山笠について
博多祗園山笠は759年の歴史を持つ国の重要無形文化財。県の無形文化財でもあります。現在山笠の参加者は1万人弱、昔ながらのキチッとした上下関係があります。現在の流れになったのは戦後のこと。明治時代は高さ15mの山もあったのですが、電線を切ったことから県知事が山笠の中止を提案。山を低くしてその危機を乗り越えたのだそうです。
昔は高い山で街中をゆっくりと練り歩いていたそうですが、江戸時代中期に土居流が昼食を取っていると恵比寿流が追い越そうとした。それを追い越させまいとする土居流。これが追い山の原点だそうです。
なぜ午前4時59分という半端な時間に一番山が出発するのか、長い間疑問に思っていました。一番山だけは櫛田入りのあと「祝い目出た」を歌います。その時間が1分間。その為に一番山だけは1分早く出発するのです。
追い山では ”櫛田入り” と ”全体” 2つのタイムを競います。櫛田入りは距離にして110m位で大体35秒前後。全体では約5Kmを35分位で走ります。山の重さは約1t(人が載って)。一つの山は26人で舁かれます。ただ大変重い山を担いですごいスピードで走るので、一人が一度に担げるのは100m位が限度。山の上にいる「台上り」が交代を指示し、次々に舁き手は交代していきます。それで山の周りには沢山の人が居るのです。1つの山は総勢1000人位で担ぎます。
追い山は七つの山でタイムを競うのですが、その他に実は八番山「上川端通」があります。これは”走る飾り山”で、重さ約2t・高さ約12mもあり、九州大学の運動部員100名の応援を得て担がれます。全行程は走りませんが、櫛田入りとコースの一部を走ります。今回実際に舁かれているところを見ることは出来ませんでしたが、後でテレビで見ると飾り山の土蜘蛛が口から煙を吐いているし、大きく華麗な山を担いで櫛田入りする様子はなかなかすごいものがありました。
追い山は、広い所では片側4車線の道路から狭い所では5m程の路地まで通ります。道のそばの建物を壊したりしたら大変ですから、広い道では初心者が、狭い道ではベテランが中心となって担ぐのだそうです。その為初心者中心で担ぐ広い道では左右によれやすいのだそうです。
山笠の飾り付けをする時、もっと右・もっと左とは言わず、もっと姪浜・もっと箱崎と言うそうです。姪浜は福岡の西の地名、箱崎は東の地名です。
男たちが身に付けているのは”締め込み”に”法被”。締め込みを決してフンドシと呼んではいけません。これは立派な正装で、山笠期間中はホテルやレストラン、冠婚葬祭などどこでもこの姿で通用します。