成田からシャモニへ

2001.7.28〜29


 出発の朝

 さて、とうとう出発の朝を迎えた。
 一週間がかりでパッキングを済ませ、1週間休むための仕事の処理をし、そしたら結局金曜日は残業となり、土曜日はいつものとおり寝不足の朝だった。でも強烈な寝不足のおかげで飛行機の中ではグーグー、スヤスヤ。時差ぼけもなく、現地では体調バッチリで結果オーライだったりして・・・。

 成田発のSQ便は12:00発。10:00に成田空港第2ビル駅の改札で待ち合わせ。僕と豊は横浜から成田エクスプレスを利用。それから石崎さんは憧れの「手ぶらで成田!」を実現したかったそうで、荷物は別送で前日に送ったらしい。
 カウンターでチェックインを済ませ、少し時間があるのでお茶をすする。空港でのこういった時間はなんだか旅情をかきたてるものがあり、なかなかGOOD。シャモニのトポを広げつつ、離着陸する飛行機を眺めながらこれから始まる旅を色々と想像するのだった。
 搭乗時間が迫り、出国手続きをする。7月からあの出国カードが廃止され、出国はとてもスムーズになった。ゲートの周りには日本人が8割で、まだ全然日本を離れるという気がしない。SQの機内は相変わらず綺麗。豊のチケットに日程変更があったため一人だけ席が離れるが、変更したのは帰り便であり、なぜ変更していない行きの便の席がイレギュラーなのか理解に苦しむ。

 そして、離陸。シンガポール/チャンギ国際空港を目指す。

 シンガポールまでの時間は約6時間。機内食が二回でるが、一回は軽食っぽいもの。SQの機内食は結構おいしい。サービスも良い!でも、原はほとんど寝ていたので、他はあまり記憶がないけど(^^;;;




 シンガポールでのトランジットタイム

 シンガポールには現地時間で17:00頃に到着する。もう夕暮れ。南国特有の匂いがする。
 トランジットタイムが約6時間あるので、街まで出ることにする。SQの無料バスツアーに参加しようと試みるも、ギリギリで最終便が出てしまった後でNG。しかたなくバスを使う。シンガポール・ドルを幾ばくか用意する。
 シンガポールは二回目なので、原がナビ役・・・、と思ったが、前回もネパールへのトランジットで寄っただけなのであまり記憶が定かではない。結局、バス内で知り合ったSQのスチュワーデスさん(めちゃくちゃ美人でした)に「安い」「シンガポール料理」のお店を紹介してもらった。タクシーにまで乗せてもらったりして。
 というわけでたどり着いた中国大衆料理屋で食事。これがうまかった〜。中国野菜と鳥料理等々。値段も安い。最高。
 食事を済ませ、シンガポールのメインストリートであるオーチャード・ロードでウインドウショッピング。いつも日本では山のメンツで街中を歩くということがないので、なぜかこのメンツでショッピング・ビル内を闊歩するという行為が新鮮だった。ひとしきり雑踏を泳ぎ、そろそろ疲れてきたころに時間となる。タクシーでチャンギ空港へ。ところがこのタクシードライバーは新聞でも紹介されるほどシンガポールでは有名なガイドだったようで、空港への道すがら、色々な名所を案内してくれた。でも、半分くらいわすれたけど(^^;;;6つ星のホテルがあるのには驚いた。本当に6つ星なんて存在するのかな・・・。

 チャンギ空港では街中を闊歩した疲れでぐったり。出発までの時間、今度はお茶をする元気もなく4人でソファーに沈む。真夜中、24:00にシンガポールを発ち、スイス/チューリッヒへ。

 スイスへの飛行時間は約10時間、時差があるから現地時間で朝の6:00過ぎに到着する。機内食は3回。うち、1回はおやつ程度。しかし、搭乗したとた途端に爆睡をかます原は深夜に配膳される「おやつ」の存在をまったくしらなかった。シャモニについて二日目くらいにイチローが手にしているパンとお菓子の入った小さな箱を見て「なにそれ?」。聞けばそれが深夜に機内で配られたおやつらしい。とにかく、それくらい原は爆睡していた。他のメンツは「ああ、この人はたとえ飛行機が墜落しても起きないのだろうなあ・・・」と僕を眺めながら呆れつつ語り合っていたらしい(^^;;;
 というわけで、チューリッヒに着いたときには体調万全だった。だって、朝食の配膳で起こされたとき、なんてスガスガしい朝なのだろう!と思わずヨーデルでも歌ってしまおうかと思ったくらいだったのだから。




