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[6]

「兵吾くん、こんな所で何してるの?…あ、ごめんなさい。」

みゆきには最初兵吾の姿しか目に入ってなかった。
だから声を掛け、走り寄ってきたのだが、近づいてみて兵吾に連れがいることがわかった。
最初から彼女のいることに(というか、彼女が兵吾の連れであることに)気付いていたら、
声は掛けなかっただろう。刑事の娘として、街中で玲子や兵吾に出会ったとしても、
仕事中かもしれないと分かれば、声は掛けないようにしているからだ。

「あ、いや、大丈夫だよ…。」

…とは答えたものの、兵吾はみゆきと彼女が顔を合わせてしまったことが何ともバツが悪かった。
彼女の方はただ黙って笑顔でみゆきに会釈した。
みゆきもそれに応えて慌ててお辞儀をする。

「今日はどうしたの?学校は終わったの?」
「あ、うん。たまにはひさびさに3人で食事でもどうかなぁと思って、都合を聞きに来たの。
 …あ、えっと、私、先にお母さんの所に行ってるね。」

みゆきは彼女のことを仕事(事件)に関係のある人間だと思ったらしく、
兵吾の邪魔をしてはいけないと思い、その場を早々に立ち去ろうとした。
そんなみゆきに彼女が声をかける。

「あ、私なら、もう用事は済んだから…。お父さんに忘れ物を届けにきただけだから。」
「え?忘れ物?」

意外な言葉にみゆきは立ち止まった。
兵吾は3人で話していることに居心地の悪さを感じながら答えた。

「ああ…。俺が落とした手帳、…この人が届けてくれたんだ。」
「手帳、ってまさか、警察手帳のこと?」
「うん。まぁ、そう…。」
「んもぅ、ダメじゃない!!」
「はい、スミマセン…。」

彼女が笑い出す。

「(くすくすくす)、やだぁ、お父さんより娘さんの方がしっかりしてるのね。」
「うん、そうなんだ。俺、いっつも叱られてばっかり。母親譲りなのかな。」
「やだ、いつもだなんて…そんな怒らないよ、私。
 (彼女の方を向いて)本当にすみません。ありがとうございました。
 (兵吾の方を向いて)お父さんもちゃんとお礼言った?」
「言ったよぉ…。」
「ホントにしょうがないなぁ。またお母さんに怒られるよ。」
「はい。…以後気をつけます。」

彼女は兵吾とみゆきの様子を見てくすくすと笑い続けている。
兵吾はどうにもカッコがつかなくて頭をポリポリとかいた。

「あ、じゃ、じゃぁ、みゆき。先に上に行ってて。俺は彼女のこと送ってくるから。」
「うん、わかった。(彼女の方を向いて)それじゃぁ失礼します。」
「…さようなら。」

みゆきがその場を立ち去るのを2人は見送った。

「ほんとにしっかりしたお嬢さんね。」
「うん。」
「’3人’って、言ってたけど…?」
「別れた奥さんも今、一緒の職場で働いてるんだ。娘は彼女の方が育てていてね。」
「…そうなんだ。」

兵吾の話し方や、さっきのみゆきの様子で、今でも兵吾が別れた2人といい関係でいることが、
彼女には察しが付いた。

「…高見さん。あのね、…」
「あ、あの、俺さ。夕べのこと…」

同時に話し始めようとする2人。
顔を見詰め合うと、黙ってしまった。
沈黙を破ったのは彼女の方だった。

「…私は、夕べの私たちの出会いは、必要なことだったと思ってるの。」
「……」
「私も、高見さんも、どこか似たもの同士で…、上手く言葉にできないんだけど、
 出会ったことでお互いに気付いたことがあるんじゃないかって、思ってるの。」
「気付いたこと?」

彼女は近くのベンチに腰掛けた。
兵吾も彼女の隣に座り、彼女の方を向く。彼女は少し前方を見ながら話し始める。

「…私は、親もいないし頼るような親戚もいないし、そのことで今まで知らず知らずに強がって生きてきた…。そして、自分でも無意識のうちに、自分の心にガードをかけていた、と思うの。…自分の中に他人を割り込ませないできた。…その方が楽だったからね。」

