現実主義者を装っていても、何処か夢見がちで可愛い人だ。
時折思い込みで暴走してしまうのが珠に瑕で、例えば僕に友達が居ないと勘違いして色々構ってくれるのには少し辟易したりもする。
容姿には恵まれていて、成績も自慢出来るレベル。運動神経は、まあそれなりだが、何だか鈍い。あと、金銭感覚が何かおかしい。話し方は擦れた大人ぶっていて、それで居て口調は少し舌足らず。笑顔はどこか子供っぽく、その癖、頬に張り付いた柔らかな髪を掻き揚げる仕草が奇妙に艶っぽい。
そんなだから男受けはするのだが、一部の女子からはかなり嫌われているらしいと言う噂も聞く。
とは言っても、彼女の数倍は敵が居るだろう僕が言えた義理じゃないけれど。
彼女の兄とは色々と因縁がある。彼との間には碌なことがなかった――自称職業革命家の怪しい中国人、要するに国際テロリストを押し付けられる羽目になった時は殺してやろうかと思った――所為で関係は大変悪い。そんな事情もあってか、どうも彼は彼を陥れる為に彼女を僕が狙っているのだと邪推している節がある。全く馬鹿げた話で、筋金入りのシスコンは始末に終えない。懸念そのものは決して的外れではないにしても。
唯一つ言える事は、本当の意味で妹を思うならば、彼は即刻職業を見直すべきだと思う。
まあ、勿論、これも僕が言えた義理じゃないのだけれど。
さて、彼女のことなのだが、自惚れでなければ僕に好意を抱いてくれているものと思う。正直に言えば、それ自体は僕も悪い気はしていない。ただし、仮に付き合うとなると、それは相当難しいことだろう。
彼女の兄の件もそうだし、なんと言っても僕自身がまともじゃない。
断言すれば、僕は悪党だ。
人を騙したり、傷つけたりすることを生活の一部にして来たからだ。
家族がろくでなしだった事なんて言い訳にしかならない。他人の不幸を見るのが大好きで、誰かを好きに操る喜びを知っている僕は、もう僕の下劣な獣性を否定出来ない。それを殊更に嘆いたり、誇らしく思ったりすることもない。そう言う全てが僕だと理解してしまったに過ぎないのだ。だからいつか酷い目に遭って、地獄に叩き落される日が来るに違いない。
誰だって最低の自分を知っているんだと思う。妄想の中で幾らだって最低のことをするだろう。僕はそれが出来る程度に恵まれてしまった。そして一度でも妄想を形にしてしまった時点で、僕は普通には戻れないことを分かったのだ。
ついでに言えば、僕はとても嘘つきだ。
現に彼女は僕なんかに好意を抱いてしまったから。
僕が彼女を好きだからそう仕向けたのか、彼女が僕を好きになってくれたからそう思うのかが分からない。
などと、どうでもいい筈のことばかり考えて、最近は苛々することが多い。
溜息を吐いた。ああ、また幸せが逃げて行った。
何だか凄く胸がざわざわとする。
このもどかしい気持ちを無理やり名付けるとしたら、きっと恋とでも言うんだろう。
だけれども、僕と目が合って恥ずかしそうに視線を逸らす彼女の姿に思うのは、酷く遣り切れない罪悪感なのだ。
そんな時ふと、勝手ながら子供っぽく思ってしまう。
無性に物寂しい気持ちになったのだ。
君は本当に、男の趣味が最低だ。
自分で言っていては世話が無いけれど、僕みたいな異常者を好きになるなんて、君はどうかしている。
つまり、そんなどうかしている君に惹かれている僕は、矢張り異常者なのだろう。
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さ くらの!
第四晶(U):Ghost [U]
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ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃ。
人魂、人魂が! ヤバイ、マジヤバイ。
いや、誰が悪いって僕が悪いんだろうけど、ほ、本格的に呪われると幾らなんでも怖すぎ。
何か蒼い人魂が僕の周りをふわふわ旋回してます。
現れたタイミングと言い、凶悪な鋏みたいなのを吐き出してることと言い、状況から見て蒼星石の魂なんだと思う。
うぅ、事故と言うか、その積りは無かったんだけど、そんな言い訳は通じないよねぇ?
