んで言った。
それを見て、(やっぱり母親ってスゴイなぁ)とさくらは心の中で感心していた。
みゆきは、泣きはらした顔でみんなの方を向き直り、頭を下げた。
「お父さんのこと……、よろしくお願いします。」

菊枝はドアの外で一部始終を聞いていた。
兵吾のことは、今朝、玲子から話を聞き、菊枝もまた一日中心配していた。
みゆきの言葉に胸がつまり、菊枝は少し涙ぐんだ。
「可愛い娘にあんなに心配かけて…兵吾ちゃん!どこにいるのよっ!!」

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[3]

がたん、と車が右に傾いた。ちょうどカーブにさしかかったところだった。
その拍子に手が体の下になり、その手の痛みで兵吾は目が覚めた。
一瞬、自分が今どこにいるのか判断がつかなかったが、
徐々にはっきりしてくる後ろ手に縛られた手首の痛みで頭がはっきりしてきた。
窓から見える空は、じきに夜が明けそうな気配を帯びている。
(みゆき、心配してるかなぁ…)

昨夜−。
みゆきとの待ち合わせ場所へと急ぐ兵吾の耳に、小さい声ではあったが女性の悲鳴が聞こえた。

声のした方へと行くと、女性が男ともみ合っていた。
男が無理矢理彼女を止めてある白いバンの中に連れ込もうとしているのがわかり、兵吾は駆け寄った。
「おいっ!何してるんだっ!!」
兵吾の声に驚き、女性の腕を掴んでいた男の手が一瞬ゆるんだ。
その隙に女性は男の手をふりほどき、逃げようする。
男はなおも女性を追い駆けようとするが、そこへ兵吾が間に割って入り、男の手をねじりあげた。

「痛っ…」
「しつこい男は嫌われるぞ。彼女に何の用があるんだよ?え?」
兵吾は手をねじりながら男を車に押し付けて聞いた。

女性は少し離れた所で脅えたように立っている。
「君!こいつは君の知り合いかい?」
じたばたする男を押さえつけながら、背中越しに女性に聞いた。
と、その時、男を押さえつけていた兵吾の手に鋭い痛みが走った。
男にはもう一人仲間がおり、そいつが兵吾の手をナイフで切りつけたのだ。
「あっ!」
兵吾はてっきり男一人だと思って油断していた。
ナイフは兵吾の手の甲を傷つけ、意外に深く切れたのかたくさんの血が流れ出した。

ナイフの男は更に兵吾に向かってナイフを振り回してくる。
兵吾は押さえつけていた男を離して、そのナイフをかわした。
「関係ねぇやつがしゃしゃりでてくるんじゃねぇよ!!おい、早く女押さえろ!」
ナイフの男は兵吾を威嚇しながら、仲間に指示を出す。
押さえつけられていた男は、慌てて立ちすくんでいた女性を車の所まで引きずるように連れてきた。

「痛ぇーな。急にこれはないんじゃないの…お前ら一体彼女をどうするつもりなんだよ!」
兵吾は切られた手を押さえ、ナイフを警戒しながらも男達を睨んで言った。
「うるせぇーな。あんたも余計なとこに出てくるからこんな目に逢うんだぜ。」
ナイフの男が止めを刺そうと兵吾に襲い掛かろうとした時に、人のやってくる気配がした。
「おい!誰か来る!」
「あー、ちくしょー。お前も車に乗れ!」
男達は女性を車に押し込み、兵吾のことも無理矢理車に押し込もうとした。
兵吾は男2人相手に抵抗したが、手の怪我をかばっていた為に思うような動きができず、
もみ合ってる内にナイフの男に後頭部を殴られ、気絶した。
男達は気絶した兵吾を放り込むように車に押し込め、車を急発進させてその場を去った。

その場には、最初に駆け寄った時に投げ出したプレゼントの包みと、
最後にもみ合っている時にポケットから落ちた兵吾の携帯電話だけが残った。


しばらくして兵吾が気付いた時、車の荷台部分に両手を後ろで縛られて転がされていた。
車はどこかを走りつづけている。

「大丈夫ですか?」

隣で、やはり後ろで手を縛られて座っている先ほどの女性が心配そうに兵吾を覗いていた。
「ちょっと痛いけど、なんとかね。君は大丈夫?」
「はい。あ、縛られる前にハンカチを傷に当てさせてもらったから、血は止ってると思うんですけど、
 …でも早く消毒とかした方がいいと思う。結構傷が深かったから。」
「あ、ホントだ。ハンカチが巻いてある。どうもありがとう。」
兵吾は怪我をした右手に巻かれているハンカチを左手で確認した。

