呉海軍工廠制作日記 No.1(2001/4月〜6月)

2001/6/25
  • AI MARKING's Home Pageのしんきろうさんがとうとう大和を完成させました。祝完成! 1/1原寸で作られたCGは必見です!

2001/6/23
  • 引き続きYの基本構造を煮詰めています。
  • 昨日修理が完了した230MBのMOを受け取るついでに神田の本屋に行って、特集・呉地方隊が掲載されている『世界の艦船1993.No474』を購入。簡単な図と戦前と戦中の写真も掲載されています。

2001/6/20〜22
  • 6/20:すばるさんから送っていただいた資料をもとに造船ドックの100トンクレーン(陸側)他を制作中です。
  • 6/22:スケジュールの関係でYの基本構造を煮詰めています。

2001/6/18
  • すばるさんから送っていただいた資料をもとに造船ドックの盤木を制作中です。

2001/6/16〜17
  • すばるさんから送っていただいた資料をもとに造船ドックの10tクレーンを制作中です。DOS/V機が修理中のため一部の作業しかできません。
  • 深夜から明日までル・マン24時間自動車レースがあるのでビールを飲みながらTV観戦。17日の作業はここまで。

2001/6/15
  • DOS/V機のCPU冷却ファンから異音が発生して修理中につき、一部の作業が来週まで停止になってしまいました。

2001/06/04
  • ぶちゃ猫さんから造船ドックに関する情報を記載している書籍の情報をいただきました。-----ありがとうございます。
    「戦艦大和誕生 上・下」前間孝則著 講談社で、建造時の概念と苦労話などの記載があるそうです。

2001/06/02
  • すばるさんから造船ドックの扉船の新たな情報をいただきました。-----ありがとうございます
     今日写真を撮りに行ってきました。5分で行けるところですから。無理をして写真を送ります。この4ドックが造船ドックの面影を一番残しています。写真でお分かりと思いますが扉船には8個の1M角くらいの穴があり海水を注入するときはこの穴から水を入れます。

2001/05/30
  • すばるさんから戦艦大和を建造する場合の、艦体の支持方法を教えていただきました。-----ありがとうございます。
     前回の絵では木矢が進水時に浮きますのでコンクリートバンギにボルトや犬釘で止めてあります。進水時にはカスガイで浮かないように止めます。チャンスがれば現在はどのようになっているか写真を送りましょう。
    ところで船というものは建造中に昼間はデッキは太陽熱で過熱され(真夏は80度くらいになる)夜は温度が下がるのでそれによってバンギにかかる荷重が変わります。最悪?の場合昼間に長手方向の中央のバンギと船底に隙間があることもあります。このように少しは荷重により柔軟性のある木材を使って荷重を分配できることもその理由にあります。
    なんと真夏は80度くらいになるとのこと、大変なお仕事だったんですね。
  • すばるさんから戦艦大和を建造する際の足場について教えていただきました。-----ありがとうございます。
    これは戦艦扶桑改修じの写真ですがわかりずらいかも知れませんが杉丸太を使っています。当時は鋼材が極度に不足していた時代ですから、足場に鋼材を使う事は考えられなかったと思います。固縛には当時も3φ程度のなまし番線ではないかと思います。明治時代の写真では藁縄を使っています。

2001/05/29
  • 今日は株式会社光人社発行の戦艦「大和」図面集 J・シクルスキー著書を購入。残念ながら呉海軍工廠関係の写真は6点で、定価5000円.............(大和専門の本ですからしようがないですね)。

