シャドウ・アイズ

作 XIRYNN




 「……不愉快だな」


 闇に満ちた怪しげな空間。
 ただ暗いのではなく、真の闇の中で。
 何故か浮遊しているソファーの肘掛に持たれ、やはり闇の色をした少年がぽつりと呟きを洩らした。


 「これは陰謀だよ」


 さらさらと流れ落ちる美しい漆黒の長髪を軽く指で梳き、いかにも不機嫌そうに眉を顰めてみせる。
 その闇色の双眸は軽く潤みを帯び、本人の意図とは関係なく、どこか誘惑するような雰囲気ですらあった。


 「ふぅ…」


 艶然と溜息を一つ。

 何だかよく分からないが異様に様になっている。
 これで声さえもう少し高ければ、絶世の美少女と勘違いされそうな繊細な風情である。
 闇に映えるその様が、見るものを何とも言えない陶然とした気持ちにさせるのだ。

 いや、これも一種の魔力なのかも知れない。
 ただ、抗うことなど出来そうにない。惹かれることが罪だとしても、やはり人は惹かれてしまうだろう。
 清楚であり、かつ妖艶。
 本来共存しえない筈のそれらが何とも微妙なバランスの上に入り混じっており、筆舌し難いまでの幸福と恐怖を与えてくれる。

 そんなことも感じさせないような、飾らず、無造作で自然な彼の立ち居振舞いは加えて凶悪である。
 それらの全てを当然として捉え、奢るでも無い様子には気品すら感ぜられた。

 彼は悪魔ではない。魔王である。


 「やれやれ、君もしつこいね。まだ言っているのかい…ルシフェル?」


 その対面、何故か何も無い空間に優雅に腰掛けて紅茶を啜る銀髪の少年が答えた。
 やはり壮絶なまでの美少年だ。意図不明なアルカイックスマイルが張り付いている。
 深紅の瞳が印象的に、見るものを見透かしたような不思議な輝きを秘めて──

 いや、これ以上の修飾はもう無意味だ。
 彼らは人ではない。美しすぎる。
 造型の問題だけでなく、何かが根本的に違う。
 まぁ、大体にしてこのような謎の空間で平然と宙に浮いている者が人でなど在るはずも無いのであるが。


 「…しつこい、だって?」


 黒髪の少年──ルシフェルはそれを聞いて一層眉を顰める。
 しつこいのは当たり前なのだ。彼らの種族では、この銀髪の少年のように物事に拘らない方が珍しいのだから。

 彼らにとって当たり前の気持ちだ。そのように非難めいた評価はされるべきではない。


 「ふん、君に僕の気持ちが分かるもんか」

 「いや、大体は推察出来るよ。理解は出来ても共感は出来ないけれどね」


 言いつつ紅茶を一口。
 意味なく優雅だった。
 その態度が黒髪の少年の機嫌をますます害したことは言うまでもあるまい。


 「そうそう、タブリスの言う通りだって。ルー君は結局ミカエルが気に入らないだけでしょ?」


 ふと。
 ルシフェルの背後にいきなり影が染み出してきて、その首に腕を絡めつつ蒼銀色の髪の少女が呆れたように言う。
 彼女もまた常識外の美しさである。最早それを述べる気にもなれないほど。

 黒髪の少年はそれに驚いた風も無く、絡みついた少女の細腕を強引に振りほどきつつ喚く。


 「あぁ、気に入らないね!
 あのクソ女、訳分かんないよ。今回だってそうだろ?
 人間ごとき滅ぼすのに、何であんなまどろっこしいことしなきゃいけないんだよ?」


 「う〜ん、色々難しいんだよ…別に滅ぼすって訳でも無いみたいだし。
 大体ルー君は何時もやりすぎるから人間に怖がられるんだよ?」


 そもそも公然と父なる神の悪口を吐いたり、四大セラフに喧嘩売ったりしているのは彼ぐらいのものだ。
 本人たちはチョッとひねた彼なりのコミュニケーションの取り方だと分かっているにしろ、それでとばっちりを受ける人間が良く思わなくて当然だろう。
 それで海が干上がったり山が吹っ飛んだりする訳だし。
 それで一度は世界が崩壊しかけたことも有るほどだ。
 黙示だとかなんだとか人間が騒いでいたけれど、原因は突き詰めればただの痴話喧嘩だったりする。

 勿論神からは厳しい緘口令が敷かれ、この事実が人間側の記録に残ることは無かったが。


 「リリスだって好かれては無いじゃないか?」

 「むぅ…そう言う事言う?」


 ちょっと痛いところを疲れてリリスが唸る。
 世間では魔女だの何だの言われてるのだ、彼女も。

 悪しき魔物である彼女も聖書の記述から抹消された。
 その時はショックで三日三晩寝込んだものだ。何せ、昨日まで女神様と縋り付いて来た人間が掌を返したように冷たくなったのだから。
 ちょっとキレちゃって街を一つ消滅させたら更に事態は悪化した。今では完全な魔物扱いである。


 「ふふ…所詮人間にとって邪悪な悪魔ってことだね、君たちは」

 「マイナーは黙ってて!」

 「く…キツイことを言うね、君は。僕はあまり人間に干渉しないから知られていないだけさ」


 二人に比べて今一ネームバリューで劣るタブリスが悔しそうに歯噛みする。
 人間の記録では兎も角、天界でも屈指の実力者である彼にとってこのことはかなりの屈辱なのだ。
 それほどの拘りは無いとはいえ、同期のラファエル辺りの嫌味には相当参っている。