姿勢を立て直し、車の壁に寄り掛かるように座り直す。
男達のいる運転席と助手席との間にはプラスチックの仕切りがあり、
こちらの声は男達には聞こえていないようだ。
改めて女性を見る。歳は28、9ぐらいであろうか。
こんな状況でありながらも泣き出したり、取り乱したりしていない。
「…君はどうしてこんな目に逢うのか、わかってるんだね?」
「……ええ。」

「教えてくれないか、どういうことなのか。理由もわからずただ縛られてるっていうのも気持ち悪い。」
「ごめんなさい。関係ないあなたを巻き込んで…。あいつらは、私の恋人の行方を探してるんです。」

彼女−山中さやかの話によると、さやかの恋人シンジはあいつらと3人で強盗を働いたらしい。
最初にさやかともみ合っていたのがサトシ、兵吾にナイフを振り回したのがワタル。
ところがそのシンジが強奪した金を持って行方をくらましてしまったのだ。
さやかはさっきサトシに言われるまでその強盗事件のことは知らなかった。
ただ連絡が取れなくなったシンジの身を案じて、彼を探しに行こうと家を出たところで、
あいつらに捕まってしまったのだ。
サトシとワタルは、シンジが恋人のさやかのところに現れると思い、彼女のところへやってきたのだ。

「私、信じられません。シンジが強盗して、そのお金を持ち逃げしたなんて…」
「でも、その事件があったという日以降、君の所にも連絡は無いんだね?」
「…はい。きっと何か別の事情があるんです。だから、私、シンジの実家に行ってみようと思って…」
「で、今、あいつらもそこに向かってる、って訳だ。」
「さっき脅されて、場所を言えって…どうしよう、もしシンジが居たら、あいつらに殺されちゃう…」
「あいつらがシンジを見つけたら、あいつらが何かする前にシンジを助ければいいのさ。
 大丈夫、なんとかなるさ。」

兵吾の頭の中には、3日前に発生した強盗事件が浮かんでいた。
不動産会社の事務所に強盗が入り、600万円が盗まれていた。
駆けつけた守衛が逃げていく3人組を目撃している。逃走に使用されたのは白いバン。
目下、所轄にて捜査中の事件だ。

「なんか、あなた不思議な人ね。あなたがそう言うと、なんとかなる気がしてきた…」
「そうか?そいつはよかった。あ、まだ名乗ってなかったな。俺は高見。高見兵吾って言うんだ。」

兵吾は尻のポケットにそっと手をやった。
警察手帳はまだそこに入ったままだ。まだ自分が警察の者だとバレてはいないようだ。
さっきは油断したが、組み合った感じではあいつらはそんなに強そうなわけじゃあなさそうだ。
じっくり機会を待てばなんとかなりそうだと兵吾は思った。
それにしても、たかが600万ぐらいの為にここまでするのか、とちょっと兵吾は気になった。

夜通し車はシンジの田舎へと走りつづけた。
途中、パーキングエリアで止まった時、兵吾は苦労して荷台のスライド式の窓を開け、
こっそりと警察手帳を外へと落とした。
(これで明日になれば誰か気付いてくれるだろう…)

だが生憎と玲子たちの所へこの手帳の連絡が行くのにこの後2日かかってしまうことになる。
家族で行楽地へ向かう途中にここで警察手帳を拾った小学生は、宝物を拾った気持ちになり、
誰にも言わずに手帳を大事にポケットにしまってしまった。
ただポケットに入れっぱなしにしていた為、翌朝、母親が洗濯しようとした際に手帳を発見し、
慌てて警察に届けることになるのだ。

夜が明け、シンジの田舎に着いたが、シンジがここに立ち寄った形跡はなかった。

車を山道の脇に止め、サトシとワタルは荷台の方へと移ってきた。
ワタルは脅すようにさやかに聞いた。
「おい、お前本当にシンジの居所しらないのか? あいつは最後にお前のトコに行くって言ってたんだぞ」
「知らないわ。シンジは来てないもの、私の所なんか。」
「…ひょっとするとこの女の言ってることは本当かも。だって、シンジ言ってたじゃないか…」
「ああ、そういえば、そうだな…(笑)」
サトシとワタルは意味ありげに顔を見合わせて笑った。