2001/05/28
  • すばるさんから戦艦大和を建造する場合の、艦体の支持方法を教えていただきました。-----ありがとうございます。
    前回の艦体の支持方法についてお知らせします。艦体を支持する台を通常バンギと呼んでいました。追々とメールでお送りしますが、実際に大和の建造に関わられた人に聞きますと艦の重量と構造に欠陥?があり艦体を支えるのは船底の構造ですがいろいろとトラブルがあったようです。
    バンギの詳細は後で送りますが今日は概念図を送ります。バンギは木製の矢バンギとその上に緩衝材を置いた形であったようです。バンギは鋲打ちや、塗装のため位置を何度も入れ替える必要がありますのでこのような構造になったと思います。小林さんの佐世保に状態を見られたのは、通常のバンギで支持できないいわゆる艦首や艦尾の張り出した部分を調整するために丸太で支えている状態ではないでしょうか。又は外板の作業をするための足場を外板に寄せるための丸太ではないでしょうか。こんなことも追々写真や絵で送りましょう。
    前回の大和の写真はその前に送りました砲塔の中身の写真とは前後が入れ替わっています。 砲塔の中身(旋回ギヤーが見える)が見えるのは一番砲塔でその後ろに二番砲塔が見えます、ここで大きく三つに区切られているのは給弾装置を組み立てている状態で右側の丸穴から砲弾が装填される穴だそうです。
    軍艦の両弦にはこのようにバルジと呼ばれる(タンク)、魚雷のダメージを弱めるタンクがあり傾きを調整したりしたそうです。喫水線付近の鋼鈑は410mmの特殊鋼鈑が使われていたそうです。
  • 5/28現在、呉海軍工廠は地形を作成していますが、江田島エリアを含むことになったので面積が倍以上....ということは立体にすると単純には8倍以上に拡大(メモリ容量)となることに気が付いて愕然........。でも、お約通り根性と創意工夫で完成させます。

2001/05/25
  • すばるさんから戦艦大和を擬装中の写真を送っていただきました-----ありがとうございます。
    係船掘での作業中の写真には、納品された部品を格納している大きな木箱、溶接や電源のコードやホースが入り乱れていたり、作業用の小屋、衛兵用の小屋などが写っています。大変貴重な資料でした。
  • 現在、呉海軍工廠は地形を作成しています(昨日の打ち合わせで江田島エリアを含むことになったの面積が倍以上に拡大....;苦笑)。

2001/05/12
  • ぶちゃ猫さんからの続報が入りました。-----ありがとうございます。
    そちらのサイトを拝見する度に、新たな情報が集まっていて嬉しく思います。こちらでも、ちょっとだけ収穫がありました。
    「呉と鉄道」という本に昭和30年頃の引込み線(全部ではないけど)が載っていました。
    それと「呉の歩み」という本では、多少呉海軍工廠の写真が載っています。
    呉駅構内と呉海軍工廠の引込線の大変貴重な情報、ありがとうございます。
  • 倉田さんからご紹介いただいた中国新聞社発行の『街のいろはレンガ色 呉レンガ考』を購入。CGで再現するのにはうってつけの資料です。

2001/05/09
  • すばるさんから水路図など沢山の資料をご提供いただきました。ありがとうございます。

2001/05/07
  • 国立国会図書館にて参考書籍4册を閲覧、関連ページを複写で入手しました。(一度に閲覧できるのは2册まで)
  • 12時〜16時30分の間で閲覧できたのは合計4册、複写できたのは合計3册です。閲覧と複写する手続きで各20〜40分の待ち時間は.....予想外でした。
  • 待ち時間を利用して館内の地図室をチェックして、何かありそうな.......。10に日改めて訪問予定。

2001/05/06
  • すばるさんから教えていただいた扉船の原理を念頭ながら、5/5に見てきた横浜のランドマーク横にある旧横浜船渠会社のドックを参考にして、扉船について推理した原理と使い方をCG化しました。(05/06) 間違いなどありましたらご指摘下さい。
  • 日本国有鉄道貨物局昭和50年7月15日付け広報通達専用線一覧より転載。

    専用線番号

    所轄駅

    専用者

    通運事業者等

    作業方法

    作業キロ

    総延長キロ

    2213

    パブコック日立(株)

    日立運輸東京モノレール(株)

    国鉄線

    0.4

    0.6

    2214

    呉冷蔵倉庫(株)

    日本通運(株)
    呉通運倉庫(株)

    国鉄線

    0.3

    0.4

    呉海軍工廠内に敷かれた引込線の全貌はまだ分かりませんが、
    昭和50年現在の状態として呉駅に隣接した引込線がまだ現存してることが伺われます。
  • 呉海軍工廠とは関係ありませんが、横浜のランドマーク横にひっそりと展示されているスクリューパイル(鋳鉄製螺旋沓)