翠星石はと言えば泣き喚くばかりで話も聞いてくれないし。それどころか何やら如雨露を操って異常な勢いで伸びる樹に水遣りしてるし。良く見たらあっちはあっちで翠の人魂が踊っているし。
僕に怒るのはまだしも、行動が意味不明すぎる。と言うか、何が何やら理解出来ないし、そもそも樹が蒼星石の体に当たりそうで正直動けません。
人魂が吐き出した鋏は鋏で勝手に動き回って狂ったように樹を切り裂いてるし。どう言う事なの? 樹は友達なんじゃなかったのかと。友達だったから僕に怒ったわけで、切りまくりとか……。
むぅ。もしかして伐採が趣味で僕が燃やした所為で楽しみを奪われたのがまずかったとか?
何か違う。いや、食うとか食わないとか……あ。
まさか、そう言うこと?
あの樹は、何か果物がなる樹で、それを僕が食べつくした上に嫌がらせで燃やしたとかそう言う誤解をしたとか。
そんな……僕は、そんな独り占めするような酷い奴なんかじゃないのに。どうして分かり合おうとしないんだろう。
真剣にお互い向き合って、きちんと話が出来れば、きっと上手く行くはずなのに。
現実は本当にままならないなあ、と思う。
そりゃあ、話し合って何もかも解決するとは思わない。だから戦争があるんだろう。
だからって、最初から決め付けて暴れたり、泣き喚くだけじゃ何も変わらないのに。
今だって、蒼星石の体が傷つくかも知れないって、気付きもしないじゃないか。
って、言ってるそばから。あー、もう、危ないって言うのに!
――三ヶ月前――
強いて言えば嘘は吐いていない。
あの日の出来事の内、かなりの部分が偶然であったことも事実ではある。裏を取られたとしても、何も問題は無い。
ただし、それがどの程度効力を持つものかは半ば賭けになるだろう。
こう言う時、まともではない知り合いばかりの自分が情けなくなってくる。
少年――黒澤曜一は溜息を吐いた。
流石に居心地が悪い。取調べの時間も相当に長時間になって来ている。何より、眼前の刑事の視線は既に未知の生物でも見るような困惑と嫌悪に染色されてしまっていたからだ。
分かっている。そのように誘導したのは彼自身だ。
だが、嘘ではない。嘘ではないが故に、思わず身震いしそうになる。
酷く喉が渇く。水の一杯も出ないとは気の利かない。仕方が無いので、代わりにこくりとつばを飲み込んだ。
唯一つの狭い窓からは最後の赤光が閉じた。室内は奇妙に重い静寂で満ち足りていて、どうにも不思議な心持ちになる。
ふと手持ち無沙汰な様子の書記官と眼が合って、一瞬で逸らされた。曜一の唇が緩む。
直後、があんと乱暴な騒音で現実に引き戻された。
「何笑ってんだ、てめえはっ!」
「……別に」
刑事は苛立ちを隠せないような声色で彼を詰った。
ぐっと強く握り締めた拳を一瞥し、どうやら先ほどのは刑事が机を殴りつけた音だったのだと察する。
曜一は努めて冷静を装って言葉少なに返すと、わざとらしく溜息を吐きながらずれた机の位置を直した。
「……っ、てめえ……」
「何か?」
「……ちっ」
どうやら大分来ている。
尤も、あんな馬鹿げた供述をされようものなら、むべなるかなと言ったところだろうが。
「おい、小僧」
「何です?」
「てめえ、飽くまでも学校に教科書を取りに行った結果、偶然巻き込まれたと言う訳だな」
「だから、さっきからそう言ってるでしょう? 家の者にもそう告げて出掛けましたし、電車を降りたのは学校の最寄り駅です。何なら確認してみたらいい」
「はっ、その位のアリバイ作りは簡単だろうよ」
「……僕が行動の主体だったことについてはそうでしょうね。ただ、あの日に新條が組を裏切り、馬鹿どもが暴走してあの女を拉致ったことまでは僕に制御可能なことじゃないでしょう? まして、どうして敵対関係にある五島会の揉め事の現場に居合わせることが出来る? つまり、何もかも偶然でしかない」
そして、それは実際に偶然でしかなかったのだ。
だからと言って彼が無関係と言うことにはならないが、偶然であったと言うことについては全く本当なのだ。
何故ならば新條の裏切りと馬鹿どもの暴走はそれぞれ別個に起こった事態であって、それが奇跡的なタイミングで折り重なったに過ぎないのだから。
新條の裏切りに対する粛清にも見えるが故に、刑事はそこを結び付けてしまって思考を硬直させてしまっている。
しかし、それこそが唯一の突破口だった。事実がこれ程にうそ臭いが為に、曜一は徹底的に嘘を吐けるのだ。
「大体無理がありますよ、刑事さんの推理」
「何?」
「ご存知の通り、僕は黒澤組組長の息子で、そりゃあ幾つか生意気なこともやってます。だったらおかしいでしょう? 何でその僕が敵対組織の五島会を引き連れて、よりにもよって身内の黒澤組を襲撃するんです?」