 彼にマイナーは禁句だった。


 「あ〜、それなんだよ、僕の言いたいのは!
 四大セラフをも凌ぐ最強の使徒であるこの僕が、どうして計画から外される訳?
 しかも選ばれた奴ら…マイナーばっかじゃん?」

 「あー、酷い!わたしはマイナーじゃないもん」

 「ふん、どうかな?最近の人間は無知だからね。でも、ルシフェルやサタンなら知ってるだろう?」

 「そ、そりゃルー君ほどメジャーって訳でも無いけど…タブリスよりはマシだよ」

 「酷い人だね、君は。大体人間に知られてるからといって何の得があるんだい?」

 「…ないけど」


 まぁ、別に有名になったからといって特に何かメリットがある訳じゃない。
 結局の所使徒たちは神への信仰を高めることが仕事であり、自分の名を売ることは関係ないからだ。
 売名行為に勤しみ過ぎた(某悪魔王談)ミカエルは、逆に不必要な敵を作っている。

 ただ、だからと言って折角可愛がってやってる人間に知られてないってのは哀しい。
 マイナーなのは兎も角、悪魔としてメジャーなのも結構哀しい。
 基本的には使徒たちは皆人間のことが嫌いではない。どんな風に嫌いではないのかは使徒それぞれではあったが。

 とまれ、そう言う訳で、こうしてたまに神より回される計画のメンバーになりたがる使徒は多いのだ。

 その最もたるものがこのルシフェルという使徒だった。
 本人も言うように確かに最強の力を持ち、神とすら互角だと言われているほどだが性格にはかなり問題がある。

 力の割に美味しい仕事が回されないのはいつものことでもあるが…
 今回は特に大規模な計画だし、それから外されるとは彼にとって納得しがたいことなのである。


 「何時もそうだ。あの女は僕に何か恨みでもあるのか?
 四大セラフの長だか何だか知らないけど、調子に乗りすぎだよ?」

 「別に彼女も意地悪でやってる訳じゃないさ。
 君が行けば絶対計画が無茶苦茶になるからね…ある意味で適切な人選だよ」


 さらりと、案外酷いことをタブリスが言う。
 ルシフェルの頬が僅かばかり引きつった。
 参考までに言っておくと、彼にここまで言えるのは実は天界にも殆どいない。
 その意味では、ルシフェルもタブリスの実力を認めてはいるのだ。

 リリスは相変わらずな二人の様子を、やはり呆れたように見比べて、それからソファーに沈み込む。
 どちらにしても彼女らは…タブリスも含めて異端視されいる。
 最強クラスの使徒が三人も固まっていれば、他が怖くて手出し出来ないだけだが。


 「別にさぁ、ミカエル本人もノータッチなんだし、そんなに目くじら立てなくたっていいじゃない?」

 「甘いよ!やつはそうやって神に自分の謙虚さをアピールしたいだけなんだ。
 みんな騙されてるんだ、あの偽善者に。僕は実際に天軍の長の座を追われて嫌と言うほど知ってるよ」

 「それは…君が軍を私的に運用してたからだろう?」

 「忘れたね」


 ルシフェルは罪悪感の欠片も見せず言い放った。
 いや、実際悪いことをしたとは思ってないのだろう。
 そも、彼に罪悪感の欠片でもあれば、今日のような事態には陥っていないのだけれど。
 タブリスはそんなルシフェルの様子に、もうこれ以上言っても無駄とばかりに溜息を吐いた。


 「やれやれ…とにかくもう決まったことだ。今回は諦めるんだね。
 さて…じゃあ、そろそろ行こうか、リリス?」

 「うん…そう言う訳だから、大人しくお留守番しててよ?」


 そう言って、二人は何も無い空間で立ち上がる。
 一体どうなっているのやら、この空間の物理法則その他全ての現象の理屈は一切謎だが。


 「ったく、いいご身分だね!」


 かなり身勝手でお門違いな悪態を吐くルシフェルの方を、二人はちらりとだけ見遣り──
 それから静かに闇の中に染み入るように消えてしまった。


 「ふん」

 ルシフェルはよりあからさまに不機嫌になる。

 彼は面白く無さそうに、ミカエルから渡されたシナリオの冊子を取り上げた。
 中にはびっしりと計画の骨子が書き込まれている。

 ルシフェルは暫くそれをぱらぱらやった後、何も無い闇の中に放り捨てた。
 取りあえず気に入らない。

 何も人間に神への不審を抱かせないように黙示をする為に、こんなに面倒なことをする必要があるのだろうか?
 わざわざ偽の預言書をでっち上げて、人間たちに自滅させようなどと…。


 「…………全く気に入らないね」


 それからルシフェルはゆっくりと立ち上がった。

 よく分からないが、口元を邪悪な三日月の形に歪めつつ…。




第壱話:魔王、覚醒




 海上を潜行する巨大な影の上を、UN軍の戦闘ヘリが監視する様に旋回飛行している。
 海岸線には戦車隊を隙間なく配置し、正に第一級の警戒体制をしいていた。

 水没したビル街の隙間を縫うように、黒い影がゆるゆると回遊している。
 それは、まるで何かのジオラマのようにも見えた。
 沈んだビルはかつての反映も見るかげなく、打ち捨てられた都に舞うようなそれは、神の御使いの断罪を暗示していたかもしれない。