2001/05/05
  • 呉のIHIで働いていらっしゃたすばるさんから情報をいただきました。-----ありがとうございます。
  •  呉には最初呉海軍工廠の分工場でいたが後に 第十一航空廠 という航空機を製造していた工場がありました。ほんの10数年前までは航空機のエンジンがゴロゴロしていました。
     ここで終戦直前に登場した 紫電改 の製造に関わった人がかなりいました。 大和を建造したのは造船ドックですが、ドックの扉は一般に 扉船 ( とせん )と呼ばれていました。 私が造船所に勤めていたこは 昭和30年頃 米国の NBC という会社がここで当時は世界最大の10万トンタンカーを建造していました、私は溶接工でしたがこのころのことはよく覚えています。 NBC という会社は 日本政府から10年の契約で工場を借りていましたので全く工場の改造や手入れをしませんでしたので、恐らく海軍工廠時代の塗装がそのままであったと思います。

     扉船 は海面から上は現在の自衛艦の色 ( 灰色 ) で海水に浸っている部分は船底の色 ( 赤 ) でした。扉船 は海水を入れて喫水を調整します、扉船 はドックの海水を抜いてその圧力で海水の進入を止めています、ですから一般の水門の戸当りのような構造です。
     扉船 を明けるのは同じようにドックに海水を入れて、扉船 も海水をいれてほぼ同じ圧力になるようにして明けます。

     海軍工廠時代造船ドックには100トン天井走行クレーン2基 10トン天井走行クレーン4基であったそうですが、100トンクレーン1基は賠償として外国へ移送されたそうです。
  • 大変貴重なお話し、ありがとうございました。今日、横浜港でドック跡を見てきましたので、扉船について基本原理をCG化しました。間違いなどありましたらご指導をよろしくお願いします。

2001/05/03
  • 倉田さんからの続報が入りました。-----ありがとうございます。

    さて、本日少し時間が取れましたので、広島市立中央図書館の方へ足を運んでみました。
    参考になりそうな書籍がいくつかありましたので書籍名だけですが一応メモをとりました。

    1. 「呉海軍工廠造船部沿革誌」
    2. 「呉海軍工廠電気実験部の記録」
    3. 「呉海軍工廠見習工の記録」
    4. 「呉軍港案内」
    5. 「呉軍港沿革史」
    6. 「呉の歩み」
    7. 「呉市史 第六巻」
    8. 「呉市史 第八巻」

    いずれも3F広島資料館の書架にあり自由に閲覧出来ます。
    今日は時間の都合でどの書籍もパラパラとめくる程度でしか拝見出来ませんでしたが、いずれまた時間が取れましたら、
    これらの書籍の内容についてご報告出来ればと思っています。
    また、同図書館の目録によると、「呉市街略図(1912)」、「呉復興都市計画図1:6000(1948)」等の書籍があるらしいのですが、
    今日は見つける事が出来ませんでした。
    貸出中かもしくは書庫にしまってあるものかも知れません。
    目録を詳しく調べれば、まだ他にも参考になる書籍が見つかるかも知れませんので、次の機会の時にはもう少しゆっくりと時間をかけて調べてみようと思います。

    oh! 随分ありますね。ウレシィ〜! 呉に行くのが楽しみになりました。またよろしくお願いします。

 

  • ぶちゃ猫さんからの続報が入りました。-----ありがとうございます。

    呉海軍工廠情報その3 投稿者:ぶちゃ猫  投稿日: 5月 2日(水)11時50分14秒

     

    地元のラジオ番組に情報提供を求めたところ、1件だけ投稿がありました。
    新人物往来社の『日本海軍艦隊総覧』に建物の写真が載っているそうです。
    広島市古江のIshimoto Ken様、情報提供ありがとうございました。

    おかげさまで
    参考出版物が随分充実してきました。ありがとうございます。

2001/05/02
  • ぶちゃ猫さんからの続報が入りました。-----ありがとうございます。
    1. 百噸起重機、
    2. 台座固定式100tクレーン&及び35tに変更した場合。
    3. 戦艦大和の艤装場所略図。
    4. ハンマーヘッド型200tクレーン。
    以上、頂いた資料を反映してCGの手直しをしました。