兵吾はその様子を黙って見つめていた。
「ってことは、この2人もう用なしだよな。へへ…ここでバラしちまおうか?」
「そうだな。この時間なら車もほとんど通らないし、人目にもつきにくいだろう。」
ワタルはナイフを取り出し、ひらひらと動かした。
2人が顔を見合わせた一瞬のスキを見計らい、兵吾は後部の扉を開けた。

「逃げろ!逃げるんだ!」

そう言ってさやかを車の外へと押し出す。
兵吾は手首のロープをさやかの分も外して、密かにチャンスをうかがっていたのだ。
さやかは少し前に通り過ぎた人家を目指して走り出した。
「走れ!振り向くんじゃない!!」
兵吾はサトシとワタルの相手をしながらさやかに声をかける。
さやかは兵吾のことが心配で後ろを振り向き振り向き、走っていく。

「てめぇ、何すんだよ!」
サトシが怒り狂い、兵吾に襲いかかる。ワタルはさやかを追い駆けようとする。
兵吾はサトシをかわし、ワタルに飛び掛かった。地面に転がりながらワタルともみ合う兵吾。
そして2人は激しくもみ合う内、崖の下へと足を滑らせてしまった。

「うわぁ…!」
「ワタル!」

運よくワタルは途中の木にひっかかり自力で崖の上へと這い上がってきた。
「大丈夫か、ワタル。」
「ああ…死ぬかと思ったぜ。…あいつは?」
「ワタルがあいつを突き飛ばすように離したおかげで真っさかさまに落ちていったぜ」
「ま、これで手間は省けたな。こんな所落ちたんじゃ、おっさんも助からねぇだろうよ。」
「まったくなんなんだよ、あのおっさん…手間かけさせやがって。」
「おい、女の方はどうする?」
「なーに、あいつだって警察には言うに言えねぇよ。もういいからほっとこうぜ。」
「ま、そりゃあそうだな。…よし、シンジの前の女のとこにでも行ってみるか。」
「ああ。余計な時間とっちまったな」
そう言うと、サトシとワタルは車に乗り込み走り出した。

さやかは岩場の影に隠れてことの成り行きを見ていた。
一旦は走って逃げ出そうとしたものの、見ず知らずの自分を危険を顧みず助けようとしてくれた
兵吾のことが気に掛かり、途中で引き返してきたのだ。

兵吾とワタルが崖下へと転落したのを見た時には思わず声が出そうになったが、
必死に自分を抑え、自分の存在を気付かれないようにした。

サトシとワタルが車で去ったのを確認してから、さやかは崖下へと降りていった。
小枝や草で手足に擦り傷ができ、途中何度も滑りながら、降りていった。
崖の下には川が流れており、その川原に兵吾は倒れていた。
「高見さん!」
さやかは兵吾の姿を見つけると、足元の石に転びそうになりながら近寄っていった。

兵吾は気を失って倒れていた。
外から見るに大きな怪我はしていなそうだが、用心して、ゆっくりと体をゆする。
「高見さん!高見さん!」
何度かさやかが呼びかけるうち、兵吾は気がついた。
「うっ…あ痛っ…」
「大丈夫?どこか痛い所はない?!」
兵吾はゆっくりと体を起こし、頭を振った。そしてよろよろと立ち上がった。
「平気?腕は痛くない?足は大丈夫?」
「ああ、大丈夫…」
「あ、でも額の所、切れてるわ。…あそこの岩場まで歩ける?」
兵吾はこくりと頷いた。

さやかは肩をかして、岩場まで兵吾を歩かせた。
多少の打ち身はあるようだが、どうやら骨折などはしていないようだ。
兵吾を岩場に座らせ、川の水でハンカチを濡らし、額の傷の手当をする。
川原の石で軽く切っただけのようで傷は浅い。

「あいつらは行っちゃったわ。」
「…」
「ここに来る途中にあったドライブインまで歩いていこう。そうして病院に行ったほうがいいよ。」
さやかは声をかけ、また兵吾に肩をかして歩き始めた。
兵吾は転落のショックからか何もしゃべらない。

