アルサーンスの空の下で                  
 
  第八章  
               
 
 

「知っているよ、ディオ。私達より先に現場に着いた、ニーベランの聖務官に教えてもらった。あらかじめ彼らには、非常警戒体制を取るよう要請していたからね。列車の異常が車掌から伝えられると直ぐに、総員現場に急行したらしい。だが、一歩及ばずでね。ちょうど彼らが現場に着いた時、異空の彼方に二人の姿が消えたそうだ。紡がれた呪文は、転移魔法ではなく滅闇(めつあん)魔法。本来は、空間の狭間に滅すべき対象物を飛ばす魔法だが、ベルナード聖使徒様は、御自らも」
「そうしなければ、あの影を倒すことができなかった。ローディアを助けることは――」
「ディオ」
 溜息をつくように、バジルが声を出す。
「聖使徒様が助けたかったのは、御息女だけではない。ベッツを、マーチェスを、そしてお前を、聖使徒様は守って下さったのだ。だが、決して犠牲になられたのではないぞ。聖使徒様には聖使徒様の思いがあって、そうなされた。そして、全力を尽くされた。最後まで戦われた。その末に、不幸にも命を落とされたのだ。それくらい、言わなくても分かっているだろう? 命というものの素晴らしさを、尊さを、常々ベルナード聖使徒様が諭しておられたのを、誰よりもお前は知っているはずだろう? 父を亡くし、母を亡くしたお前を何かと気にかけられ、毎日のように家をお訪ねになられた。魔力の才能を見抜き、ビヤンテの聖学校に推薦して下さった。両親の代わり、とまではいかないだろうが、それに匹敵するくらいの愛情を、お前は聖使徒様から受けたはずだ。だから――」
「……はい」
 ディオは俯いた。
「それは……それは……よく、分かっています」
「まあ、頭で分かっても、心が理解するかどうかは、また別の話だがな」
 はっとして、ディオは顔を上げた。バジルが暖かな視線を向ける。
「自分を責めるな、ディオ。無論これはお前だけではなく、私も、他の署員もみな、意識せねばならぬことだが……。お互い苦労しそうだな。心が全てを受け止めるまで、大分時間がかかりそうだ」
 ぽんとディオの肩を、バジルが二度叩く。
「それと、これは何の慰めにもならないかもしれないが。ローディアは、とても安らかな顔だったんだよ。まるで、微笑んでいるように見えた。ユロン病の患者が、そんな表情をするわけはないんだがな」
「微笑んでいる――ように?」
 ディオの呟きに、バジルが感慨深げに目を細める。
「案外、彼女が一番、聖使徒様のお心を分かっていたのかもしれないな。まあ、いずれにせよ、これで捜査は終わりだ」
 ディオの表情が、くすむ。
「終わり、ですか」
「すっきりしないのは、私も同じだが」
 バジルの顔が、苦々しく歪む。
「ドーレ聖使徒を襲った動機が不明のままだからね。だが、犯人が死んでしまった以上、どうしようもない。元より、大聖会の闇部が相手では、手も足も出せない。単に魔力の問題ではなく、政治的な意味合いでね」
 そこでバジルは小さく横に首を振った。
「しかし皮肉なものだな。奴にすれば、ローディアを襲い、現場を目撃したベルナード聖使徒様をおびきよせ、殺すつもりだったのだろうが。逆に自分が滅せられてしまったわけだからな。聖使徒様のお力とお心の前では、大聖会の闇部といえども無力であったというわけだ」
 言葉の終わりに、余韻を含むように吐息を乗せ、バジルが立ち上がる。
「とにかく、この件はこれで終了。今は何も考えず、ゆっくり休むんだよ」
「は、はい……あの、ところで署長は今どちらに?」
「ん?」
「助けて頂いたお礼を言いたいので」
「ああ、それだがね、実は」
 右手で後頭部の髪を撫でつけながら、バジルがまたベッドサイドの椅子に座る。
「署長は今、ビヤンテの総本部に呼ばれて、アルサーンスにはいらっしゃらないんだ。多分、今回の件で、説明を求められていると思うのだが。そうなると最悪の場合、こちらにはお戻りにならないかもしれないな」
「それは、どうして?」
「祈りの魔法だよ、ディオ」
「――あっ、そうか」
 ディオは、唇を噛んだ。
 仮に、セシルアが男性であれば、その『陽』の魔力を買われバラザクスに入ることも、『陰』の魔力を評価され聖使徒となることも、可能であっただろう。二つの道のどちらを選んでも、栄光ある一生を送ることができただろう。だが、彼女は女性であるというだけの理由一つで、両方の道を閉ざされた。その結果の聖務官である。
 だが実際には、大聖会がセシルアを聖務官に任命した時、彼女の『陰』の力は明らかとなっていなかった。ここに来て、急に力が目覚めたというのは考えにくい。『陽』の魔法以上に、『陰』の魔法は経験による熟練度が必要となる。恐らくセシルアは、力を隠していたのだろう。強い『陰』の力があることを。それが聖会に知られたなら、オルデアの乙女にされてしまうことを踏まえて。
 人によっては、いや、ほとんどの者は、オルデア、すなわち聖皇直々に仕える医療看護団に入ることを、名誉に思うだろう。生涯独身を守ること、入ったら最後、ビヤンテ区国内の大聖会の中にある決められた場所から、一歩も出ることが許されないこと。聖皇に対する時はもちろん、一切他人にその姿を露とせぬよう、黒いベールを被り、喪服のような衣を着て、己の命の潰えるまで務めなければならないこと。等々を差し引いても、オルデアの乙女となることは、女性における最高の栄誉であると考える者は多い。

 
 
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  第八章・2