 照りつける熱帯の日差しは、どこか不自然な熱を帯びていた。
 不思議な静寂が、ただ辺りを満たしている…。
 刹那。

 ひどく不愉快な静寂をうち破り、水平線に一柱の水しぶきが上がった。
 それに合わせるように、戦車隊は全火力を惜しみなく振り絞って砲撃を始める。


 轟音。


 しかしその影はまるで意に介さない。
 黒い使者はついに上陸した。






 一帯にアナウンスされる内容は、どう考えても正気とは思えない内容だった。

 『本日12時30分、東海地方を中心とした、関東地方全域に特別非常事態宣言が発令されました。住民の方々は速やかに指定のシェルターに避難して下さい』

 それでもきちんと避難が完了しているのは、やはりこの街の住民が日常的に避難訓練を繰り返す特殊な性格を持っていたからであろうか。
 他の街ではこうは行くまい。大体非常事態宣言自体、普通は出ないだろう。

 まぁ、それはさて置き…。


 「……ふん……」


 列車も全線不通となったため、このとき唯一の外部からの訪問者は、立ち往生を食らっていた。
 その所為なのかすこぶる機嫌が悪い。

 せっせと破壊活動に勤しむ巨大生物の方を静かに観察しながら、彼は何故か酷く忌々しげに吐き捨てる。


 「ちっ、サキエルごときが先発とはね?僕ならもう世界が滅びてるのにさ!」


 よく分からないが無茶苦茶言っている。
 どうやらサキエルというらしい巨大生物の破壊能力の低さに憤慨しているらしい。
 傍目には充分なのだが、彼の基準は世界滅亡なのだから仕方が無い。


 「全く…ミカエルめ、何を考えてるんだ?」


 海岸線を見据えて、そんなセリフがポツリと洩らされた。






 閑散として車の一台も通らない道を、一台の青いルノーが猛スピードで駆け抜けていた。
 運転席の若い女性が時折、カーナビに注意しながら、こちらもやはり緊張感のない口調で愚痴っている。


 「よりによってこんな時に見失うなんてまいったわねぇ〜」


 ちなみに彼女が物事を円滑に処理し得た『そんな時』など存在しない。
 どっちかというと『こんな時』は日常茶飯事だった。
 要するに一事が万事こんな調子なのだからどうしようもない。

 大体参ったのは待たされている方だろう。
 待ち合わせに遅れる方は兎も角、遅れられる方は溜まったもんじゃない。
 反省の色も見えない彼女だが、ただこの時、今の状況だけは彼女は自らの迂闊さを悔やんでいた。


 「しっかし凄いわね…こりゃ。ホントにあのヒゲの息子かしら?」


 一瞬だけ余所見運転をして、彼女は傍らのファイルの方を窺い、どこか感心したように呟いた。
 ファイルにクリップされているのは、背中まで届く美しい漆黒の長髪に吸い込まれそうな深い闇色の瞳の神秘的な雰囲気の容貌の美少年が、やや俯きぎみに笑みを浮かべている写真だった。

 まぁ、確かにとんでもなく美少年なのは間違いないが。
 何となくお近づきにはなりたくない。この不気味な笑みだけは父親譲りなのかなと、彼女は今一度認識を改めた。


 「う〜ん、ちょ〜っち暗めかな?ま、その辺はお姉さんがちゃあんと教育してあげないとねん♪」


 後々彼女はこうセリフを修正されることになる。
 教育されるのは実は彼女の方だった。






 人っ子独りいない箱庭のような街並みが広がる中、先ほどの写真の美少年かと思われる人物が公衆電話に向かってなにやらぶつぶつとこぼしていた。
 電話からはただ色気の無い機械音声が流れてくる。


 『特別非常事態宣言発令中のため、現在通常回線は全て不通となっております』

 「ふむ…だろうね。しかし…これからどうするか。ネルフとやらに行くか?」


 彼は電話機に接続していた手元の端末を抜いた。
 ディスプレイには回線の物理的切断による接続エラーの可能性が80%以上である旨が表示されてている。
 ソフトウェア的にロックされているのならば何とでもなったがこれではどうしようもない。

 彼はそれをちらりと見遣ってから、軽く右の手を振った。
 刹那──。

 闇が生まれ、一瞬で閉じる。
 専門用語ではディラックの海とも呼ばれる虚数空間へのゲートが開き、端末をその中に飲み込んだのだ。
 因みにこのとき某特務機関のセンサーの一部がメーターを振り切ったことはご愛嬌。


