蒼き騎士の伝説 第一巻 | ||||||||||
第一章 伝説の世界へ(2) | ||||||||||
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二
一行が船を離れ、森の中を歩き続けること四日目の夜。
無事、打ち上げに成功した通信衛星のおかげで、彼らはパルコムを介して自分達の正確な位置を知ることができた。しかし、それだけでは簡単に森を抜ける術とはならない。
「カルタスの連中も、案外気がきかないぜ。地図くらい、ディスクに入れときゃいいのに」
そう、幾度となくテッドはぼやいた。惑星上の位置が分かったところで、その地表がどうなっているのかが分からなければ、進む方向を決められない。結局のところ、彼らは原始的な方法で森を抜けるしかなかった。ある一方向を目指し、途中、水の流れを見つけたらそれに沿って歩く。
しかし、いまだ森を抜けることも、水の流れを見つけることもできずに彼らはいた。そして、そんな夜が間もなく終わりを告げようとする時、異変は起きた。
ユーリは一人、自分のテントから外に出た。辺りはまだ夜の闇が残っており、一面に朝靄が立ち込めている。ひんやりとした空気が頬をさし、靄の粒子がその髪をしっとりと濡らした。静かに目を閉じ、耳を澄ます。
「どうかしましたか?」
艶やかな黒髪を揺らし、ユーリは声の主を振り返った。
「ああ、ミク、おはよう」
薄闇の中に浮かぶ、ほっそりとしたシルエットに向かって言う。
「実はさっき、音を……というか、声を聞いたような気がして。人の声を」
「人の声だぁ?」
別のテントからテッドが這い出てきた。ぼさぼさの髪に伸びた鬚。目はまだ閉じたままだ。
「寝ぼけて聞き間違えただけじゃないのか? ふわあぁ……」
確かに辺りはテッドの言う通り、朝を告げる動物達の鳴き声や木々のざわめきなどが、一体となった音で溢れていた。
「言っとくがな、俺は低血圧なんだよ。あんまり朝早くからガタガタ騒ぐ――」
「……アァァ!」
風に乗って微かに聞こえてきた音に、三人は息を呑んだ。紛れもなく人の声。しかも、悲鳴――。
「あっちだ!」
そう叫ぶや否や、ユーリは闇の一点に向かって駆け出した。
「おい、待て!」
およそ低血圧とは思えない俊敏さで、テッドは飛び起きた。
「ユーリ、テッド!」
だが、ミクがそう叫んだ時、既に二人の姿は、その色を刻々と淡く変化させる闇の中に、溶け入った後であった。
息もできぬほどの全速力で木立を駆け抜けたユーリは、不意に立ち止まった。正面に大木。その木の根元に、二人の子供が震えながら蹲っている。そして、それらよりも多くユーリの視界を占めたのは、肩を怒らし、仁王立ちする、熊のような獣の後姿。
「こっちだ!」
素早く銃を構えながら、とっさにユーリは叫んだ。その声に、獣の動きが一瞬止まった。そして、ゆっくりと振り返る。
「――!」
ユーリは驚いた。獣は意外にも平面的な、人間のような顔立ちをしていたのだ。さらに獣は、ユーリを見下ろすようにぐっと背筋を伸ばした。完全に二足歩行のできる姿勢である。それが証拠に右手には何か武器、こん棒のようなものを持っている。しかもその端は、鋭利な形に加工されていた。
「ケモノ……じゃ、ない?」
このわずかな躊躇が、ユーリを危機に陥れた。
「ギッ、キュ、アムシャッ!」
ただの鳴き声とは思えぬ一定のリズムで奇声を発し、その生き物はこん棒を振り上げた。
耳元で、空を切り裂く音がする。左肩に熱い痛みが走り、辺りに血の匂いが散る。
「ユーリ!」
鋭い声。それより早く、白い閃光が森を突き抜けた。
短く小さな悲鳴を上げて、毛むくじゃらの巨体がぐらりと揺れる。琥珀色の瞳に、その巨体が突っ伏す姿と、膝から崩れるように倒れ込むユーリの姿とが映る。
「ユーリ!」
――と。
テッドの背後で風が動いた。瞬間、恐ろしい力で首が締まっていく。
くそっ、もう一匹いやがったか。
テッドは首を締め上げている腕を振りほどこうともがいた。だが、びくともしない。銃を持つ手も、もう一方の手で押さえ付けられ動かせない。
仲間が何でやられたか、ちゃんと分かってやがる。こいつら一体、なんだ?