 

  • 倉田さんからの続報が入りました。-----ありがとうございます。

    No.1
    さて、海軍工廠のレンガ建造物についてですが、
    私のページの「近代建築観遊」の中、広島県呉市の中に、対象となる物件がありますので、もしまだご覧でなければご参照下さい。
    それと、貴HPに情報提供されてます、
    ぶちゃ猫さんの記述による、「呉の図書館にはまだ貸出禁止の資料(館内でのみ閲覧可能)があります」これにピンときました。
    呉市図書館で持ち出し禁止の分厚い書籍を数冊閲覧した事を思い出しました。これらに有力な情報がある可能性があります。
    もし呉へお出かけになるのでしたら是非、図書館の方へ足を運んでみて下さい。
    また、旧工廠の地域(現在はIHIが大部分を占める)も一通り歩いてみられると、かなり参考になると思います。
    特にレンガ建造物については現存しているものが結構ありますので。
    私も、時間が取れる限り、有益な情報がないか当たってみる様にします。
    ・・・とはいっても、結構忙しいのであまり期待しないで下さい。(^^;;

    No.2
    「街のいろはレンガ色」に記載されてる内容を簡単にまとめてみました。多分入手される事と思いますが、
    手元に届くまでに日数がかかるだろうと想像しましたので、とりあえず先にご紹介しようと思った次第です。
    現在、入手、整理されていらっしゃる情報と重複するかも知れませんが、ご参考頂ければ幸いです。
    呉海軍工廠関連施設
    <石川島播磨重工業(株)呉第一・第二工場> 呉市昭和町2-1
    ○呉総合事務所本館(旧造機部庁舎)
     注)鉄筋コンクリート造
    ○総合事務所別館(旧造船部庁舎)
    ◎造船倉庫(旧造船部機械工場)
    ◎東倉庫(旧造船部錬鉄工場)
    <(株)ダイクレ呉第二工場> 呉市昭和町7-10
    ◎亜鉛メッキ工場(旧呉工廠造兵部第九工場)
     注)工廠末期の名称は砲熕(ほうこう)部精密兵器工場
    <昭和埠頭のレンガ造倉庫群(呉貿倉庫運輸(株))> 呉市昭和町6-6
    ◎三号倉庫(旧呉工廠造兵廠製品置場、大砲庫、魚雷水雷調整室)
    ◎四号倉庫(旧呉工廠造兵廠予備艦隊兵器庫、預兵器庫)
    ◎八、十号倉庫(旧呉工廠造兵廠弾丸庫雑器、魚形水雷庫)
     注)四、八、十号倉庫については、大戦末期には電機部の事務所や
       製図工場として使用されていた模様。
    <海上保安大学校> 呉市若葉町5-1
    ○錨把駐力実験室(旧砲熕部第三試験用火薬庫)
    ○端艇庫(旧火工部機械場)
    ○学生部屋(旧火工部第二雷管装填場)
    ○気象講堂
    いずれもこの本が発刊された当時は現存していた建物で、その殆どが写真入りで紹介されています。
    ◎の物件は私自信で現存を確認している物件です。
    その他、呉市中央部の俯瞰写真(小林さんのCGとほぼ同じく西側から東側をとらえたもの)や、
    IHI構内の見取り図、昭和33年当時の海上保安大学校全景の写真等が参考になりそうです。
    その他、大和建造ドックの北側、第四ドックを挟んで、呉鎮守府(現在の海自呉地方総監部)にも、
    海上自衛隊呉地方総監部庁舎(旧呉鎮守府庁舎)海上自衛隊呉地方警務隊本部庁舎(旧呉鎮守府文庫測器庫)等のレンガ建築が現存しています。
    特に旧呉鎮守府庁舎は要となる建物ですので背景作成時のポイントになると思います。
    個人的にも好きな建物ですので出来るだけ目立つ様に作成して頂けると嬉しいです。(^^;;