 「別に僕には関係ないけどね…でも、あんな下級使徒に好き勝手させるのも面白くないし…
 何よりミカエルの計画通りに事が進むのは気に入らないからね?」


 ミカエルの計画──。
 偽の予言をでっち上げ、巧みに人間を誘導して強制進化させる計画だ。
 そのための重要ポストに、この自分は──というより”碇シンジ”はいる。

 唯一祝福されぬ生贄として。


 「まぁ、それだけじゃないんだろうけど…ふふ…でも甘いよ?この僕を──”明けの明星”を舐めてもらっちゃ困る」


 取りあえず気に入らないので邪魔をすることにした。
 極平凡な少年だった”碇シンジ”にやや脚色した未来予想図を見せ、絶望の淵に追い落として血の盟約を結んだのだ。

 ”碇シンジ”は魂と引き換えに人類への復讐を望んだ。
 まさに彼──ルシフェルにとって一石二鳥…世間知らずの少年はこうしてまんまと悪魔に騙されたのである。

 ルシフェルは早速”碇シンジ”と融合し、ミカエルのシナリオにない最強の第壱拾九使徒”サタン”として覚醒した訳だ。


 「ま、いいか…僕は真面目な使徒だから、きちんと契約は遂行しないとね?」


 ルシフェルは受話器を置いて、手にした写真を検分するように眺める。
 写真に写っていたのは黒髪のグラマーな美女。
 その豊かな胸の谷間には『ここに注目!!』などと書き込みがしてあり、挙句の果てにキスマークまでがつけられていた。

 知性も品性も見当たらない。
 ルシフェルは嘲るように唇の端を吊り上げた。


 「これが葛城ミサト?なるほど…先ずはこいつに絶望を見せてやろうかな」


 ”碇シンジ”の仮想未来での記憶を探りながらルシフェルが呟く。
 この女はとんでもない偽善者だった。ルシフェルは偽善者が大嫌いなのだ。


 「先ずはその陳腐な復讐劇を喜劇に変えてやろうじゃないか──と、ん?」


 そこまでと呟きかけた時、辺りに凄まじい轟音が響き渡った。
 発音源の山の方角を振り向くと、UN軍の戦闘機の群れがゆっくりと後退し始めている。

 その様子を一瞥して、ルシフェルの繊細そうな相貌に凄惨で酷薄な表情が、一瞬浮かんで消える。


 「無能…まぁいい。サキエル、今から僕が地獄を見せてやるからせいぜい今のうちに調子に乗っておくんだね」


 揶揄するように少年は呟きを洩らした。






 それから暫く。
 その後からアニメやマンガでしか見られないような巨大な人型のロボットのようなものがゆっくりと姿を現した。
 ルシフェルはそれを綺麗な目を細めて見ている。


 「……アダム?いや…違うね、リリスか。中にいるのは…リリス?」


 それは驚嘆というには余りに淡白だったが、予定通りの事柄を確認したというよりはいくらか感情がこめられていた。


 「…よく分からないけど、人間も妙なことをするね?あんな抜け殻がなんの役に立つのか…
 まぁ、その辺の情報操作はラファエル辺りがやりそうだけど」


 ルシフェルはあの嫌味な伊達メガネを思い出して僅かに眉を顰める。
 よく考えればあいつこそ偽善者だ。どう考えても自分よりも性格が悪いくせに、人間にはかなり上級の天使として称えられている。
 偽善者嫌いはこの辺から来ているのかも知れない。

 どうやったのかは分からないが、しかし上手くやったものだ。
 アダムは基本的に人間に友好的だった。
 説得すれば味方になってくれたかもしれないのに…あんな抜け殻を利用して侮辱するとは。

 ルシフェルは珍しくあの平和主義者が人類滅亡の計画に手を貸した理由を何となく理解した。
 つまり、人間は彼の予想以上に愚かなのだ。

 一度滅ぶべきなのは間違いないだろう。


 「まぁ、いい。君は君で頑張ればいいさ。僕は僕で勝手にやるからね?」


 面白そうに呟き、それから彼は静かに街へ向けて歩き出した。





 ディスプレイに表示された移動物体を追うように幾つかの光点が並走していた。
 オペレーターの声が状況の割に落ち着いているのは彼らがプロであるからなのか、あるいは彼らの対峙する恐怖が画面越しであるからなのか。

 その発令所はとにもかくにもフル稼働中だった。

 『正体不明の物体は依然本所に対し進行中』

 『目標を光学映像で確認。主モニターに回します』

 オペレートとともにメインモニターには巨大物体が映し出された。
 まぁ、何と言うか確かに正体不明の物体である。
 全身を黒いタイツで覆ったかのごとき、不恰好な人間の出来そこないの胸の中央には不気味な白い仮面がついていた。

 一瞥して、背後に腕を組んだ初老の男が言う。
 さして驚いた様子もない。
 どうやら彼にとっては正体不明の物体でも何でも無いようだ。


 「…15年ぶりだね」


 それに対し、赤いサングラスの男が既知の事実であるように返す。
 ヒゲ面がかなりむさい。というか、どう見ても悪人面だった。


 「ああ、間違いない。使徒だ」


 呟いて、同時に軽くほくそえむ。
 何だかよく分からないが、とても嬉しいらしい。






 ルシフェルの頭上を通り抜けて、ミサイル弾が使徒と呼ばれた巨大物体に突き刺さった。

 閃光。
 爆発。

 ミサイル弾は全弾命中したようだが、目標に対し効果は皆無であるようだ。
 逆に、その爆破の余波による地上建造物の被害の方が深刻だ。


 「話にならないね…。これじゃ、ミカエルの計画は僕が来るまでもなく頓挫しちゃったんじゃないか?」


 爆風の余波に煽られて靡く髪を抑え、僅かに舞う砂塵にその細い眉を少しだけ顰めて見せる。
 計画では人は彼らに打ち勝たねばならない。無論、全力の彼らには勝ち得る筈もないので、出来るだけ戦闘に不向きな使徒を、更に封印をつけて送り出したのだが。