兵吾にもどこか思い当たる節のある話だった。

「…結婚がだめになっちゃった彼に対しても、私、結局は自分をさらけ出していなかったんじゃないかって思ったの。だから、そういう私に彼も本気になってくれなかったんじゃないかなぁって。もちろん、子供のこと、親がいた方がいいって思ったことは本当なんだけど、それだけじゃないんじゃないかなって、今朝から考えてるの。」
「……」
「会社の同僚にしても、わたしは、本気で付き合ってなかった。その場だけ、仲間はずれにならない程度に話を合わせて。もちろん自分の話なんて本心から話してなかった。・・・そんなんじゃさ、親身になってくれる友達なんてできないよね。結婚がダメになって色々言われるのもさ、当たり前だよね。だって、”強気な自分”しか周りに見せてこなかったんだから。それに、ホントは弱虫だから私、言われたことに言い返して”私”に踏み込まれるぐらいなら、自分からその場を離れちゃう方が楽だった…だからすぐに会社を辞めることを選んだ…。」
「…弱虫ってことはないんじゃないかな。決断するのは、勇気がいることだよ。」
「ありがとう…。で、夕べ、不思議なんだけど、初めて会った高見さんに、なぜか素直に自分の気持ちを話せたの。お酒のお陰かもしれないけど(笑)。」
「うん。お互い、だいぶ飲んでたからな(笑)。」
「(笑)。…でもひさびさだったぁ。人前で泣いたの。」
「……」
「…私は、高見さんに出会って、自分の気持ちを素直に吐き出せたことで、自分自身のこと、改めて考えてみる気になった。自分と”同じ”ような人がいるってことに、独りじゃないんだ、って、なんか安心できたっていうか…。そしたら、変わっていかなくっちゃ、…変わりたいって気持ちになったの。今までは甘えてただけかなぁって。」
「…それはいいことだと思うけけど…」
「…だからね、高見さんにも、私に出会ったこと無駄にして欲しくないんだ。自分の気持ちに素直になってみて欲しいの。」
「自分の気持ち?俺が、何か隠してるって?」
「(黙って頷く)。」
「何を?俺は仕事だって、天職と思える仕事につけてるし、仲間にだって恵まれてると思ってるよ。友達だってさ。…そりゃぁ、結婚は失敗したけど、それは、俺が家庭を持つタイプじゃなかったってこと見誤ったってだけのことで…。そりゃぁ後悔することもあるけど、好きなように人生を生きてると思ってるよ、俺は。」

なぜかムキになって反論する兵吾。

「…そうなのかもしれない。高見さんは、私みたいにひねくれてなくて、自分の信ずるままに生きてるのかもしれない。」
「ああ、そうだよ。」
「でもね、夕べの高見さんは…とっても疲れてた。男の人だって、ううん、男も女も関係なく、人は甘えたい時があるものよ。どんなに強がってる人だって、弱い面は必ずあるものだわ。」
「そんなこと…」
「高見さん、嬉しい時は誰かと一緒に喜ぶことができる?」
「ああ、もちろんできるよ。」
「悲しい時は泣ける?」
「自慢じゃないけど、これでも俺は結構涙もろいんだ。悲しくっても嬉しくってもすぐ泣いちまう。」
「じゃあ、疲れた時、自分が弱った時に、誰かに頼れる?」
「それは…」
「自分の弱い面を誰かにさらけ出せる?」
「……」
「…高見さんはたぶんそういうの、苦手でしょ?でもね、そういう気持ちもね、外に吐き出していかないと、どんどんどんどん心が疲れちゃうよ。」
「……」
「高見さんには、そういう気持ちをさらけだす相手がいない訳じゃないみたいだし…。でしょ?
 本当は側にいて欲しい人、いるんでしょ?」

兵吾は膝の上で組んでいる手を見つめて考えている。
彼女は立ち上がると兵吾の目の前に立った。
兵吾は彼女を見上げる。

「私たちが出会ったことは、お互いに、自分の為に必要な出来事だった。…私はそう思いたいの。
 これから、自分がどう生きていくべきか、どう変わっていくべきなのか、考えるいい機会だったって。」
「…」
「…それだけのこと。…高見さん、さようなら。」

彼女は兵吾に手を差し出した。
ここまで彼女に言い切られると、兵吾にはもう何も言えなかった。
『だから夕べのことは気にしないで欲しい』という彼女の気持ちは十分に伝わってくる。
ただ黙って手を伸ばして、彼女と握手をする。

「わかった。…もし、何か困ったことがあったら、連絡をくれ。俺に何ができるかはわからないけど、必要ならいつでも駆けつけるから。」
「ありがとう。”味方”がいるって思うだけで、すっごく心強いよ。でもね、私は、高見さんにも早くそういう”味方”を見つけて欲しいな。」
「…」
「じゃあね。」
「ああ。…さよなら。」

彼女はゆっくりと兵吾から手を離すと、今度は二度と振り返らずに駅へと向かって歩き去った。

彼女が去ってからもしばらくその場にたたずむ兵吾。

−−−別に無理なんかしちゃいないさ。
どっちかって言えば、俺は勝手気ままにやってきた方だろう。
だから周りとのトラブルも絶えなかったし。
疲れてる?そんなことないさ…

