蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第八章 そして(3)  
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      三  

 白い光沢のある大きな雲が、ぽっかりと浮かんでいる。夜が明けて間もないからか、それとも、少し前まで雨を降らせていたためか。彩度の落ちた空との境目がくっきりと際立ち、より立体的に見える。風が心地良い。一人洞窟を出たテッドは、大きく息を吸い込んだ。
 キリートム山の東の斜面、そこにリンデンを長とするラグルの村は築かれていた。ファルドバス山のそれと比べると随分なだらかで、目の前には小さな平原が広がっている。村の北はさらに高い山々が聳え、西の斜面、そしてエルティアランに通じる南は鋭く険しい。ラグルの村は住処であると共に砦でもある事を考えれば、むしろそちらに居を構える方が自然である。
 しかし彼らはこの場所を選んだ。そのふもとに、ビルムンタルの沼地があったからだ。うっそうと茂る木々。踏み入る者を深い地の底へと誘う泥濘。人々が恐れをなす生き物も、数多く住んでいる。人間がこの地に近付くことはまずない。もちろん沼は、ラグルにとっても脅威であった。が、それよりも人間の方が厄介だ。長い歴史から、ラグルはそう判断した。しかし、今……。
 テッドは背後に人の気配を感じ、振り向いた。
「ほう。これはこれは」
 左手を腰の後ろに当て、右手を大きく翻しながらうやうやしく礼をする。
「立派な騎士様に見えるぜ。そのフラフラした歩き方さえ何とかすりゃな」
「だってこれ、重いんだよ」
 ユーリは少しばかり口を尖らせて言った。その身に蒼い鎧を着けている。キーナスの宝石と謳われし、リルの鉱石で作られた鎧。磨き込まれ、美しい輝きを放ってはいるが、左胸に深く太い傷が刻まれている。
「これは、わしの曾祖父が付けたものだ」
 昨夜、財宝室からそれを引っ張り出しながら、リンデンが自慢気に言った。その昔、騎士団との戦いで勝利した時のものだと。
「だからいいか。これはやるんじゃなくて、貸すだけだからな」
 何度も念を押しながら、それでもリンデンは笑顔でユーリに鎧を渡した。
 どうやらユーリはリンデンに気に入られたようだ。ヌアテマもそうだったが。まっ、昔から、ガキと動物には好かれる性質だったからな。
 テッドの視線が、そこでユーリから離れた。そして、後ろから近付いてきたフレディックに止まる。こちらの蒼き鎧は、もちろん自身のものだ。そのせいだろうか、ユーリとは雲泥の違いだ。
 いや、それだけじゃないな。やっぱり歩き方だ。
「みんな、準備が整ったようですね」
「ほう。これはこれは」
 テッドの視線がさらに流れ、冴えた声の持ち主に向けられた。そして、つい先ほどユーリにしてみせた礼を施す。一体テッドのどこをどう押せばこんな仕草が生まれるのかと、ユーリが首を傾げるくらい、優美な仕草で頭を下げる。
「馬子にも衣装――ってのは、このことだな。ちゃんと女に見えるぜ」
「その物言いは」
 ミクの細い眉の片端が、軽く引き上がる。
「自分の目が表面的なものしか捉えられない節穴だと。そう告白しているのだと、捉えて良いのでしょうか?」
「どうとでも」
 テッドは笑った。
「だが、大概の人間はそんなものさ。それにしても、うまく化けたな」
 艶のあるペパーミント色のドレス。白く高いレースの襟。全体的にほっそりとしたシルエットは、当世の流行りだそうだ。これも、ラグルからの借り物である。ただしこちらはつい先日、リンデン一派が彼らの仕事、即ち、人間からの略奪によって得たものであった。いわば盗品なわけだが、今はそれをとやかく言う立場ではないし、何よりこれが必要だった。
 ミクの横には、地味ではあるが上質感のある衣服を纏い、深々と帽子を被ったロンバードが立っている。貴婦人と従者、二人だけの旅。それなりの身分がある者の旅にしては、少々寂しい。行く先々で、いろいろと詮索の的となるかもしれない。しかしそれでも、ロンバード一人で旅するよりは遥かにカモフラージュとなる。それにこれなら堂々と街道を、しかも、馬車を用いて進むことができる。人目を避けると同時に急ぎの旅であることを考えれば、このメリットは大きい。そのための馬車も、ラグル達に調達してもらった。小さな二頭立ての黒い馬車。当然これもどこからか、その持ち主に断りもなく拝借してきた物である。
 ミクが近付く。素早く差し出されたロンバードの手に自分の左手を預け、馬車に乗り込む。裾にあしらったシフォンのような柔らかな生地がさらさらと音を立て、閉じ行く扉の中に吸い込まれる。

 
 
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  第八章(3)・1