 若しかしたら日頃虐げられている鬱憤を晴らすうちに当初の目的を忘れているのかも知れない。
 ルシフェルは一瞬そう考え、流石にそれはないかと頭を振った。
 本当だったら哀しすぎるから。

 ──と。

 使徒がまるで意に介さぬように、思わず接近してきた戦闘機の一機を腕から伸びた光の槍で無造作に貫通した。
 戦闘機の全戦力が無効化する。

 貫かれた戦闘機はふらつくように、ルシフェルのすぐそばの路上に突き刺さった。

 焼けるような熱気。
 爆風が彼を襲った。

 それでも彼は微動だにしない。
 ただ不愉快そうに吐き捨てたのみだ。


 「ったく…問題外だね…」


 それが誰に向けての言葉であるのかは、分からない。






 爆風が収まった頃、ルシフェルの眼前に青いルノーが滑り込んできた。
 何だか意味なくスピンターンを決めているが。

 少々乱暴にドアが開く。
 中からは一人の女性が顔を出した。


 「ごめぇ〜ん。お待たせぇ〜」


 どうやら先ほどの写真の美女のようだったが…。
 ルシフェルはそれを確認するとにやりと笑みを浮かべた。勿論こっそりと。
 今はまだ本性を曝け出す時ではない。

 散々利用してから裏切ってやればいい。
 そのほうが断然面白いのだ。


 「早く乗って!」

 女性はいきなり無責任に言い放った。
 遅れといて随分な物言いである。普通の人間だったら彼女の五分の遅刻が生死を分けていた可能性もあると言うのに。
 ルシフェルはややむっとしながらも、特に表情には出さないで車に乗り込んだ。

 車に乗り込むと同時に美女が確認してくる。


 「碇シンジ君ね?」

 「……正解でもあり、誤解でもあるね。ただ、君がそう望むなら僕はそのようにもなれるが?」

 「へ?ちょっと…何言ってんの?」


 ミサトはちょっと焦った。
 気が動転して、錯乱しているのだろうか?

 困惑の表情を浮かべるミサトを無視して、シンジは更に言葉を重ねる。


 「ところで君は?
 まぁ、君が誰であろうと君以外にはなれないが、君という存在を僕がカテゴライズする上では特に重要だからね…
 共通理解の上に成り立つ低級なデジタル情報であろうとなんであろうと構わないが、君と言う存在を明確に世界から切り離す記号を教えて欲しいね」

 「え…えっと…シンジ君、大丈夫?」

 「困った人だな。名前を言えと言ってるんだよ。君こそ大丈夫か?」

 「……っく」


 何だかよく分からないことを言うシンジにちょっと腹を立てる。
 じゃあ最初からそう言えよと心の中で毒づきつつ、表面はにこやかに笑う。
 彼女は──それなりに大人だった。
 飽くまでそれなりでしかなかったが。


 「わ、私は葛城ミサト。私のことはミサトでいいわよん♪」

 「…ミサトさん、ね」


 ついでににっこりとスマイルをセットで答えてみる。
 案の定安心したミサトも釣られるように笑みを浮かべた。

 (ふふ…楽勝だね)

 人間は単純な生き物だ。
 表面で殆どを理解しようとして、納得する。
 今の彼女がまさにそれだろう。事前に調査した資料と、今のルシフェルの対応で分かった積りになっている。

 会った事もないくせに、”碇シンジ”を勝手に決め付けている。
 まぁ、そのほうがやり易いのだが。

 そうやって人間は彼らしい彼に期待して、勝手に裏切られて呪いの言葉を吐く。
 この、碇シンジと言う名だった少年みたいに。

 だから滅茶苦茶にしたくなった。
 今すぐにでも壊してみたくなった。
 この魂は碇シンジのものだ。彼は自分が大嫌いだったのだ。






 UN軍による使徒への無意味な攻撃はいまだ続いていた。
 効きもしないミサイル弾を打ち込み、回避行動を繰り返す。

 そろそろ自分たちの行動の虚しさにも気がついてはいたが、まぁ命令なので仕方がない。
 体面と言うものもある。正体不明の物体ごときにUN軍が敗北する訳にはいかないのだ。

 ルシフェルは──シンジは、その様をいっそ憐れみさえ込めて見上げていた。
 本当に、人間は悲しい生き物だ。
 数が多すぎるからか、死を恐れる心が信じられないくらいに希薄なのだ。


 「ふむ…」


 見ているうちにもまた一機。
 必要以上に使徒に近づいた為に打ち落とされた。

 全くの犬死だ。

 例えば彼かが神様を信じていて、死の間際にそれに祈っていたのだとしたら。
 彼を殺したのが神様の僕で、憐れんでいたのが悪魔だと言うことに絶望しただろうか。






 作戦本部ではその様子がリアルタイムでオペレートされ、状況の詳細や分析結果が報告されている。

 『目標は依然健在。第三新東京市に向かい進行中』

 『航空隊の戦力では、足止めできません』

 「……っ、総力戦だ。厚木と入間も全部あげろ」


 報告に混じって、無骨な軍人の怒鳴り声が割り込んでいた。
 指揮官のくせにエキサイトし過ぎていた。気持ちは分からなくもないが、少なくとも彼は有能だとはいえない。


 「出し惜しみは無しだ!!なんとしてでも目標を潰せ!!!」


 軍人の手元の鉛筆が握力に耐えかねてへし折れる。
 既に冷静を欠いていると言っていいだろう。
 正体不明の、それも何体いるかも分からない存在に対して、総力戦はあまりにも危険すぎる。