    たくさんの情報ありがとうございます。

2001/05/01
  • ぶちゃ猫さんからの続報が入りました。-----ありがとうございます。

    今回調査した資料は『呉海軍工廠あれこれ』という製本されていない資料です。
    役に立ちそうなものは
     200t、100tクレーンの寸法
     建物が何でできているかが多少書かれている
     引込み線はに関する記述ぐらいでしょうか。
    クレーンの寸法は外寸だけの記述ですし、すでに作っておられるようなので必要ないかもしれません。
    ただ、100tクレーンの運転室の外壁は、どうみても木なんですよね。
    白黒写真なので違うかもしれませんが・・・
    建物の材質は、旧称で書かれているとか、使用する部署の入れ替わりなどがあり、すぐには書くことができません。
    ただ、レンガ造りに建て替えたという記述が目立ちました。
    引込み線は2箇所ほど線路が書いてある図がありました。
    まず、製缶工場方面から係船堀へ向かい、船具工場前で折れ、本部方面へ向かう図。
    そして、潜水艦係留桟橋の横を通過している図。
    また、次のような注釈もありました。
    呉駅から烏小島まで幹線を布設、大工場へは分岐線を引込、製鋼部・砲熕には第三軌条を敷き広軌の台車が運ばれた。
    今回はこれぐらいですが、やはり写真は少ないです。
    先ほど、そちらのHPを見たら「街のいろはレンガ色」という資料を見つけたとか。
    レンガで検索すると、案外良い資料が見つかるかもしれません。

    レンガでyahooを検索したところ新たな発見をしました! 膨大なため情報収拾に日数がかかりそうです。整理が付き次第UPします。それにしても呉海軍工廠のレンガの建物は、東京都北区赤羽にあった
    陸軍兵器支廠の建物と良く似ていて懐かしいです。

2001/04/29
  • ネットを検索して『廃物会釈』というページにHit。Takashi Kurata Web Siteを運営されている倉田さんにメールを差し上げたところ、丁寧なご返事と情報を下さいました。-----ありがとうございます。

    手持ちの書籍の中では、「街のいろはレンガ色」(中国新聞社)の中に、呉海軍工廠内のレンガ建築物に関する記述、写真等があります。その他では、呉の歴史書みたいなものをどこかの図書館で見た事があり、海軍工廠の写真も見た様な記憶があるのですが、残念ながら書籍の名前もどこの図書館だったかもよく覚えていません。すみません。
    たぶん、広島私立図書館、広島市郷土資料館、呉市図書館あたりだと思いますので、機会があったら何か良い情報がないか調べてみます。

  • ぶちゃ猫さんからの続報が入りました。-----ありがとうございます。

    私が借りてきた資料は「呉海軍工廠造船部沿革誌」という本で、その中の呉造船廠建造物及土木工事という項目に書いてあります。工廠に関する写真は長門の起工、赤城の進水が小さく載っているぐらいでしょうか。


2001/04/28
  • Rail and BikesさんのBBSに書き込みさせていただいたところ、Kumaさんから鉄道専門書の紹介がありました。-----ありがとうございます。
    1. 日本車両で出しているこんな図書が出て来ました。図面集−戦前産業車両編/旧外地鉄道編(定価 11,550円 )
    2. http://www.n-sharyo.co.jp/yumekobo/sharyosi/sharyosi-4.htm
  • ぶちゃ猫さんが呉の図書館で色々と調べていただきました。-----ありがとうございます。

    創立当時の建物の情報はありました。これによると、木造平家がやたらと多いです.(さすがに鋳造工場は鉄造ですが)大和を建造しているときに、木造のままだったか鉄造に変えたかは不明です。呉の図書館にはまだ貸出禁止の資料(館内でのみ閲覧可能)がありますので、そちらに期待しましょう。(^^; 


2001/04/26
  • 鉄道雑誌『鉄道ファン』391号1993年11月号に、「呉海軍工廠の機関車」が掲載されてたのを発見。どの程度の資料になるか不明。
  • 大日本帝國陸海軍史料館をネットサーフで発見。呉軍港の写真若干有り。(無許可のリンクは御法度とのことでまだしていません)
  • 呉市交通局の呉市内観光循環線をネットサーフで発見。取材地候補、潜水艦隊前->日新製鋼前などの運行を確認。
  • その他、個人で運営されているサイトを発見。
  • 以下国会図書館でヒット<和図書 : 5 件>。近いうちに行かなければ.....。

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