彼女の言葉でさざ波が立った心に言い聞かせるようにして、
気持ちを落ち着けると兵吾はゆっくりと立ち上がり、広域の部屋へと帰っていった。

しかし部屋に向かって歩きながらも、やはり色々と思いを巡らしてしまう。

『心が疲れた時はどうするの?』

−−−そんなの、事件に追われていれば気にならないさ。知らぬ間に回復してるよ。

『それでも回復しないものがあったら?』

−−−すぐには無理でもなんとかなるさ。今までずーっとなんとかやってこれたんだし。

『寂しくてたまらない時はどうするの?』

−−−そんな、寂しいなんて言ってる暇はないさ。
…もし、そういう時があれば、酒でも飲んで紛らわすさ。

『…じゃあ、寂しくて誰かに甘えたい時はないの?』

−−−…甘える、なんて、考えたこともないさ。

『本当に?』

−−−……

「お父さん!」

急に声を掛けられハッとして立ち止まると、部屋の前のソファに玲子とみゆきが座っていた。

「どうしたの、ぼーっとしちゃって。」
「え、あ、いや…」
「あー、さっきの綺麗な人のことでも考えてたんでしょぉ〜。」
「な、何を…」
「高見さん、その綺麗な人に、”落し物”、拾ってもらったんだって?」
「あ、ごめん、兵吾くん。お母さんに話しちゃった。」
「普通なら始末書ものよ。」
「始末書ぉ?」
「え?そうなの?やだ、どうしよう…」

始末書と聞いて慌てるみゆき。そんなつもりもなく玲子に話してしまったのだ。
そんなみゆきの慌てぶりを見て、溜息をつく玲子。

「…ちゃんと今は持ってるんでしょうね?」
「もちろん!ほら、これ、これ!」

ポケットから取り出し、玲子に突き出すようにして手帳を見せる。

「わかった、わかったから、そんなに突き出さなくても…。
 今持ってるなら、いいわ。今回はみゆきに免じて聞かなかったことにしてあげるわ。」
「わぉ!ホントに!」
「よかったね、兵吾くん!」
「うん!」

手を取り合って喜ぶ兵吾とみゆきを見て、また溜息をつく玲子。

「まったくもぅ…。そ、れ、で、その手帳を拾ってくれた人にはちゃんとお礼を言ったんでしょうね?」
「う、うん。もちろん。」
「知り合いの人?」
「え、あ、いや…昨日、飲み屋で初めて会った。…隣に座って一緒に飲んでたんだ。」
「そうなの?はぁ〜、よかったわねぇ、いい人で。
 いい?警察手帳なんて悪用される可能性だってあるのよ。以後は気をつけてちょうだい!」
「…はい。」
「それで、その人の名前は?」
「え?…名前……、そう言えば、聞いてない。」
「聞いてない?聞かなかったの?!」
「そんなに、責めるなよぉ…」
「だって、大事なもの拾ってもらった上に、こんな所まで届けてくれた人の名前を聞いてないの?
 住所、…も、もちろん聞いてないんでしょうね、その分じゃ。それじゃぁ、わからないじゃないの、
 彼女がどんな人物なのか。名前と住所を聞いて、身元を確認しとくのは基本でしょ!」
「身元って、…彼女は大丈夫だよ。別に悪い人じゃないからさ…。」
「どうして昨日知り合ったばかりの人のこと、そんなにわかるのよ?」
「そりゃぁ、色々…話したりしたしさ、…」
「私も、あの人、別に悪い人じゃないと思うよ、お母さん。」
「みゆき…」
「私もさっきちょっと話しただけだけど、すごく感じのいい人だった。そんなに考えすぎなくても大丈夫だと思う。」
「…みゆきもそういうのなら、信じるけど…。
 でも、疑うだけじゃなくて、名前と住所ぐらいは聞いておかないと御礼もできないでしょ。」
「はい、・・・すみません。」

玲子に責められる兵吾をみかねて、みゆきが話題をそらす。

「あ、それで、今日は2人とも早くあがれるの?」
「あ、う、うん。私は大丈夫。」
「あ、俺も。」
「そ?じゃあ、久しぶりに、ウチでご飯食べようか?私、これから帰って準備しとく。」
「そうね。たまにはいいかもね。いい、高見さん?」
「俺は、もちろん。」
「よし、じゃぁ、決まり!それじゃぁ2人とも早く帰ってきてね!」



