アルサーンスの空の下で                  
 
  第四章  
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 引き倒された墓石の前にしゃがみ込む。「記録盤は?」と声をかけるベッツに、対象がはっきりしているので必要ないと、右手を振る。そのベッツの目が、少し気味悪げに白い墓石を見る。
 そういう反応は、お化けだの幽霊だの、聖会で言うところの霊魂とやらの永遠を信じる者にとっては、当然といえよう。しかしディオに、そんな感覚はない。心眼者なら、みな同じだろう。死者は静かだ。その寝床も然り。生きている人間の方が、彼らの居住空間の方が、遥かに怖い。そこにとてつもない悪意を潜ませている可能性のある、生者の方が……。
 手を伸ばす。何かを読み取る際、ディオは必ず左手を使う。逆にアウトプットは右手で行う。ちょうど身体的に右利き、左利きがあるように、心眼者にはそれぞれ固有の癖があった。
 ディオの左手が、ばらばらに壊れた墓石の上で迷う。ようやく一つを選び、欠片に触れる。冷やりとした石の感触が、体の中に流れ込む。風のように走り込む。そしてそれが、瞼の裏に一瞬の幻影を映す。
 闇
      光
   目
              ダルダ
          三
                    五
             影
      影
「――影?」
 小さく咳き込むように、ディオは呟いた。
「ディオ?」
 ベッツの促す声に、一度呼吸を整えてから、ディオが答える。
「……ダルダです。群れは全部で五匹。向こうの、西側の山から下りてきたようです。ただ行動が、少しおかしくて。偶然目についた墓を掘り起こした、という感じではなく、何かを探すようにうろうろと。それに――影が」
「影?」
 訝るようなマーチェスの問いかけに、ディオはごくりと唾を呑み込んだ。
「はい、そうです。影が――あの時と同じ、影が」
「同じ影だと?」
 セシルアが眉を寄せる。
「ドーレ聖使徒を殺害した影が、ここに現れたというのか?」
「はい――いえ」
 相反する二つの答えを口にしたディオに、セシルアの鋭い視線が浴びせられる。
 猫のような瞳。それが、まるで獲物を見るような、敵対するのものを睨みつけるような、ぎらつく光を放っている。これが自分に向けられていない時は、それなりに穏やかな色を湛えたりもするのだが。ディオは未だに、そんな状態の上司の目を、正面から見たことはなかった。
 少なからず、萎縮するような感情を抱きながら、言葉を紡ぐ。
「影は、確かに感じました。ですが、以前の記憶がフラッシュバックした可能性も捨てきれません。強い衝撃で記憶された場合、時折、それが混じってしまうことがあるんです。ダルダ以外に何者かがいた、という部分に間違いはありませんが。それがあの影であったかどうかの断定は、今の段階では何とも」
「まあ、影はともかく――」
 納得しかねる表情のセシルアに、マーチェスの声がかかる。
「ダルダの様子がおかしかったのは、正しいようです。これを」
 セシルアは、指し示された地面を見た。ディオとベッツも同じように覗き込む。
 ぽっかりと空いた墓穴の横に、もう一つ掘り返したような跡があった。ダルダは食べきれなかった獲物を、土に埋める習性があるのだ。柔らかな色味を見せる土の下から覗いているのは、間違いなく遺体。ティアスタ国において、通常遺体は、大きな真紅の布ですっぽりと包み、木の棺おけに入れた状態で埋められるのだ。
 泥に塗れて、真紅の布が顔を出す。ダルダが食い荒らしたにも関わらず、綺麗にそれが残っている。と言うより、遺体そのものが、一欠けらも崩れることなく、そこにある。
「どういうことだ?」
「奴ら、掘り出すだけ掘り出して、食わなかったってか?」
「そもそも、なぜ一体だけなんだろう? 群れは五匹いたのに」
 口々に、みなの唇から疑問の音が漏れる。そこにマーチェスが、さらなる追い討ちをかける。
「こうなると、ディオの言った影――の存在が、気になりますね。墓石の名前、分かりました。イエルマ・ベルナード。この墓は、聖使徒様の奥方のものです」
 何と、不運な……。
 などと考える者は、誰一人いなかった。ダルダ達はこの墓に狙いをつけ、掘り返したのだ。何のために? 何を探して? そしてそれは誰の意思で?
「他に、聖使徒の身内は?」
「いえ、奥様と御息女だけです」
 セシルアの問いに、マーチェスが答える。記録盤に浮かぶ文字を指でなぞりながら、続ける。
「聖使徒様の御両親は、すでに他界。墓はホルドノの町に」
「直ぐに、ホルドノに問い合わせろ」
「はい」
「それから、身内以外の関係者も洗え」
「と、言いますと?」
「彼は聖使徒だ。これまでに多くの病人、怪我人に治療を施したであろう。だが、中には力及ばず、死した者もいるはずだ。念のため、それらの者の墓も調べろ。目的が分からない以上、範囲を広げて捜査するしかない」
 セシルアの指示に、みなが揃って溜息をつく。墓を掘り返すなど楽しい仕事ではないし、もしそれで何も見つからなかったら、次は墓場全体をひっくり返して調べる破目になるかもしれない。さらに、
「だが、その前に、山狩りを行わなければならない。墓を荒らしたダルダを探す。もっとも、日の高い今は巣に篭もって隠れているだろうから、決行は今夜だ。全員、ガントレットを装着し、日没時に集合」
 やっぱり……。
 ディオはがくりと肩を落とした。それが、どれだけの困難を伴うか、想像しただけで疲労感を覚えたのだ。
 艶やかな緑に覆われた山を見る。この中からダルダを探す。しかも、墓を荒らした特定の群れを見つけ出さなくてはならない。
 一体、どれほどの時間がかかるのか。そもそも、見つけ出すことなんて、できるのか。というか、俺は――。
「あの」
 と声を出しただけで、セシルアに厳しい視線を返され、一瞬怯む。しかし、ディオは勇気を振り絞って、言葉を吐いた。
「俺、いえ、私も、ダルダの捜索に加わるのでしょうか?」
「当たり前だろう」
「でも私には、聖使徒様の御息女を、コルタナ村までお連れするという任務が」
「ただでさえ人員が足らないのだ。その余裕はない」
「ですが。あまり出立が遅れるようなことになれば、彼女の命が危うくなります。旅の途中、何らかのアクシデントがないとも限りません。ですから、やはりここは、予定通りに」
「そうだな」
セシルアの目が、冷たく光る。
「それほどまでに彼女を助けたいのなら、今夜にもダルダを捕まえることだ」
 はらりと髪を靡かせ、セシルアが背を向ける。
 分かったよ、絶対に今夜、あげてやる!
 遠ざかる上司の後姿を見つめながら、ディオは固く決意した。

 

 
 
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