歩きながら、さやかはひとりごとのように話し始めた。
「私ね、こんなに風に私のこと心配して、助けてもらったの初めてなの。高見さんを巻き込んじゃって、
 不謹慎かもしれないけど嬉しかったんだ…
 だから高見さんのことが心配で途中で引き返してきちゃったの。」
「…」
「本当にありがとう。私、これから行かなくちゃいけない所があるから、
 高見さんが病院に行くところまでしか付き合えないけど、本当に感謝してるよ。」
兵吾は黙ったままでさやかの話を聞いていた。

ところが急に立ち止まり、さやかの方を向き直って、さやかの両肩を掴んで言った。

「君は…誰なんだ?」
「え?」

さやかは急に真剣な顔で自分を見詰める兵吾にとまどった。
「君は、…俺のことを知ってるんだね?」
「え?どういう意味?」
「俺は、…なんでここに居るんだ?俺は、…俺は…一体何者なんだ?」
そういうと兵吾は頭を抱えてその場にしゃがみこんでしまった。
「ちょ、ちょっとしっかりしてよ。私は山中さやか。ちゃんと教えたじゃない。どうしちゃったのよ?」
「わからない。…君はさやかって言うのか?じゃあ、俺は、俺の名前は?」
「…それも忘れちゃったの?」
「ああ、なんだか頭の中が真っ白になってて、思い出せないんだ。
 ただ、誰かと何か大事な約束をしていたような気はするんだけど…」

さやかは呆然として兵吾を見下ろしていた。
崖から落ちた際にどこか頭を打ったのかもしれない。兵吾は一時的な記憶喪失になってしまったようだ。

さやかはじーっと兵吾を見つめ、何事か考えている。
そして何か思い付いたのか兵吾の前に座り込んだ。
「本当に、自分の名前思い出せないの?」
「ああ…」
「…あなたの名前は黒川シンジ。あなたは私の恋人なのよ。」

さやかはにっこりと微笑んでそう兵吾に告げた。

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[4]

兵吾はかすかな寝息をたてて眠り始めた。
さやかはそっと兵吾の側を離れると洗面所へと向かった。

あまり流行っていないラヴホテルの一室。

結局あの後、兵吾は病院へは行かなかった。兵吾自身がそれを拒んだのだ。
兵吾はさやかから自分のやったことを聞いた。
仲間と強盗を働いたこと。そしてその仲間から金を持ち逃げしたと追われていること。
この怪我は仲間ともみ合った時についたものであるということ。
理由はわからないが、自分が強盗を働いたのだったら、病院になどへは行けない、と兵吾は判断した。
さやかは兵吾の怪我が心配だったので、大丈夫だから病院へ行くようにと勧めたが、
兵吾は頑として聞き入れなかった。
仕方なく、コンビニで応急手当に必要なものを買い込み、近くのラヴホテルへと入った。
そしてもう日も暮れかけていたので、今日はここに泊まる事にした。
一番ひどいのはナイフで切られた手の怪我だったが、その他にも崖から転落した際に体中を打ちつけている。
洋服を脱がせ、一通りの手当てが終わった時、疲労と安堵感からか兵吾は眠りに落ちた。
さやかは眠ってしまった兵吾の体を濡れタオルで拭いた。
打ち身のせいか少し体が熱いように思う。
兵吾に布団をかぶせると、さやかは洗面所で兵吾のシャツを洗った。
所々についた血が時間の経過とともに黒く固まってしまっている。
それを水で辛抱強くごしごしと洗いながら、さやかは幸せな気持ちに浸っていた。
(シンジが私のところへ帰ってきてくれた。やっぱりシンジには私がいないとだめなんだわ…)

兵吾のシャツやズボンを洗い、自分の洋服も簡単に洗って汚れを落とすと、
さやかはそれらを洗面所に干し、換気用のファンを回した。
(これで明日には乾くかしら…?)と、少し心配しながら、さやかは兵吾の隣で眠った。



同じ頃−。
みゆきは玲子のベッドにいた。
今日は一人で寝るのがなんだか恐い、と言って玲子の部屋に来ている。
それでもさっき泣いたことで疲れたのか、みゆきはぐっすりと眠っていた。
玲子はそっとみゆきの髪をなでながら、なかなか眠れない夜を過ごしていた。