「そりゃあ、連中がてめえの女に手を出したから――」
「それこそ馬鹿馬鹿しい。そんな身内の恥を何で五島会に雪がせないといけないんですか」
「だが、現にお前は五島会の連中を――」
「五島会は黒澤組に寝返ったはずの新條を追ってたんだ。黒澤組のチンピラと会うのに組長の息子を連れて行こうってのは一応理に適ってるでしょう?」
「くっ……それで、ただ教科書を取りに出掛けただけのてめえは捕まったってか?」
「だから、そうですって、何回言えばいいんです?」
「っざけるんじゃねえ!!!!」
とうとう我慢も限界を超えたのか、刑事は叫びを上げた。
馬鹿げている。全くもって馬鹿げている。
そんな出来た話がある筈は無いのだ。だと言うのに、そのふざけた供述は筋だけは通っている。
感情は否定しても、冷静に首肯する自分がいる。
それが何より気に入らない。
魔法と言い張る手品師に、上手く反駁できないもどかしさにも似ているこの感覚が不快で吐き気すら催してくる。
「ふざけてなんか居ませんよ」
「――っ、だったら、何で新條桜子がそんな目に遭う? てめえの説明じゃあ、新條は黒澤組とつるんでる筈だろうが!!」
「僕が知るわけ無いでしょう? まあ、新條が碌な男じゃない以上、何か揉め事でも起こしたんでしょうよ。元々、黒澤組のルートを好きに使って、怪しげな中国人やらを勝手に日本に連れて来たりしていたような男です。黒澤組がそんな男を信用している訳が無い。ああ、もしかしたらそこらを何とかする為に新條が率先して人身御供にでも差し出したって可能性もありますか?」
「何処までも腐った野郎だな」
「まあ、新條は――」
「てめえのことを言ってんだ、クズ野郎」
「……それはどうも」
話にならない。
何だと言うのか、この化け物は。
まるでゲームやドラマの話でもするように、他人事と割り切った口調で良くもここまで言えるものだ。
事件の被害者は誰も彼もが少年の関係者には違いない。
例え、彼の言うように本当に全てが偶然であったとしても、普通の神経をしていれば無関係などとは口が裂けても言える筈が無い。
確かに、彼を咎める法は無いのかも知れない。
だからと言って、こんなおぞましい存在をのうのうと放り出して良い理屈などは決して有り得ないだろう。
「……大体にしてねえ、刑事さん」
「……」
「刑事さんが言うあの女が殺ったって言う男の話ですけど」
「何か言いたいことでもあるってのか?」
「ええ、大有りです。凶器が、ええと、金属の棒でしたっけ?」
「それがどうかしたか?」
「はっ――ほらを吹くのも大概にしろよ」
「あん?」
「有り得ないな、それは。僕が見た男の死体は、もっとずっと凄惨だった。あんたもどんな死に方だったかは知っている筈だろう。その上で、あんな馬鹿げた推理をするのか? 僕がぼろを出すのを期待していたのか? だったら、残念だったな」
「だが、お前たちの服には血が――」
動揺を隠し切れない刑事の様子に、曜一は小馬鹿にするように鼻で笑った。
「あれだけ血塗れの死体、傍に居たら誰だって返り血を浴びるだろうよ。服に繊維がって? 暗がりに誰かが倒れていたら、安否を確かめようと位するだろう」
「なら何故嘘をついた!!」
「だったら、最初からお前は僕のこんな話を信じたって言うのか?」
「――っ」
「……まあ、僕は、僕の立場くらい自覚しています。面倒な追求は出来るだけされたくなかっただけですよ」
そう言って、彼は憎たらしく双眸を伏せる。
最早その表情には些かの動揺も焦燥も無い。
刑事は歯軋りを一つ。
恐らくは、彼の言葉に嘘は無いと言うことに気が付いたのだろう。
だが、だからこそ気に入らなかった。
こんな事は、在ってはならないのだ。
そうでなければ、余りにも遣り切れない。
例えチンピラだと言っても、どうして彼らは文字通りの犬死をしなければならなかったか。
そして、憐れな少女は何を信じ、恨めばいいというのか。
得体の知れない何かに、大切なことが隠されてしまったことを直感する。
けれども、刑事としての自分は冷静に己の敗北と事件の終結を悟ってしまったのだ。
(……畜生が……)
眉間を強く抑える。
「で? そろそろ帰りたいんですが?」
「……今日の所は、以上だ」
だからと言って、まだ帰すことは出来ない。
逆転など信じては居ないのに足掻く自分が酷く滑稽で、刑事は薄らと笑った。
間抜けにもまた忘れてた。
そう言えば僕の指って、物凄く鋭利な爪が飛び出る不思議ギミック搭載済みだったんだよねえ。
わ、わざとじゃないんだよ。何度も言うけど。
本当だよ?