その後は特に出動が必要な事件も発生せずに、平穏な1日だった。
玲子は一足先に帰り、兵吾はひとり、玲子の家に向かって歩いていた。


『…じゃあ、寂しくて誰かに甘えたい時はないの?』

−−−さっきは、今まで「甘える、なんて、考えたこともない」と思った。
だけど本当だろうか。
甘えてない、なんて言いつつ、俺はみゆきに、玲子に、すごく甘えてるんじゃないだろうか。
父親としても中途半端で、夫としても失格で、
だけど2人はこうして俺を受け入れてくれている。
俺は自分の責任をきちんとしないまま、2人に甘えてる。
…そうだよ、それ以外の何ものでもないじゃないか。
いいのか、それで…

「また、ぼーっとしてる。」

不意に声を掛けられた。
気付くとそこはもう玲子たちのマンションの前、そして玲子がスーパーの袋を持って後ろに立っていた。


「あ、一度家に帰ったんだけどね、
 みゆきが買い忘れたものあるって言うから(と言って袋を持ち上げて見せる)。
 …もう、どうしたの?なんだか今日は考え事ばっかりね。」
「あ、いや…」

玲子も今日は心のどこかに何かが引っ掛かっていた。
昼間ちらっと見かけた兵吾と一緒にいた女性。
その後聞いた話からはどうやらあの女性が落し物を届けてくれた女性らしいが。
昨夜飲み屋で知り合って意気投合して、そして親切に手帳を届けてくれた・・・。
あの時見かけた兵吾と女性の雰囲気はそれだけではないような気がしてならない。
それよりも何かこう、もう少し、近しいような、そんな空気を、遠目で見かけただけだが、玲子は感じていた。
だからなのかもしれない。玲子は兵吾の態度が気になって気になってしょうがないのだ。

「ねぇ、何か悩み事でもあるの?」
「え?いや、別にないよ。」
「そう?ならいいけど…。」

玲子がマンションの入口で暗証キーを押して扉を開け、2人は中に入っていく。
部屋まで2人は黙って歩いた。

部屋の前まで来て、インターフォンを押そうとした手を止めて、
玲子は後ろの兵吾を振り返って見た。

「…ねぇ、ほんとに、何かあるなら言ってね。」
「玲子…」
「そりゃぁ、今はもう夫婦じゃないけど、けど、私にとってあなたは一番近い人だし、
 あなたにとっても私が一番近い人間でありたいわ。
 私が何か悩むことがあれば、あなたに聞いて欲しいし、
 あなたが何か悩むことがあれば、私に話して欲しい。
 私じゃ頼りにならないのかもしれないけど…」
「そんなこと、そんなことないよ。うん。ありがと。」

兵吾は玲子が珍しくここまで踏み込んで話してくれたことが嬉しかった。
お互いの顔を見つめあう2人。
その時、玄関の扉が開き、中からみゆきが顔を覗かせた。

「もう〜、2人して何やってるのぉ?早く帰ってきてよぉ〜。」
「あ、みゆき。ごめん、ごめん。はい、これ、頼まれたもの。」
「ちゃんと買ってきてくれた?」

みゆきの勢いに飲まれて、玲子はみゆきと一緒に台所の方へと歩いていく。
1人その場に残された兵吾は、苦笑しながら家の中に入ろうとして、
1歩足を踏み入れようとして、そこで動きを止めた。

−−−いいのか。こんな中途半端な俺が、こうしてずうずうしく玲子たちの家に来たりして。

「んもうぉ〜、お父さん、何やってるのよ〜。」

台所に行きかけて、なかなか家に入ろうとしない兵吾に気付いたみゆきが引き返してきた。

「早く入って!もうね、料理だいたいできてるのよ。絶対おいしいからたくさん食べてね。」

みゆきはそう言うと、躊躇していた兵吾の背中を押して家の中に入れ、
せかすようにして腕を取ると居間へと引っ張っていく。
それはまるで、兵吾の悩みなんてたいしたことない、気にする必要なんてこれっぽちもないんだ、というように。

みゆきの活き活きとした表情を見ていると、
兵吾は自分が悩んでいるのがつまらないことのように思えた。
もっと、素直に、自分の気持ちを正直に表してもいいんじゃないのか、そういう気になってくる。

−−−ああ、俺はいっつもこうして流されて、大事な結論をなかなか出せないでいるんだよな…。
でも、ダメだ。もうそろそろ、ちゃんと考えなくちゃ…。
俺は何をしたいのか。何を望んでいるのか。
誰に側にいて欲しいと思っているのか…(そんなの、昔ッからきまってるけどな)。
……あぁ〜〜、ダメだ、難しいこと考えると、頭がぐちゃぐちゃしてくる。
えぇ〜い!今日は飲んでやるっっ!!!


『本当は側にいて欲しい人、いるんでしょ?』


(END)

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