翌日、昼前に兵吾の警察手帳が見つかったとの連絡が広域本部にもたらされた。
警察手帳には兵吾がサトシたちにもさやかにも見つからないように、
縛られた手で苦労して書いたメモがあった。

『白ハイエース…サトシ…ワタル、シンジ……←600万の強盗………山中さやか』

これにより兵吾が事件に巻き込まれたことは確実になった。
数日前に都内で発生した強盗事件。
この事件に関与して、兵吾は行方がわからなくなったと見ていいだろう。

「この字の感じからして、高見は手を縛られているのかもしれませんね…」
杉浦は高見の手帳を見ながらつぶやいた。
「強盗事件の関係者に拉致された…という所でしょうか。」
西崎の言葉を聞いて、秋本が思いついたように言う。
「ひょっとしたら、高見さん、自分からそいつらに捕まったのかもしれないですね。」
「何にせよ、相手は高見さんが刑事だということは知らないと見ていいと思います。
 刑事を連れていくなんて普通じゃありませんから。」
「さくらの言いう通りかもしれないわね。杉浦さんとさくらはこの強盗事件について調べて下さい。
 私を含めて残りの人は車両の線で引き続き捜査して下さい。
 あのパーキングエリアに設置されている防犯ビデオのチェック、
 周辺の車両検索システムに該当車両が引っかかっていないかも調べましょう。」
玲子は兵吾の行方の手がかりが出てきたことで、少し元気がでてきた。



翌朝、目を覚ますと兵吾の体調もよくなっており、さやかは安心した。

「これからどうしたらいいんだろう?」

兵吾は心細そうにさやかに話し掛けた。今の兵吾にとって知っている人間はさやかだけである。
自分が今までどんな人生を送ってきたのか、思い出そうとしても頭の中は真っ白なだけだ。
不安で押しつぶされそうな兵吾にとって、
親身に世話を焼いてくれて、微笑んでくれるさやかだけが頼りなのだ。
だから恋人同士であったという記憶まで失ってしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「2人でどこか遠くに行きましょう。誰も知らないところで暮らすの。」
「あいつら、追って来ないかな?」
「サトシとワタル?多分、もう大丈夫よ。
 あなたがお金を持ち逃げしたんじゃないってすぐにわかることだし。
 それにあいつらはあいつらで上手く逃げていくでしょ。」
「…昨日は病院に行ったら、警察に捕まる気がして恐かったけど、
 でも本当は俺、自首した方がいいのかな?」
気の弱い小犬がそっと飼い主を見上げるような目で兵吾はさやかに聞いた。
「駄目よ!」
「で、でも、このままじゃ、さやかに迷惑がかかるだろ?」
「迷惑なんて、平気よ!それにあなたが警察に行ったら、私ひとりになっちゃうじゃない。
 嫌、嫌。一人になるなんて絶対嫌よ!もう私を一人にしないで!」
さやかは泣きそうになりながら兵吾に抱き付いた。
「ごめん。ごめん、さやか。そんなつもりじゃあ…」
「それじゃあ、もう警察に行くなんて言わない?」
「ああ、言わないよ。さやかと一緒にいるよ。」
兵吾はにっこりとさやかに向かって微笑んだ。
その笑顔を見てさやかは安心した。
そして兵吾の頬を撫でながらさやかは確信に満ちた声で言った。

「大丈夫。あなたは誰にも捕まらないわ。」

その後、兵吾とさやかは東京行きの列車に乗った。
さやかが自分の家にある荷物を取りに行きたいと言ったからだ。
並んで座席に座り、列車の振動で心地よい眠りに誘われたさやかは兵吾の肩にもたれて眠っている。
兵吾はそんなさやかを優しい目で見つめる。
向かいに座った老婦人は、兵吾の手の包帯や額の絆創膏が気になって、ついじろじろと見てしまったが
その微笑ましい恋人同志の姿に目を細めた。

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[5]

玲子たちは着実に兵吾へと近づいていた。
パーキングエリアの防犯ビデオから該当車らしき車をピックアップし、ナンバーを照会した所、
そのうちの1台は盗難届が出されていた。
その車は長野方面に向かったことが検索システムにより判明。
長野・関東の各方面にその車両を緊急手配した。