 まぁ、どちらにせよ、今出し惜しみすれば、何もかも終ってしまうことは確かではあったが。


 「何故だ!?直撃のはずだっ!!!」

 「戦車大隊は壊滅…誘導兵器も砲爆撃もまるで効果無しか…」

 「駄目だ!!この程度の火力では埒があかん!!!」


 不足していたのは火力ではなく、実は信仰だったと言う事を彼に教えてやるべきだったろうか。






 その背後で、初老で白髪の男が静かに、質問するというより確認するように口を開いた。
 喚き散らす軍人と違って、妙に落ち着いている。
 その余裕の出所が一体何なのかは、分からないが。


 「やはり、ATフィールドか?」

 「ああ、使徒に対し通常兵器では役に立たんよ」


 同意するように、赤いサングラスの男が答える。
 だがそのことを教えてやる理由もなければ義理もなく、ましてや利益などあるはずも無いのだ。

 シナリオは既に動き始めている。
 軍はせいぜい使徒に対しての己の無力さを実感しなければならない。






 ──と。
 軍人たちにどこからか電話がかかった。
 一人の軍人が、僅かに眉を顰めつつも受話器を取る。


 「……分かりました。予定通り発動いたします」


 幾ばくかの緊張を込めて首肯する。
 それが、最後の手段なのだ。
 その様をちらりと見遣り、初老の男が呆れたように溜息を吐く。

 さて…今度は一体どんな醜態をさらすつもりなのか?

 彼は皮肉るように呟いた。






 「ミサトさん…様子が変だよ?」


 高速で駆け抜ける車内で、シンジは不自然なほど余裕に言った。
 例えば今日は晴れですね、くらいに気軽に。
 勿論彼にとって実際にその程度の瑣末事に過ぎなかったのが原因である。

 空中に全戦闘機が使徒より離脱するのが見えた。
 その様子を双眼鏡で確認し、ミサトは驚愕の声をあげる。


 「ちょ、ちょっと…まさかN2地雷を使う訳ぇ!?」

 「みたいだね?」

 「みたいだねって…状況分かってんの!?N2地雷ってのは…って、そんなのどうでもいいから伏せるわよ!」

 「…仕方ないな」

 「だぁあああ、もう!!」


 余りの緊張感の無さに何だかムカつきつつも、ミサトはとりあえずシンジを抱えて車の中で伏せる。

 と、同時に巻き起こる大爆発。

 ──轟音。

 爆炎が天空を突き上げ、一瞬後に二人の乗る青いルノーは衝撃波の直撃を受ける。
 車は吹き飛ばされ横転した。






 「やった!!」


 思わず立ち上がりながら歓声を上げる一人の軍人。
 それもそのはず、N2兵器といえば純粋な破壊力では核をも凌ぐというほどの、現存する最強の物理兵器だったのだから。


 「残念ながら君たちの出番はなかったようだな」


 もはや勝利を確信したのか、背後に控える初老の男と赤いサングラスの男の方を振り向きつつ得意そうに言う。

 その余りの単純さに、初老の男は気付かれないように小さく眉を顰めてみせる。
 赤いサングラスの男は完全な無視で返した。

 『衝撃波来ます』

 直後、センサーは沈黙し、メインモニターの映像はサンドストームに埋め尽くされた。






 横倒しになったままの車から顔を出すと、僅かな熱気が辺りに揺らめいていた。
 少し痛みの残る左腕を摩りつつ、腕の下に庇った少年の楽しそうな笑顔を確認して溜息をつく。
 何が楽しいのやら訳が分からない。


 「大丈夫だった…に決まってるわよね」


 少々うんざりしつつミサトがぼやくように確認する。
 返事はなかった。

 再び深いため息をつくと、手を差し出してシンジの体を引き上げ──ようとした腕をシンジが振り解いた。
 いきなりの事にミサトはちょっと唖然としてしまう。


 「ふん、無礼者め」

 「な、な、な」

 「言語中枢に問題でも?」

 「って、んな訳ないでしょ!目上の人間に向かってあんたねぇ?」


 ミサトは頬を引きつらせつつ応えた。
 シンジはその様子に思わず失笑する。


 「狭量な価値観だな。尤も、そうでなければ今の君はいないだろうね?そうやって君が生きる言い訳にしてるんだろう?
 まぁ、そのこと自体否定はしないが…見る人が見れば憐れだよ」