どちらかと言うと、君の暴走から蒼星石の体を守ろうとした訳で。それで、咄嗟にこの子に手を伸ばしたのであって。
け、決してこんな風に串刺しにしようと思っていた訳でもなくて。
えーと、不幸な事故って言うか何て言うか――うっ、そんな絶望満載の眼で見ないで欲しいんだけど。
「……っ、うぅ、あぁ」
む、無理かなあ……だよねえ?
「ぅ……ひっく、うぇえ、うぁぁ」
ど、どうしよう。
ただでさえコミニュケーション能力に致命的な欠陥のある僕には、泣きじゃくる女の子に掛ける言葉なんて出ては来ないんだけど。況して、この状況は全面的に僕に責任があるというか、いわゆる取り返しのつかない状況と言うか……。
「ああ――」
ええと、取り敢えず何か言わないと。
決して君達を害する意図じゃなかった事だけでも伝えないと。
「危ないな……もう少しで、蒼星石に当たるところだった」
いや、何か違う?
ほ、ほら。僕は蒼星石をこれ以上傷付ける積りはないですよ?
何とかアピールしようと、慎重に空いた方の手で彼女を撫ぜてみる。
少しぎこちないのは自分でも自覚しつつ、その様子を翠星石に見せつけてから出来るだけ柔らかく微笑んでみた。
「……ひっく」
な、何故泣く!?
「ひっく、ひぅ…………て、下さい」
え、何?
「もう……嫌ですぅ……ぅぅ、返して」
返すって、何を?
え? 何? さっきの燃えた木の実?
そ、それは確かに返してあげたいと僕も思わないではないけど、難しいこともこの世にはある訳で。
「蒼星石を、返して……返して、下さい」
そ、それはもっとずっと難しい訳で。
「返して……返して……返してぇ……」
「……」
…………うん。
その位、気が付いているのに。
僕が、死んでも赦されない事をしてしまった事くらいは。
「ああ、返すよ」
返せるものなら。
だけれども翠星石、泣いたって蒼星石は返って来はしないんだ。
蒼星石は、死んでしまったんだから。
「……」
苛立ち紛れに蒼星石の体を放り出すと、翠星石はそれに取り縋って泣きじゃくった。
僕はそれを閉じたままの瞳で暫く眺めて、複雑な気持ちで舌打ちを一つ。
僕は何かを振り払うように頭を振ると、胸の奥からせり上がって来た感情をどうにかやり過ごす。
「蒼星石……蒼星石……蒼星石ぃ」
でも、どうすれば良かったろうか。
きっと責められるべきは僕なのだとは知っている。
どんな言い訳も酌量の余地も無いってことは。
だけれど、だったらどうしたら良かったんだ?
こんなこと、僕は欠片も望んではなかった。
こんな訳の分からない体に振り回されて、いつの間にか酷い事をしてしまっただけなのに。
いつもいつも、本当に僕だけが悪いのかなあ?
僕だけが憎まれないといけないのかなあ?