また、杉浦・さくらの調べで強盗事件の方からも判ったことがあった。
「…被害にあった不動産会社周辺から、高見の残した名前の男たちは見つかっていないんですが、
 山中さやかという女子社員が事件の1ヶ月ほど前にこの会社を退職していることがわかりました。」
「特に問題があって辞めた訳ではないんですが、一身上の都合ということで、急に辞めたそうです。」
「それとですね、この不動産会社なんですが、ちょっと怪しいんですよ。」
「怪しいって?」
「暴力団とのつながりが噂されてまして、所轄の方ではその線でも捜査しているそうなんです。
 どうやら暴力団の金庫の役割をこの会社がしているということで、
 この会社を経由して、多額の金が暴力団へと流れているらしいんです。
 それなので被害金額なんですが、実際には600万以上だったのではないかと言う話もあります。」
「そう…」
「私とさくらはもう少しこの会社を洗ってみます。」
「わかりました、お願いします。その山中さやかの方は、こっちであたります。」
玲子は杉浦から連絡のあったさやかのアパートへ西崎と工藤を向かわせた。


さやかと兵吾は、さやかのアパートの前までやってきた。

「じゃあ、荷物とってくるから、待ってて。」
「俺も・・・一緒に行っちゃ、ダメか?きっと俺、前にもさやかの部屋に来たことあるんだよな。
 見たら、何か思い出せるかもしれないし…」
「そうだね…。でも、ダメ。部屋、汚くしてるから(笑)。それより、そこの公園に行って待ってて。
 私の部屋に来たよりも、そこの公園で2人で居たことの方が多いのよ。」
「ホントに?じゃあ、俺、公園で待ってるよ。」
「うん。すぐに戻ってくるからね。」

そう言うと、さやかはアパートの中に入って行った。
兵吾はさやかの姿を見送り、通り向かいにある公園へと歩いて行った。

砂場とブランコはあるが、さして広くない児童公園だった。
時間のせいか遊んでいる子供の姿は見えない。
兵吾は隅にあるベンチに腰掛けると、公園の中をゆっくりと見回した。
そこに何か自分と結びつくものを見つけようと必死に・・・。


さやかは自分の部屋の鍵を開けた。
「寒…!」
クーラーがついたままになっていた部屋からは冷気が流れ出してくる。
「やだなぁ、クーラーつけっぱなしで出かけちゃったんだ、私。」
さやかは、部屋の寒さに思わず両腕を抱きかかえながら中に入った。
そのまま、まっすぐに台所の流しの所へ進み、扉を開けて中にしまっておいた鞄を取り出す。
その鞄を両手で持ち、部屋を出ようとして、ふと思い直して、隣の部屋を覗いた。

・・・クーラーはその部屋についていた。ウィーンとモーターの回る音が聞こえている。
そして、ベッドの上には、人の形をしたものがあった。それは頭から血を流し、既に絶命していた。
部屋が冷蔵庫のような温度になっているので、さほど腐敗は進んでいないように思える。

さやかはしばらくそれを見つめていたが、くるりと背を向け、部屋から出て行った。きちんと鍵を閉めて。
(もう私には関係ないことだわ。だってシンジはちゃんと側にいるもの・・・)


公園の中を見回している兵吾の視線が止まった。
今、兵吾が入ってきたのとは反対の位置にも、公園の出入り口があり、そこを兵吾はじっと見つめていた。
(あそこ・・・なんか見覚えがあるような・・・)
兵吾は目でその出入り口を見つめ続け、頭の中で必死に同じ景色を探していた。
やがて同じような景色が兵吾の頭に思い浮かんだ。
それは薄ぼんやりとした8ミリのような映像だが、あの出入り口の先へと続いていた。
(俺は、あそこから、外に出たことがあるのか・・・)
兵吾は確認してみようと思った。
頭の中に浮かんできた映像のように、あそこを出て右を見ると白いマンションがあれば…

兵吾は小走りに公園を駆け抜け、公園の外へと飛び出した。
と、その拍子にちょうど公園の前を通りかかろうとした人とぶつかってしまった。
「きゃっ!」「うわっ」
相手は小さな悲鳴を上げ、転んでしまった。
兵吾は慌てて、その少女を抱え起こすと謝った。
「あ、すみません。ごめんね。怪我しなかった?」
兵吾は少女のスカートに付いた土埃をはらってやりながら聞いた。
少女は呆然と兵吾を見つめていた。

「兵吾くんっ!!!」

それはみゆきだった。

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