 チューリッヒからシャモニへ

 さて、チューリッヒでは出国後、まず換金をする。これが難しい。というのも、入るのはスイスでも、目指すシャモニはフランス領なのだ。ここではスイス・フランを作るのだけど、一体どれくらい作ったらよいのか悩む。結局、1万円程度換金した。基本的にカードで決済するのだからこれで足りるだろう。
 その後、あらかじめ豊が手配していたレンタカー屋探す。豊はきちんと下調べをしており、スムーズにカウンターへ。保険の加入等々手続きを済ませ、鍵を受け取って車に乗り込む。大きな荷物もちゃんと積めた。

<サービスエリアで。左から石崎さん、豊、イチロー>
 さて、左ハンドル右通行はみんな初体験。では、と体調万全な原が最初の運転手を買って出た。核心は出だしだった。駐車場内の通路は思いのほか狭く、車幅感覚がつかめないので非常に緊張した。空港を出て、標識に従い高速道路へ。日本と同じで、高速道路は緑の標識なのでわかりやすい。でも表示はドイツ語(スイスでは主にドイツ側がドイツ語圏、フランス側がフランス語圏。他に、ロマンシュ語という言語も使われているそうだ)。ちなみにスイスの高速道路は無料。でも、制限速度はあり。ドイツのアウトバーンのように無制限ではない。

 途中、パーキングエリアとサービスエリアに何度か立ち寄った。最初のパーキングエリアでオランダで出発直前の雨宮さんに電話を入れた。うまくつながった。

 みんなで地図をにらみながら行ったおかげで、ほとんどシャモニまでスムーズにいくことができた。途中の峠越えでは道が狭くなり、運転手のイチローは生きた心地がしなったようだけど・・・。


 シャモニに着きました!

 街道の両側がいやに観光地気分になり、シャモニに到着。まず、地図とにらめっこしつつ、ホリデーアパートの管理人であるイアンと落ちあう場所となっているミディへのケーブルの駅を探す。そこからイアンに電話をして到着を告げ彼と落ち合い、鍵を受け取ってホリデーアパートへ。ミディ・ケーブルの駅から本当に徒歩2分で、ロケーションもバッチリ。一気に気に入ってしまった。
 さてその後、豊とイチローは雨宮さんを迎えにジュネーブ空港へ。僕と石崎さんは、まず明朝一番のミディ・ケーブルの予約をし、日本人登山家にはあまりにも有名な登山用具屋「スネル・スポーツ」に行ってメンバー全員の山岳スポーツ保険の加入手続きをした。幸い、神田さんがいたのでスムーズだった。その後、山岳ガイド協会に行って山のコンディション、特に本命のヴェルトの状態の情報を収集する。ここには最近のホットな記録がファイルされており、自由に閲覧できるためとても便利。日本でも、同じような場所があったらよいのに・・・。さらに、カウンターの中にいる人に聞けば、口頭で色々な情報を教えてもらえる。しかし、当然みなフランス人なので、英語はあまりうまくない。
 我々の本命のヴェルトの状況を聞くと、カウンターの中の青い美しい目をしたおばさんが、「雪が多い上に気温が高く、とてもコンディションが悪いわ。ここ一週間くらい、トライする人はいても完登できた人はいない。唯一、クーチェリエル・クーロワールから1パーティ登頂したけど、凄く力のあるパーティーよ。」と熱心に教えてくれた。「too bad condition」を連発していたので、ああ、本当に悪いのだなというのがわかった。
 この時点で、ヴェルトはほとんどあきらめた。シャモニがはじめての我々には危険すぎる。
 その後、tourist informationに行って天気予報の掲示を見る。明日、明後日の天気予報は良さそうだ。シャモニには、町中色々なところに天気予報が張り出してあり、まさに山岳スポーツの基地という感じである。

 ジュネーブから雨宮さんと乗せて豊とイチローが帰ってきた。ルートについて色々相談をし、結局ヴェルトはあきらめようということになった。とりあえず、明日はモンブラン・デュ・タキュル/ノース・フェース・トライアングル/レフト・エッジ(Mont Blanc du Tacul/north face Triangle/left edge)を登ることにした。

 夜は初日ということで街に出てレストランで食事をした。レストランに面した通りでは、かわいい音大生がバイオリンを弾いていたので、バッハのパルティータをリクエストすると我々の前で弾いてくれた。とても上手だったし、なにより楽しそうにバイオリンを弾くのが印象的だった。
 部屋に帰って翌日のパッキングをし、ワインを飲んで就寝した。

 

<サービスエリアで朝食を仕入れる豊と石崎さん>
















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