何だかモヤモヤする。
泣きたいのは僕の方じゃないか。
「……」
ま、まあ、兎に角今はそっとして置こう。
僕が居たって仕方が無いし。むしろ、居ないほうが良さそうだし。
踵を返して、とぼとぼと歩き出す。それにしても、一体ここは何処なんだろう。
間違いなく日本じゃ在り得ない風景だとは思うけれど。
とは言っても、外国って言うのも有り得な――ああ、いや、気絶している間にトランクごと空輸されたと考えれば有り得るのかな。
いや、もう何でもありですね、はあ……。
――九時間五十分後――
僕は声を上げて泣いた。
泣く資格も無いことを知っていて、それでも涙は止め処なく零れ落ちた。
結論から言えば僕は勝利した。
事件の真相など警察には暴き得ないが故に僕は解放され、少なくとも法的には何のペナルティもなく日常へ戻る権利を得た。
組織同士の詰まらないいざこざもどうにか落ち着き、漸く自由が戻ってきた。
これで彼女を探すことが出来る。
その為には僕は何でもする必要があった。でも、そのために彼女を自ら散々に貶めたのだ。
今更僕のようなクズが何を泣くと言うのか。
後悔? 悲哀? 上手く言葉では表せないが、とても大きくて複雑な感情が脳髄を冒し続けていることだけは確かだった。
「でも、泣いている暇なんて無いだろう」
悲劇に酔うのはずっと後で良い。
やるべきことは幾らでもあるのだ。
「見舞いには、行けないだろうな」
彼女の眠る病院を調べることは出来る。ただ、彼女の両親が僕を入れてくれるとはとても思えない。
それに、今の彼女の姿を直視する勇気は、今の僕にはきっと無いだろう。
だから何としても彼女を見つけなくてはならない。
それが僕に許された精一杯の責任の取り方だ。
僕はベッドから身を起こすと、机の奥にくしゃくしゃになったままの連絡網のプリントを拾い上げた。
それを乱暴に伸ばして、蛍光ペンでマークする。それから携帯電話を取り上げた。
何度か咳払いをして声の調子を整える。涙声では格好がつかない。
そこでふと気が付いて時計を確認した。大丈夫だ、今の時間ならもう帰宅している筈だ。
彼女の弟が奇妙な人形を所持しているらしいと聞いた。
場合によっては只で済ませるわけには行かない。
震える手つきで番号を入力し、発信ボタンを押下する。
呼び出し音を三度聞いた後に、久方ぶりの声が応えた。
「はい、桜田です」
「もしもし、黒澤だけど」
「え? 黒澤って……あの、同じクラスの、く、黒澤君?」
相変らずの怯えように、僕は少し不機嫌になった。
「そうだ。その、黒澤だ」
「な、何の用ですか?」
「お前の弟に少し聞きたいことがある。代わって貰えるか?」
「じゅ、ジュンくんが何か……」
「それは直接お前の弟に話す」
「あの、もしジュンくんが何かしたなら、私が代わりに――」
「五月蝿いな。お前に用は無いんだ。代われ」
努めて強い口調で言うと、電話口で息を呑む声が聞こえた。
それでも弟に代わる様子は無い。だが、だからこそそれで良かった。
「……なあ、桜田、最近お前の弟に奇妙な様子が無かったか? 人形、とか」
「……え?」
反応は一泊遅れて聞こえた。
(掛かった)
彼女の声に潜んだ僅かな疑念に、僕は成功を確信して畳み掛けた。
「ところで桜田、昨日のニュースは見たか? 最近はインターネットのオークションを使った密輸が急増してるらしい。手軽に出来るから素人が手を出しやすいようだな」
「な、何の話ですか?」
「別に。とても残念なことだな、と言う話だ。真面目な輸入業者が迷惑をするだろう?」
「……」
「まあ、お前には関係の無いことだったか。さあ、そろそろ”ジュン”に代わってくれないか?」
僕は殊更に親しげな口調で桜田の弟の名を呼んだ。
何を想像したのか息の荒くなった桜田の様子に噴出しそうになるのを必死で堪える。
何処のドラマだよと思いつつも、今の僕が言うのは全く洒落にならない事だろう。
「話は、私が、聞きます」
搾り出すような彼女の応えは、しかし、思ったよりも確りとしていて僕は少々感心する。
同時に嫌らしい嗜虐心が頭を擡げるのを自覚した。
