アルサーンスの空の下で                  
 
  第十二章  
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 鉛色の石盤に、新たな光が満ちた。先ほどの情景とよく似た作りの部屋。ただし、後ろの垂れ幕の色が違う。目にも鮮やかな真紅。その上に描かれている黄金の牡鹿は、正義と忠誠のシンボルと謂われている。
 バラザクスの、総司令部。
 ディオは固唾をのみ、画面に見入った。
 ひらりと、画面の端に白い物が揺れる。迷うことなく、真っ直ぐにそれが中央に進み出る。金色の髪、緑の目、バラザクス最高司令官にのみ許される白の軍服。
 あれは、エルドラート元帥。
 ディオを始め、聖務官達の姿勢が自然と正される。
 珍しいことだった。バラザクスからの転映放送は、過去何度か見たことがあるが。常にそれは、各将軍の秘書官という事務方の人間が務めていた。こんな風に軍の者が、しかも最高位の元帥が現れることなど、初めてだ。
 ディオの背筋が、さらに伸びる。
「ただ今のメルベラン真修公の件で、司法を司る各国の機関、及び聖務官に対し、バラザクスより若干の補足をさせていただく」
 前置きもなく、何かしたためた物を見るでもなく、凛とこちらを見据えながら元帥が話す。
「本日、大聖会及び、メルベラン元真修公自身の要請で、バラザクスはその身柄を拘束した。この時点で真修公は破門。よって彼の扱いは一般人と変わらぬこととする。つまり」
 元帥の冴えた緑の目が、不敵に煌く。
「特別扱いはせぬということだ。ただし、罪を犯した時、彼は大聖会に属していた。よって裁判は、通常の法ではなく、聖会法に従うべきであるという大聖会よりの申し入れを受け、バラザクスはこの裁判の一切を、非公開とする」
 その時、誰の口からかはしらないが、重い溜息の音が漏れ出た。最初ディオは、きっとベッツが零したのだろうと思ったのだが。それにしては、音が近かったことに気付き、ディオは顔を動かした。セシルアの姿が目に映る。署長? と思う側で、さらに元帥の声が響く。
「この決定に際しては、バラザクス内でも協議が行われた。一般人と同様に、公開裁判をすべきではという意見もあった。御承知の通り、裁判の公開は、事件のあらましを明確にすると同時に、法で裁けぬ罪をも明らかにするという目的がある。つまり、罪の重さ、種類によっては、当事者のみならず家族、周囲の者にも深く反省を促す。そういう意味合いを、公開裁判は含んでいる。しかし今回の場合、その部分においては全く価値を為さない。彼は真修公だ。大聖会に属する者だ。家族はいない。彼の罪は彼一人のものであり、他に何人も責めを負う者は存在しない。よって公開裁判は無用という最終判断を下すに至った。このことをご理解頂きたい。以上」
 ひらりと元帥が身を翻す。と、その動きが止まる。鋭い光を宿す緑の目が、画面を通して、それを見る者を捉える。
「最後にもう一つ。先の見解は、メルベラン元真修公自らも主張し、同意したことを、ここに付け加えさせて頂く。全ての罪は彼一人にあるということを、誰よりも彼自身が強く認め、望んだのだということを」
 元帥の姿が消えると共に、ぶつりと転映機の映像が途切れる。元の、鉛色に戻る。
 付け加えられた言葉が、冒頭で述べたように、全司法機関、全聖務官に告げられたものではないことを、誰もが感じていた。あの言葉は、たった一人の人間に向けられたものであることを、信じて疑わなかった。そしてそれが他でもない、メルベラン真修公の願いであったことも。
「……娘思いの父親で良かったですな」
 まだ感慨にふけるみなを尻目に、影が冷えた口調で言う。
「お陰でうまくいった」
「うまくいった……とは?」
 セシルアが問う。影の目が、セシルアに据えられる。
「かねてより元帥閣下は、メルベラン真修公との接触を模索しておられた。今までの経緯を告げ、秘密を守るために犠牲となったドーレ聖使徒、ベルナード聖使徒の死に対する責任を取られよと。最悪の事態となる前に罪を申し出るようにと、説得なさるおつもりであった。もっとも閣下は、そう思い通りに事が運ぶとは、お考えになっていらっしゃらなかったようだが。大聖会の者などみな、己の保身ばかり考えるような輩であろうと。この一連の事件も、メルベラン真修公自らが策謀した可能性もあると。今回は珍しく、閣下の読みは外れてしまわれたようですが……と、少し話が過ぎましたな」
 影がアンジュの方を向く。そして静かに言う。
「いずれ裁判が始まれば、貴方は証人として喚問されるでしょう。その後、御身の振り方を決めねばならなくなるでしょう。ですが、今日のところは」
 影の外衣が、空間と同化する。
「これにて」
 声が、姿と共に揺れる。壁に溶け込むように、影が消える。
 アンジュが、何もない空間に向って、深く頭を下げた。
「……ありがとう……ございました」
 ――アンジュ。
 垂れた頭から、はらりと一粒、光るものが床に落ちた。その煌きの美しさに、ディオは自身の胸も熱くなるのを覚えた。
 いつまでも頭を下げ続けるアンジュの側により、そっとその肩を抱く。アンジュが顔を上げる。振り向き、そのままディオの胸に縋りつく。嗚咽し、さらには大きな声をあげて泣き崩れるアンジュの髪を、ディオは優しく撫でた。小さな子供にするように、昔、ベルナード聖使徒様が自分にしてくれたように。何度も、いつまでも、ディオは撫で続けた。

 

 
 
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  第十二章・2