 「…どう言う意味?」

 「さてね?ただ、そうやって僕を憎悪の視線で見ている君は、一般的な『幸福』とは縁遠い人間に見える」

 「…………」

 「まあそれは良しとして…とりあえずこれを持ち上げますか?」


 横倒しになった車に背を向け、軽く沈みながらシンジが言う。
 ミサトは表情に多分の疲労を見せつつ、軽く溜息を吐いて頷いた。






 NERV作戦本部はある種異様な雰囲気に包まれていた。

 片やもう終わったとばかりに余裕でくつろいでいる軍人たち。
 片や使徒がこの程度の攻撃で殲滅できるはずが無いと淡々と作業をこなすNERV職員たち。

 一部、目の前の茶番を辟易した様子で眺めているものもいたが。

 『その後の目標は?』

 マニュアルだからというより、目標がまだ健在であると暗に言うようなニュアンスを漂わせる報告。

 『電波障害のため、確認できません』

 「あの爆発だ。ケリはついている」


 自信満々に言い放つ軍人の一人。
 根拠もないくせに、彼にとっての勝利は既に現実的なものだった。

 ……が。
 大体にして、こう言うとき調子に乗ると期待を裏切られる者である。

 『センサー回復します』

 『爆心地に、エネルギー反応!!』

 「何だとぉ!?」


 信じられない報告に、先ほどの軍人が愕然となり立ち上がって叫ぶ。
 しかしそれを否定する言葉はどこからもかからなかった。

 それが現実であると突きつけるように。

 『映像回復します』

 モニターを悠然と占領する使徒。


 「わ、我々の切り札が…」

 「なんてことだ…街を一つ犠牲にしたんだぞ?」


 犠牲が多ければいいというもんもでもあるまいが…まぁ、驚異的なことである。
 驚愕する軍人たちはようやく自らの相手が何者であるのかを悟った。


 「化け物め!!」


 否。
 使徒である。
 化け物の方が幾らか楽であったに違いない。

 人は神に背くことになったのだから…。

 一人が悔しげに机を叩き、軍人たちは力無く、くず折れるようにイスに座り込んだ。






 「ええ。心配ご無用。彼は最優先で保護してるわよ」


 どこかに電話しているミサト。
 その様を眼を細めて見ているシンジを確認して、ミサトは苛立ったようにため息を吐く。

 (この子…何なの?)

 からかっているにしてはやけに自信たっぷりな上、彼女自身それとなく思い当たる節もある。
 だからこそ腹が立つ。
 もちろん、彼女自身がそれを認めている訳ではないにせよ。

 思わせぶりな言葉は思わせぶりだからこそ、必要以上に深読みをして疑心暗鬼に陥ることになる。
 冷静に捉えればシンジの言葉に真理はない。何処かの小説家何かの一説を抜き出しただけなのかも知れない。


 「だからカートレインを用意しといて。直通のやつね。
  そっ、迎えに行くのはわたしが言い出したことですもの。ちゃぁんと責任持つわよ
  ……じゃっ!!」


 そこでミサトは回線を切った。






 モニター上の使徒に、軍人たちは既に言うべき言葉を失ってしまっていた。

 使徒は、先ほどのN2地雷の直撃により傷ついた最初の仮面を捨て去り、まるでトカゲが尻尾を切り離し再生させるように、新たな仮面を増やして見せた。
 その様は再生というより正に進化。

 ごくり、と軍人の誰かがのどをならした。


 「予想通り自己修復中か…」


 初老の男がモニターの中の奇跡を単純にそう評価した。


 「そうでなければ単独兵器として役に立たんよ」


 赤いサングラスの男は、それが兵器などではないことを知りつつ答える。


 「兵器か…ではそれを使うのは神かね?」


 初老の男の問いに、赤いサングラスの男は沈黙で返した。
 その言葉に含まれた、意外なほどの真実に気がつくことはなかったが。






 使徒の映像を中継していたヘリが破壊され、再び映像はブラックアウトする。
 もはやなす術も無い軍人たちは動揺するだけだった。

 初老の男と赤いサングラスの男だけが、まるで動じず、使徒の能力を冷静に分析していた。


 「ほう…たいしたものだ。機能増幅まで可能なのか」

 「おまけに知恵も付いたようだ」

 「この分では再度侵攻は時間の問題だな」


 アングルを変えて再度モニターに映った不気味な使徒のシルエットが、晴れ渡った青空にひどくミスマッチしていた。






 車が台車の上に載り、扉が閉まると、カートレインは滑らかに動き始めた。
 ミサトは後部座席のほうをミラー越しに眺めて半ば自嘲気味に溜息を吐く。

 それが結局は、自らへの誤魔化しに過ぎないと知りつつ。






 「特務機関ネルフ?」

 「そ、国連直属の非公開組織」

 「碇ゲンドウ…つまり僕の父がいるところだね?人類を守る、大事な仕事だと聞いているが…まぁ、嘘だろう?」

 「嘘?どうして?」

 「さっき死んだだろう、真実すら知らないUNの軍人が。まさに犬死だね…彼は人類なんだろう?」


 揶揄するように言う。


 「そりゃ、犠牲はあるわよ…それに──」

 「いい訳だね?」

 「それはあなたの理屈でしょ?」

 「そうだね。でも、人類を守ることは彼らには出来ないよ。結局どうしても人は死ぬから」


 ミサトは軽く臍をかんだ。
 そんなことは分かっている。そう叫びたい気持ちを咄嗟に抑えると、ゆっくりと吐き出すように深呼吸を一つ。


 「でも私たちは戦わなくちゃいけない。死にたくないから、生きたいから」

 「そうだね。戦う理由は個人的な方がリアルだ。ミサトさんが使徒を見るときの目…最高だよ。腐ってて」

 「──っ」


 ミサトはくすりと笑ったシンジの笑顔に、言い知れぬ嫌悪感を感じていた。


 「あなたは…」


 何かを言おうとして、結局何も言えないまま、喉に刺さった小骨のように飲み込めもせず不愉快になる。
 どうしようもなく吐き気がした。憎くて、哀しくて、殺意すら覚えた自分が、やっぱり情けなかったから。

