蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第二章 起端(1)  
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 <起端>

      一  

 その日、ブルクウェルの空はどんよりとした暗い雲に覆われていた。この街で最も大きい建造物であるシュベルツ城の先端に、今にも圧し掛かりそうなほどの重い空だった。湿気をたっぷりと帯びた空気が街全体を、そして、薄鈍色の城の中をも冷たく包み込んでいる。
 そのシュベルツ城の控えの間に、この日の空と同じ灰色の目をした一人の老騎士が、険しい表情で座っていた。髪や口髭は真っ白で、顔には深い皺が無数に刻まれている。しかし、そこから推察される年齢の割には、肌の血色は良く、体格も厳つい。その粛然たる眼光をも合わせて考えれば、かつてこの老騎士が、敵にいかほどの恐怖を与える存在であったか、容易に想像ができる。
 さらに、彼の風体に一層の風格を添えていたのが、その身に纏った蒼き鎧であった。『キーナスの宝石』と謳われるリルの鉱石から作られたこの鎧は、軍の中でもごく限られた者にしか着用が許されないものだ。年季の入ったその鎧は多くの傷痕が見受けられたが、丹念な手入れの賜物であろうか、実に良く磨き込まれていて、その輝きはいっそう深く、美しかった。
「閣下」
 と、同じく蒼き鎧、ただしこちらの方はその持ち主に比例して、まだ若い様相の物を身につけた男が入ってきた。
「お待たせ致しました。陛下がお待ちです。どうぞ、執務室の方へ」
「うむっ」
 低く短くそう答えると、老騎士はゆっくりと立ち上がった。その姿を見送る若者の目に、尊敬と憧れの色が浮かぶ。いや、この若者だけではない。キーナスの軍人なら、キーナスの人間なら、誰もが同じ想いを持って老騎士を見るであろう。
 彼こそが、数々の伝説的な逸話を持つベーグ・ロンバード、その人なのだから。

 


 その部屋は、一国の王の執務室とは思えぬほど、実に簡素なものだった。確かに、さり気なく置かれた家具や調度品からは、時代を超えた名品ならではの重厚な趣を感じることができた。だがそれよりも、ぎっしりと本で埋め尽くされた棚や、華美な装飾品等が一切ないことの方に目が行ってしまう。王としての権威にいささか欠けるのではという意見も、一部の側近から上がってはいたが、部屋の主はこのままの状態を好んだ。それはロンバードも同じであった。部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、その好ましい印象が、ロンバードの険しい表情をほんの少しだけ和らげた。
「陛下、ご機嫌麗しゅうございます」
 柔らかみと凄みの両者を含んだ声でそう言うと、ロンバードは目の前の若者を見据えた。
 美しい若者だ。肩まで波打つ黄金の髪、リルの石を埋め込んだかのような蒼い瞳。淡い薄紅色の唇は朝露を含んだ花びらのように艶やかで、いずれも白皙の肌によく映えていた。細身で長身の体は何を着ても似合ったが、特に瞳と同じ深い蒼を基調とした正装を身に纏った姿は、女性でなくても思わず見とれるほどだった。
「ずいぶんと無表情な顔だな、ロンバード」
 凛とした声でその若者、アルフリート国王は言った。
「そなたがそういう顔をする時は、何か私に意見がある時だ。違うか?」
 その声と表情に鋭さがある。しかしロンバードは、平然とアルフリートの目を直視しながら言った。
「本日は陛下にお聞きしたいことがあって参りました。エルティアランの遺跡の件で」
「はて」
 アルフリートはしなやかな動きで、人差し指を右のこめかみに宛がった。
「いつからそなたは考古学に興味を持つようになったのだ?」
「陛下、私は真面目にお尋ねしているのです」
 ロンバードは少し声を大きくした。
「エルティアランの遺跡がどういうものであるのか、私でも存じ上げております。一体、どういうおつもりですか?」
 アルフリートの表情が不機嫌に曇った。と同時に、その目に刃の煌きが宿る。
「考古学の研究――では不満か?」
「陛下!」
 ロンバードは怯まなかった。
「私がお尋ねしているのは、エルティアランの、あのエルフィンの遺跡から、何を掘り出そうとしているかです」
「ははっ!」
 張りと艶のある声が、石造りの城内に響き渡る。
「まさかそなた、エルフィンの伝説を鵜呑みにしているのではあるまいな。悪しき者、ガーダの手によって作られし怪物。その怪物が旧世界を壊滅させたという――。そしてそれが、今もこの地のどこかに、エルフィンの手によって封印され眠っているのだというお伽話を、そなた――」
「信じていらっしゃるのは陛下の方ではありませんか?」
 押し殺すような声でロンバードは言った。
「国中から学者を集めて大調査団を組織し、さらには軍隊までをも遺跡に差し向けるというのはいかがなものか。例えそこに何もないにしても、その行為は一国の王として、いえ、人間として、許されざる悪しき意図を持っているものとしか思えません。陛下、陛下は――」
 ロンバードは、次の言葉を呑み込んだ。美しいラインをくっきりと描くアルフリートの唇に、酷薄な笑みが浮かんでいるのを認めたからである。この若き王がこの世に生まれてから二十五年、先王マドークの忠臣として、また友として、公私ともにアルフリートを見守り続けて初めて見る表情であった。
 陛下……。

 
 
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