ああ、この苛々をぶつけるのには最適な相手かも知れない。
「……良いだろう。じゃあ、今から駅前の喫茶店まで来い。一人でな」
「喫茶店って……ええと」
「グレイと言う店だ」
「あ、それなら分かります」
「……そうか、なら直ぐに来い。……お互い有意義な話が出来ると良いな」
「――っ」
返事を待たずに回線を切る。
念のために番号を電話帳に登録すると、おもむろに風呂場へ足を向けた。
どうせあのタイプは少しくらい遅れても帰りはしないだろう。
せいぜい余計な想像をして不安に怯えていればいいのだ。
――十時間後――
「な、何を言ってるんだ? 黒曜を僕が作ったって? そんな馬鹿な。僕にはあんなのを作った憶えも無いし、だいたい、お前らみたいな非常識な呪い人形を僕が作れる訳無いじゃないか」
真紅の荒唐無稽に過ぎる言葉に、ジュンは驚きよりも困惑を浮かべた。
それも当然のことだろう。何が言いたいのかさっぱり分からない上に、余りにも話が噛み合っていない。
「そうね、今の貴方では難しいかも知れない。でも、いずれあなたはお父様と同じところへ至れるはず。そうなったら、時間や空間の整合など何の意味も持たなくなるのだわ」
「いずれって……時間や空間が意味が無いって、タイムマシンでも使えってのか? 馬鹿馬鹿しい」
「あら、おかしいかしら? nのフィールドであなたも見たはずなのに」
「nの……それって、あの時の……あっ」
そうだ。確かに見た。
一方的とは言え、ジュンは過去のジュンを見ていた。
勿論、過去のジュンは自分が見られていることなど知りもしなかった。
だとすれば。
いや、そんな馬鹿なことは無い。
あれは只の幻なのだ。そんな無茶苦茶なことがあってたまるものか。
「そんな……でも、畜生……非常識なことばかりで、有り得るとか、有り得ないとか、何かぐちゃぐちゃで訳が分からない。でも、もしかして、そうだとしたら。だとしたら――」
「そう、魔法使いになったジュンに、私たちは今も見られているかも知れないわ」
「――っ、ぐぅ」
吐き気を催して膝を突く。
見られている? 今も? 何もかも余すことなく、たかが自分だというだけで身勝手にも。
何処だ? 何処から見て――いや、気付ける筈は無い。気付ける筈が無いなら、覗き魔はいないも同じ。
違う。それは違うのだ。さっきまではそれで良かった。でも、その可能性に思い至ってしまった時点で、ジュンは常に見られ続けているも同然になってしまったのだ。
酷く気持ちが悪い。
「だ、だとしても……真紅の言うように僕が黒曜を作ったと仮定しても、何のためにこんな。いや、そもそも僕が作ったなんて何を根拠に言ってるんだよ」
考えてみればおかしいのだ。そんなことが在るはずが無いのだ。
百万歩譲ってジュンがそんな怪物になってしまったとしても、こんな怖ろしいことをしなければならない理由はないし、何よりも、真紅は何を根拠に僕が黒曜を作ったというのか。
「エスプリ……と言っても、説明し辛いわね。直観と言ってしまえばそれまでだけど、あなたの指先が紡ぎ出す旋律が、あの子の纏うそれにそっくりだったから」
「そ、そんなの説明にもなってないじゃないか」
「こればかりは、薔薇乙女ではないあなたに共感を得るのは難しいでしょうね。だから鵜呑みにしなくてもいい。ただ、そう言うことがあり得ると言うことだけを知っていなさい」
「……」
結局分からない説明をする真紅を憮然と見つめ返して、ジュンは反駁の言葉を飲み込んだ。
それでは要するに真紅の思い込みかも知れないではないか。だが、薔薇乙女特有の感覚なのだと言われては、無理やりに納得するしかない。
「僕には信じられないけど、つまり真紅は黒曜を僕が作ったと確信していて、それで、助けたいって思ったってことか?」
「そうね、それが一つ」
「他にもあるのかよ?」
「ええ、元々こちらの理由が大きかったのだけれど。ねえ、ジュン。ようく思い出してみなさい。あなたならきっと気が付けるはずよ」
「……何を?」
不機嫌そうに返すジュンの言葉には答えず、真紅はヘッドドレスを外して髪を解いた。それからそっと瞳を閉じる。