 そんなミサトから視線を逸らして、興味無さげにシンジは外を見詰めた。


 「…ま、僕は知らないよ。だから何も言えない──多分ね」






 「はい。では失礼いたします…」


 ピッ。


 受話器を置くと、軍人は苦々しげに口を開いた。


 「…碇君。本部から通達だよ」


 それを聞くと、赤いサングラスの男はおもむろに席をたち、軍人たちの前に挑むように向きあった。
 尊大とも言える態度が気に触ったのか、軍人の一人が舌打ちを洩らす。


 「今から本作戦の指揮権は君に移った。
 …お手並みを見せてもらおう」

 「了解です」


 サングラスの男は無感情に応えた。
 皮肉はまるで意に介さないようだ。

 軍人たちはその余裕の様子に皮肉を一層強く混じえて揶揄するように言った。


 「我々国連軍の所有兵器が目標に対し無効であったことは素直に認めよう
 だが碇君!──君なら勝てるのかね?」


 どうやらこの赤いサングラスの男は碇と言うらしかった。
 碇──碇ゲンドウはサングラスを押し上げ、投げやりのようでいてしかし確信を込めて言う。


 「ご心配なく。そのためのネルフです」






 「これから父の…ゲンドウの所に行く訳だね?」

 「そうね、そうなるわね」


 ミサトはコンパクトを覗いて化粧直しをしていた。
 薄く赤いルージュが惹かれるその様に、シンジは冷ややか目線を向けていた。

 それが一つの逃げの形だと見抜いていたから。


 「さて父は…僕をどう憎むかな?」

 「…………」


 ミサトは何も答えることが出来なかった。
 シンジの笑みがより深くなる。
 ミサトは気が付けば無意識に呟いていた。


 「わたしも最後まで父親が苦手だったわ」

 「ふん…下らないね?」

 「──っ」






 ──と。
 ミサトが何かを言い返そうとした、刹那。
 カートレインは長いトンネルを通り過ぎ、ジオフロントに抜けた。


 「…ジオフロント」


 消化不良の思いを抱きながらも、ミサトはとりあえず目の前の光景に意識をそらす。
 眼前には広大な地下空洞が広がっている。


 「そう、これがわたし達の秘密基地…ネルフ本部。
  世界再建の要…人類の砦となるところよ」


 ミサトが苦虫を噛み潰したようにはき捨てた。
 だが、シンジはおかしそうに笑う。


 「いや、人類は既に最後の砦を攻略された。ある意味においてはね?」

 「どう言う意味?」

 「ネルフは人類の滅亡を防ぐ為に作られたんだろう?」

 「そうよ…」

 「だからさ」

 「どう言う意味?」


 要領を得ない言葉に、いい加減あからさまな苛立ちと共にミサトが詰問する。
 余裕の無くなって来たミサトを面白そうに眺めながら、シンジはいっそ清々しい笑みを向ける。


 「……」


 普通じゃない。

 今更ながらに心中で呟きつつ、ミサトはどうしようもなく湧き上がってくる殺意を必死で押さえつけていた。
 ともすれば泣き叫びたくなるような、この歪んだ狂気の衝動を。






 『エヴァ初号機回収完了!』

 『パイロットは重症…脾臓破裂の可能性があります!』

 台車に乗せられ、血まみれのボディースーツの少女が運ばれて行く。
 痛々しい包帯が全身を覆い、呼吸は乱れ危険な状態だった。


 「国連軍もお手上げか。どうするつもりだ?」


 モニター越しにその様子を見ながら、初老の男──冬月コウゾウが碇ゲンドウに訪ねる。
 その脇には金髪で白衣の女性が控えていた。


 「初号機を起動させる」

 「初号機を?そんな、レイにはもう無理です!」


 女性が身を乗り出すように言った。
 しかしゲンドウは別のモニターを一瞥して、落ち着いた態度を崩さずに淡々と告げる。


 「問題ない。もう一人の予備が今届いた。」


 それを聞いてあからさまに眉を顰める冬月。


 「しかし…あれはどうもおかしい。去年の失踪から突然の変化…疑ってくれと言わんばかりだ」


 「だが初号機を動かせるのはレイを除けば『あれ』だけだ。
  仮に老人たちの使用人だとしても、これを見越してのことだろう。ならば利用できるものは利用する。
  邪魔になれば消せばいい」

 「しかし碇…」

 「問題ない…それに今は手段を選好みしている時ではないはずだ」

 「そうか」


 冬月はこれ以上は無駄とばかりに締めくくった。
 視線の先にあるシンジのプロフィールに眼を落しつつ…。






続くんでしょうか?(笑)




後書き by XIRYNN

あれれ?
何だか暗いぞ。おかしい…。(汗)
うぅん…ホントにギャグなんですよ、これ。
お願いですから信じて下さい。(笑)