意識が遠のく。視界が翳る。頭の後ろで、鈍い音が響く。
唐突に、テッドは解放された。振り向きざまに銃を構える。が、その必要はなかった。獣は口から泡を吹き、地面に倒れていた。その目からは急速に光が失われていく。不自然な形に折れ曲がっている首を見て、テッドは音の正体を知った。そこで大きく、一息をつく。
「いやあ、いいもの見せてもらったぜ。素手で熊をしとめる奴なんて、初めてだ」
熊のような体格、そしてそれをはるかに凌ぐと思われる知力を持つ生き物。その得体のしれない生物を一撃の蹴りのもとに沈めた女は、冷ややかな一瞥をテッドにくれた。そしてすぐさまユーリの元へ走り寄る。
「ユーリ、大丈夫ですか?」
「――うん。大丈夫だよ、ミク」
心配そうなグリーンの瞳を真っ直ぐに見返しながら、ユーリは言った。
「大した傷じゃない。それより、この子達……」
そこでユーリは、傍らで蹲っている二人の子供達に視線を移した。兄妹であろうか。顔立ちが良く似ている。妹の方は、まだ震えたままだった。
「大丈夫かい?」
ユーリは柔らかな声で、カルタスの公用語として学んだ言葉で話しかけた。しかし、子供達は顔を強張らせたまま押し黙っている。まだショックが抜けないのか。見知らぬ顔のユーリ達を警戒しているのか。それとも――。
この言葉が理解できないのか?
ユーリは少し間を置いて、別の言語で話しかけた。
「大丈夫?」
しかし、今度も反応はない。また、別の言語で問う。
「大丈夫?」
カルタスから送られてきたディスクには、六種類の言語が示されていた。ユーリ達はそれら全てをマスターしていた。だが、その言葉が通じないとなると、彼らの未来は困難を極める。
この辺りは特殊な言語を使う、辺境の地なのか。
そんな不安を抱きながら、ユーリは四つめの言語で尋ねた。
「大丈夫かい?」
幼い兄妹の胡桃色の瞳が、大きく、丸くなった。そして同時に、こくりと頷く。
「良かった!」
弾けるようにユーリは笑顔となった。つられて、子供達の表情も緩む。
「とにかく、一安心だな。言葉が通じて良かったぜ」
「テッド、これからはちゃんとこちらの言葉で話して下さい。知らない言葉で会話をしては、子供達が不安に思います」
わかった――と返事をする代りに、テッドは左手を軽く上げた。模範的なミクのカルタス語とは対照的に、少々荒っぽい発音で続きを繰り出す。
「それにしても、今のやつらは何なんだ? 熊ってわけじゃなさそうだし」
「武器を持っていましたし、言語らしきものも発していたようですから」
ミクは二匹、いや、二人と表現した方が良いのだろうか。すでに命の温もりを失って転がっている死体を見ながら言った。
「あまり気持ちの良いものではありませんね」
「だが、殺らなきゃこっちが殺られていた」
そうテッドは言うと、ユーリの前にしゃがみ込んだ。
「おい、傷を見せろ」
テッドは、切り裂かれたユーリの服をさらに裂いた。剥き出しになった左肩には、十センチほどの切り傷があった。出血はそれほど酷くなく、傷自体深手ではなかった。しかし、その周りが異様な赤紫色を帯び、腫れ上がっている。
「こいつは――」
「毒だ!」
叫んだのは少年だった。