ジュンは思わずぎくりと硬直する。見てはならないものを見た気がしたのだ。
真紅はその様子に満足そうに微笑むと、口元をそのままにして目元を無表情に戻す。
こうして人形にしか出来ない笑顔は完成した。
「ど、どう言う事だよ。何だよ、それ」
「納得出来たかしら? もしも私の思うように、あなたがあの子のお父様だとすれば、どうしようもなく怖ろしくて悲しい理由があるに違いないと感じてしまった訳が」
訳は分からないが、吐き気がぶり返した。
確かにその通りだ。もしもこんな悪趣味なものをジュンが作ったとすれば、一体どのような悪意に基づいていると言うのか。
余りに雰囲気が違いすぎて気が付かなかった。
けれど、こうして見れば間違いないと確信出来る。
黒曜は、明らかに真紅と同じ姿をした人形だ。
(レプリカってやつなのか)
なのにこれ程までに違って見えるのは、徹底的に彩を省き、呪いの黒で塗り潰してしまったが故なのか。
「だから私は、何とかしてあげたいと思ったのだわ」
気をつけてみれば声も同じ。
なのにどうしてこれ程までに、二人の声は違って聞こえるのだろうか。
それが無性に悲しく思えた。
「さて、これからどうするか」
歩くこと小一時間。
何故か活力に満ちた体を精神的疲労から重たく引きずりつつ呟いた。
行けども行けども同じ景色に、すっかり気分はドドメ色だった。
何だか暗いし。ばさばさと煩いし。
――ん?
「あら、当てが無いなら私と遊びましょうよ」
耳障りな羽音に空を見上げると、視界を黒い雲が覆った。
咄嗟に腕を翳して庇うと、再び伸び出した黒爪に羽が触れて紫の焔を上げる。
同時に飛び出した蒼星石っぽい人魂が不思議シザーズを放出して死角の羽も全て切り刻んだ。
ってか、蒼星石(?)……なんで付いて来てる訳? ほ、本格的に取り憑かれてる!?
ひいいいいいいいぃ。か、勘弁してよ、もお。いや、まあ、今のは助かったけどさあ。でもさあ。
「相変らず良い趣味ねぇ。随分素敵な鋏も手に入れたみたいだしぃ」
褒めてくれて有難う。でも、明らかに眼が笑ってないんですけど。
こ、怖いって。相変らず怖過ぎだって。
「……水銀燈」
「ねえ、言った筈よね、黒曜? あなたのローザ・ミスティカは、私が貰う、って」
だーかーらー。
何なの? その、ローザ・ミスティカって!
どいつもこいつも本当に意味不明すぎる。
「……お前にあげられそうな物は何も持っていないが」
「随分と白々しい。でも結構よぉ。今日は私個人としてと言うより、蒼星石の姉としてけじめを付けに来たの」
へ?
あ、姉って……水銀燈って、蒼星石の姉? マジで?
そ、それはまずい。物凄くまずい。
ただでさえ物凄く嫌われてるのに、妹殺しとか……。
しかし、それにしても。
「姉?」
人形と言う共通項はともかく、余りに似ていないので思わず疑問の声を返した僕に、水銀燈は何故か狂喜するようににいっと笑った。
「うふふふふふ、これで確信したわぁ。貴女はやっぱりただの紛い物。お父様の娘なんかじゃなぁい。それがよくもやらかしてくれたものだわ」
くすくすくす。
水銀燈は口元だけで一頻りわざとらしく笑って、ぜんまいが切れたようにピタリと止める。
それから唐突に人形らしい無表情を浮かべる。
きりきりと音を立てるように僕の方へ首を傾けて――。
「それ【蒼星石】を返しなさい、化け物」
これまでで一番冷酷な眼差しで僕を射抜いた。
「それ【ローザ・ミスティカ】は私たち【薔薇乙女】のものよ」
宣告とほぼ同時に、高速で放たれた黒羽が僕の胸を抉った。
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後書き by XIRYNN
えーと、言葉も御座いません。
遅くなりましたのは民主党の陰謀とでもしてください。
嘘です。すみません。
今回は少しだけ物語が進行したかと思います。水銀燈が再登場です。
あと、のりが微妙に表舞台に?
で、相変らずラスボス道を邁進する主人公でありましたとさ(笑)。
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